File04・再会
翌日。俺は英才クラスの校舎を訪れていた。
昼休みということで廊下は弁当を持った生徒や学食に向かう生徒らでごった返している。仲谷椛のクラスはこの華美な校舎の二階、紳士と淑女が行き交う学習フロアにある。
男子禁制の学園生活を送っているという彼女だが、噂話をただ報告書に記載するわけにもいかない。事実として直に確認する必要があった。
そんなわけで、一般クラス所属の俺は「こんな奴いたっけ?」という視線をかいくぐりながら紳士然とした振る舞いで仲谷の教室へと歩を進める。
するとふいに調査対象の名前が耳に入った。
「椛さま。今日は中庭でお召し上がりになりませんか」
ちらりと声の方に視線を向けると、いた、仲谷椛だ。
弁当を手に廊下を歩いている。並んで歩くおさげに眼鏡の女子生徒は、付き人の一人と噂の山吹幸子だろう。
──それにしても、と思う。
やはり仲谷椛はどこか特別な生徒だ。
透明感という印象を強烈に感じさせる容姿。陶器のような白肌と漆のような黒髪の対比がその要因の一つだろうか。鼻は低いほうだがそれでも西洋のプリンセスなんかを思わせるのは、高貴さ漂う涼しげな目元のせいか、愛嬌ある微笑を湛えた口元のせいか。
まるで西洋絵画の美少女そのものだ。学園のみならず、街で有名な女性であることにも頷ける。
だが何より印象的なのはその瞳だ。
ルビーやガーネットといった赤い宝石を彷彿とさせるスカーレットの瞳──彼女の虹彩は独特な色味をしていた。
「椛さま? どうかされましたか」
山吹の声が聞こえ、俺はハッと我に返った。気付けば仲谷がこちらに顔を向けている。
しまった──と目を背けようとした時には既にバッチリ視線が絡み合っていた。その視線を追って隣の山吹もこちらを見やり、訝しげに眉をひそめる。
思わず自分自身を殴りたい衝動に駆られる。ターゲットに見惚れて不審者認定されるだなんて探偵失格もいいところである。
俺はどうにか気を取り直し、謝罪の意味を込めた軽い会釈をしてみせた。
これ程の美人なら異性の注目を浴びるだなんてよくあることのはずだ。一般男子として「つい見惚れてしまいました、ごめんなさい」という体でやり過ごせばいい。
ふう、危ない危ない。胸中ひそかに呟きながら、仲谷とすれ違うように歩を進める、が──
「……あの」
その声音にドクン、と心臓が揺れる。
ガラス細工のように綺麗で儚げなその声は、どうも仲谷椛の声らしかった。
まさか俺を呼び止めたわけじゃないよな、グギギギギ……とまるで錆びついたロボットのように後ろを振り向く。なんちゅう怪しい動きなのか、これは探偵の廃業も近い。
だがそんな自責の念など露知らず、彼女はこう口にした。
「小湊心さま……ですよね」
やっぱり俺のことなのか。いや、そもそもなんで俺の名前を知っているのか。仲谷と向き合った俺は返事もできずにフリーズした。
そんな俺に、彼女はこう問いかける。
「私のこと、覚えていらっしゃいますか?」
傍らにいる山吹が驚くように目を瞠った。おそらくは俺もハトが豆鉄砲を食ったような顔をしているに違いなかった。
いつの間にか周囲の生徒らも騒然としていて、遠巻きではあるものの野次馬まで集まってきていた。仲谷が男子に声をかけることはそれだけ珍しいということだろう。
俺はゴクリと唾を飲み込み、どうにか返事をする。
「あっ……ええと、なんとなくは」
未だかつてここまで声がかすれたことがあったろうか。
──太陽と優吏にも話したとおり、俺は確かに仲谷椛と会ったことがある。一年と少し前、爺ちゃんに連れていかれたパーティで。
でもまさか、俺のことなんて覚えてもいないはずだ。
あからさまに狼狽えてしまう俺だが、一方の仲谷はといえば優雅な微笑みを浮かべている。令嬢の威厳と少女の可愛らしさが入り交じったような、そういう笑顔。
思わずまた見惚れていると──突如、その体がグイ、と後ろに引っ張られた。
「おい貴様、何をしている」
振り返ると、鋭い眼光をした金髪のイケメンが、俺の首根っこを掴んでいた。
このイケメンは確か……
「ちょっと玲於。よしてください、失礼でしょう」
そうだ、瀬崎玲於──この学校の用務員で、仲谷椛のもう一人のお目付け役と言われている人物だ。
用務員のくせにチャラチャラしたシルバーアクセサリーが目立つ身なりで、その首元には派手なレザーチョーカーまで括り付けられている。中性的な雰囲気の漂うヴィジュアル系バンドマン、もしくは人気ホストといった風情である。
とても名門校の用務に従事する職員とは思えない身なりだ。
「しかしお嬢さま、こいつは男です」
瀬崎は眉をひそめ、苛立たしげに言った。
やはり異性との交流は制限されているらしい。だがこの金髪イケメン用務員も男ではないのか。
「分かっています。もう行きますが……」
仲谷がつかつかと歩み寄ってくる。
その美貌にドギマギする俺をよそに、彼女は瀬崎の腕を掴むと俺の首根っこから引きはがした。
「それは玲於、あなたが非礼を詫びた後の話です」
先程までの儚げな声とは異なる、力強く凛とした声。
それを受け、瀬崎は忌々しそうに俺を見下ろした。……やけに背が高いな、こいつ。
「ふん、悪かったな。……さ、参りますよ。お嬢さま」
そう言うと金髪イケメンは俺を乱暴に突き飛ばした。
この野郎、ぜったい悪いと思ってないだろ。とはいえ今はそれどころではない。せめてこれ以上怪しまれないように、ちょっと再会しただけの顔見知りということで済まさなければ。
俺は乱れた襟を正しながら咳払いを一つ入れると、
「こちらこそ失礼。懐かしいお顔でしたもので、つい」
と、平静を装ってそう言った。すると何故か、仲谷はどこか嬉しそうに笑った。
瀬崎玲於と山吹幸子に伴われるように歩き出し、そして俺の脇を通り過ぎる瞬間──
「火曜日の図書室」
鈴を転がすような声で呟いた。
まるでジュリエットがロミオに耳打ちでもするかのような──なんて思ってはみたけれど、俺はロミオでもなんでもなかったことをすぐに思い出した。