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蚊らくり彼女  作者: ようへい
五章 世界の嘘つき
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File05・すべてが終わった後でなら

「それじゃあどうもぉ! 失礼しまぁーす!」


 ピーチクパーチクした声が事務所に響き、カランコロンとドアベルが鳴る。依頼人の女子中学生はハツラツと往来に飛び出していった。


「……なに、どうしたの、あの子。良いことでもあったの?」


 太陽がたらりと汗を垂らし、唖然とした面持ちで言う。

 それも無理のないことで、何故ならあの女の子はつい先日まで地面にめり込みそうなほど陰惨極めるオーラを漂わせていたのだ。


「新しい恋が実りそうなんだって。よかった、よかった」


 優吏があっけらかんと言った。

 クライエントがあそこまで元気になってしまえばカウンセラーとしてはお役御免であろう。


「あんなんでようここに相談に来たもんや」


 しずくはいかにも呆れた様子だ。

 正式に事務所に入って初めての依頼人があんなふうでは、肩透かしを食った気分かもしれない。


「まあそう言うなって、ああいうハッピーな結末こそが俺たちの望みなんだから」


 俺はそんなしずくをたしなめた。どんなかたちであれ恋の病が解決に向かってくれたならそれでいい。

 今日も我が片想い成仏委員会・探偵事務局は平常運転だ。


「そうだね、心の言うとおり。失恋でも何でも、嫌なことなんてさっさと忘れちゃうに限るさ」

「だからって極端やなかと? ケロッとしてもうて。もともと大した片想いじゃなかったっちゃん、きっと」

「新しい恋をすればそんなものでしょう。今となっては何であんな元彼が好きだったか分からないそうよ。ブサメンだし陰キャだし、よくよく考えるとキモい、とまで言っていたもの」

「はあぁ? あれだけ好き好き言うといてそれ? ……もう世の中なにを信じたらいいか分からん」

「あはは、相反する感情を持つのが人間だからねぇ。好きと嫌い。尊敬と軽蔑。嬉しいと悲しい。いつだって行ったり来たりさ」


 皆の会話を聞きながら、俺は小さく息を吐く。


「本当に人間ってあやふやだよな。一説によると人の行動は九十五パーセントを無意識が占めているらしい。脳を働かせすぎないように……って」


 すると優吏がねめつけてきた。


「あんたはもっと意識的に責任感を持って。こんこんちきで無自覚なんだから」


 太陽が頷き、言葉を継ぐ。


「優吏の言うとおり。心は僕らを振り回してるっていうのを自覚してほしいねぇ」


 しずくも呆れるように口を開く。


「──報われん恋を成就させるって、具体的にはどうすると?」


 報われない恋を成就させる。それは先日俺が打ち出したばかりの、事務所の指針だった。


 思えば俺は、思い上がっていた。

 子孫繁栄がなんだ、生殖機能がどうだ、心理メカニズムがどうしたと、学者でもないのに聞きかじりの講釈を垂れて、それで人を救った気になって。

 もちろん今までの自分をすべて否定するつもりはない。失恋に悩み苦しみ、絶望して恨みを抱き、人生を台無しにする人間がいることに違いはない。そういう人たちにはドライな考え方も必要だ。それで幾人もの人たちを片想いから解放してきた自負だってある。


 ──でも俺は、大事なことを分かっていなかった。知らなかったのだ。


「具体的っていったってケースバイケースだよ。そもそも報われるような片想いなんて滅多にないし。恋愛はいつだって勘違いだらけだ」


 優吏がいつもの嗜虐的な視線を俺に寄こす。


「あんたさ、本当にやる気あるわけ? 考えなしのぬけさく探偵事務所はいい加減卒業してほしいんだけど」

「なんだよ、あくまで指針だって! 恋愛感情を無くす以外に方法があってもいいんじゃないか、っていう話!」


 ──俺は我慢することをやめた。ただ否定することをやめた。

 人が世界の何かに操られているのなら。その糸を断ち切るだけでなく、丁寧に解いてやるのもいい。そんなふうに考えるようになった。


 世界にはさまざまなカラクリがある。

 思い通りにならず、足掻けば足掻くほど絡み合ってしまう、そういう糸がたくさんある。この世界がそうした何かの「意思」に操られているとしたら。ただ黙って操られるだけでなく、やり返したっていいじゃないか。

 俺だってこの世界の一本の糸なのだから。


「……諦めるだけじゃつまらない」


 呟くように言う。

 そんな俺をジッと優吏が見つめていた。やがて小さく嘆息し、おもむろに口を開く。


「あんたに伝えるべきか悩んだけど」


 珍しく神妙な面持ちをしていた。


「──仲谷椛は、まだ日本にいるかもしれない」


 それを受け、俺は視線を上げる。

 どう返せばいいか分からなかった。ふと、彼女に別れを告げられたあの日のことを思い起こした。



 ──あの夜、俺はこの事務所に帰った。


 そしてそれは、俺だけじゃなかった。優吏も、太陽も、しずくも。皆一人ずつ順番に、この事務所へと戻り、ドアベルを鳴らした。やがて全員が揃った時にはもう、空が白みはじめていた。

 あんなことがあったにも関わらず、全員無事だった。

 どうして流鏑馬たちが解放してくれたのか、その理由は分からない。ただ、優吏が仕込んだ予約投稿──国がひた隠す情報を世界中に拡散するという脅し──が効いたのだろう、と一旦は結論づけることにした。

 一介の女子高生が国家機密を握り、その対処すらできない国もどうかとは思うけど──優吏いわく「私はそんなに甘くない。手出しできるものならやってみなさい」とのことで、俺たちは苦笑するしかなかった。


 そうして、このまま日常に戻っていいものか疑心暗鬼になりながらも通常営業に戻り──早くも三か月あまりが過ぎようとしていた。



 ──彼女がまだ、この日本にいる。


 そのことを思い、口を閉ざしたままの俺に、優吏は言う。


「ねえ心。私たちは人類の選択肢を作った。そんなふうには考えられない?」

「……選択肢?」


 優吏はこくりと頷いた。


「そう、あいつ──流鏑馬志信の言う、人類の進化っていうやつ。私たち人には、それを受け容れるかどうか選ぶ権利がある」


 語るように言い、こう説明を加えた──


 優吏は、あの日以降も流鏑馬らの動向を独自に調べ続けていたこと。するとイギリス行きの航空券が一つキャンセルされていたと分かり、その手配をしたのは流鏑馬であったこと。

 そのキャンセルがされた一席は、仲谷椛のものではないか、ということ──ただそれはあくまでも推論で、確かなことは分かっていないこと。


 あれから椛は消息を絶った。彼女だけでなく、瀬崎や山吹もいなくなった。

 仲谷椛と山吹幸子という女子生徒は転校し、学校の用務員は小柄な初老男性が引き継いだ。そうして日常は続いている──まるで何事もなかったかのように。

 彼女たちはもう二度とその姿を現さない。そんな予感めいたものがあった。


「Culicidae-Humanoid──そう呼ばれる女性の一人を、もし私たちが救ったのなら」


 言いながら、優吏は事務所の皆をぐるりと見回す。


「──私たちは世界の運命に『待った』をかけた、ということになる」


 その大仰な言葉に俺たちは静まり返った。

 しばしの静寂の後、太陽がぽつりと言う。


「……進化、ねぇ。感情がない人間かぁ。そうなったら戦争もなくなるのかな」


 人というのはきっと、そんなに強い存在ではないのだろう。

 感情に振り回され、選択を間違える。怒りに我を忘れ、欲に溺れ、哀しみに打ちひしがれ、恋に病む──そうして理性は埋没し、正しく選ぶことができない。

 だから、人はいつだって中途半端だ。もちろん俺自身も。


 ──あの夜、俺は彼女に何が出来たのだろうか。


「俺さ、言われたんだ。あなたは中途半端だ、って。……そのとおりだなって、思う。自分がどうありたいのか、どうあるべきだったのか……未だに分からないままなんだ」


 すると優吏は首を振った。


「プログラミングじゃないんだから、何でもかんでも0か1か、なんて答えが出るわけないでしょ。人間なんてそれでいいのよ」


 その言葉に、俺は何だか胸のつかえがおりるような気がした。


 改めて自身の胸に問いかける。

 彼女がもし、本当にまだ、この日本にいるとしたら。それは憶測に過ぎないわけで、これといった実感も湧いてはいない。でも、もしそれが本当だとしたら。俺はこれからどうするべきなのだろう──


 ふと顔を上げると、仲間たちは「世界と人」について語らい合っていた。


 ──世界の運命に待ったをかけた、か。


 そんな大それたことはともかくとして。もし彼女が本当に救われていたのなら。何かを成した、くらいには考えてもいいのかもしれない。

 それはもちろん、この仲間たちのおかげだ。


 俺は改めて口を開く。


「話を戻すけど、これからは片思いを成仏させるだけじゃなく、成就させることも視野に入れようと思う。その可能性がある場合に限り、だけど。……優吏に便乗するわけじゃないけど、恋愛も0か1かなんて決めつける必要もないだろ」


 それを受け、太陽はあっけらかんと言う。


「まあいいんじゃない? そういう粘っこさが心の真骨頂でもあるからねぇ」

「粘っこいって、言い方」

「若き日の江戸川乱歩も言われたらしいよ。『探偵に必要なのは推察力よりも粘り強さと根気だ』ってさ」


 優吏が肩をすくめる。


「……それだけ粘っこければ好きな子も忘れられないわね。このストーカー。世界一やっかいな片想いをしてたのってあんたじゃない?」

「だから、言い方!」


 けれどその当てこすりに反論もできない。俺はずっと、彼女に片想いをしていたのだから。

 爺ちゃんはそれを知った上で俺をパーティに連れていった。そして俺は、まんまと彼女に再会した。

 あの日、俺の物語が、そして彼女の物語が、再開した。

 ──今となってはもう、ただの初恋の記憶に過ぎない。


 ふいにしずくが噴き出した。


「……ぷっ、失恋かぁ。せつなかねぇ、しんしん」


 ムッとしながら、俺は顔が赤く染まっていくのを自覚する。


「そこ、笑わない! 失恋の大先輩だろ、あんた!」


 ──思えば、恋煩いを起こす暇もないほど非現実的な恋だった。


「思いも結末も人それぞれ、だ。きみたち、片想い成仏委員会の一員だったら傷心の俺をフォローすべきだろ」


 ――あの日彼女は何を思い、俺の前から消えたのだろう。


「はいはい。……まあ、僕らは心がいないと何もできないからねぇ」

「そうね。そういうわけでこれからもよろしく、へっぽこリーダー」

「いよっ、大将! これからもがむしゃらに頑張ろうね、しんしんっ」


 あの日、俺は決意した。

 世界を操るカラクリの糸を手繰り寄せてやろう、ただ操られるまま従ったりはしない、と。結末は自分自身の手で作ると、そう決めたんだ。

 ……これからは、必ず。


 そう意気込んで顔を上げた時。ふと、ある人の顔が脳裏に浮かんだ。


「あれ、心、どうしたの……?」

「…………イジめすぎたかしら」

「しんしんでも泣くことあるんや」


 なんで今なのかは分からない。

 離れ離れになって初めて、俺は、父さんと母さんの顔を思い出していた。思い出すことが、出来ていた。

 かつては当たり前だった両親の顔が、妙に懐かしい。

 別に悲しくはない。なのに、涙が溢れて止まらない。


「……あっ、変な意味じゃなくて」


 気まずそうにしずくが言った。

 俺はぐいと涙を拭う。


「いや、俺も驚いたから。ほんと、俺って泣けたんだな」


 ――すべてが終わった後でなら。


 母さんの墓参りに行ってみてもいいかもしれない。父さんの面会に行ってみてもいいかもしれない。

 それを伝えたら、爺ちゃん、どんな顔をするかな。


 愛用のシステム手帳を手に取り、キーホルダーを括り付ける。それに飾り付けられた薄いピンク色の宝石が、きらりと光った。

 それを見つめ、俺は小さく息を吐く。

 知りたいことがある。だって俺はまだガキで、何も分かっていないから。

 だから教えてほしい。父さん、母さん。




 ――その感情に、価値はありましたか。

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