Bosco di cipressi. 糸杉の林
牡山羊姿のレオナルドの手に握られ、マルガリータは糸杉の木々の間を降下した。
ザザザッと立つ木々の音に、つい少しの間だけ目をつむる。
前方の少し開けた場所を見ると、巨大な虎が着地したところだった。額の宝石から褐色の翼が飛び出し、隼の姿になり分離する。
隼は、二、三度はばたくと、カルロの姿に戻った。
「ガリー」
牡山羊が地面に着地する。カルロはこちらに両手を伸ばした。
雑に置かれそうになったマルガリータを、カルロが抱き止める。
いい匂いだなとマルガリータは思った。
以前、隼の姿のカルロに肩に乗られたときにも思ったが、香水でもつけてるのかと思うくらいのいい匂い。
「よくやったね」
カルロが顔をよせ言う。
「え……うん」
マルガリータは戸惑いつつそう答えた。
もう女子修道院には戻れないだろうが、自身はいつまでも修道女のつもりだ。
神に仕え、あらゆる誘惑を絶ち切って一生をすごすつもりなのは変わらない。
思いがけずふわふわとした気分になってしまったが、大それたことをした興奮がまだ残っているのだろうと思った。
「あ━━ババァになっても相変わらずだな、この女は」
離れた場所で、ファウストが声を上げた。
林立する木々の間。
落ち着いて佇む修道院長の姿が見える。
「修道院長!」
マルガリータはそう呼びかけてカルロから離れた。
駆けよると、修道院長と向かい合う位置で脚を投げ出し座るファウストの姿が目に入る。
全裸だ。たくましい身体を恥ずかしげもなく晒していた。
「えっ、ちょっ、ちょっと!」
マルガリータは立ち止まり咎めた。
「じょっ……女性の前で!」
ファウストが目を眇めてこちらを見る。
「変化解いたとこなんだから仕方ねえだろ。嫌なら呼びつけんな」
「女性の前なのよ。せめて服を用意して……!」
「うるせえ。お前が女のうちに入るか!」
ファウストが、くわっと大口を開ける。人間の姿に戻っても大きめの犬歯があることに思いがけず気づいてしまった。
「しゅ、修道院長だっていらっしゃるのに!」
「こいつは俺の女だからいいんだよ!」
ファウストが声を上げた。
木々の間から姿を現したモナ・アンジェリカが、ファウストの背に上着をかける。ファウストは面倒そうに羽織った。
「ソレッラ・マルガリータ」
修道院長がこちらを向いた。
「は、はい」
「残念だけれど、ご実家と縁を切ってしまったあなたからは、今後の寄付金が入ると思われません。修道院としてはもう受け入れる訳にはいかないの」
「は……はい」
マルガリータはそう返事をした。
女悪魔と名乗ってしまった以前の問題だろう。
実家と「修道女マルガリータ」が無関係だとアピールするようなことをしてしまった以上、実家からの寄付金を受けとるわけにはいかない。
女子修道院の修道女とはいえ、霞を食べて生きているのではない。
日々の生活がある。生活費は、自分たちで作ったお菓子やお料理、編んだレースなどを売って得ることもあるが、実家からの寄付金を共有財産としている部分が大きい。
「マリア・ロレイナ、ガリーの寄付金は、僕たちが出してもいいけど。あちこちの姫君とかご令嬢からもらった金品があるし」
カルロがそう口をはさむ。
「親戚でも元夫でもない男性から寄付金の出ている修道女なんてありますか」
修道院長は眉をよせた。
「んで、つまるところ俺らがこいつの面倒みろとよ」
ファウストが顔を歪める。
「相っ変わらずお節介な女だな、てめえは。むかし政略結婚から逃げたのも、助けたいガキどもがいたからだろ?」
修道院長が無言でファウストの顔を見る。
「え……そうなんですか?」
「ちょくちょく貧民街に行って、ドレス汚してそこのガキ助けてるから親がさっさと嫁に出してやめさせようとしたんだよ」
ファウストは眉をよせた。
「んで逃げ出してわざと結婚相手に恥かかせて、俺らに食われて死んだってウワサ流して結婚話を破綻させた」
「だ……大胆でいらっしゃったんですね」
マルガリータは口元を抑えた。
「今回のガリーと同じような騒ぎを起こしたんだよ。そっくりだよ」
カルロが苦笑する。
「まあ……先ほどソレッラ・マルガリータに言ったことは建前よ。あんな騒ぎを起こした修道女を即座に連れ戻す訳にもいかないわ。他の修道女にはとりあえずああ言おうと思うの」
「はい……」
マルガリータはそう返事をした。
とりあえずということは、いつかは戻れるよう取り計らってくださるということだろうか。それともそう考えるのは甘すぎるのか。
「ありがとうございます……」
「でもね」と修道院長が続ける。
「いい機会だからソレッラ・マルガリータ、あなたは少し別の生活をしてみた方がいいと思うの」
マルガリータは目を丸くした。
どういうことだろう。人生経験が足りないということだろうか。
「その別の生活の先とやらが俺らのとこかよ」
ファウストがケッと吐き捨てる。
「二人ともよろしくね」
修道院長がファウストの頬に手を当てる。反射的に屈んだファウストの頬にキスをした。
「……お前だから聞いてやるんだからな」
ファウストは口を尖らせた。




