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蚊らくり彼女  作者: ようへい
二章 恋煩う
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File02・恋愛憎悪

 この仕事をしているとひどく不安になることがある。

 俺はもしかしたら依頼人を、いや、恋愛に苦しむ人たちを、馬鹿にしているんじゃないかという不安。

 

 片想い成仏委員会は「色恋沙汰に人生を狂わせるなんて愚かだ」なんて趣旨の意見を発信している。

 もちろんそこに侮蔑の意図はない。


 恋愛に付随する苦しみがあるのなら、固執せずに解放されるべきだ、というメッセージを伝えたいだけだ。


 それでもこんなに不安なのは──

 恋愛なんかに人生を狂わされてしまった俺自身の、忌まわしい過去のせいなのかもしれなかった。


 ――もっと依頼人に寄り添えたらいいのに。そんなふうに思うことがよくある。


「あの人、うちをそんなふうに思ってたの、ずっと、ずっとそう思ってたの」


 調査報告を済ませるや否や、依頼人の蛇川しずくはわんわん子供のように泣き出した。

 報われない恋を終わらせると決意して合宿所に入ったしずくは、その生活における毒抜きの最中にあっても、想い人の調査を希望した。


 山本もそうであるように、真実を知りたいと望む依頼主は多い。

 もしかしたら、ひょっとすると、なんて淡い期待に縛られ、恋の呪縛から抜け出せずにいるのだ。

 入所後も調査を継続するのは、そうした鎖を断ち切るためだ。


 だが「真実」という刃物を突き付けられた依頼人は、こころの膿という罰金を支払うことになる。

 相手の不貞を咎めて罰金をぶん取る浮気調査とは対照的だ。真実を知る、という調査名目は変わらないはずなのに。


「うちなんて、やっぱり、死んどったらよかった」


 彼女への報告は予想していた通りろくでもない内容になった。


 蛇川しずくの想い人は劇団に所属する俳優の卵。ひっそりとした雰囲気の優男で、いかにも誠実な見た目をしている。本業は塾講師で、優しく頼りになる講師として生徒からの信頼も厚い。

 しずくはその男とマッチングアプリを通じて知り合い、肉体関係を重ねるうちに恋をした。しかしその優男は、女性を「欲求を満たす道具」のようにしか思っていなかった。


 やがてしずくは別れを告げられたが、関係が途絶えることはなかった。

 男は別れをちらつかせ、しずくの恋愛感情を巧みにコントロールしたのだった。自分から離れることを決して許さず、その執着をより一層強いものにするために。

 ──自尊心、優越感、そうした欲求を満たすための道具。それが男にとっての、しずくの「価値」だった。


 しずくは恋愛の呪縛から解放されずに苦しみぬいて、しばしば自傷行為に走ったようだった。

 自分を思うがあまり自死を選択する女──承認欲求の塊である男からすれば、垂涎ものの出来事だったのかもしれない。


 そうした情報が得られたのは、優吏がメールに仕込んだスパイウェアからだった。男のパソコンにはその歪んだ欲望を証明する情報が大いに残されていたのだ。


「やっぱり知りとうなかった。うちは別にセフレでもなんでもよかった。うちらの関係に名前なんてつけんでもよかって思うとった」


 しずくは嗚咽を上げながら、恨みがましい視線を俺に向けた。


「せめてちゃんと死んでおきたかった。自殺に失敗した時の気持ち、あんたにわかる? 家族や友人に迷惑かけて、それでもまだ絶望が続くっちゃん。無力感や罪悪感で、もうグチャグチャんなる」


 ――こういうのには慣れている。


「あんたがうちば助けな、こげん苦しか思いはせんかった……!」


 ――俺たちを恨むような依頼人なんていくらでもいた。

 悲しみを伴う怒りはどこかにぶつける必要がある。その矛先が俺たちに向くのも無理はない。たとえ依頼人自らが望んだ調査の報告であっても。

 俺はしずくの肩にそっと触れた。その肩に描かれたトカゲのタトゥーが震えている。


「……追い込んでしまって申し訳ない」


 こんな言葉をかける時、俺は内心こう思っている。


 ――ああ、なんて馬鹿らしいんだ、と。

 

 こんなおぞましい感情に支配されて苦しむ必要があるのか?

 俺の両親もこのくだらない感情のせいで人生を滅茶苦茶にした。母は死に、父は刑務所に収容された。俺の人生も滅茶苦茶になった。

 引き取ってくれた爺ちゃんのおかげでこうしていられるが──そもそも犯罪者を親に持つ俺が名門校に通っていること自体がおかしい。


 ――大好きです。


 俺がまだ幼かった頃、毎日のように母が口にしていた言葉。まるで幸せを絵に描いたような二人を、両親を、誇りに思っていた時期が俺にもあった。


「報わるうこともない。死ぬこともできん。それじゃあ、うちはどげんしたらよかと?」


 しずくは絞りだすように言った。その震えるトカゲを指でさすりながら思う。

 俺は恋愛を憎んでいる。この探偵稼業も復讐を果たすための手段みたいなものだ。


 ──そんな俺が「人を救う」だなんて、一体どの口が言うんだろうな。



 報告を終えた俺は最上階にある山本の部屋に向かった。しずくの調査報告には優吏も同席する予定だったが、すっぽかされた。

 優吏は仲谷椛の件でごたついてすぐ山本を訪ねたようだ。それから戻ってないとなると、話が拗れているのかもしれない。そうでもなければ優吏が仕事の予定をすっぽかすはずがない。


 俺としずくは付き合いが長いからマンツーマンでも問題ないが……肩に力が入った優吏と、あの山本の組み合わせは心配だ。

 その嫌な予感は的中したらしく、最上階に辿り着くや否や、先のフロアで不穏な声が轟いた。


「僕に死ね、ということですか?」


 この合宿所で何度目になるかも分からないフレーズが耳に入る。

 次に女の呻き声が聞こえて、俺は弾かれるように走り出していた。


「……優吏! ちょっと山本さん落ち着いて!」


 二人は通路から少し外れた共用部分のフロアにいた。山本が優吏の胸ぐらに掴みかかっている。

 咄嗟に駆け付け山本の手を振り解いた俺は、げほげほと咳き込む優吏の肩を支えた。


「どういうことですか? 職員に暴力なんか振るって」


 睨みつけて言う。

 山本はただぼんやりと俺を眺めていた。心ここに有らずといった感じだ。


「急いでくれませんか」

「は……?」


 くぐもった声が響き、俺は眉をひそめる。

 山本は無表情のまま口をパクパクと動かしている。


「仲谷椛の調査、早くしてください」


 虚ろな目。その心情を読み取ることはできない。

 俺は改めて山本の顔を見据える。


「質問の答えになっていません。優吏の胸ぐらを掴んだ理由を聞いています」

「仲谷椛に何かあったらどうするつもりですか?」


 ……??? 意思の疎通ができない。


「どいて」


 ふと、優吏の手が俺の肩に乗せられた。そのまま俺を押しのけ、山本の前へと進み出る。


「おい、優吏……」


 優吏は気を取り直すように姿勢を正し、毅然とした表情で山本に向き合った。


「山本さん。何度も言うようにここは仲谷椛さんを助ける場所でも、恋を成就させる場所でもありません。恋を終わらせるための場所です」


 虚ろだった山本の目に怒りの色が灯る。

 危ないと思い優吏の肩を引き寄せるが、その手は振り払われてしまった。


「想い人を調査するのも解決のためです。情報によっては報告もできません。余計な情報が入れば相手をますます忘れられなくなるからです」


 ジェスチャーを交えながら真剣に語り掛ける優吏。

 その内容から徐々に会話の流れが分かってくる。薄々感じてはいたが、山本は仲谷椛を諦める気なんてない。むしろ結ばれようとしている。そのためにこの調査も依頼しているのだ。


 俺はそのまま二人のやり取りを見守ることにした。

 優吏が手を出されないよう体勢だけは整えておく。


「私があなたを助けてみせます。だからどうか、仲谷椛さんを忘れられるよう、カウンセリングを受けてくれませんか」

「彼女に何かあったらどうするつもりですか?」

「それは私たちにはどうすることもできません……!」

「言ったでしょう! 彼女はカラクリだって!」


 胴間声が響き渡り、優吏が身を竦める。俺は咄嗟に二人の間に体を入れた。

 興奮のせいか山本は全身をがくがくと震わせている。


「……時間がありません……このままじゃ彼女は……」


 言いながら膝を折り、その場にうずくまる。


「……彼女と会えるようにしてください。後は僕がどうにかしますから……」


 俺は優吏に目配せをすると、項垂れる山本に声をかけた。


「少しだけ時間をくれませんか。あなたの要望に応えられるかどうか、考えてみますから」


 ──俺たちに依頼してくる人間は、誰もが「片想い」に病んでいる。


 やめたいのにやめられない片想いは、要約すれば成就しない恋愛ということだ。にも関わらず恋に執着するのは、脳が依存してしまっているからだ。

 現実を直視できないのなら事実を頭に叩き込む。

 そうして徐々に、その洗脳を解いていくしかない。


「俺たちは恋煩いや愛憎による不幸を無くす、と大義名分を掲げてはいますが、崇高な志を持っているわけではありません。ただ仕事であるからには、きちんとやり遂げます」


 たかが忘れたい恋愛のためにそこまでするか、と言われることがある。どうせ時間が解決するのに、と嘲笑されることもある。

 けれどそれでは救われない人たちもいる。


 色恋沙汰で不幸に堕ちる人間がいる。

 家族や友人を失ってしまう人間がいる。

 嫉妬や逆恨みで殺人を犯す人間がいる。

 恋愛に依存して自殺をする人間がいる。


 ──決して少なくはない人たちが、そうして苦しんでいる。

 そういう人間をサポートするのが俺たちの役目だ。


「あなたの期待どおりにはいかないかもしれません。でも絶対に見捨てたりはしませんから」


 山本が顔を上げる。

 その目はまるで亡霊のようで、けれど今にも泣きだしそうで、どうしようもない憂いに満ちている。

 煩悩による苦しみから解放してくれる万能薬なんてこの世に存在しない。


 ――だったら俺たち、片想い成仏委員会・探偵事務局がやってやる。

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