File02・依頼
仕事を終えた解放感から伸びをしていると傍らの太陽が盛大なため息を吐いた。
「いつものことながら後味悪いよねぇ。彼女、立ち直れるかなぁ。心的外傷ストレス障害とかにならないといいけど」
「まあ大丈夫だろ。なったらなったで仕方がない。それが俺たちのやり方だ」
――あなたの片想い、終わらせます。
この俺、小湊心は高校生ながらに探偵業を営んでいる。その名も「片想い成仏委員会・探偵事務局」。活動内容は依頼人の無益な恋を終わらせることで、公式のSNSアカウントやYouTubeチャンネルもある。
まだ学生という若輩者でありながら探偵業、それも恋愛という人類の普遍的なテーマを取り扱っているわけで、経験豊富な社会人の方々からすれば片腹痛し、といったところであろう。
だが「あなただって本当は目を覚ましたいだろ?」なんて独自の恋愛観を偉そうに語った宣伝動画を配信したところ、思いのほか問い合わせがあった。
とはいえ当初はろくでもない問い合わせばかりだった。面白半分の冷やかしだったりスパム的なアレだったり。それでも中には真面目な相談も幾つかあって、誰にも相談できずに片思いに苦しんでいる人間がそれなりにいることが分かった。
愛憎だとか恋煩い的な苦しみから救ってくれる機関なんて存在しない。せいぜいが電話相談窓口や心理カウンセリングくらいのものだが、そんなものは気休めに過ぎず、友人のアドバイスや胡散臭い見出しの恋愛本と比べても大差がないだろう。つまりは真の解決に繋がることはない。
結局のところは時間に解決してもらうか、はたまた新しい恋に巡り合って救われるか──あるいは出家でもして悟りを開き、煩悩の完全消滅でも志すか。
しかし幾ばくかの人間はついぞ解決には至らず、犯罪に手を染めたり、自ら命を絶ってしまうような者すらいる。
「ショック療法みたいなやり方も世の中には必要なんだよ」
「鍵垢でもなければSNSで相手の日常も丸見えだもんね。……それって毒でもあるよねぇ、情報を遮断できないぶん恋の呪縛も解けにくい」
「そっ、片想い脱却のヒントは客観性だからな。時間経過とか新しい恋とか言うけれど、それも客観性を得られるからこそ薬になるわけで」
今日の営業が終わり、俺たちは閉店後の清掃業務を行っていた。事務所を清潔に保つのも大切な仕事の一つだ。
モップを手に突っ立ったままの太陽がはぁ、とおもむろにため息をつき、
「……さっさと新しい恋でもすればいいのにって、ついつい思っちゃう」
と、割り切れない思いを口にした。
俺は頷き、ため息交じりに口を開く。
「まあそうだな。でも次から次にポンポン恋ができたら誰も苦労はしないよ」
「そういうものかなぁ。恋愛経験が少ない僕にはよく分からないなぁ……」
その発言には少しイラっとした。太陽は虚弱そうな色白眼鏡だが、一方で女子ウケのいいルックスでもあるらしく、女子にはめっぽうモテている。
「おい太陽、うだうだ言ってないでさっさとモップがけやれって」
「はぁ……晴れて社会人になったら、もっとこう幸せな笑顔に満ち溢れた仕事をしよ~っと」
俺たちの探偵事務所は「片想い成仏委員会」という名称からも分かるように、探偵所でありながら恋愛絡みの苦しみから解放することに特化している。おままごとなんて揶揄されることもあるが、格安の費用ということもあって気軽に相談してくる依頼人も多く、まあそれなりに成り立ってはいる。
ちなみに探偵業届出もちゃんと提出している。未成年のため優吏の父親に法定代理人になってもらう必要はあったが、学生にも探偵ができる時代なのである。
「心は仕方ないって言うけどさぁ、精神疾患に繋がるようなストレスを顧客に与える仕事なんて、やっぱりあんまりいいものではないと思うなぁ……」
太陽はモップがけをしながら延々文句を垂れている。
かくいう俺も良心の呵責がないわけでもないが、依頼を全うするためなれば割り切って然るべきだ。
──「心理的・精神的ダメージを覚悟の上でご依頼ください」。
これはすべての依頼人に対し伝えている注意事項であり、それを記した契約書には必ずサインをもらっている。
金を払ってでも解決したい恋愛、つまりはそうまで思い悩む依頼人に対して、最も残酷な現実を突きつけることになるからだ。調査報告でショックを受けてぷっつんする依頼人も少なくない。
俺たちは調査対象、つまり依頼人の想い人を徹底的に調べ上げる。家柄や人間関係はもちろん、趣味嗜好も含めた人間性や心理傾向、その時々の心模様まで調べては報告することがある。それもすべては「依頼人の恋愛感情を消滅させるため」であって、その結果トラウマが植えつけられようとPTSDになろうとそれは自己責任という前提で契約してもらう。
ありていに事実を伝えることが片想いを成仏させる最も有効な手段だからだ。
「よし、今日はこんなもんだろ」
あらかた掃除を終えて清掃用具を片付けていると、カランコロンと音が鳴った。事務所にドアベルが付いているのは純喫茶だった頃の名残だ。
「……お疲れのところ悪いんだけど」
見れば依頼人の見送りをした優吏が、カフェ照明に照らされた白い顔をこちらに向けていた。
その背後に大柄な男性が見え隠れしている。
「新しい依頼人。どうしても今日中に相談したいそうよ」
優吏の脇からのっそりと現れたその依頼人は、恭しく礼をしてみせた。いかつい体格に似つかわしくない地味な顔をした男だった。
──俺たちはこの新しい依頼に驚かされることとなる。
男性の想い人が俺たちと同じ学校の生徒であり、この界隈では有名なお嬢様でもある仲谷椛だったからだ。
彼女への想いをこじらせる奴なんていない。恋に溺れる前に現実を知って我に返る。『ローマの休日』じゃあるまいし、分不相応な恋愛なんてこの現実には存在するはずもない。それは一種の原則といってもいい。
しかし俺たちは知ることになる。
今日訪れた依頼人が仲谷椛に異様なまでの執着を示し、そしてそれが俺たちの運命までも巻き込んでいくことになると──。