2話
結論から言うと、娘は翌日には私達の手元に戻った。
あの容姿であれば、普通の赤子の様に人の目に触れないなど考えられない。
侍女はどうにか隠そうと苦心した様だったが、あまりに美しい赤子を抱く女の姿は、侍女の予想を超えて多くの人の目に止まっていた。
公爵家の騎士団に連行されてきた侍女は、常軌を逸していた。
私の娘を返せ!と、連行してきた騎士の手に噛みつき、顔に爪を立てる。
余りに暴れるため床に押し倒されても、何とか娘を取り戻そうと髪を振り乱し必死に手を伸ばす。
泣き叫ぶ侍女には誰の声も届かず、そのまま地下の一室にて幽閉する事を決めた。
急遽戻ってきた息子は、侍女をその手に掛けんばかりの勢いで、なぜ幽閉なのかと私にくってかかる。
侍女の事情とこれまでの働きをを考慮しての処置だったが…それも甘かったのか。
手元に戻った娘を胸に抱き、妻はごめんなさい、ごめんなさいとずっと泣き続けていた。
姉とも慕った者の裏切りに、その身も心も疲弊しきっている。
それから暫くの間、妻は娘の側を離れず、私と息子以外には触れさせないほど、周りを警戒する様になった。
その姿に私は何も言うことが出来ず、己の甘さを悔いるばかりだった。
自分の胸を去来する強烈な後悔と共に、自分自身を責め続けた。
それから月日がたち、私と息子の献身を受け、妻は徐々に人の手を許容し始めた。
娘が笑った、立ち上がった、しゃべったと、
日々成長する娘の側で、心も癒されて来たようで、その姿に安堵を覚えていた頃…更なる事件が起こった。
それは国をも揺るがしかねない、神官によるベアトリーチェの誘拐だった。
国境付近の、普段は人に見向きもされない教会で、娘は発見された。
白い衣装を着せられ、その小さな体に合わせて作られた様な棺の中、薔薇に埋もれた状態で眠らされていた。
なぜ、なぜ…!
神官であるお前が、その様な事をするのか!
公爵領の教会を預かる立場のお前が!
心配そうに、妻や私達の様子を見ていたお前が!
胸に荒れ狂う激情のまま、その男を壁に叩きつける。
狂った神官は、呆けた顔で私に語りかけてきた。
「貴方の娘は聖女様であられる。
聖なるお方は、聖なる者に仕える者の手で、
お育てするべきだ。
聖女様の父である貴方が許せば、それが叶うのです!」
その狂った言葉に吐き気が込み上げる。
更なる激情に抗うのを止めた私は、
力の限りその男を殴り付けた。
それに加え、予想された最悪な事態も露見する。公爵家の使用人の内少なくない人数が、神官の手引きを行っていたのだ。
しかも彼らは比較的娘に近い場所で、仕事をしている者達だった。
使用人達は犯罪者として公爵家にて即刻処分とした。
聖女様は聖なる方の身許でお育てするべきだと、うわ言の様に同じ言葉を繰り返す。
そんな者達を、少なからず私達の娘への想いを見ていた筈の者達に対して、赦す気持ちは微塵も無かった。
が、神官はそうはいかない。
教会に所属する者は、教会でしか裁けない。
断腸の思いで、私は王家へ協力を要請した。
それが娘の運命を変える可能性を十分に意識した上で。
公爵家からの要請を受けた王家は、即刻然るべき対応を見せた。
狂った神官は数日と立たぬ内に病死。
他に関与した者がいないか調べるという名目を得た王家は、これ幸いとばかりに粛々と教会の悪事を暴き出していく。
聖女なき今、神の御業を説き、急速に人々の支持を集めていた教会による数多の悪事の暴露。
今回の事はさぞ僥倖だった事だろう。
そして、事態が落ち着きを見せた頃、王家から一通の手紙が届いた。
それは来るべくして届いた通知。
娘が今代の聖女である可能性を鑑み、魔術師長が鑑定にくるとの内容だった。
あの日、妻の侍女による事件が起こった時から、私はその可能性を必死に否定してきた。
娘が無意識に、魅了を使っているのではという恐ろしい可能性を。
―魅了持ち
それは王家に遺された、聖女の遺産。
ここ数代発現しなかった異能。
発現した者によってその力に強弱はあるが、初代聖女はその大いなる力によって、敵を退けこの国を守った。
味方を鼓舞し、敵兵をその力で魅了する。
だが強すぎる力は両刃の剣。
聖女は王家に与する事によって、その力を振るう事を許された。
だが我が娘は?
聖女を妻とした王の、その王弟によって始まった我が公爵家は、連綿と王家との間に血を繋げてきた。
我が家に魅了持ちが生まれる可能性は十分にある。
だが、娘はどうなる?
私達の愛する娘は?
私は王家に連なる者として、聖女として崇められてきた者たちの実態を知っていた。
聖女と認められた者は、国の安寧を願い祈りを捧げるとして、その生涯を神殿で送る。
たがそれは、力を奪われ無いようにする為の監禁に他ならなかった。
戦が起きれば偉大なる力を振るう者として前線に駆り出され、平時であればその力を継ぐ子を産むための…道具とされた。
王家の血を継ぐ者からしか生まれない聖女。王族の男たちの種を受け、次代へ聖女を繋ぐための孕み腹。
それが、聖女と選ばれた女たちの実態だった。
そうして繋いできた聖女の力。
だが、いつしか濃くなりすぎた血故か、子が生まれなくなった。
娘を逃がす事も考えた。
だが、数代振りに現れた魅了持ちを、奴等が、王家がみすみす逃す筈がない。
何よりあの王の視線を思い出し、強烈な吐き気を催した。まだ幼子の娘に対するあの目を…
であれば娘のため、私に出来る事は何か。
魔術師長が訪れたその夜。
私は領地に隠遁していた父を呼び出し、息子、妻、家令と共に、長い時間を過ごした。