File02・慰労会
「それはそうとさ。あのお嬢さまに目をかけてもらって少しはときめいた?」
改めて追想に耽っていると、傍らの太陽がニヤニヤしながら問いかけてきた。
「いや、まあ、ときめきっていうわけじゃないけど」
しどろもどろに返事をする俺。
「あれれぇ? あの恋愛嫌いの心がねぇ」
「それとこれとは別だよ。俺だって女の子にドキドキしたりはする。これでも年頃の男子なんだ」
「まあねぇ、お相手があの美貌じゃねぇ」
そんな嬉しそうな太陽の横で、優吏が回転椅子をくるりと回し、振り返った。
「……分かってると思うけど、もう仲谷椛には近付かないでよ」
それに俺は頷いて返す。
「もちろん分かってるよ。これからはむしろ遠ざかるように動くつもり」
仲谷の側近にこうも警戒されてしまえばもう近付くことはできない。無理に接触したところでいいことなんて一つもないだろう。
それに……山本が行方不明になったことも今回の件が関係しているかもしれない。
俺のことをきっかけに依頼主である山本の素性が身バレし、仲谷の関係者に捕らえられた可能性だってあるのだ。
もちろん情報を漏らしてなどいないが──相手はどうやら大所帯だ。その気になれば調査を依頼した人物など簡単に割れてしまうだろう。
そう、すべては目立ちに目立ってしまった俺のせいということである。
「分かってるならいい。しばらくは私に調査を任せること。あんたは裏方に専念してね」
そんな優吏の言葉に、俺はこくりと素直に頷く。
このまま調査を諦めるつもりは毛頭ない。しかしアナログな調査はもう難しい。となれば、優吏を中心としたデジタルな調査に頼るしかないのだ。
とはいえ、俺は俺で最大限出来ることをしたい。
調査中であると相手に知られた時点で探偵としての仕事が一切成り立たないかといえば、そうでもない。できることはまだまだある。
例えば仲谷本人ではなく、彼女を知る人物から聞き込みをする内偵調査がそうだ。それに変装術を用いて本人に接触するといった奥の手もある。
もっとも後者は今の状況ではリスクが高すぎるし、優吏に釘を刺されたばかりなので自重するが──とにかくまだここからが本番ということだ。
そう思い直し、現在の情報をまとめておこうと愛用のシステム手帳を開いたところで、再度ドアベルが鳴った。
「しんしんおると?」
入ってきたのは蛇川しずくだった。山本と同じく合宿所に入寮していた依頼人である。
「あれ、しずくちゃんだぁ。元気そうで何より。筋トレちゃんと続けてる?」
太陽がゆるい感じで迎え入れる。
しずくは笑って「ぼちぼち」と答えると、俺のデスクへと歩み寄ってきた。
「なんだよしずく、何しに来た。まさか恋煩いが再発したとかいうんじゃないだろうな……」
しずくは数日前に合宿所を退所している。もう自宅で過ごしても大丈夫だろう、と俺たちで判断してのことだ。
片想いの呪縛を完全に解くにはまだ時間がかかるだろうが、いつまでも合宿所に住まわせてはおけない。
つまりは合宿を卒業した依頼人であり、しずくの依頼については俺たちの仕事も一段落した、ということになる。
「何しに来たとか言いなしゃんな。少し前までここん住人やったんよ? フラッと来たってよかっちゃろう」
「あのね、俺たちは別件の調査で忙しいの。卒業生に構ってる暇なんてないの」
そう言って俺は再び手帳に視線を落とす。
ところがしずくは俺の言葉を無視するように、ズイ、と顔を近づけてきた。香水の匂いがふわりと鼻孔に漂ってくる。
「別件の調査って、これ居らんくなった山本って人の依頼やろ。……意味なかて思うけど」
手帳を覗き込んだしずくが訝しげに言った。
「おい勝手に見るな、一応機密情報だぞ」
「機密情報ってまた大げさやなぁ。じゃあうちも調査手伝うちゃるけん、ちゃんと見せてよ」
「だめだめだ~め、だ~め!」
俺は子供からおもちゃを取り上げるように手帳を宙に掲げる。
ところが、しずくはなおも手を伸ばし食らいついてきて、束の間その胸元に気を取られてしまった俺は、手帳を見事にぶんどられてしまった。
「ああっ! 返せっ! ていうかなんだその服、胸元空きすぎだろっ!」
しずくはこれ見よがしに手帳を使い、パタパタと胸元に風を送り込んでいる。
「だって暑かもん。このロングワンピゆったりしとってあいらしかやろ。夏に重宝するっちゃんね。しんしん、もしかしてエッチな目で見とったん?」
「ち、違っ……たまたま目が、いやそんなことより手帳返せっ!」
取り返そうと伸ばした俺の手がクルリと躱される。
そうして俺を器用に避けながら手帳の中身を確認したしずくは、やがて不安そうに声を上げた。
「……ねぇ、こん人の依頼って本当にまだ続くるつもりと? 絶対にやめたほうがよかて思う」
俺は強引に手帳を手繰り寄せ、やっとのことで取り返すことに成功した。
「あのな、俺たちは中途半端に依頼を投げ出したりはしないの。依頼主が姿をくらましたら探すのも俺たちの仕事。病んだ人間は何をするか分からないからな」
手帳を奪われたしずくはいかにも不満そうだ。
「う~ん、ていうか関わったらようなか気がするっちゃん。……うち、ここで山本って人と何度かすれ違うて挨拶したっちゃけど、なんかなし変ちゅうか、キモいっちゅうか」
「他の依頼人をキモいとか言うな。それにそんなあやふやな理由で『絶対やめたほうがいい』とか断言するな」
「うちの勘よう当たるけん。うち、しんしんにも優吏ちゃんにも太陽くんにも、危険な目におうてほしくなかもん」
しずくは不貞腐れながらも真剣な面持ちをしていた。
「依頼主が見つかるかどうかも分からんのに、調査だけば続けて……そんなんどげん意味があると?」
その様子に俺は小首を傾げる。
「なんだよらしくないな。心配してくれるのはありがたいけど、他の依頼にそんな口出すような奴だったっけ」
すると優吏がまたくるりと振り向き、その口を開いた。
「蛇川さんありがとう。でも私たちは山本さんを必ず見つけるし、助けるつもり。想い人の調査を続けるのも山本さんの消息に繋がる可能性があるから」
そう言ってしずくに微笑みかける。
「だから心配しないで、ちゃんと気を付けるから」
しずくは不服そうに唇を尖らせると、
「うぅん……優吏ちゃんがそう言うなら……」
そう言いながら空いた椅子にストン、と腰を下ろした。
優吏は「ありがとう」と言って頷き、言葉を継ぐ。
「蛇川さんもまだ辛いこともあるだろうし、いつでも私に連絡してね」
するとしずくは、照れるように笑った。
「……うん」
カウンセラーとしての立場がそうさせるのか知らないが、優吏は依頼人にはとことん優しい。俺にももう少し優しく接してくれたらいいのに、とつい思ってしまう。
「ねぇうちさぁ、しんしんの家に転がりこんだっちゃよか?」
ようやく落ち着いたしずくがまた意味不明なことを言い始めた。
「……はあ? いったい何がどうしたらそういう話になるわけ?」
「うち、合宿所は卒業したばってん、心の傷が癒えたわけやなかけん。誰かと一緒におりたい」
「待て待て、なんで俺がそこまで面倒みにゃならんの!」
「だって、片想い成仏委員会は最後まで依頼人の面倒ば見てくるところ~って聞いとーけん」
「いや、それにしたって俺に頼るのはおかしいだろ~よ!」
一応は俺だって男子である。女子大生を泊められるわけがない。
「だって、しんしん一人暮らしやろ? 優吏ちゃんも太陽くんも実家暮らしやもん。……ていうか、まさか……しんしんって女性のそういうのに関心があったと?」
しずくはにやけ顔で挑発するように言った。狼狽える俺をあからさまにからかっている。
「いいんじゃない? 心にはいい経験になると思うなぁ」
どういうわけか太陽まで乗っかってきた。
「な……! な……!」
言い返せないまま狼狽えていると、ガシャン、という音が所内に響いた。見れば優吏が俺を睨みつけている。勢いよく立ち上がったせいか、倒れた事務椅子が足元に転がっていた。
何事かと注目を浴びる中、優吏は自分を落ち着かせるように咳払いを一つすると、改めて口を開いた。
「ねぇ、蛇川さんの慰労会、行ってきたら?」
「……へっ? いやいや、今はそんな場合じゃないだろ」
慰労会とは片想い成仏委員会の恒例行事のようなもので、合宿所を卒業した依頼人を労うために行う一泊旅行のことだ。
だが、優吏が何故このタイミングでそんなことを言い出すのか、俺には理解できない。
そもそも合宿という制度は自殺とか殺人とかそういうことをチラつかせる依頼人を保護するため、こちらから寝泊りする場所を提供したのが始まりだ。
この制度のおかげで解決した依頼もある。ただいい方向に転がるばかりではなく、軟禁だと逆上して暴れ出す奴もいれば、これ見よがしに自殺未遂をするような奴もいた。
そうした依頼人を盲目状態から救い出すのは想像以上に難しいことだ。だからこそ俺たちは依頼人が穏やかな日常を取り戻せるよう、あらゆることを試している。
俺たちの仕事は、下手をすれば愛憎による犯罪を助長することにもなりかねない。
慰労会はそんな依頼人のアフターフォローの一環で、依頼人の保養、同時にその精神状態や心情を推し量るという目的がある。つまりは事務所のメンバーが同伴してこその活動なのだ。
とはいえ、今旅行をしている状況でないのは明らかだ。
「山本が行方不明なのに、おちおち遊んでいられるかよ」
すると優吏はおもむろに首を振った。
「そんなのは私たちの都合でしょ。蛇川さんには関係ない。それに山本さんの件は私に任せてって言ってるじゃない」
「優吏を残して俺だけ旅行に行けって? ……はっ、あり得ないね」
「あんたが今できる仕事は慰労会くらいしかないって言ってんの!」
どうやらひくつもりがないようだ。こうなると女王様は聞き分けが悪いから困る。
とはいえ慰労会は依頼人が希望しない限りは実施されない。事務所側は提案するだけなので、当人が断ればいいだけの話だ。
そう願い、恐る恐る視線を移すと、だがしかし当の本人はこれ以上ないくらいに目をキラキラさせていた。
「慰労会……! 慰労会……! しんしん、行こ~や!」
思わず盛大なため息が漏れる。
「いやでもさ、しずくと二人きりってわけにもいかないしさぁ……」
「太陽も連れてっていいから」
優吏が間髪入れずに言った。
「へっ? いやいや、さすがに優吏一人じゃ仕事にならないだろ」
「一泊くらいどうってことないわよ。今は合宿所に誰もいないし」
どうも有無を言わさぬ雰囲気である。
確かにしずくは退所したし、山本は行方不明なのだから合宿所に依頼人はいない。差し迫った仕事がないといえば、ないのである。
……とはいえやはり旅行をする気にはなれない。
「参ったな~……おい、太陽からも何か言ってくれよ」
助けを求めて親友を見ると、何やらせかせかパソコンをいじっていた。
「あっ、ここなんてどう? 絶景貸切露天風呂だって」
……あ~あ、だめだこりゃ。




