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12.

 マーサへの便りを出して三日が過ぎようとしていた。


 「ただいまあ」


 エデュランは、その日の夕方紙に包まれた本を手に家に帰った。

 居間には背筋をぴんと伸ばして、丁寧に刺繍を続ける青白い顔をしたシャルレーネが居た。


 また魔力を盛大に消費して…。


 背後に立っても気づかない、その集中力には脱帽する。

 エデュランは長椅子の後ろからシャルレーネの顔を覗き込むと、指で触れてしまいたくなるほどに長い金色の睫毛と宝石のような瞳をしばらく見つめた。


 「レーネ」


 エデュランは、シャルレーネの白く滑らかな項を柔らかく食むと、音を立ててキスをした。その滑らかな感触に思わずもう一度キスをして、そのまま唇を這わせてしまいたい衝動を堪えて離れる。


 シャルレーネははっとした顔になり、顔色に血の気が戻ると項を手で押えた。


 「…お帰りなさい。い、いま二回も」


 「お昼は食べた?」


 「た、食べたわ」


 「何を?」


 「…パンを少し」


 「少しじゃなくてしっかり食べないと」


 「うぅっ」


 シャルレーネはそう言って肩を縮めて、首筋に手を当てた。


 「どうして首にするの…」


 「なんか甘くておいしそうだから」


 「甘いわけがないじゃない」


 「…もっと甘い場所を知ってるけど」


 そう言ってエデュランがシャルレーネの唇を見つめる。


 「もう…そんなことばかり」


 シャルレーネはエデュランを睨んで目を逸らした。

 そして、じっと出来上がった刺繍を見つめた。


 「今大きな薔薇の花びらを二つ終えたくらいだから…やっぱりそれくらいが限界ってことかしら」


 「今回もかなりつぎ込んでいるね。自分の魔力量を考えながら刺繍する練習が必要だと思うけど…」


 「そんな練習していたら、納期に間に合わないわ。せっかくリリシュさんのドレスが話題になっているのだから…」


 「君とリリシュさんのドレスだよ」


 エデュランがそう言うと、シャルレーネは恥ずかしそうに笑顔を浮かべた。


 かわいい。


 エデュランはその笑顔を見つめながら、思い切り抱き締めてしまいたいのを堪えた。


 「今日はどこに行っていたの?」


 「これを探しに」


 そう言ってエデュランは紙の包みを指すとシャルレーネは首を傾げた。


 「それは?」


 「これはねぇ…」


 エデュランが包みをシャルレーネに差し出そうとした時、呼び鈴が鳴った。


 「あら、誰かしら」


 シャルレーネは立ち上がると玄関へ向かった。


 「あ、あーあ」


 エデュランは肩を落とした。


 「…エデュラン様」


 名を呼ばれて、エデュランは振り向いた。 

 そこに立っていたのは嬉しそうに微笑み、目を潤ませたマーサだった。

 紺色のワンピースに身を包んだマーサは、昔と変わらずきっちりと髪を纏め、ワンピースと同じ濃紺の帽子をゆっくりと脱いだ。

 そして、深々とエデュランに頭を下げた。


 「無事に目を覚ました様子で…安心いたしました」


 「ありがとう、マーサ。僕を見つけてくれたのはあなたでしょう?」


 「ええ。でも、礼など不要です」


 「…いいの?あなたの娘と孫も…この件に巻き込むことになるけれど」


 エデュランはそう言いながら、ぽかんとした顔でマーサの後ろに立つリリシュとロバートに視線を向けた。


 「お、お母さん…エデュラン様ってどういうことなの?」


 リリシュは戸惑いながら家の中へと入って来た。


 「エデュラン様って…シャルレーネさんの婚約者だったエデュラン王子のことなのか?」


 戸惑った様子でロバートがシャルレーネを見つめる。

 シャルレーネも困った様子で自分を見ているのが分かった。


 「お茶を用意しますわ」


 唐突にマーサが言った。


 「リリシュ、ロバート。あなた達にも分かるように話をするわ」


 「その前に、マーサ」


 エデュランはマーサの腕を取った。


 「ちょっと二人で話したいんだ。いい?」


 「もちろんですわ」


 「じゃあこっち」


 そう言って、エデュランはマーサを連れて家の外へ出た。



 二人きりで話すエデュランとマーサの姿に、シャルレーネは思わず見入っていた。


 一体何を話しているのだろうか。

 どうして?

 わたしに…言えないことなの?


 そう思うと思いがけずもやもやとした心地の悪さが溢れて来るような気がした。

 ほんの短い時間マーサとエデュランは話し、すぐに戻って来た。


 「さあ、お茶を淹れますわ」


 そう言ってマーサが手早く淹れてくれたお茶が机に並べられ、長椅子に座りながらリリシュとロバートは警戒するように、一人窓辺の椅子に座ったエデュランを見つめていた。

 マーサはなんでもないことのように言った。


 「随分派手に王都の空に舞い降りましたわね、エデュラン様」


 「ああ、あれはちょっと…興奮してて」


 「王都の結界はさらに厳重になりましたわ」


 「…結界?そんなのあるの?」


 マーサは首を振った。


 「これだからドラゴンは。わたくし達人間は到底及ばない領域におりますこと」


 「ドラゴン?ドラゴンってまさかあの日、わたし達の前に現れた…」


 リリシュが信じられない様子でエデュランを見つめた。


 「え?母さんが見たっていう黒いドラゴンって…」


 引きつった顔のロバートとリリシュにエデュランは飄々と答えた。


 「ああ、そうだよ。あの時は驚かせてごめんね、リリシュさん。僕はエラの孫じゃなくて息子なんだ」


 「母さん…本当なの?」


 信じられない様子で言うリリシュに、マーサは微笑んだ。


 「ええ。わたくしの育ての親のエラは、ドラゴン。正式な名はヴァラクノエラ。魔法を教えてくれた師でもあります」


 「マーサさん…魔法使いなのですか?」


 シャルレーネの言葉に、マーサは苦笑した。


 「いいえ、ただ魔法を知っているだけです。水属性で魔力が高いとエラが色々教えてくれたのです。リリシュは受け継がなかったわね」


 「そうね、ロバートは魔法騎士になれるくらいの魔力があると言われたけれど…」


 「俺は魔法よりも商売に興味があった。簡単な魔法くらいはばあちゃんに習ったことあるけど」


 そうロバートは答えた。


 「わたくしとエラが出会ったのは、もう六十年以上前になります」


 マーサの淹れてくれた紅茶を口にしながら、シャルレーネは耳を傾けた。


 「親を亡くし森を彷徨っていたわたくしの目の前に、一人の青年が舞い降りてきました。懐かしいですわ、まさに今のエデュラン様にそっくりな青年が」


 「…そんなに似てる?」


 「ええ。瓜二つですわ。でも、わたくしが怯えていると青年は姿を消し、女性が現れました」


 「ああ、エラが言ってたよ。マーサが怖がるから女の姿になったって」


 「ええ。彼女はエラと名乗り、わたくしに食べ物を与え、この湖の家に迎えいれてくれました。彼女は様々な魔法の知識を教えてくれましたが…わたくし夢がありまして。それがメイドになることでした。ぜひあの可愛らしい姿で完璧な奉仕をしたくて」


 マーサは嬉しそうに両手を合わせて微笑んだ。


 「この家を出たのは十六歳の時です。それからも度々エラの元へ会いに来ておりました」


 リリシュが戸惑った様子で口を開いた。


 「ロバートもエラさんと会ったことあるのよ」


 「子どもの時だろう?覚えてないよ」


 「彼…エデュラン様を見た時、すぐにエラさんを思い出したわ。でもまさかドラゴンだなんて…」


 「どうりで禍々しい魔力なはずだ」


 そう言ってロバートがエデュランを睨んだ。


 「失礼だなー、ロバートさん」


 そうエデュランは飄々と言った。

 マーサは続けた。


 「セドリック様の呪いを知り、こちらにお連れしたのはわたくしです」


 「エラがとんでもない奴を呼び込んでくれたっていってた」


 エデュランが口を挟んだ。


 「仕方がありませんわ、わたくしには主ですもの。セドリック様がエラに恋をしたのは一瞬のことでした」


 リリシュがうんうんと頷いた。


 「エラさん、母よりも年上とは思えないほど妖艶な美女だったものね」


 「上から目線でしつこく口説かれて大変だったっていってた。魔法で森の外に飛ばしても何度も何度も追い掛けて来たって」


 エデュランが再び口を挟んだ。


 「呪いを弱めても完全に治せって何度も何度も何度も…」


 「花束や宝石などを抱えてでしょう?」


 マーサはそう言って笑った。


 「長い時を生きるエラを喜ばせるのは骨が折れたことでしょう。ほとんどのものを見て聞いて知っている。そんなエラからドラゴンだと言われても、セドリック様は怯みませんでした」


 「まるで子どもだったって言ってた。散々いたぶってやったけど、だんだんあまりにも若くこの世界から去るのが哀れだって思うようになったって」


 「それで…エラは決めたのです。産みなおしを」


 「うみなおし?」


 シャルレーネが聞くと、マーサは少し悲しそうに微笑んだ。


 「エラの身体は朽ちかけていました。魔力があってもその力を上手く使えないほどに。だから、自らの魔力を込めてエデュラン様を産んだのです。自分の魔力を使いこなせる肉体を持ったドラゴンなら、きっとセドリック様の呪いを消してしまえると」


 「そのために人間の雄を用意しろといったら、自分がなるって言って聞かなかったって。ただ交尾したかっただけだろうってエラが言ってた」


 「まあそうですわね」


 そう言ってマーサは呆れた様子で溜息を吐いた。


 「しつこかったって。もういいって言ってるのに毎日毎日…」


 エデュランの言葉にシャルレーネは首を傾げた。


 「何がしつこかったの?」


 エデュランは一瞬その目を赤く光らせると、穏やかに微笑んだ。


 「…いつか教えてあげるよ。君にしつこくする自身あるんだ、僕」


 呆れた表情のロバートの横でリリシュが咳払いした。


 「あなたは知らなくていいのよ、シャルレーネ」


 マーサが続けた。


 「エデュラン様が産まれたのは、王都のはずれの屋敷でした」


 シャルレーネはセドリックが最後にいたあの屋敷だと分かった。


 「エラはあなたを抱いて言っていました。…出会った瞬間に愛おしいと思える存在がいることを初めて知ったと」


 「…へぇ」


 「この子に…エデュラン様に憎しみの感情を持たせてはいけないと。人間を愛せなければ、暗闇で世界を飲み込んでしまうだろうと…」


 エデュランは息を吐いた。


 「だから僕は…すべての我儘を許されたのか。人を憎まないために。でも僕は、無能なお前は要らないと言われているようでずっと辛かった」


 「エデュラン…」


 シャルレーネが思わず声を掛けると、エデュランは静かに微笑んだ。


 「分かってる、今はね。昔の僕は、分かってなかったけれど」


 「あなたの魔力は十六歳まで封印するとエラが言っていました。そのせいであなたは、魔力の少ない子どもとして生まれた」


 「まあ、闇の魔力を垂れ流す子どもよりはましだったかもね」


 「セドリック様は、あなたが成長することをとても恐れていましたわ。あなたが闇で世界を覆うことではありません。あなたが人ならざるドラゴンになって、自分の元から去ってしまうことを」


 「…でもさあ、僕にちょっとくらい話していてくれても良かったのに。そしたら、ひねくれなくてすんだのにさあ」


 「あなたがもう少し大きくなってから…。そうおっしゃっていましたわ」


 「ね、ねえ。肝心なことを聞いてもいいのかしら」


 リリシュが堪えきれなくなった様子で手をあげた。


 「わたしとシャルレーネが見た…あの王都のエデュラン様は誰なの?ここにいるエデュラン様にはちっとも似ていないわ。どちらかというとセドリック様似の健全な美男だわ」


 「ひどいや、リリシュさん。僕も健全だよ」


 エデュランの言葉に、疑わしそうな表情をリリシュは浮かべた。


 「君達が見たエデュランは偽者だよ。僕のふりをしている」


 そうエデュランが言うとマーサが頷いた。


 「やはり。…ですが、彼からは変身魔法の気配がしませんでした。どうやって姿を変えているのでしょうか」


 「うーん、そこなんだよね」


 リリシュが二人の会話を邪魔しないようにぼそりとシャルレーネに話しかけてきた。


 「ねえ、わたしあまり魔法に詳しくないのだけれど、変身魔法ってそんなに分かりやすいの?」


 「王城には、魔法を見破るための魔道具の鏡があるのです」


 シャルレーネは、リリシュに囁いた。


 「もちろん王城だけでなく、貴族の屋敷には大抵あります。誰かが他人になりすまして入ることが出来ないようになっているのです」


 「なるほどね。王様のふりを誰かがしていたら、大変ってことね」


 そう言ってリリシュは頷いた。

 マーサはエデュランに話し続けた。


 「そして、ノガルドの血筋を示す五大属性の力。そしてなによりも、あなたの記憶です。顔の分からない時から、彼は次第に記憶を取り戻して思い出を共有し始めました」


 「ああ、それは…きっと記憶を読まれていたんだよ」


 「…どういう意味ですか?」


 「偽者の彼は、闇魔法が使えるんだ。だから、思い出を共有出来た」


 「そんな…あの魔法は自分より魔力の高い者には通じないとエラから聞きました。わたくしも…オディール様…そしてセドリック様までも凌ぐ魔法を使えるということですか」


 「そう。その上、五大属性。いや、もはや全属性か。…分からないことだらけだ」


 マーサとエデュランの会話を、シャルレーネ達も首を傾げながら聞いていた。


 「エデュラン様、申し訳ありません」


 マーサは急にそう言った。


 「わたくしもセドリック様もあなたを見つけても、あなただと確証を持つことが出来ず、表に出すことは出来なかった。だから…口を閉ざしました」


 「当然だよ。ドラゴンの卵から王子が産まれるなんて、誰も信じないよ。あいつを偽者だって証明するのは不可能だった。でも、偽者を王様にしなくて正解だったね」


 「もし、今からでも王子に戻られるおつもりであれば、わたくしも協力を…」


 マーサの言葉にシャルレーネは思わずどきりとした。


 「戻らないよ」


 そうきっぱりとエデュランが言ったので、シャルレーネは安堵している自分に驚いた。


 戻りたければ戻ればいいと言っていたくせに。


 「王様になりたいのかよく分からなかったしね。それに僕の力が出来るのは統治じゃない。支配だ」


 「エデュラン様…」


 「まあ、偽者についてはどうするか考えてみるよ。姉上の王位を脅かしているんでしょう?」


 「…ええ。国庫の散財にあまり良くない集団とも付き合いがある様子で、オディール様が心配されています」


 「…そうか」


 「なあ、聞いてもいいか」


 ロバートはふいにエデュランに言った。


 「あんた…じゃなくて、エデュラン様は今までどこにいたんだ」


 「僕?僕は眠ってたんだ。さっきマーサに聞いたけど、見つかったのはニアの村で卵になって眠っていた。きっとニア村の惨状がショック過ぎて卵に閉じこもっちゃったのかな?情けない奴だよね。ははは」


 そう言ってエデュランは乾いた笑いを漏らした。


 「マーサが僕の魔力を探って見つけてくれた」


 「じゃあ、やっぱりセドリック様の枕元に置いてあった卵は本当に…」


 シャルレーネがそう言ってマーサを見ると、マーサは頷いた。


 「ええ。ニア村を訪れて、微かな魔力の反応を見つけて…」


 マーサはちらりとエデュランを見て、一度口を閉じると再び口を開いた。


 「エデュラン様がいつ卵から目覚めるのか…それが本当にエデュラン様なのか。…わたくしにもセドリック様にもわかりませんでした。黙っていてごめんなさい、シャルレーネ」


 「いえ、そんなことは…」


 「卵の石像?そんな巨大な卵が?」


 ロバートが首を傾げるとふいにエデュランの姿が消えた。


 『違うよ』


 小さなドラゴンが窓辺の椅子の上に立つとロバートもリリシュもぎょっとした表情でエデュランを見つめた。


 『このくらいの大きさかな』


 「まじか…」


 「ほ、本当にドラゴンだわ。でも、言葉はしゃべれないのね」


 リリシュの言葉にシャルレーネは驚いた。


 「え?」


 「ドラゴンは誇り高い生き物です。ドラゴンの姿のままで人間の言葉は語りません。わたくしは幼い頃からずっと学んでいるのでなんとなく分かりますが…」


 『マーサには、優れた魔法使いになる才能があったってエラが言っていたよ』


 「そのお陰か、魔法に詳しい優れたメイドになれましたわ」


 シャルレーネは首を傾げた。


 「あの、それなら…」


 「ドラゴンの言葉を知らずにその言葉を理解できるのは、番に選ばれた者だけです」


 シャルレーネは目を見開きドラゴンの姿のままのエデュランを見つめた。

 エデュランはとぼけたように視線を逸らした。


 「番は、ドラゴンの持つあらゆる加護の力を得ることができます。そして、番の命が終わる時には共に終わる…そんな関係なのだと。ですが、寿命の短い人間とそれを結ぶドラゴンは…」


 「マーサさん。…それってどうやってするのですか」


 マーサは首を傾げてシャルレーネを見つめた。


 「同族の姿で誓いの言葉を告げ、口づけを交わす。それだけで良いと聞きました」


 人間に戻った時、エデュランは何かシャルレーネの分からない言葉を囁きキスをした。


 あれが…。


 シャルレーネが顔を顰めてエデュランを睨んでいると、エデュランはきゅるりと目を潤ませてシャルレーネを見つめ返していた。


 「なんて…なんてことをしたの」


 『だって…ずっと一緒にいたかったから』


 エデュランが言った。


 『もう離れ離れになるの…嫌だったんだ』


 「わたし同意なんてしていませんから!」


 『ええー、冷たいなあ』


 リリシュが呟いた。


 「すごいわ、母さんもシャルレーネも。きゅきゅきゅと普通に会話してるわ」


 「ああ。俺にもきゅきゅきゅとしか聞こえない。ということは…」


 突然マーサがシャルレーネの手を両手で握った。


 「ああ、良かった!シャルレーネ。すでに番に選ばれたのね」


 「え?…ええ」


 そう項垂れながらシャルレーネは答えた。


 「きっとあなたが選ばれると思っていたわ」


 「でも、わたしは何も知らないまま…キスだっていきなり…」


 「…最低ね、エデュラン様」


 リリシュがぼそりと呟く。


 『ごめんなさいって言ったよ』


 その呟きにエデュランが答えたが、通じなかったようだ。


 「あなたが選ばれたなら安心だわ」


 「うぅっ」


 そんなの困るとシャルレーネは言い出せず、口を閉じた。

 リリシュが言った。


 「じゃあ、あのワンちゃんももしかして…」


 「あ…エデュランです。みんなには犬に見えていたみたいですけど、あの頃はまだこの通り小さなドラゴンで…」


 「シャルレーネはどうしてそのドラゴンがエデュラン様だと分かったの?」


 マーサの言葉にシャルレーネは戸惑った。

 

 「レーネって名前を呼んだからでしょうか。それに…昔と変わらずトマトが嫌いで」


 「まあ…」


 マーサがにっこりと微笑んだ。


 「シャルレーネ、わたくし達が協力できることは何でも協力するから。いつでも頼ってね」


 マーサの言葉に、ロバートがリリシュにぼそりと呟いた。


 「…達って俺も入ってるのか、母さん」


 「え?もちろんでしょ?」


 「はー…面倒なことになったな」


 「まあ、秘密を無理やり知らされてしまったし。あなた達に害が及ばないように、出来る限り守ってあげるよ」


 ふいに人間の姿に戻ったエデュランはそう言った。


 「出来る限りじゃなくて、全力で守って欲しいんだが」


 そう嫌そうに告げるロバートに、エデュランは歩み寄るとにっこりと笑った。


 「僕ロバートさんに聞きたいことがあるんだ。製作はリリシュさん、販売に関してはロバートさんなんでしょう?」


 「エデュラン様、あんたの魔力ピリピリくるんだ。もう少しなんとかならないか」


 「今抑えているのに。随分敏感なんですね、ロバートさん。どうぞ、エデュランと気楽に呼んでください。人前ではノエと」


 握手を求められ、リリシュとロバートは渋々その手を握った。


 「シャルレーネさんに男が寄り付かなかったのは、あんたがそのピリピリした魔力を残したせいじゃないか」


 シャルレーネは再び目を見開きエデュランを睨んだ。


 「わざとじゃないんですよ。十二歳の時に、誰にも渡したくないって願ってキスしちゃったんです。よく分かってなかったけど、あれで威嚇するような魔力が彼女に残ってしまったのかな?」


 「それだけで近づく男を追い払えるんだから、恐ろしい魔力だよ」


 「お願いっていうのはこれなんだけど…」


 そう言って、エデュランは籠に入ったシャルレーネの刺繍したハンカチを取り出した。


 「エ、エデュラン!待って…」


 「まあ、その刺繍」


 ハンカチに目を向けたマーサが目を輝かせた。


 「以前あなたに素敵な刺繍のハンカチを貰ったわ、懐かしいわ」


 「え、ええ」


 「これ一枚買わせてもらえないかしら。あなたの魔力が籠ったこのハンカチを贈りたい相手がいるの」


 「え!シャルレーネの刺繍に魔力が?」


 リリシュがマーサの腕を握った。


 「そういえば、わたしもこのハンカチを持っているとなんだか前向きな気持ちになれるのよね。ドレスを買った伯爵夫人もそう言っていたわ」


 「へえ、すごいハンカチなんだ。俺も欲しいな。あーでも、俺が持つには可愛すぎるか」


 マーサが微笑みながら、ハンカチを手にした。


 「この優しい魔力が日々の生活に活力をくれるの。いいかしら、シャルレ―ネ」


 「え?差し上げます。もちろん…」


 エデュランがロバートに言った。


 「これを売りに出せないかなって思って。こんなにたくさんあるし…」


 「確かに商品にできるほどしっかり作られている。でも、たくさんと言ってもうーん、十五枚くらいか?」


 「これだけだっけ、レーネ」


 「ま、まだあるけれど…」


 二階の棚には、ここ数年作り続けたハンカチが溜まっている。


 「そうだな、五十くらいあればとりあえず店に置かせて貰えるように出来るが…王都の方が売れるかな」


 「そんなにはないかもしれないけれど…」


 「じゃあ、とりあえず明日店に持ってきてくれ。俺が確認させてもらうから」


 「お願いします、ロバートさん」


 エデュランは無邪気にロバートに笑いかけた。


 「では、わたくしは一枚買い取るわ。わたくしが贈りたいので」


 マーサはそう言って一枚のハンカチを手にした。


 「…この可愛らしいレンゲの柄にするわ」


 「いえ、本当にいつもお世話になっているのはわたしなので…どうぞ」


 「あ、あらそう?それなら…ありがとう」


 マーサはそう言って微笑むと、エデュランの方を向いた。


 「普段はノエと名乗っているのですか?」


 「まあね、レーネが付けてくれたんだ。すごい偶然だよね」


 「本当にそうですわね」


 「とにかく…何かあったら何でも言って。シャルレーネ」


 リリシュはまだ警戒した様子でエデュランを見つめながらシャルレーネの手を握った。


 「怖いことされたら、いつでも逃げていらっしゃい」


 「ひどいや、リリシュさん」


 哀れっぽくそう口にするエデュランにマーサが口を開いた。


 「エデュラン様何か必要なことがあれば、わたくしにも連絡を。わたくしは今ルドラ国の王室でメイドの教育係をしておりますの。ルドラ国で観光を楽しんでいたのに、なぜかそんなことに…」


 「マーサの優秀さはルドラでも評判みたいだね」


 「オディール様の婚約者だったザンダー様は本当に自由な方で…最近やっと奥様を迎えられたのですが、その方の体調が悪くて、治癒術師もお手上げで。その方にこのハンカチを贈りたいのです」


 思わず溜息を吐いたマーサははっとしたように顔を上げた。


 「行けませんわね、こんなところで仕事の話は…。連絡が必要な時は、今回のようにわたくしの魔力を追って伝言を送ってください」


 「なるほど。やっぱりそれでいいんだ」


 「まあ、あなたなら…ひとりでなんでも解決可能かと」


 「そんなことない。ありがとう、マーサ」


 マーサは穏やかに微笑むとエデュランに近づき頬に手を触れた。


 「エラに…本当によく似ています」


 「そう?」


 「立派に成長されたあなたにこうして会えて光栄です。セドリック様に見せて差し上げたかった」


 「父上はエラが連れて行った。…あの二人のことだから、行先は同じかも」


 「まあ…」


 マーサとエデュランはそう言って笑い合った。

 二人の姿に、シャルレーネは再びもやもやとした感情が沸き上がってくるような気がした。


 帰る三人を玄関まで見送りながら、シャルレーネは思わず駆け出していた。


 「マーサさん!」


 マーサは振り返るとシャルレーネに微笑んだ。


 「はい?」


 「あの…連絡する魔法は…わたしにもできますか」


 「もちろんよ。シャルレーネも練習すればきっと」


 「それなら、わたしにも教えてください。エデュランに何かあった時、あなたに…」


 「詳しくはエデュラン様に聞いてみて。彼の方が詳しいはず」


 「…分かりました」


 「ねえ、シャルレーネ」


 マーサはそう言って、シャルレーネの手を握った。


 「エデュラン様が恐ろしくはない?」


 「え?」


 「彼は膨大な魔力を有する最強のドラゴンとして生まれ変わったの」


 「…膨大ってどのくらいなのですか?」


 「人間では測れないほどよ。聞いたでしょう?エラがそもそも魔王と呼ばれる存在だったことを」


 「…はい」


 「エデュラン様は…この世界を簡単に支配してしまうことの出来る存在になってしまったの。その力を持つには、彼はあまりにも若いわ」


 「でも…エデュランはそんなことをする子じゃありません」


 シャルレーネは迷わずそう答えていた。

 膨大な魔力と言われてもシャルレーネにはよく分からない。

 ただ分かるのは、エデュランがエデュランだということだ。


 「あの子は優しい子です。昔も…今も」


 そうシャルレーネが言うと、マーサは嬉しそうに微笑んだ。


 「エデュラン様があなたに恋をしてくれて良かった。そして、あなたが彼を待っていてくれて」


 思いがけない言葉にシャルレーネが目を見開いた。


 「なっ…」


 シャルレーネは思いがけず、頬が熱くなってくるような気がした。


 「セドリック様がお亡くなりになって、卵がなくなったとき、きっとあなたを探しにいったのだと分ったわ。それなのに、中々姿を現さないから心配していたの」


 「わ、わたし待ってなんかいません!」


 「え?そうなの?わたくしてっきり…」


 「違います。わ、わたしが家を出たのは父に従いたくなかったからで…」


 「そうね、そうだったわね」


 「マーサさん…あの…番の関係をやめる方法はないのですか?」


 「…嫌なの?」


 シャルレーネは目を伏せた。


 「だって…共に終わるなんて…」


 「やめるのは簡単よ」


 「え?」


 「エデュラン様に聞いてみて。…でも一度離れてしまうとまた結ぶ方が難しいわ」


 「でも…」


 「ドラゴンと人間、この世に一組しかない番となる。…あなた達ならきっと大丈夫よ」


 マーサはシャルレーネの肩に手を置いた。


 「何かあったら、すぐに駆け付けるわ。何もなくてもお茶をしに来るから」


 シャルレーネは微笑みながら、ふとさっきのことを思い出した。


 「あの…エデュランと二人で何の話を?」


 その言葉にマーサは目を伏せて微笑んだ。


 「ごめんなさい、言えないわ。彼は今でもわたくしの主だから」


 マーサ達が森の小道を歩いていく姿を見送りながら、もやもやした気持ちが治まらないままシャルレーネは家へと戻った。

 居間に入るとエデュランは再び小さなドラゴンの姿になっていた。


 「どうしてその姿なの?」


 思わず苛立った声が出た。


 『…君が怒っているから』


 長椅子の上にちょこんと立ったエデュランはそう言った。


 『…この姿にはレーネ、優しいから』


 「番ってイアン様とドナ様が結んだ関係と同じなの?」


 『まあね』


 「…今すぐ解いて」


 『無理』


 「そんな…!どうして相談もなく勝手なことをしたの」


 『嫌に決まってるから』


 「嫌よ」


 エデュランは悲しそうに目を伏せたが、シャルレーネは無視した。


 「…マーサさんと二人で何の話をしていたの?」


 『あれは…秘密』


 「…何なの、それ。番とか言っておきながら、わたしには言えないのね」


 エデュランはしばらく黙っていた。


 『…君に嫌われたくないんだ』


 その言葉にシャルレーネは顔を顰めた。


 「卑怯な言い方」


 『だって…』


 なんとも言えない気持ちを抑えながら、シャルレーネは深く息吐いた。


 「もういいわ」


 シャルレーネは机の上の刺繍の道具を纏め始めた。


 『レーネ、ごめん。本当にごめんね。あ、あの…これ』


 エデュランは机の上に飛び移ると紙の袋を手にシャルレーネの前に飛んで来た。


 『君への贈り物なんだ。僕これをずっと探して…』


 「いらない」


 シャルレーネは思わずそう言っていた。


 「あなたとはもう話したくない」


 エデュランがその真っ赤な目を大きく見開き悲しそうに細めたのが分かったが、目を逸らした。


 悪いのはわたしじゃない。

 わたしの方がずっと傷つけられて来たの。


 『…レーネ』


 そう悲しそうな声が響いたが、シャルレーネは刺繍道具を手に、エデュランの方を振り向くことなく階段へと向かった。


 『待って。待ってよ、レーネ。ごめん、レーネ。だって…だって』


 その声を無視して、シャルレーネは足早に階段を駆け上がった。


 何よ。

 贈り物なんかしても…許せない。

 勝手に番だなんて。

 好きだなんて。

 誰にも渡したくないなんて。

 嘘ばかり。

 嘘ばっかり!


 シャルレーネは自分の部屋に入ると鍵を掛けた。


 わたしに…話せないことがあるくせに。

 マーサさんとばかり…。


 その考えに、シャルレーネははっとして溜息を吐いた。


 「…わたし、バカみたい」


 こんなわたしまるで自分じゃないみたい。

 こんなわたし大嫌い。

 わたしは…どうしてこうなの?

 昔はもっと落ち着いてエデュランと話が出来ていたのに。

 いいえ。

 違うわ。

 ジュリエッタが現れた時から。

 エデュランからキスをされたあの時から…。

 わたしは冷静ではいられなくなった。

 自分の好きが…恋とかそういうのは分からなかった。

 でも…エデュランの一番になりたかった。

 一番で…いたかった。


 エデュランは追って来なかった。

 仕事をしようと道具を持ってきたのに、こんなぐちゃぐちゃとした気持ちで刺繍なんて出来なかった。

 シャルレーネは、ベッドに膝を抱えて座った。


 本当は…本当は。


 期待していた。


 ニア村からエデュランが帰って来て…仲直りが出来ると。


 待っていた。


 エデュランが記憶を取り戻すのを。


 メアリー叔母様の言う通り、未練たらしく…待っていた。

 だから、ランバルト家に戻らないと決めた。

 エデュラン以外の人と結婚なんてしたくなかった。

 物分かりのいい、諦めたふりをして自分を誤魔化して…それでも、何度も何度も夢に見ていた。

 エデュランが自分を迎えに来てくれることを。

 ジュリエッタじゃなくて自分を選んでくれると。


 シャルレーネが顔を上げると、しゃらりとペンダントの鎖が音を立てる。

 シャルレーネは月のペンダントを胸から取り出すと手に取って撫でた。


 そう。

 大事だった。

 あなたと一緒に過ごす時間が大好きだった。

 いいえ…あなたが。

 だからこそ。

 だからこそ…。


 脳裏に浮かぶのは、ジュリエッタに縋るエデュランの姿。

 どす黒く染まる…自分の感情。

 シャルレーネはその時のことを思い出して唇を噛んだ。

 あんな感情…もう思い出したくない。

 これ以上、自分を見失うのが怖い。


 『レーネ』


 そう扉の向こうから声がした。


 『開けてよ、レーネ。ごめん。…僕、僕のことを知られるのが怖くてさ』


 シャルレーネは答えなかった。


 『レーネ、これだけは受け取ってよ』


 ふいにシャルレーネの隣に影が現れ、思わずぎょっとする。

 そこからぽんっと出て来たのは一冊の本だった。

 それを見て、シャルレーネははっとした。


 「これって…」


 それは、シャーロットから貰った図鑑だった。シャルレーネはそれを手にすると、思わず夢中で捲った。懐かしいシャーロットの書き込みがいくつもある。

 涙が浮かんで来ると同時に、慌てて部屋の入口へと向かうと鍵を開けて勢いよく開いた。


 「エデュラン!」


 どんっと音がして扉に何かが当たったのが分かった。


 『うっ!』


 ゴロゴロと小さなドラゴンが床に転がっていく姿にシャルレーネは慌てた。


 「やだ!ごめんなさい!エデュラン!」


 シャルレーネは慌てて床に倒れ込んだエデュランを抱えあげた。


 「大丈夫?」


 『大丈夫、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ』


 そう言いながら、エデュランは小さな手で額を撫でたのでシャルレーネも手を当てた。


 「頭を打ったの?ごめんなさい」


 『大丈夫』


 「本当に?本当に大丈夫なの?」


 シャルレーネは戸惑いながら、エデュランをベッドへ連れて行くと寝かそうとした。


 『やだ、ここがいい』


 エデュランはそう言って、シャルレーネの腕の中にしがみついてきた。


 「そう?なら…」


 シャルレーネはエデュランを膝にのせてベッドへと腰かけた。

 再び頭を撫でると、エデュランは心地よさそうに目を閉じてシャルレーネの胸に身体を預けていた。


 「本当に大丈夫?」


 『…うん』


 「なんともないの?」


 『うん』


 エデュランが胸に顔を摺り寄せたので、シャルレーネははっとした。


 「エデュラン…本当に痛いの?」


 『痛い。すごく痛い。でも…今は気持ちがいい』


 「もう!心配しているのに!」


 『ごめん、ごめん』


 エデュランは、そう言ってシャルレーネの胸に顔を載せたまま目を閉じた。


 『僕の番になったら、いいことばっかりなんだよ』


 「え?」


 『なんたって攻撃魔法吸収、精神攻撃不可。物理攻撃無効化に…』


 「…色々言われてもよく分からないわ」


 『いいこと尽くしってこと!君も最強ってこと!』


 「…そう。わたしが冒険者とか魔法使いだったら嬉しいかもしれないけれど…」


 『もー』


 そう言ってエデュランは口を閉じたが、少しして再び口を開いた。


 『…偽のエデュランが君のことを思い出せなかったのは僕のせいかもしれない』


 「どういうこと?」


 『…君に他の男を近寄らせない闇の魔力の跡を残してしまった。ロバートさんも近づけなかったし…それで、君の記憶を読むことが偽のエデュランは出来なかった。だから、君を忘れたふりをするしかなかったんだ。君に関する記憶さえ、誰からも読めなかったはずだから…』


 「まあ…そうだったの」


 『ごめんね』


 「…どうして?」


 『物理攻撃無効化の方があれば、叩かれても痛い思いしなくてすんだのになって思って』


 「それは…」


 『それに、優しい君のことだから、偽者と分からず顔の分からないエデュランと結ばれて、幸せになっていたのかな…なんて。ははは…』


 シャルレーネはむっとして言った。


 「…その方が良かったわね」


 『え?』


 「そうすればわたしを番にする必要なかったわ。自由なドラゴンとして長生きできるじゃない」


 『そ、そんなことないよ!…た、例え君が偽者と幸せになっていたとしても…僕…邪魔しに行くから。君を一番幸せにできるのは…僕なんだから!』


 そう言ってエデュランが服に爪を立てたのが分かった。


 『…僕のこと嫌なんて言わないで』


 「…嫌とかじゃないの」


 『でも…怒ってる』


 「わたしが怒っているのは、勝手なことをされたからよ」


 『それは…』


 「だって、ついキスしちゃったみたいなこと言っていたけど、分かっていてしたってことでしょう」


 『うう…そうです』


 エデュランは、顔を胸に寄せた。


 『だって、ずっと一緒にいたいから…。もう離れ離れになるなんて嫌なんだ』


 「…わたしはあなたを道連れにするなんて嫌よ」


 『道連れ?』


 「だって、同じ時に終わるなんて。…あなたはわたしよりずっと長い生きできるのに…。千年も生きられるドラゴンなのだから、もっと相応しい相手がいるはず…」


 ふいに腕の中のエデュランが消えた。

 突然目の前に現れた人間のエデュランが、ベッドに膝を付いて覆いかぶさるようにシャルレーネへと近づいて来た。


 「ちょっ…」


 気がつくとシャルレーネはベッドに押し倒されていた。


 「エデュラン!ふざけない…で」


 ベッドに両手を突きシャルレーネを見おろしながら、エデュランは美しい笑みを浮かべた。


 「そう、僕はドラゴン。最強の存在だ。君が望むなら、君も一緒に千年生きることだってできるんだ。僕とずっと、ずっと…ね」


 金色の虹彩を煌めかせ熱を帯びたガーネットの瞳で見つめられると、シャルレーネの心臓がうるさいほどに音を立てていた。

 

 「…だから僕を愛してよ、レーネ。そしたら…君の望むものをなんでもあげる」


 「え…」


 「僕はなんだって出来る。そう、なんだって手に入る。王様にだって、世界一のお金持ちにだってなーんでも。ああ、でも君はそういうものは望まないんだったね。だったら…」


 ふいにエデュランは唇を歪めて笑みを浮かべた。


 「この世界を…壊さないでいてあげる」


 「何を…言っているの?」


 「僕は魔王の力を持っているんだ」


 まるで魔法が掛かったように、シャルレーネはエデュランの瞳から目が離せなかった。


 「もしも、君が…僕のものになってくれないならこんな世界要らないんだ。魔物の洗脳も何もかも解いて、この国を…世界を滅ぼしたっていい」


 「そんな…」


 「闇ですべてを飲み込んで、痛みも苦しみも何もない世界で僕等二人きりでいようよ」


 そう言ってエデュランは笑顔のまま言った。


 「僕を愛してよ、レーネ。僕は君がいないとだめなんだ」


 シャルレーネはただじっとエデュランを見つめた。

 エデュランは笑みを浮かべたまま一瞬目を逸らし、そして再びシャルレーネを見つめる。

 その笑顔は…悲しそうに見えた。

 

 わたしが…。


 シャルレーネは思わずエデュランの頬に手を伸ばしていた。


 わたしが望めば…あなたはずっとわたしの傍に?


 シャルレーネは両手でエデュランの頬を包んだ。

 エデュランは一瞬目を見開いたが、静かな笑みを浮かべてシャルレーネの手に手を重ねるとゆっくりと顔を近づけて来た。

 

 でも、もしも、もしも…。

 あなたに他に…好きな人ができたら?

 あなたは、またわたしをひとりにするのだわ。


 シャルレーネは思わず大きく息を吸った。


 怖いのは自分を見失うことじゃない。

 またあなたがわたしを置いていってしまうこと。

 違う誰かを見つけて。

 わたしが追い掛けて行っても…振り返りもせずに。


 シャルレーネは両手でむいーっと思い切りエデュランの頬をつねった。


 「あたたたっ」


 エデュランはシャルレーネの手から逃げて身体を離すと、両頬を抑えて眉を顰めた。


 あれは偽者じゃない。

 本当のエデュラン。

 だからこそ…これ以上一緒にいるのが怖い。

 また傷つけられるのが。


 「…ぷにぷにじゃない」


 「失礼な。…もう違うよ」


 シャルレーネは大きく息を吐いた。


 「まあいいわ」


 「へ?」


 「どいてくれないかしら?」


 「ちょっ…今僕を受け入れてくれたんじゃないの?キスする流れじゃなかったの?」


 「あんなこと言われて受け入れるわけないじゃない」


 エデュランは不満そうな顔をしたままじっとシャルレーネを見つめた。


 「もう怒っていないからどいてくれない?」


 「まあ…いいの?」


 「番の関係を結べるなら、解く方法もあるのでしょう?」


 「…さあ」


 エデュランは唇を尖らせて、とぼけた顔をした。


 「結ぶのも解くのもあなたの自由なら、わたしが嫌だと言っても仕方がないじゃない」


 「がーん」 


 エデュランはそう言うと、突然シャルレーネの上に倒れ込んで来た。


 「ちょっ!エデュラン!」


 「ぐす…」


 そう言いながら、エデュランはシャルレーネを抱き締めた。

 思いがけない腕の感触に心臓の鼓動が速くなる。


 「ちょっと…」


 「冷たいよ…レーネ。渾身の君がいないとだめなんだ…も通用しないなんて」


 「なに、それ」


 「君が愛してくれないなら、世界を闇に包んでやるだから」


 「そんな怖いことを言うドラゴンなんてお断りです」

 

 「がああん」


 ううっとエデュランは声をだしてシャルレーネを抱き締める腕に力を込めた。


 「ひどいや、レーネ。あんまりだよ…」


 しがみついてくるエデュランに、シャルレーネは溜息を吐いた。

 だんだんと鼓動も治まって来る。


 こんな風に大きくなっても、子どもみたい…。


 「もう…」


 シャルレーネは思わずエデュランの頭に触れていた。


 エデュランにとって、わたしはあの頃のままみたい。

 何をしても許してくれる…姉のような存在。


 エデュランの頭をしばらく撫でていると、ふいにエデュランがふふっと笑いを漏らして笑顔で顔を上げた。


 「なんか楽しい」


 「…わたし怒っているのだけど」


 「まあいいんでしょう」


 「まあいいけれど」


 「まあいいなら…良かった」

 

 そう言って、エデュランは再びシャルレーネの胸に顔を埋めた。

 

 「こうやって僕に触れる手…ノエの時も感じてた。まるで宝物みたいに大事にしてくれてる…優しい手。大好きだ」


 「そう?」


 「うん、大好き」


 そう言ってエデュランは胸の形が変わるほど顔を押し付けて来るので、シャルレーネは思わず身体を捩った。


 「も、もういい加減そこからどいてくれない?」


 「やだ」


 「やだって…」


 「気持ち良くない?」


 「…い、いいわけないじゃない!」


 「えー僕はすごく気持ちがいい。…君の枕が欲しい。毎晩抱いて眠るんだ」


 「変態…」


 「はいはい、変態ですよー」


 そう言ってエデュランは、ゆっくりと身体を起こした。


 「ふふ、すごい心臓の音」


 「し、仕方ないじゃない。…慣れてないからよ」


 「…僕じゃなくてもどきどきするってこと?」


 「そ、そうよ」


 「ひどい、僕は君にしかどきどきしないのに。…なーんて、心臓ないんだけどね」


 その言葉に、シャルレーネは目を見開いた。


 「ドラゴンになったら…心臓なくなっちゃった」


 シャルレーネが身体を起こし、思わずエデュランの胸に手を当ててみる。

 今自分の心臓が音を立てている場所だ。

 しかし、そこに感じるはずの拍動はなかった。


 「…苦しいの?」


 「…苦しい」


 「だ、大丈夫なの?」


 エデュランはシャルレーネの手に自分の手を重ねた。


 「君を思うと切なくて苦しいよ」


 「も、もう…そういうことばかり」


 「心臓はないけど核があるから平気。魔力の核がね」


 「そう…なのね」


 「…僕って知れば知るほどバケモノでしょう?だから…君に話したくないことばっかりなんだ。君に怖がられるのが…怖いんだ」


 エデュランは、そう言って目を伏せた。


 「怖くなんかない。あなたは…あなただわ」


 そう言いながらシャルレーネはベッドの上に置いてある図鑑に目を向けた。


 「エデュラン…お母様の本を見つけてくれてありがとう。本当に」


 「ううん、喜んでもらえて良かった」


 そう言って顔を上げて微笑むエデュランの笑顔から、シャルレーネは目を伏せた。


 「話したくないなんて言って…ごめんなさい」


 「…僕はちょっと嬉しかった」


 「どうして?」


 「だって…喧嘩したのって…最後の日くらいだった。君は僕に気を遣っていつも言葉を選んでたから」


 「そ、そんなことないわ。言いたい放題だったでしょう?」


 「でも、僕を怒らせたのは…そう、ぷにぷにくらいかな。ははっ!」


 「…そ、そうだったわね」


 「僕は嬉しいんだ。こうして君と喧嘩して…仲直り出来るの。あの日は出来なかったから」


 エデュランは少し俯いたが、笑顔で顔を上げた。


 「これからも喧嘩して仲直りをしよう、レーネ。自分勝手だって分かっているけれど、僕にとってはあの日の続きが今ここにあるんだ」


 その笑顔に、シャルレーネは思うように笑顔を返せなかった。


 わたしも待っていた。

 あの日…仲直りできることを。

 でも今は…あの日々に続くように愛おしい瞬間が増えて…困る。

 いつかまた失うかもしれないのに。

 それでも…エデュランを突き放すなんてできない。

 できないわ。


 シャルレーネは、ふと思った。


 「そういえば、どうやって見つけたの?これ…」


 「アガモット領の古本屋だよ」


 エデュランは、そう言って顔を上げて微笑んだ。


 「刺繍に魔法が籠るなら、特別なものにも魔力の痕跡があるんじゃないかって探ってみたんだ」


 「そう。大変だったでしょう?」


 「全然、全然だよ!」


 そう言ってエデュランは笑った。

 図鑑を眺めながら、ふとシャルレーネは思った。


 「エデュラン…」


 「ん?」


 「叔父様達に…何もしてないわよね」


 エデュランは首を傾げた。


 「してないよ?ただ挨拶しただけ」


 シャルレーネはほっと息を吐いた。


 「挨拶だけなら…」


 エデュランはにっこりと笑った。


 「でもさぁ、ひどいんだよ。人の顔見るなり泣き叫んで、娘と叔父さんはすごい勢いで逃げてってさ。叔母さんはおもらししながら泡吹いて倒れていた。ほんとに失礼だよね?」


 「あなた…」


 「君がお世話になったレイダさんは買い物でいなかったよ。でも、金貨の袋を贈り物として置いて来た。今頃あんな家で働くの、やめてんじゃない?」


 「まさか…ドラゴンの姿で?」


 「え?そうだよ?挨拶するなら正式な姿じゃないと失礼でしょう?」


 そう言ってエデュランは唇を歪めて意地の悪そうな笑顔を浮かべた。


 「あなたったら…もう!」


 慌てふためくアガモット家の人々の姿を思い浮かべ、シャルレーネは思わず口が緩んでしまいそうになるのを堪えた。


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