Preparazione Festa del tè. お茶会の準備 ii
猫脚の椅子に座った男性が見下すように横目で見る。
短い癖のある金髪が、窓から射した陽光に透けていた。
テーブルの上には、二人分の紅茶のカップと焼き菓子の乗った皿。
芳ばしい香りがする。
静かで優雅な、良家のお茶の時間だ。
「えっと、あの……」
マルガリータはロザリオを少しずつ下ろした。
こちらをじっと見る二人分の視線に晒され、酷く気恥ずかしい。
「あの」
ここは怪物の屋敷では。そう言おうとして口を噤む。
二人とも、身形からそれなりの御家の方々と思われる。怪物の住み処と間違えて飛び込んだなんて、あまりに無礼だ。
マルガリータは軽く膝を折った。
出身はそこそこの商家だ。
貴族の令嬢にも負けないマナーを学んだつもりだし、女子修道院に入ってからもきちんとした礼儀を教わった。
正しい姿勢でカーテシーをしてみせるのは、怪しい人間ではないという身分証明でもあると思っている。
「申し訳ありません。お屋敷を間違えたようです。お騒がせ致しま……」
「カルロ、お前の拾い物か?」
逞しい方の男性が不機嫌な口調で言う。
「僕は拾ってないよ。ファウスト兄さんじゃないの?」
カップに飲み物を注ぎながら、優しげな方の青年が答えた。
兄弟なのか、とマルガリータは思った。
随分とタイプが違うけれど、腹違いか何かだろうか。
「兄さん、前にも女の子拾って来たじゃないか。忘れて放置してただけじゃないの?」
カルロと呼ばれた青年が、呆れたように言う。
「こんなペタ胸は拾わない」
逞しい方の男性が言った。ファウストと呼ばれていた方だ。
ペタ胸ってなに。マルガリータは思わず自身の胸の辺りを手で探った。
「成長期って言ってあげなよ。本人が気にするじゃないか」
カルロが眉を寄せる。マルガリータの方をもう一度見た。
「いくつ」
「え……?」
「年」
「じゅ、十六です」
なぜか、しくじった、というような表情をされる。
「成長期終わってるじゃねえか」
ファウストが目を逸らす。もはやマルガリータには露ほどの興味も無いらしい。
「いや……まだ終わってはいないでしょ。もうちょっとは」
カルロが答える。マルガリータに苦笑した顔を向けた。
「ごめんね。もう少し下の年齢だと思ったから。正直、十三、四歳くらい」
取り繕ってくれているつもりらしいが、なんとなくへこむかもと思う。
だが、不法に侵入し無礼を働いてしまったのは自分の方だ。文句も言えない。
「本当に失礼致しました。すぐにお暇しますので穏便に……」
「いいよ。せっかくだから焼き菓子でも食べて行ったら?」
カルロが空いている椅子を勧める。
「でも」
マルガリータは戸惑った。
本音を言ってしまえば、マルガリータ自身もさっさと退室してこんな失態は忘れたいのだ。
とはいえ断るのは更に失礼だろうか。
「よ……よろしいのですか?」
「男二人だけでお茶を飲むのもつまらないからね。ただでさえ兄は、“ああ” とか “うー” とかしか喋らない質だし」
「こんな子供じゃ、お飾りの華にもならんけどな」
そっぽ向いた姿勢でファウストが口を挟む。
ファウストの態度に気まずさを感じたが、マルガリータはもう一度膝を折り素直に椅子に座った。
白い猫脚の優雅な椅子だ。
「ちょうどケーキがあった。持ってきてもらおうか」
カルロが姿勢よくリビングの奥の扉に歩み寄る。
扉を少し開け、向こうにいるらしい誰かに呼びかけた。
そちらに厨房があるのだろうか。微かに甘酸っぱい香りがする。
「兄さんは、発情期の時しか女の子を連れてきてくれないからね」
扉を閉めつつカルロが呟く。
発情期。
場の雰囲気に極めてそぐわない単語が聞こえた気がする。
聞き違いかしら。マルガリータは、カルロの姿を目で追った。
ノックの音がし、背の高い女性使用人が入室する。
銀のトレーを両手で持ち、無言で恭しく礼をした。
群青色の丈の短いワンピースに同色のタイツ。異国人なのだろうか。変わった服装だ。
顔には仮面を付けていた。
「彼女に」
カルロがマルガリータを指す。
目の前に、ケーキの乗った皿が置かれた。
しっとりとしたスポンジケーキの上に泡立てたクリームがこんもりと盛られ、砂糖漬けのオレンジやアーモンドで飾られている。
見た目の可愛らしさにマルガリータは見惚れた。
美味しそうな甘い匂いで、ふんわりと心地よい気分になる。
「あ……ありがとうございます」
使用人の手元を見る。
服の袖と手袋の間からチラリと見えた素肌が、奇妙な黒紫色をしている気がした。
何かの病気かしらと思う。
女子修道院の書庫にある本に、該当する病の記述はあったかしらと記憶を探る。
敗血症ペストが頭に浮かんだ。
ドキリとしたが、ペスト患者を使用人に使う者などいるはずがない。
ちらりと仮面の顔を見上げる。
「お茶飲む?」
カルロが使用人の持ったトレーから紅色のカップを取った。
「女の子は花茶が好きかな。香りもいいし」
花茶。
なにかロマンチックで異国的な響き。マルガリータの頬が興奮で少し熱を持った。
無礼な間違いで来ておきながら、こんなに持て成されていいのかしらと恐縮する。
女性使用人が茶を注いだ。
煎じた葉の匂いと、花の香りが混じった不思議な香りがする。
「ありがとう」
出来うる限り上品な笑顔を作り、マルガリータはそう言った。
完璧。
貴族の令嬢にも負けないであろうマナーに、自分で感激する。
応じるように傾けた使用人の顔から、仮面が落ちた。
カランと音を立てて、マルガリータの目の前で小舟のように揺れる。
作り笑顔で見た使用人の顔は。
腐り落ちていた。
死体を防腐効果のある薬湯に漬けて腐乱を無理やり止めた。そんな感じだ。
甘酸っぱい匂いがすることに気づく。
干からびた杏子ジャムのような。
病気……いえ。
これは、死体の顔。
甘酸っぱい匂いは、死体が腐乱しかけたときの匂いだと気づく。
「きゃ……」
マルガリータは椅子から立ち上がった。
「きゃあああああああああああ!」
自分の悲鳴に自分で動揺して更に目が回る。
頭の中の血流が、でたらめに流れ出したように感じ、視界が急激に狭まった。