Bacia il dorso della tua mano. 手の甲にキス
身形の良い、良家の人間と思われる者が加わったことで、役人たちは少々戸惑った。
「これは……どうしました、物々しい」
いかにも何も知らずに訪ねて来たという体でカルロが微笑する。
どうしましたもなにも、すっかり状況を把握してこの人達に怪我まで負わせてたでしょとマルガリータは思ったが、さすがにそれを口にするほど馬鹿ではない。
「異端審問所の者です」
役人の一人がそう名乗る。ほぼ同時に修道院長が膝を折りカーテシーの挨拶をした。
「チェルトーザ子爵」
修道院長がそうカルロに呼びかける。
「えっ」いう形に口を開き、マルガリータは修道院長の様子を見詰めた。
「チェルトーザ子爵?」
「チェルトーザ……どちらの御家の所有地でしたかしら」
玄関口から覗く修道女たちの話し声が聞こえる。
「たしかモリナーリ家の所有地ではなかったかしら」
修道女の一人が呟いた。
モリナーリ家って。マルガリータはもう一度、修道院長の顔を見た。
カルロたちが住んでいる屋敷の元の所有者だった令嬢の出身家。
たしか伯爵家のはずなので、その一つ下の爵位で呼びかけたということは、カルロがモリナーリ家当主の弟か後継ぎ息子ということに。
怪物がそんな訳ないじゃない。
とっさにカルロを嘘の素性に仕立てたということかしら。大胆さにマルガリータはくらくらと目眩がした。
「モリナーリ家」
役人たちは銘々に背筋を伸ばした。
「異端審問所とは。何事ですか、修道院長」
カルロが穏やかに微笑し役人たちを一瞥する。
「ソレッラ・マルガリータに異端の疑いありと言っていらしているのよ」
淡々と修道院長が説明する。
「異端ですか」
カルロが、マルガリータの胸元のロザリオをチラッと見た気がした。
うっと呻き、マルガリータはわずかに後退る。
まさか、これを忘れたことに一晩気づかなかったから異端だと証言する気じゃないでしょうね。
睨むマルガリータに、カルロは笑顔を返した。
「彼女は先日、僕の幼い弟に信仰の道について説いてくださった非常に信心深い方ですが。何かの間違いでは」
「あの弟君」
「あの弟君ですわね」
玄関口から修道女たちの声が聞こえる。
なぜだかマルガリータは、急に口の中が蜂蜜とカスタードクリームで一杯になったように錯覚した。
「僕としても懇意にしている修道院なので、そういった話は気になります」
カルロが役人たちの方に向き直る。
「僕も詳しいお話を伺いたい」
役人たちが顔を見合せる。目線で何か意思疎通し合うと、一番の上役らしき者が「いえ」と低い声で答えた。
「そういった方のお口添えであれば。再度精査します。失礼致しました」
そう言い一礼する。他の役人たちも同じように一礼し、踵を返して正門の方に去って行った。
役人たちの姿が門の向こう側に消えると、カルロは修道院長に何か目配せした。
しばらくしてから、修道院長がすっとカルロに手を差し出す。
カルロは何か言いたげにフッと息を吐いて笑った。修道院長の手を取り、恭しく手の甲に口づける。
貴公子然とした振る舞いに、玄関口に集まった修道女たちが頬をうっすらと赤らめた。
「修道院長室まで。よろしいかしら “チェルトーザ子爵”」
落ち着いた口調で修道院長がそう告げる。
「もちろん」
カルロがそう答えた。
「ああ、ソレッラ・マルガリータも」
修道院長はゆっくりと踵を返してマルガリータにそう指示した。
「わ、わたしもですか?」
修道女たちの視線が一斉にこちらに向く。マルガリータはなぜだか気圧されて後退った。
「わたし異端に当たることなんてしてません」
「そんなことは言っていません。大事なお話があります」
修道院長がそう言い、院内へと入る。
「皆さん、失礼致します」
カルロが修道女たちに会釈して後に続く。
修道女たちは通りすぎたカルロの背中を見詰めた。
「チェルトーザ子爵」
「モリナーリ家のお方なのね」
そう口々に呟き口元を押さえた。




