File09・恋愛否認
俺は恋愛が嫌いだ。
だから、ソレに関わらないように過ごしてきた。こころも身体も子供ではないけれど大人にもなりきれない、そうした思春期の最中にあって、恋愛に関する俺の価値観は大多数の感覚から明らかにズレていた。
きっかけは両親だ。
父と母は町内でも評判のおしどり夫婦で、俺はそんな両親を誇りに思っていた。
父は誠実を絵に描いたような人で、人道的で正義感の強い弁護士だった。一方の母は子供のように純真な人で、誰からも慕われる小学校の教員だった。
二人はこころから好きあっていた。パートナーを誰より愛し、誰より尊重していた。
俺も幸福だと胸を張って言えるくらいに愛されていたけど、それでも嫉妬心を抱くくらい父と母は仲睦まじい夫婦だった。
どこよりも温かな家庭で、俺はいつだって家に帰るのが楽しみだった。
ところがある日、異変が起きた。
母が担任を務めるクラスの児童の怪我をきっかけに、保護者とトラブルが発生。それが長々と尾を引き、学校全体を巻き込む大問題に発展した。
児童はその怪我で下半身不随になってしまったという。休み時間に友達同士でふざけあっていたはずみに、三階にある教室の窓から転落したのだ。
クラス担任である母は当時、その教室にいなかった。けれど児童の保護者は、監督不行届であると母を糾弾した。予期せず大切な子供が障害を負ってしまい、その苦しみの矛先をどこかに向けなければやりきれなかったのだろう。
客観的に見れば母に非があるとはとても思えない。教師は児童のもとに四六時中いられるわけではない。目の前にいない子供の安全を、どうやって守れたというのか。
けれど当事者というのはそう割り切れるものでもないらしい。児童の保護者に詰め寄られるうち、母は自分を責めるようになった。そうして精神的に追い込まれていった。
責任感の強い教師であった母は、同時に純真で、あまりに繊細すぎる人だった。
その母を支えるべきパートナーであった父は、そんな時に限って難案件を幾つも抱え込んで忙しく、まともに家に帰ってくることもなかった。
やがて、すっかり憔悴しきった母は同僚の若い体育教師に付け込まれ──そのままフワリと流されるように肉体関係を持った。
どこにでもありそうな不倫話かもしれない。
──けれど父は、それをきっかけに裏返った。
正義感が強いからこそ許せなかったのだろうか。俺にとってヒーローだった父は、母の浮気を境に、その人格をくるりと入れ替えてしまった。
初めのうちは気付かなかった。表面上はいつもの父だったし、母を許そうと努力しているようにも見えた。家庭を顧みなかった自分を責める気持ちもあっただろう。
それでも──おそらくは最愛の人に裏切られてしまった時点で、表は裏に、白は黒に、外は内に、くるりと裏返ってしまったのだ。
あれだけ仲睦まじかった父と母が日々いさかい合うようになり、俺はそれがすごく辛くて、どうしようもなく切なくて、どうにか昔みたいに仲良くしてもらえるよう、毎晩祈ってから眠るようになった。
息苦しいその日々はしばらく続いた。けれど日が過ぎるうち、父と母の揉めごとは徐々に少なくなっているようにも感じられた。毎晩の祈りが届いているのかもしれない、このままいけば元の温かな家庭を取り戻せるかもしれない──そんなふうに思った矢先のことだ。
父が、母を殺した。
今からおよそ三年前、俺が中学二年の時だ。雨がしつこくジメジメした梅雨の季節だった。
父がそんなことをした理由は未だによく分かっていない。見た目にはかつての二人に戻りつつあっても、その内にはずっと憎悪を秘めていたのだろうか。
けれど真相なんて知らないままでよくて、むしろ絶対に知りたくなんかなくて、俺はあらゆることに耳を塞いで過ごすようになった。
自慢だった父と母を、こうも変えてしまう感情──
恋愛感情というものが、ただただ不気味に感じられた。
俺は両親を失いながら、一滴の涙も流してはいない。爺ちゃんに引き取られてから今日この日まで、ずっと。
──それからも日常は続き、色気づいた学友が誰々が好きだと騒ぎだすようになり、デートやら告白やらで一喜一憂し、恋人ができればキスだなんだと浮かれるようになった。
俺はそういう恋バナに口を合わせるフリをしていたけれど、それもいつしか苦痛になり、徐々に学友から離れて孤立するようになった。
そんな自分が集団生活の場にいることが後ろめたく思えて、そういう自分が恨めしくもあって、恋愛というものにますます嫌悪感を募らせていった。
その一方、どうしても関心をもたずにはいられなかった。
あの誠実な父が、最愛の母を殺してしまうほどの感情。そうした人間の繁殖機能。
そいつはいったい、何なんだ。
俺は両親を──すべてを失った理由を、問いかけずにはいられなかった。
それから俺は恋愛に関する本を読み漁るようになり、そして知識が増えるほど、何のためにある感情なのかという疑問を強くしていった。
そうやって俺は、「恋愛」というものの知識を掻き集めることにどんどんのめり込んでいった。
──けれど求める答えは、どこにも載っていなかった。




