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蚊らくり彼女  作者: ようへい
二章 恋煩う
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File01・不安

「……まじで意味がわからん」


 あの男に蚊の話を語られて以降、俺はずっとその意味を考えていた。

 だがどうしても意味が分からない。昆虫と人間を並列に考えられるわけもなく、そもそも病原菌を運ぶような害虫と仲谷椛ではあまりに共通点がなさすぎる。


 そうして思い悩み、ロダンの彫刻よろしく考え耽る俺の耳元で、突如パァンと音が鳴った。驚きのあまりその場で跳びあがってしまう。


「なんだよ太陽、ビビったろ!」

「ん~、ヤブ蚊だよ、ヤブ蚊。嫌だね、もうそういう季節かぁ」


 視線を向けると小さな蚊が宙を飛んでいるのが見えた。傍らでは太陽が平手打ちの構えをしている。


「……ま、待った。潰すな!」

「へっ?」


 制止された太陽がキョトンとしているうち、ヤブ蚊は背景に溶け込むように消えてしまった。さすがのステルス機能である。

 ホッと胸をなでおろす俺に、太陽が怪訝な視線を向けてくる。


「いや、ほら、みんな生きているんだ友達なんだ……」


 しどろもどろに弁明していると、背後に異様な殺気が迫っていた。


「この……あんぽんたん!!」


 金切り声と同時に脳天に衝撃、ぽかん、と間抜けな叩打音が響き渡る。

 頭を押さえて振り返れば、孫の手を握り締めて構える優吏の姿があった。


「優吏、それを武器にするのはやめてくれ。ペンギンさんの孫の手は俺のお気に入りなんだ」


 しかしその訴えは届くことなく、ペンギンさんは容赦なく、幾度となく俺の身体を打ちつけた。


「こんのぉ、すっとこどっこい、ちんちくりん!! 調査に進展がないままよく帰って来れたわね!? わたしたちにサポートまでさせておいて!!」


 ぽかん、ぽかんという音と共に罵声を浴びせられ、俺は防戦一方のまま言い開きをする。


「ちょ、ちょっと待て、悪かったって! それに進展がなかったわけじゃない。偉そうなおっさんが関係しているという調査の手がかりを得ただろ?」

「邪魔者がまた増えただけでしょ!? あのお守役二人だけでも厄介なのに!!」


 ──あの、やけに貫禄あるスーツの男に邪魔をされたことは太陽にも優吏にも報告をしていた。

 一方であの会話──蚊の話についてはまだ説明できていない。

 俺なりに話の内容を嚙み砕いて話そうと思ったのだが、冒頭にある通りここまで考えをまとめられずにいる。


 今回のターゲットは色々と状況が不透明すぎるのだ。


「なぁ、そういえば瀬崎玲於はどうだった? 頼んだ俺が言うのも何だけど、よくあんな奴をターゲットから引きはがせたな」


 優吏の攻撃を逃れるべく話題を変える俺に、太陽は「ああ」と呑気に応じる。


「まぁ大変だったよ。学校の用務員っていう相手の立場を利用してなんとか。でもあれは相当飼いならされた番犬だねぇ」


 気怠げに言うと事務椅子にストンと腰を下ろした。ヤブ蚊の捜索はもう諦めたようだ。


 俺は改めて瀬崎のことを思い起こす。

 用務員のくせにチャラついた身なりで首にはレザーチョーカーまで巻いていたが、番犬と言われるとアレも犬の首輪みたいに思えてくる。いかにもアウトローな雰囲気の瀬崎だが、(あるじ)に従順という点においては真面目な奴なのかもしれない。


 いずれにせよ仲谷の周囲には変わった輩が多いようだ。


「意味不明な出来事も多いし、なかなか骨の折れる仕事だよなぁ」


 思わずため息が漏れる。こんな依頼は経験したことがなかった。

 

 しばしの沈黙が流れ、古い空調が奏でるカタカタという音だけが響く。梅雨の所内は朝から晩までジメジメとして暑苦しい。


「……この調査からは手を引いた方がいいかもね」


 不意に優吏が呟いた。


「急になんだよ」


 思わず顔を上げて言う。優吏らしからぬその言葉に、俺は少なからず驚いていた。

 優吏はデスクでパソコンと向き合い、こちらには背を向けたままだ。その背中に白いスクールシャツが張り付き、ほんのり汗ばんでいることが分かる。


 俺は言葉を継いだ。


「一番調査を急かしてたのは優吏だろ」


 実際、今回の依頼に対して最ものめり込んでいたのは優吏だ。

 それが急に「手を引く」だなんておかしいし、そもそも優吏は依頼を中途半端に投げ出すようなことを誰よりも嫌うはずだ。


 優吏は淡々とキーボードを叩いていたが、やがて小さくため息を吐くと言った。


「調査に不確定要素が多すぎる。踏み込めないなら、いっそのこと踏み込まない方がいい」


 その背中を見やり、俺は首をひねる。


「それ、さっきまで孫の手を振り回してた奴の台詞かよ?」

「足元の見えない不確かな調査ほど危ういものはない。あんたがのろまぽんちだったせいでちっとも見通しが良くならないんだから、仕方ないでしょ」


 のろまぽんちなんて言葉は初めて聞いた。


「だからさ、これから頑張りますってば。ていうかそこまで不安がるなんて、お前らしくないと思うけど」


 すると優吏はぐるんと事務椅子を回転させ、孫の手のペンギンさんを俺に向けて突きつけた。


「言ったでしょ変なメールが届いたって! あんたは危険を察知できない生物なの? 馬鹿なの?」


 迫りくるペンギンさんに両手を上げて降伏の意思を伝える。


「変なメールって、未解決の失踪事件をまとめたブログ……だっけ?」

「そうそれ。その失踪事件はこの依頼に関連するものかもしれない」


 俺は「はぁ?」と両手を広げた。


「なんだよそれ考えすぎ。ドSな女王様も意外に臆病なんだな」


 ペンギンさんが俺のおでこに着地、そのままグイっと押し込められる。

 どうも俺を恫喝……したいわけではなく、真剣に訴えかけているようだ。


「危険が迫る前に手を引きましょう。こうした方針は早々に決めるべき」


 ここまで頑ななのは珍しい。少しばかりややこしい依頼であっても解決のため前向きに取り組むのが優吏のスタイルだ。


「依頼人の山本はどうするんだよ。依頼そのものをうっちゃるのか?」


 訊ねると優吏は首を振った。


「山本さんはカウンセリングで助ける」


 どうやら依頼そのものを断るつもりはないらしい。そのことには安心したが、調査に後ろ向きであることにはやはり違和感がある。


「……助けるったってさあ、当のご本人があれだけ調査をご所望なんだぜ?」

「解決のための調査で事態が拗れたら元も子もないでしょ。私が説得するから」

「中途半端な気もするけどな……。それに、山本さんが納得するとも思えない」

「あんたはそうやってすぐに何でも決めつける」


 どうやら引くつもりはなさそうである。


「でもなぁ、感情の海に溺れた依頼人にカウンセラーが手を差し伸べたところでなぁ……」


 するとダンッ、と大きな音が響いた。

 デスクを殴りつけたらしい優吏が、そのまま勢いよく立ち上がる。


「やってみるってば。恋愛は打算的であるべき、それが探偵局の理念でしょ。だったら無理なことはしないほうがいい。違う?」


 有無を言わさぬという口調。けれどその態度には傲慢さではなく、切実さを感じさせるものがあった。


 俺は正直戸惑っていた。昔からとんでもなく強情な優吏ではあるが、依頼の方針についてはなんだかんだ従ってくれていたのだ。


 一体何が優吏をこうも頑なにしているのだろう──

 

 気付けばまたヤブ蚊が宙を飛んでいる。

 俺はため息を吐くと、今度こそ平手打ちをかまそうとしている太陽の腕を掴みながら言った。


「……わかったよ。今回のことは優吏に任せる」

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