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蚊らくり彼女  作者: ようへい
四章 片想う
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File04・潜入

 作戦決行日の前夜。俺は仲谷のことを考えていた。


 慰労会のあの夜に彼女と話をしてから、その存在は俺の中で確実に変わっている。

 その家柄と美貌で有名な少女。俺は傍観者の一人として他所から彼女を見るだけだった──しかし今、その彼女は俺にとって重要な何かへと変化しはじめている。


 ――彼女の言う、俺が忘れている何か。


 それが何なのか未だに分からなかった。けれどおぼろげながら、その輪郭が徐々に浮かび上がってきたような気がしている。彼女を思うと懐かしく、同時に心を掻き乱されるような感覚があった。

 慰労会を終えてからは優吏のことで頭がいっぱいで、昨今は救出作戦の計画に没頭していた。だから、「その特別な感情」をどうにか誤魔化すことができていた。


 優吏を救出した後、俺はどうするのだろう。

 仲谷を取り巻く環境は想像以上にスケールが大きい。俺のような学生が関わることじゃない。仲間の安全が確保できたらこの件からは手を引くべきだ──そう考えるのが妥当だ。だが本能は、また別の訴えを俺に呼びかける。


 仲谷椛が誰なのか知りたい。忘れている何かを取り戻したい──


 ──気付けばカーテンの隙間から朝の光が差し込んでいた。



「しんしん、ばり眠そうに見えるっちゃけど」

「え、そんな顔に出ちゃってる?」

「うん、どよ~んとしとう。目の下のくまもすごか。一応はスタッフなんやけん、シャキッとしてよね。うちが恥かくじゃん」

「分かった、気合い入れる。先輩に恥をかかせるわけにはいかない」


 八月二十二日の朝。俺はしずくの車で現地へと向かっていた。

 仲谷家主催のパーティが行われるのは大手ホテル。俺はそこで新人スタッフとして働くことになっている。……といっても単なる派遣バイトであり、臨時のバンケットスタッフとして飲食サービスを提供するだけの役割だ。

 一方しずくはベッドメイキングを行うハウスキーピングとして既に一週間前からホテルで働いている。そして今日催されるパーティの臨時スタッフ募集に際し、俺を派遣会社に紹介したという流れである──そう、今回の作戦はしずくにも手伝ってもらうことにしたのだ。

 人手が要る作戦なので単純に助かるというのもあるが、しずくがまだうちの事務所の人間じゃないことが大きかった。いわば隠れ蓑のようなもので、しずくを介して潜入すれば相手に気付かれにくいだろうと考えたのだ。


 そんなこんなで現地に到着、フォーマルな制服に袖を通し、しずくに伴われて現場の責任者に挨拶を済ませて会場へと向かう。

 立食形式のパーティらしく、俺はスタッフの一員として料理に飲料、食器にグラス、さまざまなものを運んでは並べていく。そうしているうち徐々に出席者らしい人間が会場に集まってきた。


「高柳くん、ちょっといい?」


 黙々と会場設営に勤しんでいると、ふいにしずくに袖を引かれた。ちなみに「高柳」とは派遣スタッフとしての俺の偽名である。

 伴われるまま宴会ロビーから間近の駐車場に出ると車の陰へと入る。

 そこでしずくはポケットを探り、じゃらりと鍵を取り出し俺へと差し出した。


「これ、鍵。リストは宴会クロークの棚に移動させてあるけん」


 鍵はフロアマスターキーで、リストは宿泊者名簿のことである。このホテルの調査にあたり事前に用意を頼んでおいたものだ。


「鍵はなるたけ早う返して。うちが持っとらんってフロントの人にバレたら、マジでやばい」


 ハウスキーピングを担当するしずくだからこそ手に入るアイテムである。

 俺はマスターキーを受け取ると礼を述べた。


「助かったよ、すぐ行動に移る。とりあえずパーティが始まる前に会場に戻っておこう。しずくは後はもう目立たないよう、ホテルの仕事をしててくれればそれでいいから」

「うん、わかった。けど他にも手伝えることがあったら言うて」


 頷いて返し、パーティが行われる宴会ロビーへと踵を返す。

 会場の入口に差し掛かると賑やかな拍手が聞こえてきた。中を覗き見れば、パーティの参会者たちが壇上に注目している。パーティのホストが挨拶スピーチをしているようだ。

 俺は会場に入ると他のスタッフに倣い、壁際で待機姿勢をとった。マイクを通じて貫禄ある低い声が場内に響き渡っている。


『憂うべきは我々の進化を妨げる人種だ。彼らの思想はさまざまだが、新しい存在に対して否定的、また強硬的であるという共通項がある』


 そのマイクを握るのは見覚えのある男──流鏑馬志信である。

 いかにも正装といったモーニングコートを着用し、胸元には鈍く黒光りするブラックタイ、ウェーブのかかった黒髪はオールバックに撫でつけてある。夕闇を飛び交う野生の蝙蝠を彷彿とさせた。

 流鏑馬は聴衆に向け、整った顎ひげをときおり触りながら語りかけるように演説をしている。


『彼らが進化を受け入れられないのは、高慢なこころが邪魔をして新たな存在の威光を認められないからだ。人というのは自身の認知に矛盾が生じると不快感を覚える。そしてそれを解消すべく認知を歪めてしまうことがある』


 小難しく漠然とした内容の演説だ。

 しかしパーティの参会者たちは誰もが畏敬の念を浮かべている。彼らにとっては共感できる話のようだった。


『我々は動物とは違う。知恵と知能を獲得した人という生物であるからこそ、より理性的であるべきだ。動物のように好き勝手に交尾をしたりはしない。殺したいほど憎い奴がいても一部の犯罪者以外は殺すこともしない。そうした蛮行を罰する法が作られたのも我々人間という種に理性があったからだ』


 流鏑馬は銀縁眼鏡をクイと持ち上げ、言葉を継ぐ。


『……だが、それでも人は過ちを繰り返す。それは動物にも劣る、汚点ともいうべき欠陥があるからに他ならない』


 会場がしんと静まり返る。マイクの残響音が不穏なまでにこだました。


『それは"感情"である』


 そのひと言が合図であるかのように、会場が騒然としはじめた。参会者たちはしきりに頷き合い、隣の人と何事かを囁き合っている。

 その光景に流鏑馬は満足げな笑みを浮かべると、咳払いを一つ挟んで場を鎮めた。


『人間以外の動物が恋をするか、という議論がある。だが動物が恋だの愛だのと一喜一憂するはずもない。それでは各個体の繁殖率に乱れが生じ、現在に至るまでの生態系など築けてはいないだろう』


 言いながら首を小さく横に振る。


『つまり感情などというものは邪魔でしかない、ということだ。そう、我々人類にはさらなる進化が必要である。そうは思いませんか、皆さん』


 刹那、どっ、と会場が沸き立った。

 拍手喝采が飛び交い、さまざまな声が遠く近くで交錯する。その最中、スピーチが続けられる。


『我々人類は今、分岐点に立たされている。生物が自立進化するには情報構造を自ら変化させねばならない。大切なのはそれに見合った犠牲が必要だと、我々自身が理解することである。つまりは人という概念を変える、その覚悟をするということだ』


 何やら荒唐無稽な演説を耳にしつつ、俺はにわかに立ち眩みを覚えていた。

 呼吸が浅くなり、頭がクラクラと揺れる──同時に視界が昏く沈んでいった。


『知的生命体である我々の出現が必然であったように――』


 マイクの音声がぐにゃりと歪む。それが反響して遠のき、やがて入れ替わるように別の声が頭の内に響いた。




 ――私ね、人じゃなくなっちゃうかもしれないの




 ……少女の声。それもひどく懐かしい声だ。


「しんしん顔色悪かよ、大丈夫?」


 視界は徐々に明るさを取り戻し、気付けばこちらを心配そうに覗き込むしずくの顔があった。


「……ああ、悪い。立ち眩み。……寝不足のせいかな」


 戸惑いながらも慌てて返事をする。

 しずくはそんな俺を訝しく思ったようだが、壇上へと視線を戻すと、


「大丈夫ならよかっちゃけど。それよりあれ見て、あん人の後ろに座っとう人」


 ひそひそ声で言った。その視線の先に、俺は思わずあっ、と声を上げる。

 流鏑馬の後ろ──関係者らしい人々の中に、山本の姿があった。


「山本鹿人……! よかった、無事だったか」


 思わずまた声を上げてしまい、慌てて口を塞ぐ。するとちょうどスピーチが終わったらしく、聴衆たちから盛大な拍手が湧き上がった。

 応えるように流鏑馬が片手を上げ、壇上を降りる。それを見送った司会進行役らしい男性がマイクを持ち、参会者に歓談を促した。

 杯を交わす音が聞こえ、会場全体が賑わい始める。


「しんしん、今やったら」


 しずくが言った。

 俺は頷いて返し、深く息を吐いた。今はとにかく優吏と山本を助けることが先決だ。


「よし、行動開始だ」

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