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蚊らくり彼女  作者: ようへい
二章 恋煩う
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File05・人血

 ようやく足を止めると、そこは街はずれの田園地帯だった。


 辺り一面に広がっている田んぼには緑色の稲が列をなし、そよそよと風に吹かれている。

 人影はなく、農作業をしているらしい人が遠目に見えるだけだ。


 彼女は胸に手を当て苦しそうに息を整えていて、けれどすっきりと明るい笑顔をしていた。


「どうしてこんなことを?」


 俺はひとりごちるように言った。とんでもないことをしてしまったな、と思った。


 仲谷椛は依頼の調査対象だ。それも護衛がつけられるような身分であり、彼女を取り巻く環境は何某かの監視下にある。庭園で会ったあのスーツの男も得体が知れず──こうも目立つ行動をしてしまえば、マークされるだけでなく何らかのしっぺ返しを食らうことだろう。


 けれどそんな思いとは裏腹に、俺の気分はどうも高揚しているらしかった。


「どうしてこんなことを」


 気持ちを落ち着かせるように、もう一度彼女に訊ねる。

 ようやく息が整ったらしい彼女はふうと小さく吐息した。


「どうしてって。また同じようなことを聞くのですね」

「いや、だって……」


 理由が分からない。こんなお嬢様がこうして俺に関わる理由が。迷子になりたい、なんていう我がままに俺を巻き込む理由が。加えて言えば、それに抵抗できずにいる自分のことさえ分からない──


 彼女は俺に向き合い、言った。


「実は今日、私が一人でいたのは心さまとお話をしたかったからなのです」


 俺は目をパチクリさせる。そんな俺に、彼女は苦笑して言う。


「……確かに私は異性を避けています。そしてそれは、私が望んだことでもあります」


 そうだ──彼女はそもそも、何のために異性を避けているのか。


 視線を向け、その続きを促す。

 けれどその問いかけをかわすように、彼女は薄く笑ってみせた。


「心さまは探偵業をされていますよね。私のことを調べているのでしょう?」


 ギクリ。

 もはやバレているだろうと思ってはいたが、面と向かって言われるとは思わなかった。


「……それを分かっているのなら、ますます俺に関わる理由が不明だ」


 自分を調査するような人間にわざわざ近付く理由なんてあるだろうか。

 けれどそんな疑問に、彼女はすげなく応じた。


「探偵ならご自身でお調べになってください。私が異性を避ける理由も、こうしてあなたに近付く理由も」


 俺は眉尻を下げて言う。


「……直接理由を聞こうだなんて、甘っちょろいことをしなさんな、と」


 すると彼女は、今度はくすりと笑った。


「いいえ、そうではありません。ただ……私にも事情があるということです」


 淀みのない澄んだ眼差しが俺を見つめている。

 俺は小さくため息を吐いた。


「まあ……私、探偵ですがあなたのことを調べているので教えてください……なんて、許されるわけがないかあ」


 半ば開き直るように言う。今更どうしようもないよな、という観念めいたものがあって、同時に何故かホッとしてもいる。


 どうしてこんなことになっているのか。まるで渦巻きにくるくる引き流されるように、俺はここでこうして、調査対象である彼女と一緒にいる。

 こうなるともはや清々しくも感じられて、俺はその場に悠然と腰を下ろした。地べたに両手をついて、おもむろに空を仰ぐ。空は青く、軽やかに晴れていた。


 その時、チリンと微かな音が鳴った。


「あっ、これ──」


 彼女がハッとして、地面に手を伸ばす。

 俺のポケットから何かがこぼれ落ちたらしく、それを拾い上げた彼女は表情を明るくした。


「私のイヤリング」


 薄いピンク色の宝石がついた耳飾り──あのパーティ会場で彼女が落とし、俺が拾ったものだ。

 学校で再会して以来今度こそ返そうとポケットに入れておいたことを、俺はすっかり忘れていた。


「やっぱりそうか。ずっと返そうって思ってたんだ」


 そう告げると彼女はこぼれるような笑顔を見せた。


「嬉しい」


 なんだろう、胸がギュッと締め付けられる。

 今日だけで何度彼女の笑顔を見ただろう。それもさまざまなバリエーションの笑顔だ。

 高嶺の花の彼女にも俺たちと同じように喜怒哀楽があるんだな、とそんなふうに思う。


 自分の顔がみるみる赤く染まるのを感じた。俺はそれに気付かれないよう顔を逸らした。

 その時、彼女が「あっ」と声を上げた。


「心さま、お怪我をされています」


 俺の腕を見つめながら言う。

 見れば擦りむいていたらしく、薄っすらと血が滲んでいた。


「ああ、多分あの金髪用務員に蹴り飛ばされた時だな」


 そう言って彼女を見た瞬間――俺は目を奪われていた。いや違う──その異質さに、視線が釘付けになったのだ。

 俺の血を見つめたまま生唾をこくりと飲む彼女に──それもうっとりと、悦に入ったような表情で。


 ふと、スーツの男の言葉が思い浮かぶ。

 ――『知っているか? 彼女たちメスの蚊が吸血に命をかける理由を』


 どうしてかは分からない。生唾を飲み込む彼女に得も言われぬ色気を感じた俺は、それをあの男の──「蚊の話」に結び付けていた。

 ただ蠱惑的なそれに魅入られるばかりで、俺はその理由を考えようともしなかった。




 ──依頼人の山本鹿人が行方不明になったと知ったのは、その夜のことだった。

二章はここまでになります。

ここまで読んでくださりありがとうございます。引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。

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