Grande tigre in arrivo. 巨大な虎が来る
ここ数日通ってくれているモナ・アンジェリカが、朝食として置いて行ったサンドイッチ。マルガリータはゆっくりと食べ終えた。
ポットから冷たい紅茶を注ぎ、コクコクと飲む。
カップをコトンと石の床に置いたとき、幼い子供の声が廊下に響いた。
たぶんレオナルドだ。
先日来たときと同じようにウソ泣きでわんわんと喚き、見張りの修道士たちを困惑させている。
「お姉ちゃんに会わせてよう!」
また同じ手口なのねとマルガリータは呆れた。
「レオナルド」
立ち上がり、扉についた格子の窓から廊下を覗く。
廊下を凄まじい速さで飛ぶ隼が目に入った。
「あっ、お姉ちゃぁぁぁん」
レオナルドが、見た目だけは非常に可愛らしく泣きじゃくって駆けよる。
「カルロも会いに来たよ。お姉ちゃんが水責めにされる最期のお別れにってぇぇぇ!」
うわああああんとレオナルドが泣きマネをする。
マルガリータはついつい冷めた目で見てしまったが、修道士たちはあわてていた。
「さささ最期なんて」
「この前も言ったでしょ。裁判で神に誓いを立てれば釈放されます!」
「その裁判っていつやるの! 全然やらないじゃないかあああ!」
またもやレオナルドが大声で泣く。
修道士たちが当惑して口を歪めた。
「まあ……言われてみれば、裁判の日程の知らせもまだないですが……」
「そういや遅いですね」
顔を見合わせる。
「ほらみなよ。お姉ちゃんは、仕込み針で刺されてコウモリ型の痣をでっち上げられて、全財産とられて火炙りにされるんだあああ!」
仕込み針ってなに。コウモリ型の痣って。
全財産って。修道女は財産は共有なので個人的な財産とかないんですけど。
もう意味が分からない。
マルガリータは眉をよせた。
天井から急降下した隼が、一人の修道士の腰のあたりを狙う。
「うわっ!」
修道士が後退った。
鍵をまとめたキーリングをくちばしで咥えて舞い上がる。頭を軽く振って、数十本のうちから一本の鍵を選び出した。
「カルロ」
レオナルドが天井に向けて手を伸ばした。
カルロが選んだ鍵を受けとると、マルガリータの牢の鍵穴に差しこんだ。
カチッと音がして、牢が開く。
「何でその鍵だって分かったんですか……」
「偶然でしょう。鳥などに分かるわけが」
修道士たちが口々に呟く。
常識から大きく外れて賢い動物は、ともすれば不気味な存在だ。修道士たちは隼と金髪の少年を遠巻きにして固まった。
隼が大きな翼を広げてレオナルドの腕に留まる。
二人で堂々と牢内に入った。
「ここ、閉めていい?」
レオナルドが修道士たちに尋ねる。
「は、はい」
修道士たちがさらに後退った。
「チャオ」
レオナルドが修道士たちに手を振り、扉を閉める。
重い扉が、ガコンと音を立てた。
先日と同じように、カルロが人間の姿に変化し扉の横に立つ。
修道士たちが牢の前から離れたのを確認して切り出した。
「ガリーが伝えて来たとおり、マリア・ロレイナの救出はまだだけど」
「ファウストは?」
「あとで来るって」
カルロは答えた。
「救出は簡単にできるのに」
「こっそり救出されるなんて駄目よ。疚しいことがあるんだって判断されて、修道院長は立場を追われるわ」
「だからといって」
カルロは溜め息をついた。
「ガリーが伝えてきた方法じゃ、ガリーひとりで背負うことになるよ? もうたぶん修道院には戻れない」
「わたしが修道女になる決意をしたのは、人のために働きたかったからだもの。修道院長おひとり救えないでどうするの」
マルガリータは胸元のロザリオを握りしめた。
正直、不安だ。
失敗しても成功しても、自分には居場所はなくなるだろう。
カルロたち怪物の屋敷に乗りこんだときは、まだ女子修道院という帰る場所があった。
だがもう、兄たちにも会えないかもしれない。
「マリア・ロレイナも反対してた。ガリーがそこまでやる必要はないって」
「お優しい方だもの、そう言うわ。でももう決めたし。カルロは修道院長の安全を考えて差し上げて」
マルガリータはそう告げた。
「兄さんたちも、これなら今まで通り商売を続けられるんじゃないかと思う」
カルロが目を眇めて腕を組む。いまだどう止めようかという表情に見える。
「あのね。わたしだって格好つかないでしょ? 神の手足になって人々のために働きたいなんて言っておきながら、尊敬する修道院長に助けられて怪物に助けられて」
マルガリータは声を上げた。
「我が身を犠牲にしてみんなを救いましたって、修道女として格好つけてみたいの!」
ベッドに座り脚をブラブラとさせていたレオナルドが、不意に壁の一角を見てニッと笑う。
「ファウスト、来たみたいだね」




