Ciondolo araldico. 紋章のペンダント
城壁のそばにあるモリナーリ家の元別邸は、前当主が政略結婚を愚図った娘のご機嫌取りに建てられたともいわれ、非常に女性好みの外観だ。
治安上の問題もある城壁のそばに建てられたことについては、当時は様々な憶測が囁かれたりもしたが、現在のモリナーリ家は代替わりをして詳細を語る者もいない。
街の住人は今は廃邸であろうという認識で、長いこと関心を持つ者もいなかった。
豪華な装飾の施された屋敷の玄関先に、カルロは隼の姿で降下した。
大きな羽音が立つ。
地面に脚を着けると同時に人間の男性の姿に変化し、口に咥えたペンダントを手に取る。
玄関扉を開け、屋内に入った。
幅の広い階段を昇り、二階の一角にある部屋の扉をノックする。
返事は無かったが、特に気にもせず扉を開けた。
屋敷で一番陽当たりの良いこの部屋は、ファウストのお気に入りだ。
カルロ自身は、あえて選ぶのなら適度に陽の遮られた部屋の方が好きなのだが、ファウストは燦々と陽が当たる場所で寝るのが好きだ。
窓際に置かれた寝台で、ファウストは猫のように丸くなって寝ていた。
気持ち良さそうに口をもごもごと動かしている。瞼を通して陽光を感じるのが気になるのか、手を猫の前脚のように曲げ、目を塞いでいた。
カルロは兄の横に手を付いた。
顔を覗き込むと、ファウストが気配に気づいて目を開ける。
「おはよう」と言うより早くファウストがカルロの首に腕を回し、ヘッドロックの形で強く押さえつけた。
「ちょっ……痛っ! 何すんの」
次には腰の辺りを骨太の脚でググッと抑えられ、カルロは身動きを封じられて踠いた。
「何しようとしてた」
寝ぼけた声でファウストが問う。
「起こすタイミングを見計らってただけだよ」
カルロは枕元をバンバンと叩き、降参のアピールをした。
「また寝てる間に口にハンカチ何枚も詰め込む気だろ」
「どこの女の子と間違えてんの、それ」
ファウストは両腕を外し、宙を眺めた。
「どこのだっけ」
「というか兄さん、女の子にまでこんなことしてないだろうね」
カルロは顔を顰めて寝台に座った。首を擦る。
「お土産」
修道院長に渡されたペンダントをファウストの目の前に翳す。
ファウストは大きめの目を見開き、ペンダントヘッドの部分を見た。
「マリア・ロレイナ見てきたのか」
複雑な表情をする。
「他の用事のついでにね」
カルロはそう答えた。
「婆だったろ」
「綺麗なお婆さんだったよ」
「ふん……」
ファウストはペンダントヘッドから顔を逸らした。
「穏やかな人生だったんだろうね」
カルロはペンダントを持ったまま立ち上がろうとしたが、ファウストが手を伸ばし指先でペンダントの鎖を引っ張った。
カルロの手からペンダントを奪い上体を起こす。
「もらう」
そう言い太い首に掛けようとする。
「兄さんが付けるには鎖が短すぎるよ。付け替えてからにしなよ」
「んー」
ファウストは、今度はペンダントを手首に巻き付けた。
「何だっけ、女がこうやって巻いてるやつ」
「ブレスレット?」
「これならいけるだろ」
「……夕方までには、邪魔になって引き千切ってるね。絶対」
カルロは苦笑した。
「あれそんなに邪魔なもんか」
「邪魔だと思うよ」
ペンダントを手首から外すと、ファウストは枕元に放り投げた。
「用はこれだけか? んじゃもう一回寝る」
カルロに背中を向けて横になる。カルロは背中側から兄の顔を覗き込んだ。
「もう一つあるよ。ガリーの実家について聞きたくない?」
「ペタ胸生産した家なんか知らん」
ファウストはひらひらと手を振った。
「貿易やってる商家だよ」
「お前わざわざペタ胸調べてたの?」
ファウストが欠伸をする。
「たまたまだよ。例のこと調べてたら出てきた。数年前に隠居したお父さんがルカ・ディ・ジョヴァンニ、跡を継いだ一番上のお兄さんがミケーレ・ディ・ジョヴァンニと名乗ってる」
「父親がジョヴァンニじゃないのか」
ファウストが眠そうな口調で言う。
「ジョヴァンニは、近くの村から出て来て商売を起こした曾お爺さんの名前みたいだよ」
「この街でディ・ジョヴァンニなんて名乗ってる奴、一万人はいそうなのに阿呆か。まずそこ変えろ」
一般庶民に名字は無い。名前の後に父親か出身地などの名前を付けて同名の者と区別する慣習だ。
だが、この街の守護聖人サン・ジョヴァンニの名を付けられた男性は、そもそも数が多い。
ファウストは今度は仰向けになると、カルロと目を合わせた。
「それ急ぐか?」
「いや、後でもいいよ」
カルロは笑った。
「んじゃ寝る」
「おやすみ」
そう言ったものの、ファウストはしょっちゅう寝ているため起きているタイミングに出会うのは中々難しい。
話が出来るのは何時頃になるかなとカルロは苦笑した。
出入口の扉を開け廊下に出ると、仮面を着けた女性使用人と遭遇した。カップを乗せたトレーを手にしている。
「ミルクはいいよ。寝ちゃったから」
使用人が会釈をし引き返す。
「ああ、もしまたガリーが来たら……」
カルロは使用人を呼び止めた。
怖がられないよう気をつけて出迎えてと言おうとしたが、無理かなと思い直す。
「……いい。僕が出迎える。来たら呼んで」
考えてみたらあのケーキ、女子修道院に差し入れとして持って行けば良かったと思う。
古い友人のレオナルドが持って来たものだが、酷く甘ったるそうなので持て余していたのだ。
差し入れしたら、あの喜怒哀楽の激しい小柄な修道女はどんな顔をするのか。悪戯心が湧いた。




