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蚊らくり彼女  作者: ようへい
二章 恋煩う
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File03・巡り合う

 記憶とは不思議なもので、人はぼんやりしている時、嫌な過去を思い出していることが多いそうだ。


 負の感情と一緒にこころの奥底に縛り付けられた記憶は、ふとしたはずみに再生され、人の行動に影響を与える。デジタル処理のようにデリートしてしまえればいいのに、人というシステムがそれを許してはくれない。

 なんとも不便なものである。


「それで優吏は? 納得したの?」


 つまらない過去を思い出していた俺は、太陽の問いかけで我に返ることができた。


 週末、金曜日の午後。学校を終えた俺は、太陽と一緒に事務所へと向かっていた。

 テスト期間のため普段よりも下校時刻が早く、既に多くの生徒が帰途についている。


「……多分な。何も言ってこないから」


 俺は結局、仲谷椛の調査を継続することに決めた。調査からは手を引こう、という優吏の提案には反することになる。

 当の優吏はといえば山本との一件がショックだったらしく、(くつがえ)った方針に意見することもなく黙々と仕事をこなしている。

 山本のあの態度を思えば仕方のないことだが──この仕事というのはつくづく、自分の無力さというのを痛感させられる。


「優吏はね、心のことが心配で仕方ないんだよ」


 不意に太陽が呟いた。ぼんやりとしたその視線が青い空を向いている。

 俺は首をひねって訊ねる。


「あいつが? 俺のことを小突くのが趣味のあの女王様が?」

「そうだよ。今回の調査から手を引こうって言ったのも、心に危険な目にあってほしくないからだよ」

「ははは、それが本当なら普段から優しくしてほしいもんだな」


 すると太陽が立ち止まった。あれ、となって振り返ると、もの言いたげな目が俺を見つめている。

 どうしたんだよ早く行こうぜ、と言いかけた俺はしかし、太陽の肩越しに見える光景に目が留まり、口を閉ざした。


 ──この正門広場から校舎へと続く階段を上った先に、何やら揉めている男女の姿がある。


「……あれって、仲谷椛?」


 つられて振り返った太陽もその姿を認めて声を上げた。

 頷いて返す。女性の方は確かに仲谷椛だ。


「みたいだな。男の方は誰だ、あれも付き人か?」

「いや、あれは三年の先輩だね。結構有名な人だよ、お父さんがベテラン俳優とかで」


 思わず眉をひそめる。

 あの仲谷が付き人でもない男と交流なんてするだろうか。


「……まさか言い寄られてるのか? 仲谷の護衛たちはどうした」

「さあねぇ」


 仲谷は男子禁制の日常を過ごしている。であれば、この状況は彼女にとって非常事態といえるものではないか。

 俺は足を踏み出していた。


「俺、ちょっと行ってくるわ」

「えぇっ、いやいや……って心!?」


 自然と駆け足になる。太陽の傍らを通り抜け、階段を校舎側へと上っていく。

 呼び止める太陽の声が背後で響いたが、どういうわけか俺の意識は仲谷だけを向いている。


 階段を駆け上がった俺は、改めて仲谷の様子を窺った。

 やはり護衛の姿は見当たらない。彼女は一人で狼狽えるように、先輩である男と対峙している。

 二人のもとに駆け寄る俺に、先輩の方が先に気付いた。


「なんだお前?」


 こちらを睨みつけて言う。ガンを飛ばす、というやつだ。

 その先輩は一見すると綺麗な顔をしているが、態度のせいか粗野な印象が先に立つ。英才クラスの生徒だとは思うがこれではその辺にいるチンピラと変わらない。


 そんな先輩は無視して、俺は仲谷の方に声をかけた。


「どうも。今日はおさげ眼鏡……ええと、お友達の子は?」


 護衛の所在を訊ねる。仲谷が一人でいるのには何か事情があるのかもしれない。

 すると彼女は数年ぶりに再会した友人でも見るような顔で、ポツリと呟いた。


「一人でいてはいけませんか」


 ルビーレッドの瞳が俺を見つめている。何やら神秘的な美麗さは相変わらずだ。

 俺は横を向いてコホン、と一つ咳払いをすると、改めて彼女に向き直った。


「いや、そういうわけじゃ。でもなにかと物騒だし」


 視界の隅では先輩がせわしなく首を動かしている。どうやら俺と仲谷を交互に見ているらしい。

 やがてドスの利いた声が発せられた。


「お前……二年の小湊だな? うちの校風にそぐわない人間がいるって有名だ。そんな奴が俺たちに何のようだ」


 ……理由はさておき、意外と有名人なんだな、俺。


「この人は仲谷さんだよ。有力財界人の娘さんだ。小湊が話せるような相手じゃないぜ?」


 先輩が顔を近づけてくる。いかにもチンピラっぽい。

 さてどうしたものか。今後のことを考えると下手に目立ちたくはない。とにかく、まずは対話を試みることにする。


「その財界人の娘さんに、先輩はどういったご用件が?」


 先輩の眉がぴくりと動いた。こめかみに青筋が立っている。


「お前には関係ない。さっさと失せろよ」


 予想はしていたが聞く耳持たずというやつだ。


「う~ん。じゃあここで待たせてもらっても? 俺も彼女に話があって」


 粘り強く対話を続けることにする。

 けれど先輩はワハハッ、と一笑し、


「こらこら、仲谷さんがいくら美人だからってなぁ、お前みたいな奴が下心丸出しで近寄ってくるのは迷惑だろう」


 とため息交じりに言ってのけた。


「ええ~。それは先輩にだって言えることでしょ」


 思わず本音を言ってしまう。すると先輩の目がクワッと見開かれた。何ともお下品なお顔である。

 お坊ちゃんタイプの人間って一皮剥いたら低劣な奴だった、みたいなのをよく見るが、財力や家柄の優位によって逆に性格とか色んなものが歪んでしまうこともあるのだろう……などと考えていたら胸ぐらを掴まれていた。


「お前、いい加減にしないと失わなくていいものを失うぞ?」

「はは、俺みたいな奴に大して失うものなんてありませんよ」

「あぁん!?」


 先輩の顔が怒りに染まり、高々と拳が振り上げられる。

 しかし殴られると思ったその刹那、先輩の腕はものの見事にキャッチされた。


「まあまあ、殴ることはないでしょ」


 我が親友、太陽が参じてくれたのである。

 爽やかな笑顔で先輩を見下ろす太陽、一メートル九十センチに迫る長身なのでそれなりに迫力がある。


「ほら、心も謝って。まったくスマートじゃないなぁ」


 どうやら業を煮やして割り込みにきたようだ。

 ここで先輩が悲鳴を上げ始めた。震えるその腕を見るに、太陽が化け物じみた握力を発揮しているに違いない。


「いででで~、いぎぎぎ~」

「おっと痛いですか。失礼」


 爽やかに言い放ち手を離す太陽。

 すると解放されるや否や、先輩は一目散に逃げ去った。なんとまあ、モブの鏡というやつだ。


 顔の前に手の平を立て感謝の意を告げると、太陽はやれやれと肩をすくめた。

 探偵業をしているとこうしたトラブルは日常茶飯事だが、俺からすると暴力は苦手ジャンルだ。それだけにこういう友人の存在は重宝というものだ。

 

 改めて太陽に感謝をしつつ安堵のため息を吐くと──耳元で鈴を転がすような声がした。


「──助かりました」


 振り返ると仲谷椛がジッとこちらを見つめていた。


「あ、いや、俺は何もしてない。太陽の……ああ、友達のおかげ」


 後退りながら太陽を紹介する。すると彼女は太陽に向き直り、丁寧にお辞儀をしてみせた。

 それに太陽は手を上げて応じ、「で、これからどうするの?」という視線を俺に向ける。調査対象との想定外の接触なので無理もない。

 しかし何も考えていない俺はヘラヘラ笑って返すしかなく、ちらりと仲谷の方を見やる。ルビーレッドの瞳はなおもこちらを見つめていた。


「ええっと……一人では何かと危ないのでは?」


 苦し紛れに会話を続ける俺、すると彼女はしばらくキョトンとして、それから不意に手を差し出した。

 意味が分からず彼女の手とその顔を交互に見ていると、


「仰るとおり、危ないので手を貸してはいただけませんか。階段は苦手なのです」


 そう言って彼女は階段を下りた先にある正門へと視線を向けた。


 ……あそこまでエスコートしろ、ということだろうか。


 俺はあからさまにドギマギしてしまった。何故そんなことを言われているか分からない。そもそも男子禁制といわれる彼女の手を握るだなんて。

 しかし俺は何かに誘引されるかのように、彼女の手を取ろうとしていた。

 そして手が触れ合おうかというその瞬間──罵声が俺の耳をつんざいた。


「このドグサレ小僧がっ!」


 次の瞬間、俺の体はふっ飛んでいた。

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