File05・不意の邂逅
「卓球! 温泉といえば卓球!」
宿に戻るなりしずくが声を張り上げた。ウキウキした足取りで俺と太陽を先導するように廊下を歩いていく。
温泉の後は卓球が定番とのことで、スケジュールにしっかり組み込んでいたそうな。
「俺、風呂あがりはのんびり派なんだけど」
せっかく汗を洗い流したのにわざわざ運動してまた汗を流すこともないだろうに。
「……しんしんってさ、ホントは喜寿とか米寿とか迎えとう? 発想が完全にお爺しゃんじゃんね」
「爺さんと思うなら労わってくれ。大体しずくの風呂が長すぎる。待ちくたびれて疲れた、もう休みたい」
「しぇからしかっ。つべこべ言うとらんではよう来て」
もはや問答無用。浴衣の袖を引っぱられ、俺は渋々ついていく。まあ、そもそもしずくの慰労会なのだしある程度の付き合いは仕方がない。
一方の太陽はやる気満々のようで、しずくに引けを取らないテンションで意気揚々と歩を進めている。
しばらく廊下を進むと遊技場らしき広間へとたどり着いた。
広間といってもこじんまりとしたところで、赤絨毯が敷き詰められたスペースに卓球台が二台、それにレトロなゲーム筐体が数台あるのみだ。
けれどしずくを見れば、ますますもってテンションを高くしている。
「リーグ戦! リーグ戦しよ!」
ぶんぶん卓球ラケットを振り回す姿は無邪気なもので、そういう純粋さというか天真爛漫なところはしずくの長所だと思う。
だからこそ恋愛においては危ういとも言えるのだが。
「ま、せっかくの慰労会だし相手してやる。ただし手加減しないぞ」
俺はそう言ってラケットをビシリと突き出した。
「それはこっちのセリフ! うち卓球は得意やけんね!」
声を弾ませて応じるしずく。高音のアニメ声のせいで子供みたいだ。
──するとその時だった。
ふと、しずくの足元にピンポン玉が転がってきた。見ればころころ転がるその玉を、小さな少女が追いかけてきている。
「アアーッ! 待て待てっ! ごめんなさ~い」
ぱっちりした瞳が印象的な少女だった。さらさらストレートの姫カットに華やかな髪飾りが添えられ、童話に登場する小さなお姫様のような風采をしている。
しずくがピンポン玉を拾い上げ、その少女に差し出した。
「はいっ、どうぞ」
それに少女は深々とお辞儀をしてみせた。
「ありがとうございます、とても助かりました」
随分と礼儀正しい少女である。
「小っちゃい~、ちかっぱ可愛い~」
そんな少女にしずくはめろめろのご様子だ。年の割にはしずくも童顔かつ小柄なので、傍から見れば姉妹のように見えなくもない。
そんな二人を微笑ましく眺めていると、ふいに廊下から声が聞こえてきた。
「月麦さん、どちらですか?」
月麦というのはこの子の名前なのだろう。家族連れで旅行に来た宿泊客の娘というところか。
「こっこちゃん、こっちだよ~!」
少女が廊下に向かって手招きをする。
家族というのは温かいものだ。俺にもそんな子供時代があったな、と思わず物思いに耽ってしまう。しかし現れたその来客の姿に、俺はギョッと体を仰け反らせた。
そんな俺に傍らの太陽が耳打ちする。
「……ねぇ、心。さすがにこれは非常事態かもだよ」
──確かにこれは非常事態に違いない。まさかと思ったし、またかとも思った。
遊戯場に姿を現したのは山吹幸子、そしてその後ろには仲谷椛の姿があった。
俺は唖然として、背面のしずくを振り返る。
「……しずく、悪いけど卓球対決は持ち越しだ」
「ほえっ? なして?」
これがどういう状況かは分からない。だがしずくには申し訳ないが、今は彼女と関わるわけにはいかない。俺は仲谷の関係者に警戒されている立場なのだ。
優吏から釘を刺されたように、また彼女に近付けば今度こそしっぺ返しを食らうことになる。行方不明の山本を探している今の状況で、これ以上波風を立てるわけにはいかない──
「……大丈夫ですよ。ただの偶然ですから」
その声に振り向いた俺はまた体を仰け反らせた。今度はうわっ、という悲鳴つきである。
いつの間にか山吹がすぐ目の前に立っていた。
「私たちも旅行でここに来ているだけですので」
山吹は感情の読めない能面顔でこちらを見つめながら、淡々とした口調で言った。
宿泊客らしく浴衣を着込んではいるが、おさげに眼鏡という身なりは学校の時と何ら変わらない。仲谷椛のお目付け役と思しきその女子生徒は、どうやら俺たちが狼狽えていることを察しているようだった。
「姉さんも来ていませんし、あなたを殴るような人はいませんから」
そう言葉が続けられ、俺は首をひねる。
「ね……姉さん?」
「ああ、用務員の瀬崎玲於のことです。私の姉なんですけど、知りませんでしたか」
いけ好かない金髪の顔が思い浮かぶ。そういえば山吹と瀬崎は姉妹なのだと太陽も言っていた。
「……何か企んでるんじゃないか?」
そう正直に口にする。ただの偶然と山吹は言ったが、こんな偶然があってたまるか。
仲谷椛がどんな境遇にあるかは知らないが普通でないことは確かだ。厳重な異性との距離感、学校容認のお目付け役、庭園で会ったスーツの男──。
おそらくは強大な何かが関わっている。となれば彼女を調査する俺は邪魔者でしかないはずだ。ここでの遭遇も何か目的があっての接触と考えて間違いない。
仲谷本人も一緒というのは意外だったが――
「あの、本当に何もしませんので、お気になさらず」
ふいに山吹が言った。ひどく平坦な声色だった。
それからプイと背中を向けて奥の卓球台へと歩いていく。ウンウン考え込む俺たちとは対照的な態度である。
その時ふと仲谷の姿が視界に入り、俺はハッと息を呑んだ──浴衣から覗く白肌がやけに艶めかしい。その視線に気付いてか、彼女は柔和な笑みを浮かべた。
その笑顔に思わず目が釘付けになる──と、肩がポンと叩かれた。次いで視界に太陽がにょきっと顔を覗かせ、
「あちらさんが気にするなって言うんだから、そうさせてもらおうか」
あっけらかんとそう言ってのけた。
俺は抗議の意思を込めた視線を向ける。偶然であるわけがない、罠と考えるのが妥当だ。
しかし太陽は首を横に振った。
「この状況で考えたって仕方ないよ。それに……」
そう言ってチラリと横に視線を移す。
その場には卓球対決の持ち越しを提案されたしずくが口を真一文字に結び、今にも零れ落ちそうな涙をウルウルと瞳に溜めていた。
それに俺は深々とため息を吐く。
「……分かった、分かった、悪かった。やろう卓球対決」
半ばやけくそにそう言って返す。
敵の意図を知るためには避けてばかりいても仕方がない──こうなったらもう、開き直るのも一つの手段だ。




