File07・追懐の日②
外国人男性はまるで軍人のような出で立ちをしていた。
外国人名で客室をとっていたのは彼らだろう。つまりは流鏑馬志信の関係者ということになる。こうなってはホテルスタッフという隠れ蓑も意味をなさない。
俺は特別フロアの廊下をエレベーターに向かって歩いていた。あの後すぐ捕らえられた山本も一緒に、揃って外国人男性に連行されている。
こいつらは雇われのボディガードか何かだろうか。いかにも無駄のない、筋肉質な体つきをしている。こちらも筋肉バカである太陽がいればチャンスもあったかもしれないが、俺みたいな軟弱な学生では到底太刀打ちできそうもない。
ちらりと横を見れば、青ざめた山本が大きな体を小刻みに震わせていた。
「どこに行くんですか……?」
震える体から震える声が発せられる。しかし外国人たちはジロリ、と睨みつけるだけで返答はない。そもそも日本語を理解できていないようだった。
こんな厳つい兵隊のような外国人まで使うだなんて、仲谷家と流鏑馬はいったい何を企てているのか。俺たちはどうやらとんでもないことに関わってしまったようだ。
ふと、優吏のことが脳裏に浮かんだ。……無事でいるだろうか。
事務所でメッセージを受け取って以来連絡は来ていない。当時は優吏の余裕ある態度に安心したものだが、あれがもし演技だったとしたら──本当は危機的状況にあって、俺たちを安心させるために余裕を装っていたとしたら。
傍らを歩く山本を見やる。服にこびり付いた血糊が生々しかった。
──もし、優吏が暴力を振るわれていたら?
思考の刹那、全身が粟立つ。
そうだ、俺は何をやっているんだ。このまま従ってなんていられない。優吏を助けてやらなくちゃ──
反骨心が俺の頭をもたげる。
慎重に周囲を見渡し、十メートル程先にピクトグラムを見つけた。非常階段の位置を示すものだ。
山本に目顔で合図を送り、非常階段の存在をそれとなく知らせおく。山本も気付いたようだった。
そして、そのピクトグラムの真横を通り過ぎる瞬間。
「うわああああああ!」
俺は思い切りよく叫んだ。
何事かと外国人二人が睨みつけてくる。一人は威嚇するようにナイフを突き出した。刹那、俺はバチンと両手を合わせる。
「There was a mosquito……蚊がいました」
そう言ってもう一度、外国人の眼前で手を打ってみせる。さらにもう一度。
俺の突飛な言動に外国人たちが眉をひそめた。その一瞬の隙を見逃さず、俺は眼前の外国人目掛けて拳を強振する。極力顎の先端を掠めるように──目一杯の力を込めて。
次の瞬間、外国人がナイフを床に落とし、こめかみを押さえて膝をついた。
――上手くいった。今こそ逃げるチャンス。
「Kiss my ass!」
わざと悪しざまに喚き、俺はその場を走り去る。ちなみに「俺の尻にキスをしろ」という下衆い意味のスラングである。覚えておいてよかった。
殴った方の外国人男性はしゃがみ込んでいるが、もう片方の外国人は激怒、顔面を真っ赤にして追いかけてくる。その肩越し──山本が非常階段の扉を押して入り、逃げていくのが見えた。よし、狙い通りだ。
ここまでは上出来。それもこれも太陽から教わった格闘術のおかげだ。脳がグワングワンに揺れて立ち上がれなくなる、顎への打撃。
後は俺が逃げるだけ。軟弱だが逃げ足には自信がある。
「Kiss! my! ass!」
ひたすらに煽りながら廊下をひた走る。エレベーター前を通り過ぎた。さすがに搭乗するような余裕はない。その他、階層を移動する手段は先程の非常階段のみ。
となれば、もちろん――
「行き止まりか……」
行く手の廊下が途切れ、壁に突き当たった。逃げ込める客室がないか見繕ってみるも、しかし部屋に籠もったところで袋の鼠である。
果たして怒りの形相をした外国人が迫りくる。
――ならば。
俺は咄嗟に中指を立てると、全力で叫んだ。
「ファック! ファック!」
国によっては絶対やってはいけない煽り。案の定、怒り心頭に発した外国人男性はグオオと雄叫びをあげ、獲物に喰らいつく猛獣のごとく駆け寄ってくる。
対する俺はグッと足に力を込め、その場から駆け出した。逃げるのではなく、猛獣の迫る正面に向かって全力で走る。正面衝突が避けられない、そういう勢いで。
果たして衝突する寸前、外国人男性が走る速度を落とした。
俺は勢いそのまま、外国人の足元を確認するとスライディングで床へと滑り込む。巨体である外国人男性の広い股を潜り抜け、背後に出ることに成功。そのまま滑り込んだ推進力を活用して起き上がり、また走り出す。俺にとっては上出来すぎるアクションだ。
外国人男性はUターンに手間取っている。俺はひたすら走る。必死で走る。走る、走る。
非常階段は先の角を曲がってすぐ。このまま行けば――
逃げられる。そう思って僅かに気が緩んだその瞬間。
突如顔面に激しい衝撃、身体がふわりと宙に浮いた。視界がグルングルンとアクロバティックに回転する。
気付けば俺は仰向けに倒れ、天井を見つめていた。
「You shall die」
その視界にサバイバルナイフを握りしめた外国人男性がカットイン。さっき俺が殴った方の奴だ。
その顔が青白いのは怒りのせいか、はたまた脳が揺れた影響で具合でも悪いのか。いずれにせよ俺に対する憎悪の念があることに違いはないだろう。
もう少し倒れていてほしかったが、俺のパワーじゃこんなものか……。
程なく追いかけっこをしていた方の外国人男性もやって来た。かなりご立腹のようで、罵詈雑言と思しき外国語をひたすら吐き捨てている。さすがに挑発しすぎたかもしれない。
「ぐふっ」
腹部に鈍痛があり、見上げると鬼の形相をした外国人男性が馬乗りになっていた。
……ゲームオーバーか。すまん太陽、優吏を頼む。
観念して目を閉じる。
次の瞬間、ガコンという音と共に衝撃があった。続いてドム、という打撃音がして床が振動。ぎゃあ、と悲痛な叫び声が廊下に響いた。
ところが──
おかしい、まるで痛くない。
おそるおそる瞼を開くと、誰かが俺を見下ろしている。外国人男性ではなかった。どこか見覚えのある顔──
白シャツに黒のベスト、黒のハーフパンツ。黒のネクタイに黒の革手袋。肩先にかかるくらいの黒髪。腰のくびれからして、女性のようだった。
「……あんた、誰?」
訊ねると、女性はスンとした顔で言った。
「あなたの知らない世界の住人です。小湊心さん」
言いながら女性はため息を吐く。
「……こんな無茶をする人なのね。認識を改めないと」
その声音でようやく正体が分かった。
「おまえ、山吹……おさげ眼鏡か?」
そのあだ名の面影なく、髪はバッサリと切られ、眼鏡もなく裸眼である。俺の知る山吹幸子ではない。とても高校生とは思えない、やけに大人びた表情をしていた。
「……そのカジノディーラーみたいな恰好はなんなんだ」
とりあえずその服装を突っ込みながら上半身を起こす。
頭を打ったらしく、後頭部にズキンと鈍い痛みが走った。どうにか首を動かして辺りを確認、そして俺は、へっ、と素っ頓狂な声を発していた──屈強な外国人男性二人が、床に倒れ伏している。
その直上、山吹が不服そうに眉をひそめていた。
「カジノディーラー? 失礼ね。一応は私の正装なのだけれど」
「……この外国人たち、お前がやったのか?」
「そうね。だからまずは私にお礼を述べるのが筋だと思わない?」
俺は目を丸くして山吹を見上げる。
「た、助かりました。ありがとう……」
あの乱暴な金髪野郎の妹だし、もしやと思ってはいたが……こいつも腕っぷしが強いのか。
「きみたち姉妹ってほんと何者なの」
山吹は白目を剥いた外国人男性を足蹴にしながら口を開く。
「こいつらと同じ、傭兵よ。もっとも、私たち姉妹は椛さま専属だけれど」
それから俺へと手を差し出した。
「新手が来る前に私と来て。特別にあなたを匿ってあげるから」




