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10.

 片づけを終え身支度を済ますと、シャルレーネはエデュランと共に家を出た。

 エデュランは髪を三つ編みにして横で結ぶ方法を教えた。


 「これなら、僕もできそう」


 そう笑いながら案外器用に結んでみせ、今日は勿忘草のリボンで髪を結んだ。

 エデュランは、外に出ると瞳の色が人間らしい茶色へと変わった。


 「すごいのね」


 「え?」


 「目の色を簡単に変えるなんて」


 「これも覚えるのは大変だったんだよ」


 そう言って笑いながら、ふいにエデュランはシャルレーネの手を握ろうとした。


 「な、何?」


 シャルレーネは驚いてその手を避けると、エデュランは驚いた様子でシャルレーネを見つめた。


 「何って…手を繋いで歩くの、だめなの?」


 「…だめよ」


 「どうして?」


 「大人になったら恋人同士か夫婦じゃないと手を繋がないの」


 エデュランはむっと口を歪ませて、行き場のない手を握りしめた。


 「そんなに…僕のこといや?」


 落ち込んだ様子のエデュランに思いがけず、シャルレーネは胸が痛むような気がした。


 「嫌とかじゃないの。だめなの」


 そう言ってシャルレーネは歩き出した。


 「分かった」


 エデュランはそう渋々口にするとシャルレーネの隣を歩き出した。


 「君をいつまでも困らせていたら、昔のままだよね」


 そう言ってエデュランはシャルレーネに笑い掛けて来た。

 その笑顔を思わず睨んで、シャルレーネは無言のまま歩き出した。


 どうしてこっちが意地の悪いことをしているような気分にならなくてはいけないの。


 街の市場を通りながら、シャルレーネはいつもよりも視線が集まっているようなそんな気がした。感じるのは特に女性の視線だった。

 その視線を集めているのはエデュランだった。

 思わずエデュランの方を向いてどきりとした。

 エデュランが穏やかな笑みを浮かべてシャルレーネを見ていたからだ。

 シャルレーネは思わず顔を背けた。


 「な、なに?」


 「え?何が?」


 「そんなに…にこにこして。何が嬉しいの?」


 「え!」


 エデュランは、はっとした様子で顔に触れ、照れた様子で頭を撫でた。


 「やー、やっぱりすごく綺麗だなぁと思って。はは…」


 「え?」


 「君と二人でいると嬉しくて顔が緩んじゃって。腕を組んだり…手を繋げたりできたら最高なんだけどなぁ。なんて…へへへ」


 エデュランはそう言って、笑顔を浮かべた。


 「…あなた…目立っているわ」


 「へ?嘘。しっぽ生えてる?」


 エデュランははっとお尻を見る。


 「生えてないけど…」


 「じゃあ気のせいじゃない?僕、どうみてもちゃんと人間でしょう?」


 「そうだけど…みんなにかっこよくみえているのでしょうね。…良かったわね」


 そう口にしてシャルレーネははっとした。

 またわたしったら可愛げのないことを…。


 「へーそう?」


 エデュランは興味なさそうに言った。


 「…嬉しくないの?」


 「君がかっこいいって言ってくれたら…嬉しいんだけど」


 そう言って微笑むエデュランを睨んで、シャルレーネは歩き続けた。

 開店前の『リリー』の店の入り口を叩くと、リリシュは扉の鍵を開けてくれた。


 「あら、シャルレーネ。おはよう。一体どうした…」


 リリシュはふいにエデュランの顔を見て目を見開いた。

 まるで知っている誰かを見たような表情にシャルレーネは驚いた。


 「お、おはようございます。リリシュさん」


 「え、ええ」


 リリシュははっとした様子でシャルレーネを見た。


 「シャルレーネ、この子は?」


 「え、えっと…」


 エデュランという名を出して良いのか、シャルレーネは迷った。


 「僕はノエといいます。…エラを頼ってあの家を訪ねたのですが、そこにシャルレーネさんが住んでおられて―」


 エデュランはすらすらと嘘を吐いたが、リリシュは嬉しそうに微笑んだ。


 「まあ、やっぱりエラさんの!」


 シャルレーネは驚いた。


 「リリシュさん、エラさま…さんを知っているのですか」


 「ええ。エラさんは、母の育ての親なの」


 「え?」


 シャルレーネは思わずエデュランの方を向いた。エデュランはそうだよと言わんばかりに微笑んだ。


 「親戚の子なの?なんて綺麗な顔…本当にエラさんによく似ているわ」


 エデュランは少しリリシュの様子を伺って笑顔を浮かべた。


 「ええ。エラは僕の大叔母なんです」


 「あら、そうなの。でも…エラさんはもう…」


 「知っています。僕は…」


 「ちょっと失礼」


 そう言って、リリシュを庇う様に立ったのはロバートだった。


 「ちょっと何?ロバート」


 「いいから、母さんは下がって」


 シャルレーネは慌てて言った。


 「ロバートさん、すみません。開店前に…」


 「シャルレーネさん。彼は?」


 「えっと…」


 ロバートはなぜか警戒するようにエデュランを睨んでいた。

 エデュランは真顔でロバートを見つめていた。

 同じくらいの背丈の二人はしばらく睨み合い、エデュランがにっこりと微笑んだ。


 「あなたのおばあさんを探しています」


 「ばあちゃんを?」


 そう答えたロバートの額から暑くもないのに、汗が一筋流れてきた。


 「あなたはお母さんよりもおばあさんの血を引いているようですね。おばあさんはどこにいますか?」


 「来るか来ないか、判断するのはばあちゃんだ」


 「いいですよ、僕はただ知りたいことがあるだけなんで」


 「シャルレーネさん、彼とはどういう関係?」


 突然ロバートに聞かれて、シャルレーネは戸惑った。


 「ええと…」


 「失礼だけど、知り合ったばかりならあまり関わらないほうがいい」


 「本当に失礼だなぁ」


 エデュランはそう言って笑ったが、シャルレーネは思わず庇う様にエデュランの前に立っていた。


 「か、彼とは昔からの知り合いなのです」


 「昔からの?」


 「ええ。だから、彼のことはよく知っていますので…何も心配することはありません」


 ロバートは怪訝そうな顔でエデュランを見つめた。


 「あの、マーサさんにどうしても相談したいことがあって」


 リリシュは、ロバートの背中から顔を出した。


 「母はルドラから戻っていないの」


 「分かりました。連絡はしたので、それで会いに来てくれるのを待ちます。後、これ…刺繍の図案です」


 シャルレーネが籠から紙を取り出すと、リリシュはぱっと明るい表情になった。


 「まあ!さすがね、シャルレーネ。ちょっと待っていて!」


 リリシュは、お店に飛び込むと紙を机の上に並べた。


 「ちょっと、ロバートも来て。わたしは絶対こっちが…」


 「まったく…」


 ロバートはやれやれと言う様子で店の中に入った。


 「何度も言ってるたけど下着っぽい」


 「ええー!でも、作りたい」


 「じゃあ、まずこっちをシャルレーネさんに任せて、こっちは工房に任せたら?」


 「そうしましょう!」


  二人は数刻話し合い、リリシュは一枚の紙を手に戻って来た。


 「シャルレーネ、こっちにするわ。この胸元の大きな部分の刺繍をあなたにお願いするから。色はこっちで決めておくから」


 「はい。明日また伺います」


 そう言うとシャルレーネはエデュランの袖を軽く引いた。


 「では、失礼します。…行きましょう」


 シャルレーネが歩き出すと、エデュランが一礼して付いて来るのが分かった。



 二人の背中を見送りながら、ロバートは深く息を吐いた。


 「どうしたのよ、ロバート。ノエ君にあんな失礼な態度とるなんて」


 「あんな禍々しい魔力初めて感じた」


 「え?」


 「…あんなに美人なのにシャルレーネさんに男が寄り付かない理由がよく分かった」


 「は?何の話?ロバート」


 「だから、あの男の魔力が牽制していたんだよ。俺のことも…おそらく他の男も」


 「はあ?」


 「取り合えずばあちゃんに連絡しよう。想像したくないけど…あの得体の知れない圧迫感。本当に人間なんだろうか。でも、シャルレーネさんの知り合いだなんて一体…」


 リリシュは呆れながら溜息をついた。


 「何よ。いくらシャルレーネが彼氏を連れて来たからって。嫉妬むき出しなんてかっこ悪…」


 「違うってば!」


 そうロバートに怒られて、リリシュはぺろりと舌を出した。


 しばらく歩きながら、シャルレーネは振り向いた。


 「エラ様がマーサさんの育ての親なんて…どうして話してくれなかったの?」


 「え?ああ、忘れてた」


 「もう」


 「ごめん、…というかね」


 そう言いながら、エデュランは頭を掻いた。


 「君が結婚出来なかったの…僕の魔力のせいかも」


 「…え?」


 思いがけない言葉に、シャルレーネはエデュランを睨んだ。


 「さっきロバートさんが警戒したみたいに…他の男の人も牽制しちゃったのかな。なーんて」


 「出来ないじゃないわ。しなかっただけよ」


 シャルレーネは、エデュランを置いてずんずんと歩き出した。

 確かに、美しいと言われたのは貴族の時だけで街では男性に興味を持たれることもなかったけれど。それ以前に自分だって、夫を求めたことはなかった。


 それは…。


 「僕のこと待っててくれた?」


 エデュランの言葉にシャルレーネは口を噤んだ。


 「僕が記憶を取り戻して…君を迎えに来るって。待っていてくれた?」


 シャルレーネは大きく息を吸うと振り向いた。

 

 「それなら、今わたしの願いは叶ったことになるわ」


 「僕が…ただの人間だったならね」


 エデュランは、口を歪めて笑った。


 「それは…」


 その言葉にシャルレーネは戸惑った。


 「冗談だよ。実はわざとロバートさんの前で魔力を出したんだ」


 「そうなの?どうして…」


 「君にこれ以上近づかないようにさ。だってノエの時は、全然怖がってなかったでしょう?あの時は焦ったなー。恋人がいるんだって勘違いしちゃって…」


 「エデュラン…」


 シャルレーネは半ば呆れながらエデュランを見つめた。


 「でも、君があんな風に心配してくれるなんて…嬉しいな」


 「もう…」


 「ねえ、お昼買って帰ろうよ。あそこに美味しいそうなパン屋がある」


 そう言うと、エデュランは誤魔化すように笑った。


 「せっかくだから、ピクニックに行かない?」


 「ピクニックに?」


 「時間ない?」


 「い、いいえ。問題ないわ。どこに行くの?」


 エデュランは少し悩んで言った。


 「高い所ってどこまで平気?」


 「高い所?」


 「ドラゴンは怖くなくて最高だって主張しておこうと思って」


 そうふざけた様子でエデュランは両手を広げてみせた。


 「気持ちのいい岩山が近くにあったんだ。そこで食べれたら最高かなって」


 「お城の屋上とかは平気だったわ。昨日みたいにいきなり高い場所に行くのでなければ…。あ、でも誰かに見られたら…」


 「それは魔法で姿を消すから大丈夫。…行く?」


 「…いいわ」


 エデュランは嬉しそうに微笑んだ。


 「じゃあ行こう。今度はゆっくり飛ぶから」


 エデュランはそう言って手を差し出した。

 シャルレーネがその手を思わず見つめると、エデュランははっとした様子で引っ込めた。


 「ごめん、つい」


 そう言ってエデュランは寂しそうに笑った。


 パン屋によって昼食のパンを買うと、エデュランは湖の近くでドラゴンへと姿を変えた。

 前と同じように黒い影がパンと檸檬水入りの瓶が入った紙袋とを持ったシャルレーネを背中の鬣の上へと座らせてくれる。


 『じゃあ、行くよ』


 「え、ええ」


 シャルレーネは身構えた。

 エデュランは翼を広げるとゆっくりと羽ばたきを繰り返した。だんだんと空へと上昇していくと前ほどの恐怖は感じず、シャルレーネはどんどんと遠くなっていく町の景色に自然と笑顔を浮かべていた。

 

 「すごい、すごいわ!」


 『怖い?』


 「怖くない。エデュラン!全然怖くない」


 『良かった。これなら、君と空の散歩が楽しめるね』


 「ええ、すごく綺麗。最高の眺めだわ」


 エデュランはしばらく飛び続け、大きな岩山に辿り着いた。


 『あそこだ。あそこに降りるよ』


 「でも、あなたの身体じゃ…」


 『一瞬ごめん』


 岩山の上に来た瞬間、エデュランの身体が消えた。

 シャルレーネは宙に身体が投げ出される様な感覚にぞっとして紙袋を思わず手放していた。


 「…いゃっ!」


 しかし、ふいに現れた人間の姿のエデュランがシャルレーネの身体を抱き上げたので思わずその首にしがみついた。

 エデュランは紙袋も捕まえ、岩山の上にふわりと着地した。


 「レーネ、もう大丈夫」


 エデュランはそう言うとシャルレーネの背中を撫でた。


 「まあ、このまま抱き締めてくれててもいいけど」


 エデュランがシャルレーネの頭に頬を摺り寄せて来たのが分かったので、シャルレーネははっとして身体を離した。


 「…お、おろして」


 「はいはい」


 シャルレーネは岩山の上に降りると目を見開いた。

 緑の森と大きな川が流れるそこは、素晴らしい眺めの場所だった。時折雲の間から太陽の陽が差し込むとまるで、空と地面に光の橋が繋がったように見える。


 「すごく綺麗…」


 下は覗くことなんてできないほどの高さで足が竦む。


 「いいところでしょう?」


 エデュランはそう言うと岩山の上へと腰かけた。

 シャルレーネもその隣に座った。


 「エビの入ったのと鶏の照り焼きとどっちがいい?」


 エデュランはそう言いながら紙袋から紙に包まれた具の挟まれた細長いパンを取り出した。


 「わたしはどちらでも食べられるわ。あなたの好きな方を選んで」


 「じゃあ、エビにしようかな。もちろんトマトなし」


 そう言うとエデュランはにっと笑って見せた。

 檸檬水を飲みながら、シャルレーネは香ばしく焼けた鶏肉とレタスのパンを口にした。


 「…美味しい」


 「懐かしいな、君が教えてくれたんだ。こうして外で食べるのが楽しいって」


 エデュランはそう言ってパンに齧り付いた。


 「美味しい。この白いソースと最高に合うー」


 エデュランの満面の笑顔を見つめ、シャルレーネも思わず微笑んだ。エデュランは二つパンを食べたが、それ以上は食べなかったのを見てシャルレーネは首を傾げた。


 「食欲ない?」


 「ううん、もうお腹いっぱい」


 「昔はもっとたくさん食べていたじゃない?」


 エデュランは目を伏せた。


 「今は…昔とは違うから」


 「そうなの?ドラゴンだからもっとたくさん食べるのかと思っていたけど」


 エデュランは少し迷った様子で口を閉じたが、しばらくして口を開いた。


 「怒るかもしれないけど…僕、ドラゴンの時食事は必要じゃない」


 「…そうなの?」


 「こうして人間の姿だと空腹を感じるし、美味しいのは大好きだ。でも少しで十分だし…生きていくためには必要じゃないんだ」


 「どういうこと?」


 「人間は…主に食事や休息、そう言ったもので生命力を蓄え魔力を作り出す。でも、僕は魔力を自然界にあるもので補充できる」


 「例えば?」


 「例えば?そう…僕の場合はまあ…夜になれば十分補充される。まあ…みたまま闇属性だから。闇が僕の魔力の源」


 「そうね…身体が黒いドラゴンですもの。でも、傷を治すことが出来たのはなぜ?」


 「ああ、再生術は理を破っているから、闇魔法なのかな。治癒魔法よりもっと魔力を消費する魔法なんだ。完全治癒と同等になるのかな」


 「…それってすごいことじゃない?」


 「さあ。どうかな」


 「庭に水を撒いてくれたのは?」


 「あれは、属性のない魔法だよ。湖の水を持ってきて操っただけ。君のように風を作り出すようなことや火を起こすことはできない」


 「火は起こしていたじゃない。焚火を…」


 「ああ、あれはね。アルシオが僕に向かって放った深紅の炎の一部だよ」


  シャルレーネは目を見開いた。


 「あれ火力が強すぎてさ、ほんと火の粉くらいじゃないと木が一瞬で炭になっちゃうから調整が大変でさ…」


 「…影で吸収した力を使えるってこと?」


 「そうそう。取り出しは自由に出来るよ」


 シャルレーネは思わず自分のペンダントを取り出して、中央に嵌る赤い石を見つめる。


 「…取り出して魔石にするのは、属性はないけどちょっと技術が必要かな」


 そう付け足すようにエデュランが言った。


 「魔石を集めて結晶を造るのは?」


 「あれも属性のない魔法だ。ただ魔力を注ぎ混んで凝縮させただけ。方法を覚えれば誰でも使えるよ」


 「誰でもって。…それだけでも十分すごいと思うけれど。…今は本当にたくさん魔力があるのね」


 「…まあね」


 「…どうして昔は魔法水晶が光らなかったのかしら?」


 「ああ、あれはね…エラが力を封じてたんだ。あまりにも強い魔力を持って産まれてしまったら…力に溺れるかもしれないからね」


 「そ、そうなの…ね」


 「本当はこの地で育った人間なら、大抵の属性の魔法は使えるんだ。魔力水晶では特に強い属性の魔法に反応するってだけ。君も風って言われているけど、他の魔法も訓練すれば使えるようになる。それこそ光属性の魔法なんて、ジュリエッタみたいに教会に入ってお金を払えばね」


 「…?」


 「まあ治癒術を魔力を練る練習をしっかりすれば、治癒力は高まるけど彼女はそこまでの努力はしてないみたいだね。まあ、完全治癒はドナじゃないと無理みたいだけど…」


 「ど、どういうこと?」


 エデュランはあっと言う様子で口を閉じた。


 「たくさん祈りを捧げて信仰心が認められれば…ではないの?」


 「そう…らしいね。でも、治癒術受けるのって高いだろう?治療院に行ったら、結構な値段の治療代を取られるからね。大怪我でなければ、薬屋に行った方がいい」


 確かに、治療術の代金は度々問題になっていた。教会への信仰心があるものは、優先して受けることが出来たり、お金がなければ十分な治療を受けられなかったりするのだ。


 「だから、ルドラ国から魔法を使わない治療術も広まっている。それこそ薬の歴史や知識はルドラの方が上だ」


 「でも…お金を払う人ほど力を貰えるっていうのは意味が分からないわ。誰かが力を与えているってことなの?」


 「うーん…ちょっと途方のない話なんだけど…」


 少し考えて、エデュランは大きく息を吸った。


 「この世界の始まりの伝説…イアン、聖女ドナ・エルダナ、大魔法使いノエ・ヴァラクの歴史って有名だろう?」


 「え、ええ。魔王を倒してこの国を築いたと…」


 「その魔王っていうのが、ヴァラクノエラ。つまりエラで、僕の母上だ」


  シャルレーネは思わずぽかんと口を開いた。


 「闇のドラゴンであるヴァラクノエラには、時を同じくして産まれ、姉弟のように育ったドラゴンがいた。それが、光の力を持つダナドナエル。二匹のドラゴンと魔法生物達がずっとずっと生きて来たこの地に、ある日人間がやって来た。それが、イアンだった。イアン達が目にしたのはこの地に暮らす巨大な黒いドラゴン…エラの姿だった。イアン達はエラに喧嘩を売って…敗れた。突然攻撃されて驚いたってエラは言ってたけど…。そして、イアン達はその強力な力を持つ黒いドラゴンをこの地に巣食う魔王と決めた」


 「まあ…」


 「人間に不信感しかないエラとは違って、ダナドナエルは人間に興味を持った。もっと近くで人間を知りたいって、女性の姿になるとドナ・エルダナと名乗った」


 「じゃ、じゃあ…わたし達が聖女と呼んでいるのは…」


 「そう、ドラゴンさ。ドナはイアンを…愛するようになった。イアンと共に生きる契約をして、長い寿命の命を終わらせる決意をするほどに」


 「そう…なの」


 「イアンとともに命を終えるドナは、自分の身体を湧き水の出る場所に埋めるように命じた。その水を口にすれば、人々にも聖なる力を得られるってね。そこに今の中央エルダナ教会がある。教会の連中は、水を高くで売って富を手にしているんだ」


 「じゃあ…誰でも治癒術を使えるってこと?」


 「もちろん魔力と適正が必要だけどね。ドナはイアンと結婚して、四大属性のドラゴン達に頼み込んで、すべての属性をイアンに与えさせた。だからノガルドの血族は闇以外の属性の力を持っているんだ」


 「そ、そうなのね…。でも、エラさんが魔王って言うのはどういうことなの?退治されたっていう伝説は…」


 「ああ。…エラは強かった。とにかく、とっても、最強にね。エラは人間と争う気はなかった。この地に住みたいなら勝手に住めばいいって話で、自分に関わって欲しくなかった。でも、魔物に人間達が襲われればイアンは苦しみ、ドナが悲しむ。だから、魔物達に洗脳の魔法を使った。昼を人間に渡し、自分たちは夜に生きようってね」


 「洗脳魔法…」


 「そう、精神や思想を捻じ曲げ自身の支配下におく魔法だ。で、自分はノエ・ヴァラクっていう一人の魔法使いの男に姿を変えた」


 「え?」


 「エラ達には性別って概念はないんだって。それでイアンとドナに加わり、幻覚の黒いドラゴンを作り出して、それをイアンに殺させた。そして、この地にノガルド王国が生まれた」


 あまりにも途方のない話に、シャルレーネはなんと答えることも出来なかった。


 この地は勇者が勝ち取った地でもなんでもない。

 ドラゴンが、人間がこの地に生きることを許しただけ。

 もしも、洗脳魔法が解かれたら…。


 シャルレーネが思わずエデュランを見ると、エデュランがこちらを見ていた。深い赤を放つ瞳に、思いがけず鳥肌が立った。

 エデュランはゆっくりと微笑んだ。


 「怖いでしょう、僕」


 「そんな…」


 「だって、闇の魔物で…しかも魔王の力を引き継いでいる」


 「そ、そうだけれど」


 「本当のエデュランを食べて…エデュランのふりをしているのかもしれないよ」


 「そんなことできるわけ…」


 「記憶を読めば簡単さ。君のエデュランに…なれるんだ」


 ぞっとするほど美しい笑みを浮かべるエデュランのその赤い瞳を、シャルレーネは思わずじっと見つめた。するとエデュランは一瞬戸惑ったように瞬きをすると目を伏せたが、またじっとシャルレーネを見つめ返して来た。

 昔と変わらない目を逸らすくせに、頭が冷静になる。


 「エデュランのふりをして…どうするの?」


 「食べちゃうつもり」


 まるでこちらを怖がらせようとしているエデュランに、シャルレーネは呆れて言った。


 「だったら会った瞬間に食べてしまえば良かったじゃない」


 エデュランはぎょっとした様子で目を見開いた。


 「なぁっ!」


 「あの姿なら一口だわ」

 

 「し、失礼な!そんなことするわけないじゃない!」


 「自分で言ったくせに…」


 シャルレーネの言葉に、エデュランは唇を尖らせたまま黙った。

 その横顔を見つめていると、ドラゴンだろうと魔王だろうとエデュランは何も変わっていないような気がした。


 「大変なの?」


 「なにが?」


 「魔王の力があるのって、大変?辛いことってあるの?」


 「ないよ。そもそも支配とかしていないし。みんな自由に生きればいい」


 「今のあなたって、弱点とかないの?やっぱり光の魔法?」


 「まあ相性は悪いかな。そう言えば昔から教会は苦手だった。…まあその程度」


 「それなら良かった」


 「僕のことは心配しなくていいよ。どうせドラゴンなんだから」


 「どうせって…。ねえ、エラ様はもういないけれど、洗脳魔法って解けないの?」


 「解かないと解けないから大丈夫。今さら解けても、もう千年以上も前のことだから魔物達も血に染み込んでいるかも」


 「魔物達に人間を襲わないようにさせることって出来たりするの?」


 「可能だけど…そうなるとノガルド国はいずれ滅びるだろうね」


 「え?」


 「魔物達は自分達で築いた食物連鎖の中で生きていた。でも、この地に人間が入ってたくさんの魔物を殺した。その食物連鎖が狂い、魔物は人間を喰う様になった。そして、さらに人間が魔物の死体を遺棄した結果瘴気が生まれるようになった。その瘴気の影響で毒性の強い魔物が生まれるようになってしまった。ダークウルフみたいなね」


 「そう…なの?」


 「その瘴気を浄化しているのもまた魔物だ。美しい水や空気を作りだし、森を守っているのも。魔物が人間にとって魔物は滅んだ方がいいんだろうけどね…」


 シャルレーネはなんと答えることも出来なかった。


 「エラが言っていた。人間は戦うのが好きだから、魔物が滅んだら…今度は互いに国を奪い合って殺し合うだろうって」

 

 「そんな…」


 「それが真実かは僕にも分からないよ」


 エデュランは特別興味もなさそうに景色を眺めていた。


 「僕は何もしないよ。だって、今…僕は」


 エデュランは白い歯を覗かせてにっこりと笑った。


 「君を夢中にさせるのに忙しいから!」


 「…あらそう」


 「その素っ気ない態度も堪らないねー」


 そう言って、エデュランはシャルレーネの肩に少し乱暴に持たれて来たのでシャルレーネはどきりとして肩を縮めた。しかし、昔のように全身を預けてくるのではなく、シャルレーネが重くない様にしてくれているのが分かった。


 昔とは何もかもが違う。

 それなのに、エデュランといると懐かしい気持ちばかりがあふれて来る。


 二人で景色を眺めながら、ふいにエデュランが身体を起こすと言った。


 「君さ…どうしてあの時、僕の名前を呼んだの?」


 「あの時?」


 「あのダークウルフを追い払った後、どうしてノエが僕だって分かったの?」


 「それは…」


 「魔法で人間になろうと何度もしてたんだ。君と話がしたくて。…でも、人間だった時の名前をどうしても思い出せなくて。…君が名前を呼ばなければ、僕は永遠にきゅーきゅー言ってたかも」


 「それはそれで可愛かったわ」


 シャルレーネがそう言うと、エデュランはむっとした顔でシャルレーネを見つめた。


 「あなたが最初に呼んだのよ。レーネって。…そんな風にわたしを呼ぶのはあなただけだわ」


 それに…一度目を逸らす癖なんて言ったら、笑うだろうか。


 エデュランの手がシャルレーネの髪に触れた。

 風で頬に掛かる髪をゆっくりと耳にかける。


 「あの頃の僕が…もっと素直になれていたらな」


 そう口にするエデュランの悲しそうな顔になんと答えていいか分からず、シャルレーネはその手から逃げるように顔を背けた。


 「…いいじゃない。今こうして綺麗な景色を眺めながら食事をするのって、とても楽しいわ」


 「そう…だけど」


 「それに…あの頃のあなたがそんなに簡単に素直になるとはとても思えないわ。時間が過ぎたから…ふふっ」


 ふいにエデュランを見て、シャルレーネは思わず笑ってしまった。


 「いじけた時の顔も昔と変わらないわね」


 「ひどいよ、レーネ。確かに昔の僕はひねくれていたけど…」


 「ひねくれていないわ。今は素直過ぎるくらいだけれど」


 「君は変わってないよ。いや、凛々しくなった」


 「あら、悪かったわね。可愛げがなくなって」


 思いがけず笑いながらもひねくれた言葉を投げると、ふいにエデュランが言った。


 「可愛いよ。君は可愛いし…綺麗だ」


 突然真顔でそう言われ、シャルレーネは恥ずかしくなって口を閉じた。


 「…そうだね。今こうしてここにいる。こうして君の隣に居られる。それだけで…いい。いいはずなのにね」


 「どういうこと?」


 エデュランは静かに微笑んで顔を上げた。


 「なんでもない。…少し寒くなってきたから帰ろうか」


 エデュランはそう言うと立ち上がった。

 そう言って差し出された手を、シャルレーネは握って立ち上がった。

 エデュランはその手をぎゅっと握った。


 「ありがとう、レーネ」


 「…きゃっ!」


 エデュランは突然シャルレーネを抱き上げた。


 「帰りはちょっと乱暴になるけどごめんね?愛してるよ」


 「なっ…!」


 エデュランはひょいと岩山から飛び降り、次の瞬間にはドラゴンに姿を変えた。

 シャルレーネが以前と同じくらい叫び声をあげたのは言うまでもなかった。


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