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蚊らくり彼女  作者: ようへい
三章 蚊らくりの少女
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File01・仲間

 恋愛感情は人類が二十万年かけて会得した能力だ。


 人と違って犬や猫などの動物には発情期がある。効率的に子孫が残せるよう、発情ホルモンなどを活用して生殖活動を促進しているわけだ。

 一方、人は生物学上でいうところのオスとメスが接近する時期に偏りがない。

 いうなれば時間の縛りがなく、遺伝子を交わす相手をじっくり選ぶことができる。


 より優秀な子孫を残すためには優秀な遺伝子が必要だ。その選別をするため、人は複雑な感情を持つようになった。

 他の動物から独立した人独自の子孫繁栄戦略。

 それが「恋愛」と呼ばれるものの本質に違いない。


「でもさ、それって一説に過ぎないでしょ?」


 太陽は爪を切りながら俺の講話を平然と切ってのけた。

 パチン、パチンと爪を切る音が所内に響く。デスク用の回転椅子に正座をした体勢で切るのがこいつのスタイルだ。


「まあ諸説あるらしいけどな」


 そう応じると太陽は首を傾げた。


「恋愛を学問として捉えるのもいいけど、心はもっとこう、実践経験が必要なんじゃない?」


 爪切りの中の爪を捨てながら、こともなげに言ってのける。


 確かに俺は恋愛経験に乏しい。

 恋愛に関する書籍を読み漁ってはいるが、それは恋愛心理学や恋愛雑学というものではなく、科学的な知見を根拠とした学術的なものばかりだ。集中的に読んでいたのは事務所の立ち上げを考えるより大分前のことで、学習というより個人的な興味をきっかけとしていた。


 結果的に、それがこの『片想い成仏委員会』を設立するきっかけとなったわけだが──


「俺は自分の恋愛には興味がないんだよ」


 もはや言い飽きた台詞を口にすると、太陽がやれやれと両手を広げた。


「それでよくこんな事務所を立ち上げたよねぇ」


 そう言ってため息を吐く。


「そんなんじゃさ、依頼人の気持ちなんて永遠に分からないよね」

「だからさ、俺は学問として割り切ってるの。相互理解みたいなのは他の奴に任せる。それに俺はまだ高校生だぞ? 経験が少なくても当然だろ」

「ううーん……けどさ、僕も高校生だけどそれなりに経験はあるよ」


 ……この女子ウケ長身眼鏡め。


 負のオーラをもって太陽をねめつけていると、事務所のドアベルがカランコロンと鳴った。

 視線を向けると優吏が入ってくるところだった。


「よう、優吏。山本の消息について何かわかったか?」

「……エアコンの効きが悪すぎる。相変わらずイライラする事務所ね」


 こちらの問いかけは無視して不満をこぼす優吏。出所早々はやくも不機嫌なわけだが、平常運転であることに俺はむしろ安堵する。

 少し前まではこうして文句を垂れるような元気さえなかったのだ。依頼人といざこざがあった上、その依頼人に姿をくらまされたのだから無理もない。


 優吏はちらりと俺を見やり、先程の問いの返答を口にした。


「ようやく住んでいる場所が分かった。でも、そこには帰っていないみたい」


 ――依頼人の山本鹿人が行方不明になり、二週間が過ぎようとしていた。


 仲谷と一緒に学校を抜け出したあの日──これ以上おおごとにはできないからと、俺は彼女と学校に戻った。

 ただ俺は校門をくぐらず、隠れるように事務所へと向かった。

 瀬崎の主導で仲谷の捜索活動が行われていて、捕まれば何をされるか分かったものじゃなかったのだ。


 そうして這う這うの体で事務所に帰り着くや否や、山本が合宿所から消えた──なんていう新たなトラブルを聞かされたのだった。


「契約書の個人情報は嘘だらけ、か……」


 俺はため息交じりに呟いた。

 優吏がこくりと頷く。


「おかしいとは思ってた。カウンセリングの時も、プライベートな話題になると極端に口数が少なくなったから」

「……それで、嘘だらけの情報からどうやって本当の住所を調べたんだ?」

「チャットアプリの連絡先は交換してたから、それを頼りにIDとかPASSとか、ネットワーク系の情報を手に入れたの。後は簡単よ。住所を登録するサービスなんていくらでもあるから」


 そのあたりの手腕はさすがである。

 こうした失踪人探しも探偵業における代表的な業務の一つだが、こういうのは優吏のデジタル知識が活きてくる。高度情報社会というと聞こえはいいが、プライバシーという意味では昔より退化した節もある。

 情報セキュリティはまだ進化の過程にあるのだ。


 一応補足すると優吏の手法は不正アクセス禁止法にあたり、まともな探偵社は決して真似をしてはいけない手法である。

 ただその辺に目をつぶるのなら、優吏のデジタル調査は其処ここにある大人が経営する調査会社と比べ、よっぽど頼りになる。


 カウンセラーとしての役割もそうだが──優吏が協力を申し出てくれなければ、こんな探偵所なんて立ち上げられなかった。

 それだけに今回の山本の件は本当に心配していたのだ。


「優吏さまがご健在でよかった。お前がいないとうちの事務所はやってけないからな」


 したり顔で腕を組み、よかった、よかったと頷いていると……

 突如耳に激痛が走った。


「いでっ! いでででっ!?」


 女王様が俺の耳たぶをつねっていらっしゃる。それも容赦なく捩じりあげてらっしゃる。


「いだだっ、な、なんで!?」

「……おたんこなすが偉そうね? 誰のせいで私が苦労したと思ってるの?」

「いだだ、いだいって! た……太陽っ! 親友がピンチだ助けろください!」


 涙目で助けを求める俺だったが、太陽はただニコニコと笑っている。


「今回ばかりはちょっとねぇ。う~ん、優吏、両耳共いっちゃっていいんじゃない?」

「そっ、そんなっ! 薄情者っ!」


 ……とはいえ二人が怒るのも無理はない。先日の件はあまりに軽率すぎた。

 なにせ厳重な監視下にある調査対象と一緒に学校を抜け出したのだから。


 あれから何らかのしっぺ返しがあるんじゃないかとビクビクしていたが……仲谷が上手く口を利いてくれたのか、直接的な被害は今のところない。

 だがしかし、もはや誰も近寄れないほど彼女の護衛は厳重になった。

 当然ながら事務所もマークされているのだろう。このところ監視役と思しき不審な人物を見かけるようになった。

 がんじがらめというやつで、調査から手を引くしかないような状況だ。


 ちなみに俺が仲谷と学校を抜け出したあの日、敵地に残された太陽は金髪イケメンから散々な追求を受けたらしい。

 以来、温厚な太陽の口からもチクチクした嫌味がこぼれている。


「優吏さま太陽さま、平に御容赦ください。今後は決して同じ過ちを繰り返しませんゆえ」


 ご立腹のお二方に許しを請う俺。つねられた耳たぶは赤く、瞳は潤んでいる。

 太陽がやれやれと肩をすくめた。


「今後も何もこんな状況でこれからどうやって調査するのさ……」

「その、ご本人からは調査の承諾を得てますし、どうにか上手いことやっていきますので」


 言いながら仲谷の言葉を思い起こす。彼女は言った──探偵ならご自身でお調べになってください、と。つまりは調査の許可というやつだ。

 そんな俺に優吏の脳天チョップが打ち下ろされた。


「調査対象者から調査の承諾を得るなんて聞いたことないわよ!」

 

 ……ごもっともである。

 そもそも探偵としては調査をしていることが相手にバレた時点でお話にならない。


 ぐうの音も出ず次の攻撃に備える俺だが、優吏はしかし、くるりと背中を向けた。


「まあ、過ぎたことを言っても仕方ないわね」


 そう言ってすとんと自席に腰を下ろす。


「……赦してくださるんで?」

「私は今の状況で出来ることをするだけ」


 赦しとも取れる言葉にホッと安堵した俺は、耳たぶをさすりながら今度は太陽を見やる。

 友人はふうとため息を吐き、にっこりと頷いてみせた。


 ……なんだかんだ優しい仲間たちなのである。

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