3話 神に愛された男(3)
「――で、聖から事情きいてるわけ」
「まあね」
レイちゃんの言葉にしーちゃんが答える。短い返事を聞きながら、しーちゃんがさっき出てきた部屋のドアをレイちゃんが開けて。レイちゃんが幼いあたしに手招きする。あたしは部屋の中に足を踏み入れた。
部屋に入って1番初めに目に入ったのは、部屋の中心に映った大きな映像だった。
「! きよさん……!」
そこには聖くんの姿が映っていて。聖くんより手前には空の色のような、アズール、つまり紺碧の鮮やかな短髪の後頭部が映っている。短髪の上部に対し、長髪の下部を1つに束ねていた。
『……お前、なんで……』
聖くんより低い大人の男の人の声が、映像から聞こえてくる。たぶん紺碧の髪の人だと思う。
『――紫桔舞に派遣されて来ただけだけど』
聖くんの口元が動くと、聖くんの声が通って。
『守上様が……』
聖くんでも低い大人の男の人でもない3人目の声。
『!! 貴様――!!』
(!!)
聞き覚えのある4人目の声に、振り上げられた黒い闇を纏った剣と、死ぬことを理解した時の恐怖を、幼いあたしは思い出す。
あたしは両手で二の腕を抱えた。そして身体は小さく震えだしてしまう。
『……あの時の小僧か』
「アメリア、だいじょぶか?」
あたしの追っ手の声と重なったレイちゃんの声。後ろにいたレイちゃんが傍に来てしゃがむ。
『あの時……?』
紺碧の髪の男の人が訝しそうな声でそう呟く。
『罪人はどこにいる』
『……』
追っ手の言葉に聖くんは答えない。
『貴様が我らを退けた。その結果がこの戦だ。貴様らが雲隠れしている間に死者は増えた。どう詫びるつもりだ、外道』
(!! 私のせいで――)
あたしは戦が起こり、死者すら出したのは自分が逃げてるせいなのだと知って自責の念に駆られた。
なのに、聖くんは言ったんだ。
『……アメリア。あんたは悪くない』
傍にいなくても、聖くんはあたしを気遣う言葉を口にする。
『外道なのはお前らでしょ』
『貴様ら人間ごときに我らの事情など理解出来るはずもない』
聖くんの言葉にそう言い捨てる追っ手。
あたしは、人間……? と、その言葉を理解できずに心の中で呟く。
『話は終わりだ。居場所を吐け。さすれば命だけは助けてやる』
『ホント疲れる。言ったよね。俺たちを追うなって。その後の言葉も覚えてないの』
その瞬間、追っ手は一瞬で聖くんとの間合いを詰めていて。
「きよさん――!!」
あたしは叫ぶ。追っ手は黒い闇を纏わせた剣を手に、聖くんに襲い掛かった。
――なのに、追っ手は後ろで控えていた何人もの追っ手と共に、倒れて地にめり込んでいて。ズドオオオン!!! という音と共に地に倒れる何人もの追っ手。追っ手らの乗る足場の地面だけが沈下していた。
『ッ――!!! 小癪なぁ!!!』
追っ手は起き上がろうと必死にもがく。具現化した追っ手の闇の翼。それを羽ばたかせようとするものの、圧力を受けているかのように翼も地面にめり込んで。微動だにしない。
『国に帰って後悔すればいい。お前らの行動のせいで災害に見舞われるんだから』
そう聖くんが言うと、空中の空間が割れる。
「なに、あれ……空が……」
あたしは声を漏らす。空間の割れ目は面積を広くして膨らむ。割れ目の先には、赤く滲む空が見えた。
◇◇◇
(神に愛された男――な)
その力は、聖にだけ許された力だった。その力の名は『異能』。聖だけが持つ、特有の能力。
異能なら、おれらの種族も持っていた。けど、聖の持つ異能は異質で。
それは、おれらとは比べ物にならないほど絶対的な力だった。まさにabsoluteで。
神から授かった、神の力。そう表現するほかない。
聖は神から愛されているんだろう。でなければ、聖は赤子の時に死んでいたに違いない。
聖は、神に嫌われたわけじゃない。間違いなく、愛されている。神に、その力に。
本来、もう1つの空間との行き来は許されず、それぞれの世界を繋ぐこともできない。だからこそ、おれは思った。アメリアの横で、その魔界と繋がった空間を見ながら。
佐倉聖。あいつは、あいも変わらず神に愛された男なのだと。
◇◇◇
「ああ、アレは魔界」
レイちゃんの声に、魔界……? と理解が追いつかないあたしは零す。
『――俺たちを追うな。災害が治まってほしいなら尚更』
そう聖くんが言うと、追っ手らはうつ伏せで横たわったまま宙に浮かんで、割れ目に吸い込まれていくんだ。
『ありえぬ!!! 人間ごとき下等な種族に屈するなど!!! あってはならん!!!』
声がどんどん離れていく。割れ目は閉じて跡形もなくなって。
その光景を見ながら、幼いあたしはただ意味が解らずに混乱していた。レイちゃんを見て、口を開く。
「ここは、どこなんですか……。……あれが魔界なら、ここは――」
その問いに、レイちゃんは立ち上がると答える。
「ここは魔界でも聖界でもない。人間の世界」
「!! じゃあ、レイヴィアさまもきよさんも人間だっていうんですか――……!」
レイちゃんの言葉にそう口にするあたし。
(……聖のヤツ、何も説明してないのかよ)
レイちゃんはあたしの様子にそう思いながら答える。
「おれと紫桔舞は人間じゃないけど、聖は、この世界のほとんどのヤツは人間だな」
「……なんで。なんできよさんは私を助けたんですか。人間は、魔族も、あの聖族も捨てて逃げたのに――!」
幼いあたしは混乱した。あたしが当時教えられていたのは、魔族視点で描かれた歴史だったからだ。
昔から2つ存在した世界。元々、魔族と聖族、人間。あらゆる種族は1つの世界に暮らしていたらしい。けど、魔族の忌まわしき敵、聖族と、あたしら魔族を捨てて人間は大昔の争いの末にもう1つの世界に逃げたと謂う。
まだ子供だったあたしは理解できずに混乱した。そんな人間が魔族の自分を助けるのはなんのためなのだと。
「そんな大昔の人間のことなんて、人間の聖にだって分からない。そうだよな、聖」
(!)
レイちゃんが顔を向けた視線の先を見れば、聖くんがいて。聖くんの後ろにある入り口のドアが閉まる。
その姿を見ると、聖くんの言葉の数々と聖くんの気遣いや優しくしてくれた1つ1つを思い出して。でも、それも全て、何か目的があってしたんじゃないかってウソに思えてきて。
(父上……母上……っ)
幼かったあたしは泣きたくなる。何を信じればいいのか判らなかったからだ。
あたしを助けてくれたのが善意ではなく、何か企みがあってやったんだと思ったあたしは、国に裏切られた時のように、また裏切られた気持ちになる。あたしは右手の拳を胸につけながら俯いた。