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蚊らくり彼女  作者: ようへい
一章 片想い成仏委員会
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File03・片想いの治癒レベル

 仲谷椛が通う学校、つまり俺たちが通う学校は無月(むげつ)学院高校という。

 珍しい名称だが英国のパブリック・スクールが源流となって創立された教育校であり、その興りから教育方針の一部に神学なんかも取り入れられている。社会的に影響力を持つ卒業生を多数輩出している名門校でもあって、お嬢さん、お坊ちゃん御用達の学校として有名だ。


 俺みたいな一般人も入学はできるが校舎は英才クラスと一般クラスに分かれていて、俺のような人間はもちろん一般クラスの所属となる。ちなみに優吏は医師一家の娘であり所属も英才クラスだ。太陽もいわゆる名家なのだが勉強ができないせいか俺と同じ一般クラスに収まっている。


 俺はといえばこんな学校に通いたくはなかったのだが、爺ちゃんが「お前は優秀だから」と貯金を切り崩し強引に入学を決めてしまったという経緯がある。諸事情により両親と離れ離れになって以来、爺ちゃんには世話になりっぱなしで頭が上がらないのだ。

 ちなみに家柄がいいどころか築五十年は過ぎていそうな木造平屋建てに住む一般庶民である。爺ちゃんは半年前から入院しているので実質一人暮らしだし、上流階級どころか世間的に見れば悪い意味での異分子かもしれない。


 さて、俺のことはさておき調査対象だ。

 仲谷椛は一年生で俺の後輩にあたる。芸能人の娘なんかもいるこの学園において、最も注目を集めている女子生徒が仲谷だ。華やかな容姿もさることながら、その境遇がミステリアスであることが学徒らの好奇心を刺激している。


 ──彼女は「男子禁制の日常」を過ごしているのだ。


 共学にも関わらず仲谷のクラスは女子限定クラス。学校の教諭は八割以上が男性だが彼女のクラスを担当するのは全員女性。男子生徒との関わりもほとんどなく、男女共同の学校行事にも参加をしていない。学校側はこの特例を黙認しているというかむしろ取り計らっていて、仲谷家は社会的に影響力のある財界人の家系らしいので、大人の事情的なものがあるのだろう。


 それでも彼女ににじり寄る男子生徒は後を絶たない。

 仲谷は幼い容姿ながら、艶やかな白肌や肉体の曲線美が妙に艶めかしく、何とも蠱惑的な雰囲気がある。そんな彼女をどうにか篭絡しようと手練手管を用いる男子は多く、だがしかしどんなに百戦錬磨な奴でも仲谷には指先一つ触れられない。何故なら男が寄り付かないよう学校側が監視しているからだ。


 その証拠に仲谷の周囲には護衛役と思われる人物が常に付き添っている。山吹(やまぶき)幸子(こうこ)という女子生徒と、瀬崎(せざき)玲於(れお)という用務員の二人だ。

 仲谷家が学校に派遣した彼女のお目付け役だと専らの噂である。


「……そんな女の子に思い悩むほど片想いするなんて、あるかなぁ?」


 太陽は眉根を寄せながらそう呟いた。


「……俺からすれば人様の恋愛なんて理解できないことばっかりだよ」


 俺は机に突っ伏したままでそう応じる。

 そんな俺とは異なり、太陽は思案するように腕を組み、秀才然とした風体で眼鏡をくいと持ち上げて言う。


「一応警戒しといたほうがよくない? 依頼人のあのおっきい人、何か別の目的があるかもしれないよ」

「嘘を吐いてるようにも見えなかったけどな」


 此度の依頼主は二十歳の大学生で、名前を山本(やまもと)鹿人(しかと)という。筋肉質な体型をしているが冴えない顔立ちの男性で、こう言ってはなんだが地味すぎて街中ですれ違っても絶対に気付けない。

 その依頼人いわく、恋のきっかけは「一目惚れ」だという。仲谷椛とは親を通じて知り合ったらしく、大勢が集まるパーティで複数回交流したことがあるそうだ。私的な連絡先などは知らず、今では特に繋がりもないという。


 男二人でうだうだ思案しているうち、下校を促すチャイムが鳴った。同時に教室のドアが開かれて、顔を向けると優吏が立っていた。


「……心、太陽」


 不機嫌そうな顔でツカツカ歩み寄ってくる。

 英才クラスの校舎は遠いのでここまで来るのが面倒だったのだろう、優吏は不満そうにその口を開いた。


「山本さんから連絡があった。面談後は即、合宿生活希望だって」


 どうやら今回の依頼の報告に来たらしい。その内容に俺はいささか面食らった。


「合宿生活ってレベル5相当ってことかよ。まだ何もしてないのに?」


 すると優吏は苛立ちを露わにした視線を俺に向けた。


「依頼主から自己申告があったの。いちいち間抜け面で質問しないで」


 優吏は昔から妙に俺に厳しい。その理由は永遠のナゾなのだが、気心の知れた幼馴染ゆえの親愛の裏返し……と思うことにしている。

 ともあれ、俺の疑問は真っ当なものだ。

 片想い成仏委員会は依頼の進行度に応じて状況を五段階に分けている。それには依頼主の執着度合いが関連していて、要点をまとめると次のようになる。



レベル1(準備期)

 依頼人はまず心理カウンセラーの資格を持つ優吏と面談を行う。依頼人が抱える悩みをヒアリングして状況を把握、相互理解を深める。後日、再度面談を行った上で具体的な目標、つまりは依頼完了の位置付けとなるゴールを共有することとなる。

 ちなみにカウンセリングだけで終わる依頼人は基本的にはいない。うちを頼るのはどうしようもない恋愛依存に苦しんでいるか、別の事情で一般のカウンセリングを受けられない・受けたくない人たちだからだ。


レベル2(初期)

 依頼人の希望に応じて想い人(依頼人が好意を寄せる相手)の調査を行う。ここではあまり踏み込んだ調査はしない。聞き込みやSNSの調査等から想い人が依頼人に対してどのような言動をしていたかを調べる。つまりは脈無しであることをハッキリさせる。

 その後、調査報告を行いつつ評価面談を行う。面談を通じて依頼人の精神状態を推し量るわけだ。これは数回に渡って行う。しかしほとんどの依頼人は立ち直れず、次のレベルに進む。


レベル3(中期)

 ここでは踏み込んだ調査を行う。素行調査や身辺調査により想い人の交友関係や現在の日常について調べ上げる。また、依頼人に対する過去の言動についても可能な限り情報を集める。依頼人にとって衝撃的な調査内容になることが多い。

 執着という山を乗り越えるための峠ともいえる段階で、ここで訪れる嵐のような感情を経てゴールに至る依頼もある。しかし依頼人の多くはショックを受けた後、「何か事情があるに違いない」などと虚しい妄想をする。恋は盲目とはよく言ったものだ。


レベル4(後期)

 ここに来て初めて行うのが想い人の「心情調査」だ。想い人が依頼人に現在どのような感情を抱いているかを調べるためのもので、想い人に直接接触を図るケースもある。

 これについては都合よく解釈されないよう事実をうまく抽出した報告書の作成に努める。想い人の多くは依頼人に嫌悪感を抱いているか無関心であるかのどちらかだが、一方で過去の恋愛を美化して思わせぶりなことを口にするケースもあるからだ。想い人の関心が自分にないと依頼人が理解するまで何度でも調査と面談を繰り返す。


レベル5(末期)

 レベル4まで実施しても解決に至らず、「自殺」や「殺人」を仄めかす依頼人がいる。これまでの調査報告により絶望を深めてしまったり、愛憎を焚きつけてしまうといった、いわば逆効果に陥ってしまうケースだ。この場合、日常からの隔離を目的とした「合宿生活」を勧める。俺たちの事務所は優吏の親父が所有するマンションの一階にあり、住居部分の幾つかが「合宿所」に割り当てられている。「末期」の依頼人のサポートのため、俺たちメンバーが寝泊りすることも多い。

 恋愛感情が完全消滅するまで保護と監視をするわけだ。結局は時間に頼るわけで、俺のプライドからするとここには至らせたくないという思いがある。ちなみに依頼人が希望すればこのレベルであっても調査を継続する。



 ──こうしてまとめてみるとよく分かるが、最初からレベル5の合宿生活を希望するのは異常だ。複数回交流しただけの相手にそこまで強烈な恋愛感情を抱くことがあるだろうか。それも異性との関わりを制限されているような箱入り娘に。


「……まあ、アイドルがストーカー被害にあうようなものか」


 そう呟くと、途端に制服の襟が摘まみ上げられた。


「平然と依頼主の悪口を言わないの。いかれポンチ」


 顔を上げると優吏が冷淡な目で俺を見下ろしていた。なまじ整った顔のせいで酷薄さが強調され、マゾヒストな奴には溜まらないと思う。


「依頼人の山本さんは『自分が死ぬまでこの恋は終わらない』なんて言ってる。とにかくちゃんと調査して。報告内容の取捨選択は私がする」

「わかった、わかった。……しかし仲谷椛の調査ねぇ。そもそもあの子は殿方に関心なんてないと思うけどなあ」


 すると太陽がしたり顔で口を開いた。


「僕はあると思うなぁ。男子禁制の日常なんて言われてるけどさ、お父上とお風呂に入ったことくらいはあるよ、きっと」


 お父上とのお風呂はさておき、確かに異性との関わりを完全に遮断しているわけでもなさそうだ。依頼主の山本とも少しは関わりがあったのだ。

 それに……


「俺さ、実は仲谷椛とは以前にちょっとだけ話したことがあるんだよ」


 そう、俺自身彼女と話をしたことがあった。とはいえ一年以上も前のことだし、大した交流でもなかったのだが。


「へぇ、それはびっくり。どういったコネクション?」


 太陽は眼鏡を持ち上げ、いかにも意外そうに言った。


「爺ちゃんに連れてってもらったパーティで。あっちは覚えてないと思うけどな」

「……ふうん。まぁ調査対象が身近にいるのは楽でいいねぇ。あちらさんが本当に覚えていなければ、だけど」


 その言葉を受け、俺は不満げに唇を突き出す。


「俺はそうは思わない。公私混同したくない。爺ちゃんが大金はたいて入れてくれた学校だぜ、ここでは純粋に勉学と向き合いたいんだ俺は」

「僕は学生のくせに副業してる心が悪いと思うなぁ」

「うっさい、それはそれだ」


 そもそも仲谷椛は調査対象としてはやっかいだ。

 なにせ異性との関わりを制限されたお嬢様である。過保護な家庭環境なのか知らないが、尾行にせよ接触にせよ、こちらが男というだけでリスクが付きまとう。唯一女性の優吏は調査員ではないので、デジタルな調査ならまだしもアナログな調査は管轄外だ。カウンセラーとしてはともかく、調査員となるとコミュニケーション能力にひどく偏りがあるので致し方ない。


 何と言っても根がドS女だからな……なんて考えながら優吏を見ると、サディスティックな視線が俺を睨みつけていた。


「ほら、さっさと方針決めなさいよ」


 思わず防御態勢をとってしまう俺。


「はいはい女王様、分かってるって」


 腕を組み、思索に耽る。俺たちの目的は依頼人の恋愛感情を無くすことであって、探偵調査はその手段に過ぎない。


 そもそも「片想い成仏委員会」は探偵事務所ではなかった。

 元々は恋煩いに苦しむ人々の相談に乗る駆け込み寺のようなもので、俺は役立つ情報を集めるべく恋愛心理学や精神医学の本なんかをよく読んでいた。ところがある相談者に「好きな相手の調査をしてほしい」と請われ、関係者に聞き込みをすることになった。すると「恋愛対象としては気持ち悪い」だとか「付きまとわれて困っている」なんていう想い人の本音が透けて見えた。それを相談者に報告したところ「諦めがついた」というので驚いた。


 ──ネガティブな情報が片想いの呪縛を解くきっかけになったわけだ。

 それから俺たちの探偵ごっこが始まり、やがて名称も「片想い成仏委員会・探偵事務局」に改名をした。つまり、その土台はやはり駆け込み寺なのだ。


「……やっぱり本格的な調査はまだしない」


 そう告げると太陽が小首を傾げた。


「うぅん、でも依頼主が頑固そうだからね。合宿所に入るのを希望してるんだよね?」


 その疑問に優吏が頷き、咎めるような視線を俺に向ける。


「そう、山本さんは追い詰められてる。そんな悠長に構えてていいわけ?」


 俺は小さくため息を吐いた。


「カウンセラーの意見とは思えないな。まだ初回の面談を終えただけだろ」

「カウンセラーだからこそ分かることがあるの。世の中には繊細な人だっているのよ。あんたみたいに鈍感な人だけじゃないんだから」

「……むっ、俺だって人並みに悩んでるんだぞ」

「とにかく山本さんとの対話には違和感があった。……妙に鬼気迫るっていうか」


 言いながら、優吏は顎に指をやり顔を俯ける。その表情はいかにも憂わしげだ。

 優吏は根が優しすぎるせいか、依頼人に情を移してしまうようなところがある。それはカウンセラーとしてはタブーだし、本人もよくないと自覚はしていると思うが。

 ……俺に対してはいつだって冷酷なくせに、と胸中突っ込まずにはいられない。


「何もしないわけじゃないから安心しろって。当たりさわりなく動くってだけだから」

「具体的にはどうすんのよ」


 背もたれに体を預け、腕組みをして考える。

 

「……やっぱり仲谷は男に興味ないと思うんだよ。じゃないと思春期の女の子が男子禁制なんて日常のルール受け入れないだろ。その根拠になりそうな情報を幾つか集めて報告書にするから、まずはそれを対話のきっかけにしよう」

 

 優吏はううん、と唸った。


「……分かったけど。でも、とにかく急いでよね」


 続けて太陽が口を開く。


「情報集めは心がやるんだね。僕らはどう動く?」

「体力馬鹿の太陽は待機。優吏はまあ、仲谷のSNSでも探っといてくれよ」


 太陽はわざとらしく両手を広げてみせると「はい、了解」と言った。優吏はまだ納得しきれていないようだったが、やがてため息を吐くと教室を出て行った。

 もう一度くらい絡まれると思っていた俺は安堵のため息を吐いた。

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