運が悪いなって話
これは小学六年生の頃の話だ。時系列がバラバラで申し訳ない。
「うぇぇぇぇん!」
「あー! またさぎりが泣いたー!」
クラスの女子にいじめられたからだ。
暴力ではない。暴言だ。陰湿で、聞こえる陰口を突きつけてくる。
彼女達は言った。
「うわ。また泣いてるよ。男らしくない。うっっざ」
「死ねよまじ。六年生にもなって泣くとかありえない」
「出来ないなら最初からやるなっての」
音楽の楽器選びで選んだ楽器に私が苦戦していた為に言った言葉。一人の女の子が私の背中をさすり慰めてくれる。
私は泣き虫だった。臆病だった。
例えば男の子の遊びはやはり力が加わるもの。喧嘩だったりヒーローものだったり。キックやパンチが当たれば痛いと泣きわめくのが私だった。
救いだったのは男子とは非常に仲が良かったことだ。こんなに毎日泣いてるのに友達をしてくれていたのは本当に感謝している。
そんなある日のことだった。卒業も目に見えてきた頃だった。
「うぇぇぇ!」
「はっ? 今ので泣くの?」
六年生にもなって私は相も変わらず泣いていた。なぜいじめられているのかは知らない。泣くのがうざいのか容姿が嫌いだからなのか。
いつものように背中をさすられていた私だったがパチンッ……と現実感が襲ってきた。
普段この状況の中では起こりえないはずの切り替え。
「……」
視界が一気に晴れた。みんなの迷惑そうな顔が全部見えたのだ。なぜか心臓が大人しい。違和感は続いた。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。ありがと」
その瞬間から私は男の子のよくある喧嘩遊びに混ざっていた。同じように殴り、蹴った。楽しそうに。その日から私は泣かなくなった。
「なぁ。突然何かが切り替わる事って無い?」
時は遡り、小学校三年生だった私は友人に聞いた。
「切り替わる? どゆこと?」
「シーン毎に変わるみたいな。喋るようの自分がいて、帰るようの自分がいて。授業を受けるようの自分がいるみたいな。シーンが切り替わった時点で自分が何をしていたのか気づくんだよ」
「ないなー」
「ないかー」
当たり前のことすぎてみんな気づかないんだと思った。自分が切り離されている感覚も自分が何かを被っているかのような感覚も、自分が体を動かしていないような感覚も全部。
勝手に喋り終わっているような感覚だって普通じゃない。勝手な失言や嘘で多くの苦労をしたというのに。
ここでひとつお客さんの話をしよう。
私が家に帰るには絶対にお客さんのいる店を通らなければならない。お客さんは様々だ。
まるで自分がこの子を教育するんだという人もいる。
「ただいまー!」
小学校低学年の私がそういうと、あるお客さんがこう言うのだ。
「まずは客に挨拶だろ! だからこの子はダメなんだっ!」
「……ごめんなさい」
「ったく……」
こんな感じ。他のお客さんだと。
「あーさぎり。ちょっと来い」
「?」
「お前成績が悪いんだってな」
「はぁ……」
「どうしてダメなんだお前は。何が出来ない。お前の同級生の染田は運動もよくて頭もいいのにお前ときたら……」
「……」
この人の近所に同級生が住んでいる。その子から情報を集めているらしい。
「聞いてるのか!」
ドンッ! カウンター席を強く手のひらで叩く。
「うっ……はい聞いてます」
実際は聞いていない。しかし後から思い出す能力はついていた。解離している。体は反応しても心は遠い。
このお客さん問題は中学生になっても続いていた。
そこで追加されたのは妹との差別だ。妹は小学生。私は中学生。
私はこうやってダメ人間の烙印を押され妹は同じ事をしてもおとがめは一切無し。私が小学校一年生の時にはもう叱っていたのに。差別は両親もだ。同じ歳の時、同じことをしても妹には怒らなかった。私はかわいくないのだ。それとも私が長男で妹は女だからか。
ある日、お客さんから私と妹の二人が呼ばれる。妹はそのお客さんからお菓子をもらった。目の前で私は何ももらえない。
「お前の分はないぞ」
知っている。初めてのことではない。ただ一緒に来なければ怒られる。他のお客さんだってCDやおもちゃを妹には買い与えるが私にはない。小学生の時もこのお客さん達からは一度だってもらえなかった。
両親は私を守らない。営業が終了した後の事。
バンッ! 机を強く叩く。
「恥ずかしくないのか! なんでもっと勉強しないんだ! 授業中寝るな! 挨拶くらい出来るだろ!」
と、責め立てる。私にとって気合いでどうにか出来るものじゃなかった。
「父ちゃんは恥ずかしいぞ……」
母さんも同じ事を言う。眠いんだ。しかたないだろ。そんな言葉は出てこない。
ただ……一つ勘違いしてもらいたくないのは私を贔屓するお客さんは本当に数少ないがいたのだ。常連の中に二人。たくさん買い与えるタイプではないが正しい人達だった。
相談にのってくれる。話をしてくれる。
――私の話を聞いてくれる。
これがどんなに珍しいことでうれしかったか。たとえそれが可哀想という哀れみの感情からだとしても……うれしかった。
目の前でお菓子をもらえない私にこっそりとお菓子を買ってきてくれたりもした。見られたらその人が怒られるからだ。甘やかすなと。
貧乏でお菓子なんてろくに買ってもらえなかった……だから余計においしかった。私がきのこ派なのはそれが原因なのかも知れない。決まってきのこだったから。
えっ、たけのこの方がうまい? よろしいならば戦争だ。
――中学生になった私は泣かなくなったものの臆病な自分とみんなのように年相応で元気な自分のランダムな入れ替わりに少しだけ悩んでいた。その性格の差は周りに違和感をもたれるらしい。一ヶ月ほどで慣れたのか何も言われなくなったが。指摘されたのは高校でも同じだった。
中学に入学した私は眠気によって成績に期待ができないことを理解していた。言葉も上手く拾えないのだから当然だ。ゆえにおばかで元気なお調子者を演じた。
おかげで友達は多かった。小学校の頃が嘘のようによりたくさんの人に好かれた。ついに授業中は起きれなくなり遅刻も多かったが楽しくやっていた。
ある男と友人になってしまうまでは。
その男は周囲から嫌われていた。私が友人になった時は本気で周りから止められたほどだ。しかし放っておけなかった。自分と同じだと思ったから。そして……親の教育で正しくいろんな人と仲良く、見捨てることのないようにと教育を受けている。お前が助けてやるんだと。
皮肉な話だ。大人になった今はもう友人なんて一人もいないのに。
彼は私と友人になった。それから毎日ずっと一緒にいた。登校前も、休み時間も、グループ決めの際も体操の相棒も、放課後も、家に帰ってからも。
完全に、というわけではないがほぼ毎日だ。仲がいいというよりつきまとわれた。振りほどくことなど出来ない。
――彼は暴力を振るうからだ。
傲慢。自分の思うとおりにいかなければ暴力。だから私は彼に逆らえず従順になっていた。臆病であることに変わりは無いからだ。彼は自分と同じではなかった。それでも親の教育が呪いのように働く。蔑む言葉も遠ざける言葉も口からは出てこない。
私は本来一人が好きだ。関係を保つため学校ではそんな素振りを見せないが……
しかし彼は家に来た。私が家に帰った後、何かと理由をつけてやってくる。両親がいつでも招き入れてしまう。両親にもう入れないでくれと頼んだことがあった。
「友達は大事だぞ。何かあった時に助けてくれる。かけがえのない存在なんだ。だから友達は大切にしろ」
そう言って聞き入れてもらえなかった。勝手に家に入られた。
私には部屋が無い。リビングのような場所で布団を敷いて寝ていると思って欲しい。
ゆえに部屋に鍵はなく深夜まで彼は居座る。浴びせられる言葉はこんな感じだ。
「童貞。クズ、カス、人間として最悪、出来損ない。バカ」
ここには書き切れないほどのバリエーションで人格否定をしてくださった。こんなのを深夜まで聞かされるだけでなくプライベートなしで連れ回されたらやってられない。家に来なくても電話でこれをするのだ。
土曜日は寺に連れてかれ車酔いと二時間に及ぶ長い正座でゲッソリするし最悪だった。
死にたい気持ちが湧いてきたのはこの頃からだった。家族やお客さんからの態度。早朝から浴びせられる人格否定。学校での不出来と演技。一人の時間などない毎日はさすがに限界だった。青春なんてない。怯える毎日だけだ。楽しくない。怖いんだ。
そんな日々がずっと続いた。さらには両親が不仲になった。母のやつあたりは私へ来る。どうでもいいことでも強く言われる。
それでも中学を無事卒業した。違う高校だ。これで……あの男から解放される。
――そんな風に思っていた。
環境から察して欲しいのだが私は学力が底辺中の底辺だ。
おかげで評判最悪な学校に来ることになってしまった。男ゆえ喧嘩を売られることも多かった。友人を多く作ることで自分を守ったが安堵は出来ない。
学校で気を張りながら帰ってはあの男に怯える日々を送る中……バイトを始めた。
理由は働けと言われたから。同時にケータイ代を払えとのことだ。
睡眠障害持ちなら分かると思うがまともに働くことの難しさがある。眠い。指示が上手く聞こえない耳の問題もあった。結局バイトは続かなかった。ある程度仕事は出来ても辛すぎて続けられないのだ。そのたびに働けと言われた。
母は言った。
「なんで学校に行かないの! 遅刻するのはどうして!? 母さん恥ずかしい! 友達になんて言えばいいのよ! ホームレスになるわよそんなんじゃ! 学校に行けば全部なんとかなるんだからちゃんと行きなさい!」
父は言った。
「学校へ行けばかもんが! どうするんだこの先!
なんで仕事が続けられないんだ! 働くなんてみんな嫌に決まってるだろ! みんな我慢して生きるために必死に働いてるんだぞ!」
無理だ。部活もして、バイトもして、遅刻してでも学校行って。あいつに深夜呼び出されて……
言わなかった。両親に対する信用信頼が皆無だからだ。なんとかなるなんて思っていなかった。
何もかもがきつくなった私は学校を通信に変えた。
通信のためフリーターのような生活になった。
毎日バイトに行っては精神をすり減らしあの男にバカにされる。奴は妹を狙うため守るのにも必死だった。
「お前またバイトやめたのかよ。
ほんとクズでダメだな。俺なんか大変だわー。働いて女の家に行ってんだぜ? 今度の女は本気だぜ。別れたりしねー。出会ったとき結婚する未来が見えたからな。
セフレ三人いるけど」
あぁ。うるさいな……
私はシャワーから出る水の雨にうたれていた。
――ここ最近ずっと聞こえる。自分を取り囲むように殺せ、死んでしまえ。自殺すれば楽になる。たくさんの声が聞こえるのだ。頭では無く鼓膜に届く。
いっそ……その方が……
出来なかった。ここで死んだら死因はあいつになる。あいつに自分の人生の終わりを決められることだけは許せなかった。
青春は全て奪われた。人生の大半も。この環境は深く傷を作り残り続けた。
パチッ……と目が覚める。
朝だ。カレンダーを見た瞬間動機が激しくなる。まるでバイトに遅刻したかのように。跳ね上がる心臓を抑えるように胸元を力強く掴んだ。
――三ヶ月経っていた。一切の記憶が無い。
少しずつ思い出されていく。普通に過ごしている。覚えの無いメモ書きが増えていた。
最も驚いたのは私とあの男の縁が切れていることだ。私は彼を拒絶し絶縁していた。