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5.

 シャルレーネは、その後も何度もエデュランとの面会を申し出た。しかし、すべてエデュランに拒否されてしまった。

 エデュランは少しずつではあるが、記憶を取り戻しているようだとマーサが話していた。しかし、シャルレーネのことを思い出すことはなかった。

 エデュランの傍には常にジュリエッタが付き添い、顔を包帯で隠し、ジュリエッタに手を引かれながら庭を歩く姿を遠目で眺めることしか出来なかった。


 シャルレーネは、王城をひとりで去った。


 自分の部屋さえなくなってしまったランバルト家に戻ることは出来ず、その足で母の実家のアガモット男爵家を頼ることにした。


 「正直家にはお前を養う余裕がないんだ。メイドも一人雇うのがやっとで…」


 叔父のジャレスはすまなさそうに肩を落とした。


 「では、わたくし働きます」


 シャルレーネは思わずそう言っていた。


 「お父様の言いなりになるのは、もう嫌なのです」


 「そうは言っても、お前は公爵家の娘で…」


 「いいではないの」


 そう声がして、部屋に入って来たのはジャレスの妻メアリーだった。ジャレスがうっと肩を縮めたのが分かった。


 「いいわ、シャルレーネ。ここで暮らしなさいな」


 メアリーは豪華なレースの扇子を広げて言った。


 「お、おい。メアリー!」


 「ついてらっしゃい」


 「ありがとうございます、メアリー叔母様」


 そう言って、シャルレーネはトランクを手にメアリーの後ろに続いた。


 「あら、召使いになるのでしょう?わたくしのことは、メアリー様と」


 「え?」


 「いやなの?あなたの我儘を聞いてあげようと言うのに」


 「い、いいえ。メアリー様」


 シャルレーネが連れて来られての場所は、屋根裏の埃だらけの部屋だった。その小さな部屋にシャルレーネは戸惑いながら入った。


 「あら、荷物はそれだけなの?」


 メアリーはシャルレーネが傍らに置いたトランクを見つめて言った。


 「え、…はい。最小限なものを…」


 メアリーは、着古されたメイド服を寝台の上に置いた。


 「これに着替えてちょうだい」


 「は、はい」


 シャルレーネは言われるまま、その古びた服へと着替えた。スカートのポケットにしまっていた小さな布の袋を手早くメイド服のポケットへ入れた。

 メアリーは突然シャルレーネのトランクを開くと、中を調べ始めた。


 「あ、あの…」


 「もっと宝石とかを色々と持ってきてくれたら良かったのに。でも、いいわ。これは全部こちらで預かるわ」


 「え?」

 

 「これは…いらないわ」


 メアリーはそう言ってシャーロットの肖像画をベッドの上に投げた。


 「あの…申し訳ありませんが…母からもらった刺繍の…」


 「あら、これ?」


 そう言ってメアリーはひらりと勿忘草の刺繍の布を投げた。


 「その…他にも…」


 シャルレーネはトランクから覗くエデュランから貰った肩掛けを見つめた。


 「あら、贅沢ね。ここに置いてあげるのだから、もういいでしょう?」


 メアリーは乱暴にトランクを閉じた。


 「そんな…」


 「わたくし、あなたみたいなお綺麗なお嬢様って大嫌いなのよね」


 「え…」


 「なんでも与えられて甘やかされて、人生なんでも思い通りになると思っているのかしら。王子様に婚約破棄されたからって、新しい王子様なんて現れないわよ」


 「わたくし…そんなこと」


 「もし、出て行きたければ好きにすればいいわ。ここ以外に行き場所があるならね」


 「…それはどういう意味ですか?」


 「さあ、自分で見てみたら?」


 メアリーはそう言って小脇に挟んでいた新聞をベッドに投げた。シャルレーネはその新聞を拾い上げ驚いた。

 それは…王子の元婚約者は義理の妹を虐げていたと見出しだった。

 自分の能力をひけらかし、妹を不出来だと罵詈雑言と暴力を繰り返していたという。また、ふっくらとした体形の王子を無理やり騎士の訓練に参加させ、痩せるよう命じていたそうだ。挙句の果てには醜い傷を負った王子が自分のことを忘れたことを言いことに、恋人と駆け落ちしてしまったとあった。


 その記事にシャルレーネは愕然とした。


 誰がこんなことを…。


 ジュリエッタの最後の姿とルーファスの顔が浮かぶ。


 お前の帰る場所などどこにもない。


 そう言われたような気がした。

 シャルレーネは、埃だらけの床に座り込んだ。


 今さら戻ってすべてを否定したところで何になるのだろう。


 だって…もう…。


 シャルレーネは、ポケットから布の袋を取り出すとただぎゅっと握り締めた。



 シャルレーネがメイドの姿で戻って来ると、ジャレスはぎょっとした顔をしてメアリーの腕を掴むと部屋を出て行った。


 「メアリー!あんな恰好をさせて正気か!義兄さんに知られれば…」


 「ルーファス様だって、自分の想い通りにならない娘を探そうなんてしないわ」


 「だが、仮にも王子の元婚約…」


 「その王子に捨てられたんでしょう?それなのに未練たらしくここで気が変わるのを待とうとでもしているのかしら」


 ほほほっとメアリーの嘲笑う声が響くと、シャルレーネは思わず唇を噛んだ。


 「こんなこと、死んだ姉さんになんと…」


 「またシャーロットの話なの!いい加減にあの女の話はやめて!」


 そうメアリーが声を荒げた。


 「いつも公爵家に嫁いだあの女を褒めていたものね。お父様もお母様もシャーロット、シャーロットって!この家の女主人はわたくしなのに、いつもいつも!」


 ふいにシャルレーネは腕を掴まれた。それは、同じメイドの服を着た白髪の女性だった。


 「こっちに来な」


 「あ、あの…」


 「あたしは、レイダ。この家のたった一人のメイドさ」


 レイダは、シャルレーネの部屋を綺麗にする手伝いをしてくれた。


 「あんた、そのシャーロット様似の顔でこの家に住むなんて地獄だよ」


 「え?」


 「公爵家に嫁いだあの方を、ご両親はいつも褒めていた。メアリー様を見下しながらね」


 「そんな…」


  

 優しかった祖父母のそんな姿をシャルレーネは想像もつかなかった。


 「あたしだって使えないお嬢様と働くなんてごめんだよ。とっととお家に帰んな」


 シャルレーネは目を伏せた。


 「帰れません。…もうどこにも帰れないのです」


 レイダはうんざりだと言わんばかりに溜息を吐いた。


 召使いとしての生活は朝から晩まで忙しく目が回るほどだった。

 レイダに教わりながら、掃除に洗濯、料理と色々なことを学んだ。

 それでも働いていれば、何もかも忘れてしまえるような気がした。

 しかし、メアリーとその娘メリルは反抗しないシャルレーネに、どんどん厳しく接するようになっていった。

 何かにつけてこれだから公爵家のお嬢様はと難癖をつけられ、掃除のやり直しを言われた。体調が悪くても休むことは許されず、食事を食べる暇さえないほど働いていた。

 ある日、不注意でシャルレーネがお皿を割ってしまった。慌てて謝罪をしたが、メアリーに屋敷の納屋に連れていかれ、細い木の棒で身体を嫌というほど打たれた。

 その罰は、働けないほどの大怪我にはならないが、身体に無数の傷が残った。そして、その日からメアリーは気に食わないことがあるとまるで腹いせのようにシャルレーネを打つようになった。


 毎日毎日をただ働いていた。


 何もかも忘れるほどの日々をただ夢中に生きていた。

 ここに置いてもらっているのだから仕方がないと諦めていた。

 辛いという感覚は、もはやなくなっていた。


 「あんた、このままここにいたら死んじまうよ」


 レイダがそうぽつりと言ったのは、井戸から水を汲んでいる時だった。

 レイダは素っ気なかったが、根気よくシャルレーネに色々と教え、優しくもなかったが傷つけるようなこともなかった。そんな彼女が口にした言葉に、シャルレーネは水桶に移る自分の姿を見つめた。

 頬はこけ身体はやせ細り、ぱさぱさの髪に肌はぼろぼろになっていた。

 気がつけば二年の時が過ぎようとしていた。


 「家に帰って、じいさんでもなんでもの嫁になった方がずっといい」


 「わたしは…」


 「死んじまうつもりかい?」


 「でも…」


 わたし…どうしてここにいるのかしら。


 ここで何をしたいのかしら。


 まるで頭に靄が掛かったように、言葉にならなかった。


 本当は…本当は。


 「あんたは、お嬢様なのに根気がある。あたしはさっさと逃げ出すもんだと思ってた。でも、器用で物覚えもいい」


 「あ、ありがとうございます。でも、あなたがしっかりと教えてくれるから…」


 「あたしはあんたを利用して楽をしているだけだよ」


 レイダは素っ気なく答えた。


 「あんたが逆らわないからってメアリー様は思い通りにならない暮らしのはけ口にしてる。ジャレス様だって、分かっているけどメアリー様に頭が上がらないんだ」


 ジャレスはシャルレーネを気遣う様子を時々みせるが、メアリーとメリルに怯えて顔色を伺っているようだった。


 「逃げ出し方が分からないのなら、誰かを頼ればいい。…実は最近セドリック様の使いだとか何とかで使者が来たことあるんだ」


 「え?」


 「ジャレス様に黙って言われるように言われたが、あんた探されてるよ」


 「そんな…」


 「…仕事が欲しいんなら、探せばいい。あんたのその丁寧な仕事ぶりなら、もうどこだってやっていけるだろうよ。こんな給金もくれない場所なんかじゃなくて」


 「レイダさん…」


 「お嬢様の力でもなんでも使って仕事を紹介してもらえないのかい?」


 レイダの言葉に、シャルレーネはだんだんと頭の中の靄が晴れて来るような気がした。


 「考えてみます。…ありがとうございます、レイダさん」


 「ふん。…あたしはただ面倒事がいやなだけだよ」


 そうレイダは素っ気なく答えた。


 シャルレーネは、セドリックやオディールを頼ることを考えた。

 一年前、セドリックは病を理由に王位を退き、オディールが二十二歳の若さで女王となった。そして、アルシオと結婚したことを新聞で知った。

 今の大変な時期にわたしのことで煩わせることなんてできない。

 シャルレーネは悩んだ末、マーサなら密かにどこかの家に召使いとして自分を紹介してくれるのではないかと期待した。

 手紙を出して少しすると、驚いたことにマーサ自身がアガモット家を訪ねて来た。

 案の定マーサは、ジャレスからシャルレーネはいないと告げられたようだった。

 マーサが帰ろうとしている姿を窓から見ていたシャルレーネは、心を決めた。


 「レイダさん、お世話になりました」


 「ああ、頑張りな」


 シャルレーネは、シャーロットの肖像画をエプロンに包むとアガモット家を飛び出し、マーサを追い掛けた。


 「マーサ…さん!」


 振り向いたマーサは、シャルレーネの姿を見るなり目に涙を浮かべた。


 「ああ、そんな…。シャルレーネ様…こんなに、こんなに痩せてしまって」


 マーサは涙を浮かべながらシャルレーネを抱き締めてくれた。


 「ごめんなさい。あなたがこんなことになっているなんて…」


 シャルレーネは戸惑いながら、その背中を撫でた。


 「マーサさん、こちらこそ申し訳ありません。わざわざ来ていただくなんて…」


 「さんだなんて、ただマーサとお呼びください」


 「いいえ、だってわたしはもう…」


 「こんなところにいたなんて…どうして誰にも知らせなかったのです?」


 「…すみません」


 マーサは顔を上げた。


 「荷物をまとめて来て下さい。すぐにあんな家でましょう」


 「…もうまとめて来ました」


 そう言って、シャルレーネは微笑んだ。


 「行き場のなかったあなたをこんな目に合わせていたなんて。セドリック様にご報告しますから!」


 マーサはアガモット家を睨みつけ、拳を振り回した。


 マーサと共に馬車に乗り込み、シャルレーネは王都から少し離れた自然に囲まれた屋敷へと連れていかれた。召使いの服からドレスへ着替え、マーサに髪を整えてもらった。向かった部屋にいたのはベッドに横たわったセドリックだった。


 すっかりやせ細り、真っ白な髪になったセドリックの老人のような姿にシャルレーネは驚いた。


 「シャルレーネ…なんてことだ」


 セドリックは弱弱しく手を伸ばし、シャルレーネはその骨のような手を茫然としながら握った。


 「こんなに痩せて…」


 「そ、それはこちらの言葉です。セドリック様…」


 「ああ、私はね。仕方ないんだ」


 そう飄々とセドリックは答えた。


 「なんでランバルト家に帰らなかった。君の父上が…」


 「あの家にわたくしの帰る場所はありませんでした」


 シャルレーネは思わずそう口にしていた。


 「父は…わたくしが邪魔だったのです」


 「そんなことは…」


 「わたくしをロドリス・レッドル伯爵に嫁がせようとしていると聞きました」


 「あの変態とか?まさか!で、あれば私が許可しない。エデュランの婚約者を変態の所へ嫁がせようなんて…」


 シャルレーネは、ずきりと胸の痛みを感じながら力なく微笑んだ。


 「元…ですわ」

 

 「君の叔父も叔父だ!君が尋ねてきたことなどないと嘘を…。こんなになるまでこき使っていたなんて…。頼れと言ったのに」


 そうむくれたように言うセドリックに、シャルレーネは困りながら答えた。


 「わたくしが頼っては、きっとセドリック様達の迷惑になると…」


 「あの新聞のせいだな。…そんなことがあるわけがないだろう。撤回させる記事を出させてはいるのだが、君が行方不明なままでは中々上手くいかなくてね。すぐにでも帰ってきてくれればよかったのに。今では悪い噂ばかりが広まってしまっているよ。…だが、城にいる皆が分かっている。君がエデュランとどれだけ仲良かったか。そして、ジュリエッタにも丁寧に接して来ていたかを…」


 シャルレーネは思わず微笑んだ。


 「ありがとうございます、それだけで十分です」


 「シャルレーネ…辛かったな」


 「いいえ、わたくしは大丈夫です。…それよりもセドリック様は何かの病気なのですか」


 「いや…これは呪いだ」


 「…呪い?」


 魔法使いは、魔物退治をするものだけではない。人にお金を貰って、闇魔法で呪い殺す者もいると聞いたことがある。そして、その反対に解呪を専門にする魔法使いもいると聞く。


 「どの魔法使いでも駄目なのだ。これは…とっておきの呪いだからね」


 セドリックは口を歪ませて笑った。


 「一体…誰がそんなことを」


 「オリヴィアさ。私の妻だ。彼女は強い魔力を持っていてね」


 「オリヴィア…王女様?」


 「愛する私が、早く自分の元に来ますようにと。違う誰かを愛して、幸せになりませんようにと呪いながら死んだ」


 その言葉に、シャルレーネは絶句した。


 「…愛も呪いになるのだと思うとぞっとするね」


 セドリックは何でもないことのように言った。


 「始めは怖かった。死ぬのをただただ恐れて国中の魔法使いをあたった。そこでね、エデュランの母親に出会った」


 セドリックは、嬉しそうに微笑んだ。


 「彼女が呪いを弱めてくれたお陰で、私は生きながらえられた。本当なら半年と持たないところだっただろう」


 「エデュラン…様のお母様は魔法使いなのですね」


 セドリックは、にやりと笑った。


 「彼女…エラは美しく…そして最強だった」


 女性を褒めるには相応しくない言葉に、シャルレーネは首を傾げた。


 最高…の間違いかしら。


 「私はその美しさ、そして強さに惹かれた。私が王として取り繕っていたものをすべて剝がし、エラは私を自由にしてくれた。そのやすらぎに…私は溺れた。でも、そんなエラにも私の呪いを完全に解くことは出来なかった。…でも、エデュランを残してくれた」


 そう言って、セドリックはなぜかベッドの枕元に置いてある石像に触れた。その真っ黒な石像は卵の形をしていた。


 「それは…」


 「ああ…これはドラゴンの卵…の石像だ」


 シャルレーネは首を傾げた。


 「ドラゴンの卵…の石像ですか?」


 「そう」


 セドリックはそう言って笑った。 


 「シャルレーネ…私にも未来は分からない。ただ分かっているのは、私はもう長くないということだ」


 「そんな…」


 「オディールにはアルシオがいる。そう、あの二人のことを知りながらも…私はエデュランから王位を奪うことはしたくなかった。…あの子にずっと傍にいて欲しかった」


 「どういう…意味ですか?」


 セドリックは再び石像を撫でた。


 「今はまだ話せない。…すまないね」


 セドリックの話の内容が分からず、シャルレーネは首を傾げた。


 「シャルレーネ、結婚を…したいのかい?」


 唐突な質問にシャルレーネは首を振った。


 「い、いいえ、わたしは…」


 「シャルレーネ様は仕事の紹介をわたくしに願ったのです」


 壁に控えていたマーサが口を開いた。


 「結婚ではありません」


 「そうか。それなら…良かった。シャルレーネ、しばらくここに滞在して体調を整えなさい。私より顔色が悪い」


 「そ、そんなことは…」


 「それから、君にローデル伯爵領にある私の別荘の管理者として雇いたい」


 「…別荘の管理ですか」


 「森に囲まれた湖のすぐそばにある家なんだ。エデュランの母親が住んでいた場所でね、今まではマーサが管理を兼任してくれていたが、人が住んでくれた方がいいだろう。もちろん、管理料を払う」


 「…それは住まわせて貰うだけになるのでは」

 

 「仕事ならカーヤの街が近いからマーサに紹介してもらうといい」


 「シャルレーネ様は刺繍が得意でしたわね。わたくしの娘が洋裁店をしています。そこに頼んでみましょう」


 マーサがにっこりと微笑んだ。


 「ありがとうございます。そんなことまでしていただけるなんて」


 「刺繍か。そういえば、このハンカチ…」


 セドリックは卵の置物の傍らに置いてある一枚のハンカチに手を伸ばした。それはアマリリスの刺繍のハンカチだった。


 「それは…わたくしが差し上げた…」


 「そう。…不思議なことに、こうして君のハンカチを持っていると気持ちが穏やかになるのだ。オディールも言っていたが、君の優しい魔力が籠っていると。案外君は刺繍の仕事がむいているかもしれないね」


 セドリックはそう言ってシャルレーネに目配せした。

 マーサは、静かに溜息を吐いた。


 「でも、シャルレーネ様には驚かされてばかりです。家を飛び出して、メイドをしているなんて…」


 「あ、あのマーサさん。わたしはもう令嬢ではありません。どうぞシャルレーネと」


 「ですが…」


 「どうか敬語もやめてください」


 「わかりました…いいえ、わかったわ。シャルレーネ。わたし達はこれから良き友人同士になりましょう」


 そう言われ、シャルレーネも微笑んだ。

 突然扉が開かれると、部屋に飛び込んで来たのはオディールだった。


 「お父様!シャルレーネが見つかったって本当…まあ」


 「オディール様」


 シャルレーネは驚いて立ち上がった。


 「あなたが見つかったと聞いてわたくし…どうしても会いたくて…」


 オディールはゆっくりとシャルレーネの頬に触れた。


 「こんなに痩せて…一体…」


 「色々あったのです」


 そう言ってシャルレーネは誤魔化すように笑うと、オディールはただ黙って抱き締めてくれた。


 ああ、わたしは愚かだった。


 オディールの温かさにシャルレーネはふいに泣きたくなった。

 こうして手を差し伸べてくれる人がいたのに、辛い場所で耐えるしかないと思い込んでいたなんて。


 「オディール、走るな。お腹の子どもに障るだろう。シャルレーネのことは私に任せろと…」


 「あら、お父様にばかり任せていられないわよ。アルシオといられるのはシャルレーネのお陰でもあるのだから」


 「どうせお前はザンダー王子と結婚する気などなかっただろう」


 「結婚する気がなかったのはあっちの方だわ」


 言い合う二人を前に、シャルレーネはオディールのお腹を見つめて言った。


 「今どのくらいなのですか?」


 「七か月よ。だいぶ大きいでしょう?」


 オディールはそう言ってシャルレーネの手を取るとお腹を触らせてくれた。


 「まあ…楽しみですね」


 「ええ!とっても!」


 オディールは、微笑みながら言った。


 「シャルレーネ、わたくしの付き人にならない?」


 「え?」


 「その…ランシュがやめてしまって。だから…あなたが傍にいてくれたら、わたくし心強いわ」



 シャルレーネは返事をすることが出来なかった。

 頭に浮かぶのは…ジュリエッタに縋るエデュランの姿だった。

 オディールは、じっとシャルレーネを見つめていたが諦めたように溜息を吐いた。


 「いいわ。こうしてまたあなたと繋がりが出来ただけでも、わたくしは嬉しいわ」


 「オディール様…申し訳ありません」


 「いいの。あなたがエデュランを本当に大事に思ってくれていたのは、わたくしがよく分かっているから」


 オディールは少し寂しそうに目を伏せた。


 「あの子ね、どんどん記憶を取り戻していっているの」


 その言葉にシャルレーネは思わず目を見開いた。


 「でも…なぜかしら。あなたと過ごした時のことは…思い出すことが出来ないの」


 シャルレーネは期待に膨らんだ気持ちが一瞬にして萎んでしまうのが分かった。


 「そう…ですか」


 シャルレーネは動じていないふりをして微笑んだ。


 「まったく、娘が忙しくしているのにお父様は寝てばかりで呑気なものね」


 そうオディールはおどけた様子で言うと、セドリックはうんざりだと言わんばかりに溜息を吐いた。


 「好きで寝ているのではないぞ」


 「お父様がもう少し落ち着いたお父様であったなら、お母様と悲しい関係にならずにすんだのに」


 オディールは、セドリックの呪いの正体を知っていることにシャルレーネは驚いた。

 オディールはシャルレーネに微笑んでみせた。


 「わたくしにもあまり優しいお母様ではなかったの。お母様が亡くなってからは…わたくしにはアルシオがいた。そしてマーサや…お父様もたまにね」


 「…たまにか」


 「だってほとんどお城にいなかったじゃない。エデュランのお母様の元にばかり通って…」


 「あれは呪いを解くためだ」


 「それでエデュランを連れて来るのだから、呆れたものだわ」

 

 「いいだろう。可愛い弟が出来たのだから」


 「そうね、とても可愛かったわ。いつもわたくしの後をついて来て、この子にはわたくししかいないのだって…」


 そう言ってオディールはお腹を撫でた。


 「今じゃちっとも可愛くないのよ。しっかりなり過ぎてしまって。…わたくしに色々意見する顔なんてもう憎たらしくって。時折昔の話をしても…あなたといた時のことだけ、すっぽり抜けてしまっているの。それが…とても悲しいわ」


 オディールはそう言って、シャルレーネの肩を撫でた。

 シャルレーネは目を伏せ、何も答えることは出来なかった。


 「とにかく、これからは手紙で連絡をちょうだいね。わたくしに出来ることならなんでも…」


 「お前は自分と赤ん坊に専念しなさい」


 セドリックはやれやれと溜息を吐いた。



 シャルレーネは体調が戻るまではセドリックの屋敷で過ごした。


 「それは…なんですか?」


 セドリックが食前に茶色の液体を飲み干すのをシャルレーネは見つめながら言った。


 「ああ、これは身体のなんというか…元々の持っている力を強める薬なんだとか。だが、この臭い…」


 何とも言えない苦みを感じる臭いにシャルレーネはなんだか覚えがあったが、どこで嗅いだものかは思い出せなかった。


 「ノガルドが出来上がる前の古い知識を利用したものだ。治癒魔法が効かない今の私にもいくらか効果があるようだ」


 「…そうなのですね」


 「ルーファスから薦められたのだ」


 「え?」


 「彼も忙しくしているよ。私と取引をしたからね」


 「取引…ですか?」


 「ああ、貴族至上主義の連中が集まって悪さをしたようでね、その追跡をしている。彼は優秀だからね」


 貴族至上主義の人々は、シャルレーネが王城にいた時から多くいた。魔力を持ち貴族であることに誇りを持ち、その他の平民を見下すような人々が。


 「ですが、父も貴族至上主義のはずです。…無能と平気で母を見下す人でしたから」


 「あー…彼は口が悪いからな。だが、決して能力に溺れることはない。…たとえすべてを持っていても叶わないことがあると知っている」


 「…それはなんですか?」


 「王子になること…かな」


 そう言ってセドリックは微笑んだ。

 シャルレーネは首を傾げた。


 「王ではなくて…ですか?ですが、ジュリエッタがいれば…」


 「…冗談だよ、シャルレーネ。ルーファスは率先してエデュランの護衛の騎士を出してくれたのだ。私の命令に従ってね。だが、今回こうしてことが起きてしまった。その責任を感じているのかもしれない」


 「まさか…ダークウルフに襲われたのは…貴族至上主義の人間のせいだと?」


 「まあ…そうだよな。私もまさかと…思うがね」


 そう言いながらセドリックは何かを考えるように目を伏せた。



 五カ月が過ぎた頃、産まれたばかりの男の子、デュノアを連れオディールが会いに来てくれた。


 「私が生きている間に会えて良かったよ」


 そう言ってセドリックがデュノアの頭を撫でると、オディールが言った。


 「あら、お父様はこの子が百歳になるまで生きなければ」


 「まったくオディールは…」


 シャルレーネはデュノアを抱かせてもらい、その柔らかな頬を見て思わず微笑んだ。 


 「可愛い…」

 

 昔のエデュランみたい。

 そう口にしてしまいそうになるのを堪えた。

 

 少しして、マーサに案内されて湖の家へ移り住んだ。

 湖の家での生活に慣れて一年が過ぎた頃、セドリックが目覚めなくなったとマーサから知らせがあり、シャルレーネは急いで屋敷へと向かった。


 「朝眠るようにこの世を旅立たれました」


 屋敷に到着するとマーサがそう教えてくれた。


 「今、オディール様だけがお部屋に。他の皆さんは、一度王城に戻ったわ。だから、いまのうち…」


 シャルレーネは、寝室へと案内してもらった。

 寝台の横には、椅子に座ったオディールが居た。


 「シャルレーネ、来てくれたのね」


 目に涙を浮かべてオディールが立ち上がったので、シャルレーネは思わず抱き締めた。

 そして、ベッドに横たわるセドリックの顔を見て驚いた。

 目を閉じたセドリックはあの老人のような姿ではなく、以前のような姿を取り戻していたのだ。薄く笑みを浮かべまるで眠っているようだった。


 そう、まるで…。


 「まるで愛する誰かと寄り添っているような…静かな顔でしょう?」


 そう涙を浮かべて口にするオディールと手を取り合い、シャルレーネも泣きながらセドリックに別れを告げた。


 そして…エデュランが十六歳になった時、ジュリエッタは完全治癒の力でその傷をすべて癒し、魔力を解放した。

 結婚式のことはオディールから手紙で知らされた。

 手紙には、本当の姉妹にはなれなかったけれど、これからも姉のように思って欲しいと書かれていた。



 もう大丈夫。


 もうきっと忘れられる。


 忘れなくては。



 シャルレーネは目を覚ました。

 胸の上に心地の良い温もりを感じた。

 ふと視線をそちらに向けるとノエがシャルレーネの胸に寄り添い眠っていた。

 夢じゃ…なかった。

 カーテンから差し込む朝日の下に、確かに小さなドラゴンがぴょーぴょーと可愛らしい寝息を立て眠っていた。


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