File06・カラクリ
山本鹿人は合宿所にしているマンションの最上階、その角部屋に寝泊りしている。
インターホンを鳴らすと「はい」と生気のない声で返事があって、ガチャリとドアノブが回された。しかしドアチェーンが掛かったままで、ドアは鈍い音と共に引き留められた。
「……ああ、失礼」
山本は不器用そうにチェーンを外し、ドアを開くとペコリと会釈をした。
俺は会釈を返しつつ、努めて柔和に口を開く。
「ここの生活には慣れましたか? 不便なことがあれば言ってください」
山本は無言のまま、伏し目がちに頷いた。何とも不愛想な男だな、と思う。第一印象から朴訥なイメージではあったが。
室内に入ろうとすると優吏が廊下を駆けてきた。
「ごめん、遅れた。変な問い合わせがあって」
依頼主への報告や対話には心理カウンセラーの優吏が同席することになっている。
優吏は正式な資格を持つカウンセリングの専門家で、保持する資格には年齢制限や専門の課程を終える必要のあるものまで含まれる。いわば飛び級のようなもので、優吏の親父――精神科医の名医として有名な人――のおかげによる特例らしい。
ともあれ、うちでは優吏なくして面談はなりたたないのである。
「変な問い合わせってなんだよ?」
靴を脱ぎながら尋ねると、優吏は訝しげに首を捻った。
「なんかURLが一つだけ届いてて。見れば未解決の失踪事件をまとめたブログだった。それも行方知らずになったのがぜんぶ若い女性の、薄気味悪いやつばっかり」
「ふうん。……まあいつもの悪戯だろ」
「少しは警戒しなさいよねあんぽんたん。逆恨みされることも多い仕事なんだから」
あんぽんたんは余計だと思うが、言い返すのも面倒なのでやめておく。
それより今は山本との対話だ。ダイニングルームに入り椅子に腰を下ろす。山本はキッチンでインスタントコーヒーをこしらえていた。
「客は我々ではなく山本さんなのでお構いなく。さっそく本題に入りましょう」
そう告げると山本は無言で椅子に腰かけた。
俺たちも並んで腰を下ろし、山本と向き合うかたちになった。報告書をテーブルの上に取り出し、説明を始める。
「ご存知かと思いますが、仲谷椛さんは異性との接触を制限されています。私もこの目で確認しましたが、付き人らしい人間もいるようでなかなか厳重です。理由はまだ分かりませんが、本人の同意もあってのことのようです」
山本は報告書を見つめ、「はい」と声低く応じた。
「調査したところプライベートも同様です。山本さんが彼女と知り合った時のように一部公的なイベントは例外のようですが、それでもやはり一定のルールがあるのでしょう。男性との交際となると論外だと思います」
再び低い声で「はい」と返答がある。
「失礼ですが、こんな状況でも彼女のことを?」
そう訊ねると山本はゆっくり顔を上げた。
無感情な目でこちらを見据え、おもむろに口を開く。
「……あの子は、仲谷椛はカラクリなんです」
――カラクリ?
発言の意図が分からず、俺はやんわり首を傾げる。
「……彼女は、操られています」
山本は声を震わせて言った。
思わず優吏と視線を交わす。
異性との交流制限は彼女の意志ではない、と言いたいのか。または彼女が自分を好いていて、何か事情があるせいで結ばれない、と言いたいのか。
後者の場合は厄介だ。経験上ろくな展開にならない。
ここで優吏が口を挟んだ。
「もう少し詳しくお話を伺えますか。仲谷さんの状況は本人の意志に反していると、そう仰りたいのでしょうか」
「そうです」
「……例えば、仲谷椛さんが本当は山本さんと交際したいと思っている、と?」
「……」
山本は何も応えない。だがその面差しに、否定の色は浮かんでいなかった。
俺は思わず盛大なため息を吐き……そうになった途端、太ももが思い切りつねられ、そのため息は悲鳴へと変わった。
さすが優吏、反応が早い。あと握力が強い。
そんな涙目の俺をよそに、優吏が対話を続ける。
「お気持ち、分かります。もしそうなら、そんなに辛く切ないことはありませんから」
山本はひどく落ち込んだように顔を俯けた。
「妄想だと思っていますか? でも僕、知っているんです」
「……知っている、とは?」
山本は少しの間黙り込み、やがて肩を震わせ始めた。
「……異性関係だけじゃありません。彼女は人生そのものを操られている」
その声音は明らかに怒気を孕んでいた。
感情の起伏が激しい依頼人は多いが、はっきり言って気が滅入る。どうして皆、こうも恋愛感情に振り回されるのか。
山本は肩を震わせたまま俺と優吏を交互に見て、改めて口を開く。
「さらなる調査を希望します。彼女の真実を突き止めてください」
俺は再度ため息を吐き……そうになって堪えた。
丁寧に現状を伝えることにする。
「正直に言えば積極的な調査は難しいというのが現状です。ご報告したとおり彼女は厳重な監視下にあります。接触はもちろん素行調査も厳しいです。彼女を取り巻く監視体制を鑑みるに、少しでも怪しまれることがあれば、逆にこちら側が調べ上げられてしまうでしょう。そうなれば依頼主が山本さんであることも知られてしまう可能性があります」
俺たちは依頼人に希望されたからといって必ずしも調査を請け負うわけではない。依頼人の心情を含めた諸々の状況を加味して、こちらが必要と判断した場合にのみ行うのだ。
「もちろん情報は集めます。ただ、今はもう少しカウンセリングを受けながら……」
説明を続けていると山本がタン、とテーブルを叩いた。
「さらなる調査を希望します」
……どうも話を聞くつもりがなさそうである。
チラリと優吏を見ると頷かれた。何故かちょっぴり威圧的な顔をしている。
まあ、仕方がない。そもそもカウンセリングで解決する悩みなら俺たちの存在意義なんてないに等しい。本意ではないけど見せてやろう。「片想い成仏委員会・探偵事務局」の真骨頂を。
……知らんけど。