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蚊らくり彼女  作者: ようへい
三章 蚊らくりの少女
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File10・後悔

 翌日。早々に引き上げることを決めた俺たちは、朝のうちから車を走らせ地元へと向かった。


 あれから山吹は眠っている月麦を引き取るとさっさと宿を引き払い、夜のうちにはいなくなってしまった。部屋でただ待ち惚けていた太陽としずくは、状況を理解できないまま月麦たちを見送ることとなった。


 一方の俺も、瀬崎がここに来た経緯も知らなければ、結局中条が何者だったのかも分からずにいる。一連の騒動の当事者でありながら傍観者みたいな心持ちだった。

 ただ、気を失っていた仲谷が怪我もなく無事らしいことだけは、山吹が教えてくれた。


 昨晩、太陽としずくに事情をしつこく聞かれたが、疲れ切っていたのでその日はさっさと眠り、翌朝になってから事の顛末を説明した。それからは改めて遊ぶ気にもなれず、すぐに帰ることを決めた。


「……あん先生、死んでしもうたと?」


 無言の車内でふと呟いたしずくの、翳りあるその横顔が頭から離れない。

 宿のオーナーいわく中条の件は海浜事故として扱われるとのことで、今後は警察による捜索が行われるらしい。しずくの慰労会だったのに何とも後味の悪い結末となってしまった。

 しずくの精神面が心配だったので、またしばらく合宿所で過ごしてはどうかと提案したが、「大丈夫だから」と断られた。

 ──ともあれ、しずくには申し訳ないことをしてしまったと思う。


 そうこうしているうち地元に帰り着き、俺と太陽は礼を言ってしずくの車を降りると、その足で事務所に向かった。


「あれ、珍しいね。まだ来てないみたいだよ」


 優吏に顔を見せたかったのだが、事務所は無人でひっそりとしていた。

 時刻を見ればとうに昼を回っている。優吏は祝日でも必ず午前中には来ているが、今日はその姿がどこにも見当たらない。


「昼には帰るって連絡したんだよな。返事はあったのか?」


 訊ねると、太陽は改めてスマホを確認した。


「……僕のところにはきてない。心はどう?」

「俺もきてない。疲れて寝てるのかもしれないな」


 昨晩温泉宿で通話をした時、優吏はまだ仕事をしているようだった。もしかすると朝方まで作業していたのかもしれない。

 今日はこのまま休ませてあげよう、と思った。優吏と顔を合わせるのは明日であっても構わない。

 俺は自席に腰かけ、背もたれに目一杯身体を預けた。頭をダランと後方に垂らし天井を見つめる。


 ――正直言って心底疲れた。疲れ果てた。精魂尽き果てた。


 海面に浮かぶ中条の顔が脳裏に焼き付いている。苦しそうにパクパク開かれる口の、その生々しい朱色が忘れられない。その口が語った「その女は人じゃない」という言葉が、頭の中で幾度となく繰り返される。


 ふと仲谷の姿を思い浮かべた。椛、とその名前を呼んだ時、こころの奥底に沈む何かが明滅するような、妙な感覚があった。

 俺が忘れている何か。あともう少しでそれに届く、そんな気がする。


 そう、もしもう一度、彼女に会う機会があるのなら――


「──心」


 ふと、天井を眺める俺の視界に太陽の顔がカットインした。こちらを見下ろすその顔は青白く、瞳は困惑の色を帯びている。

 らしくない面持ちに俺は首を傾げて返す。


「どうした?」

「優吏が……」


 思えば俺の考えはあまりに甘かった。危機感がまるで足りていなかった。

 立ち向かうべき相手の強大さを、守るべき仲間の大切さを──俺は何一つとして分かってはいなかったんだ。


 ──うだるように暑い夏の日の昼下がり。


 俺たちは、優吏がここに帰らないことを知った。

三章はここまでになります。


ここまで読んでくださりありがとうございます。後もう少し、どうか最後までお付き合いください。

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