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蚊らくり彼女  作者: ようへい
三章 蚊らくりの少女
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File07・夜闇

 それから俺はしばらく、宿の周辺をプラプラ歩いていた。


 すぐ館内に戻ってもいいのだが仲谷のことを考えると妙に足取りが重い。彼女を取り巻く謎めいた環境とか、それとなく感じる権力の匂いとか、そういうことを恐れているわけじゃない。

 また別の理由で及び腰になっている──そんな自分をどうにかしたくて、ただ闇雲に歩いていた。


 だがいつまでもこうしてはいられない。

 いい加減戻ろう、と宿に向かった俺は、意外な光景を目の当たりにした。


「山吹……?」


 暗がりに山吹幸子の姿が見えた。どうも宿の外に設えられた喫煙所らしく、スタンド灰皿の横で煙草をくゆらせている。

 それに俺は面食らってしまった。

 山吹が未成年というのもあるにはあるが、何より、優等生然としたおさげ眼鏡が煙草を吸うなんて予想だにできなかったのだ。


 呆然とその姿を眺めていると、俺に気付いた山吹が「しまった」とばかりに煙草の火を揉み消した。どうやら知られたくはなかったらしい。

 なんとも気まずい雰囲気になってしまったので、フォローを入れておくことにする。


「別に吸ってていいけど。誰にも言わないし……」


 すると山吹は「チッ」とあからさまな舌打ちをした。

 ……ますます印象が変わってくるのだが。


「確かに、気をつかう必要なんてなかったわね」


 そう言うと山吹は外箱を手に取ってその上部をトントンとリズミカルに叩き、新しい煙草を器用に取り出した。

 くるりと慣れた手つきでそれを回し、口に咥える。


「で、何か用?」


 ……何故か口調まで変わっているような。


「あれ、ため口って。俺、一応は先輩のような……」


 ジッポライターの蓋が弾かれカキンと小気味いい音を鳴らす。煙草を咥えた山吹はおもむろに火を点け、何の配慮もなく煙を吐き出した。

 副流煙が俺の目と喉に染みる。


「ゲホッ、ゲホッ。……やっぱり仲谷の付き人は柄が悪いんだな」

「柄が悪い?」


 タバコを咥えたまま山吹が蔑むような視線をこちらに寄越す。

 ……あの礼儀正しい模範生のような風情はどこへやら。


「金髪イケメン……きみのお姉さまも乱暴だろ?」

「……? 私は暴力を振るうつもりはないけれど」


 山吹はさも不思議そうに応じた。

 別に今は暴力のことを言っているわけではないのだが、まあそれは置いておく。俺は手をうちわ代わりにして煙を退けながら言葉を続けた。


「それはありがたいね。今日だって仲谷と遭遇したせいでいつ殴られるのかビクビクしっぱなしだ」

「だから言ってるでしょ。姉さんは来てないって」


 どうも瀬崎さえいなければ安全でしょう、と言いたいようだ。


「でも俺を仲谷の周辺から排除しよう、ってのは瀬崎だけの考えじゃないだろ」


 そう素直に口にすると、山吹は訝しげに眉をひそめた。


「……排除? 私たちは厄介者から椛さまをお守りしたいだけ。それはあなただけに限らない。相手が誰であっても同じこと」


 厄介者ときたか。

 こいつらはいったい、何から仲谷を守っているのだろうか。


「有名なお嬢様ともなると敵が多いのか?」


 山吹は煙草の灰をトントンと器用に落としながら俺を睨んだ。


「……勘違いしないでほしいのだけど、私たちは別にあなたと敵対したいわけじゃない。椛さまに近付いてほしくないのは、あなたが椛さまの心を乱すきっかけになるから」


 その言葉に俺は首をひねる。


「だったらなんで同じ宿に泊まってるんだよ? これが偶然なわけがない」


 山吹が煙草を揉み消し、また新しい煙草を咥える。ジッポライターが再び音を響かせた。


「今回のことは私の独断なの」


 紫煙と共に吐き出されたその言葉に、俺はぽかんと口を開ける。そのせいでもろに副流煙を吸い込んでしまった。


「グェヘッ……独断って、ゲヘッ……何のために?」


 咳き込む俺など気にも留めず、山吹は悠々と煙を吸い込みながら説明を続けた。


「椛さまのささやかな願いを叶えてさしあげるため。あの方も一人の女性なの。何もかもを取り上げるのは残酷すぎる」

「ごほっごほっ……取り上げるって、何を?」

「あの方には一切の自由がない。そういう世界もあるわ。あなたみたいに好き勝手に生きている人間ばかりじゃないの」


 ――一切の自由がない。

 だから彼女のささやかな願いを叶えるために旅行を計画した?


 ふと、山本が言っていた「カラクリ」という単語が頭に浮かんだ。


「自由がないってどういう意味だよ。あんたらは仲谷の何なんだ。山本のことも知っているのか?」


 いつの間にか平静さを失っていたらしい俺は捲し立てるように訊ねた。

 それにも山吹は一切表情を変えずただゆったり紫煙をくゆらせている。


「あなたに教える義理もない。……ただ、ここでは椛さまと一緒に過ごしてさしあげてほしい。私は邪魔をしないから」


 ──ふと、言いようのない無力感が胸の奥に落ちていくのを感じた。話を聞けば聞くほど、調べれば調べるほど、彼女の、仲谷椛のナゾが深まっていく。

 自分の無力を痛感してしまう。何もできずにただ時間だけが過ぎていく感覚──過去にもこういうことがあった。自分の力では何も変えられない、そういう出来事が。


「──心くん! こっこちゃん!」


 ふいに甲高い声が響いた。

 ハッとして顔を上げると、太陽が月麦を連れて歩いてくるのが見えた。


「ここにいたんだ、心。何してたのさ、月麦ちゃんと一緒に待ってたんだよ」


 友人のその笑顔で現実に引き戻され、同時に強張った心がホッと解けていく。


「ああ、悪い。ちょっと外の空気吸ってて。そしたら偶然山吹に会って……」


 そう言って山吹を見ると、俺の知る限りでは三本目となる煙草の吸い殻を揉み消していた。

 それに気付いた太陽がギョッと目を丸くする。……やっぱり驚くよな。


「こっこちゃん、月麦もう眠いよぉ」


 一方の月麦は慣れたものなのか、煙草の煙など気にも留めず山吹のもとにテコテコと歩み寄っていった。


「ええ、月麦さん。そろそろお部屋にまいりましょうか」


 さっきまでのアウトロー感はどこへやら、山吹はにこりと温和な笑顔を見せる。


「じゃあ心、僕らも部屋に戻ろうか。しずくちゃんはまだ温泉?」


 太陽がいつもののんびり口調で言った。山吹の煙草については突っ込む気がないらしい。


「多分な。迎えに行ってやるか、中条のことが気になるし」


 そう応じると太陽は不思議そうに首を傾げた。


「え、中条先生?」


 温泉でのやり取りが気にかかっての言葉だったのだが、思えば太陽にはまだそのことを話していなかった。


「……ちょっと気になっててな。しずくにちょっかいでも出されたら困るだろ。しずくは俺たちの客なんだし」

「ええ、あの先生、そんなナンパみたいなことするかなぁ?」

「そうだけど何となく不気味っていうか、やっぱり気になるんだよ。こんな場所で偶然出くわすっていうのが」


 不可解な中条の言葉を思い出す。


 ――彼女はね、子を宿しているんだよ。


 あの教師はどうも様子がおかしい。学校ではろくに話したこともないのに妙に馴れ馴れしいし、会話の内容も要領を得ない。

 何か理由があってここに来ている──そんな気がする。

 それともそれは俺の考えすぎで、遭遇したのは本当に偶然で実は女好きな教師が酔っ払って出鱈目な話をしただけなのか──


「それ、英語教師の中条先生?」


 そう問いかけてきたのは山吹だった。


「……まさか、ここに来ているの?」


 その声音に微かな緊張が滲んでいる。

 俺は頷いて返した。


「俺たちと同じ宿に泊まるみたいだぜ。知らなかったのか」


 すると山吹は顎に手をやり、考え込むように視線を落とした。どこか剣呑とした雰囲気があった。

 その傍らに佇む月麦は眠気が限界らしく、くっきりした二重をしきりに擦っている。それに気付いた山吹がハッとして屈み込み、月麦の小さな肩にそっと手を乗せた。


「お待たせしてすみません。お布団に行きましょうか」

「うん……今日はわたし、心くんと一緒に寝る……」


 想定外な月麦の提案に、山吹がジロリとこちらを睨む。……いやいや、俺は何も言ってないぞ。


「では小湊さん、月麦さんを部屋に連れてってもらえますか?」


 怒られるかと思いきや意外な提案をされた。


「べ、別にいいけど。一緒に寝るなんて無理だぞ、部屋だって別だし」

「ふえ……? 駄目なの? どうして?」


 月麦は無邪気に目を擦り続けている。

 山吹はそんな月麦の頭を優しく撫でると、すっくと立ちあがった。


「ではお部屋にお連れするだけでも。私もすぐに戻りますので」


 そう言って月麦を俺の方へと寄こす。


「こっこちゃんは? どこに行くの?」

「少し確認したいことがありまして。椛さまもお部屋に居ますので、先に休んでいてください」


 それに月麦はこくりと頷いた。


「うん、歯磨いてから寝る……。椛ちゃんにも歯磨きするように、ちゃんと言っておくから」

「フフッ……ええ、いい子ですね」


 山吹はそう微笑みかけると俺に目配せをし、くるりと背を向けて宿の敷地から出ていった。

 何を確認するのかは分からないが、中条のことが関係しているのだろう。やはりあの教師にも何かありそうだ。


 ……とはいえ今はこのお姫様をベッドにお連れすることが先決だ。

 ウトウトと微睡んで今にも倒れてしまいそうな月麦の手を、俺はそっと握る。


「それじゃ行くか。仲谷が心配しているかもしれない」


 ──ふと、さざ波の音が聴こえた。


 灯りの少ない田舎の観光地は夜闇が深く、波音に目を向けても海の姿を捉えることはできない。

 俺はその闇夜に言いようのない不安を覚えながら、月麦の手を引いて宿の館内に足を踏み入れた。

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