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微笑みの永訣

作者: 春羅


 まだ九歳の時。


 父母の亡い寂しさ、不安定な心を突き放した。


 家を出て行く日、見送るわたしは必死に涙を堪えた。わたしが泣いてしまったら、あの子も我慢できなくなるから。


 十一も歳の離れた弟。


 父が死んで……わたし達二人の姉が悲しみに暮れる中でも、弟だけは泣かなかった。


 生来甘えん坊で、人見知りのくせに寂しがりや。もちろん、まだまだそれが許される年齢のかわいい弟だった。決して、強い子ではなかったのに。


 どうしてわからなかったのだろう。わたしもまだ幼かったといえばそうだけど。


 我慢させずに、思いっきり泣かせてあげればよかった。



 少しも変わらず、纏う雰囲気が穏やかで優しい。


 “新撰組一番隊隊長の沖田総司は、剣鬼の如き人斬り。通りを歩けば、尊攘志士が一目散に逃げ出す”


 そんな噂、嘘だったのではないかしら。そうよ。新八さんや左之さん辺りのヤンチャならともかく。


「なんですか、姉上は。さっきからニコニコと」


 桜散る、小さな庭に面した離れ。植木屋の平五郎さんに匿われながらの療養生活。


 やっと築いた大勢の“家族”と別れ、またひとりになってしまった。


 ……いいえ、二度とひとりにさせやしない。遅くなってしまったけれど、今こそわたしが守らなければ。


 すっかり細くなった躰を病床から起こし、不審そうに首を傾ぐ。ちょっと女の子みたいな仕草が癖なのは、わたしのせいかもしれない。


「あら、笑っていたかしら。そうね、青空と桜がきれいだから」


 納得いかない様子ながらも、弟は身を屈めて空を覗いた。


 わたしが決断して、子どもの足では帰れない距離にある剣術道場・試衛館に預けた。


 天武とさえ称される程に剣の腕を上げ、たくさんの仲間ができ、当時は次期道場主で、若先生と呼ばれていた近藤勇さんを、父のように慕っていたのが救いだった。それは今も続く、掛け替えのない絆。


 忘れてはいけない罪の意識が、僅かに軽減された。


 仲間総出での上洛について行かないわけがないし、京に残るという勇さんに逆らうわけもなかった。まして、他に住む場所がない。


 まさか五年も帰らないとは。大病を抱えているとは。


「ねぇ、宗次郎」


「……もう、今は総司ですってば」


 そうだったわ。元服の時に、名を改めたのだった。


 でも、九歳までが一緒にいられた唯一の時間なのですもの。宗次郎のあなたで、わたしの中では止まってしまっているわ。


「あ、そっか。平五郎さんには秘密だった」


 新政府軍……かつて新撰組が討伐する側だった倒幕派に、追われて身を隠している。松本法眼のご厚意で、静養が必要な患者としてお世話になっていた。


 見つかれば、本人は当然、身内ごと皆殺しに遭うのではないか、といわれるくらい憎まれているらしい。


 いつ治ってくれるのかわからない病にまで蝕まれて……。


「ごめんね、姉さん。宗次郎でいいよ」


 ねぇ宗次郎……わたし、あなたの誰より大切な先生を、恨んでしまいそうなの。最低だわ。あのひとに、あなたもわたしも救われたのに。


「それで、なに?」


 さっきこの子を呼んだとき、わたしは何を言おうとしたんだろう。


 訊いたとて、答えはわかっている。


「ううん、なんでもないわ」


 あなた、幸せ?


「疲れたでしょう。もう(やす)みなさい」


 毎日笑っているけれど、辛くないの?


「平気だよ。すぐ子ども扱いするんだから」


 後悔はない。大好きなひと達に囲まれて、自分の腕を頼りにされて幸せだった。


 ……きっと、そう笑うに決まっている。


 この子に泣く場所はあるのだろうか。


 我慢で自分を抑え込まなくて済む、ありのままを受け止めてくれるひとは、いるのだろうか。


 夕方に服む薬を準備して戻ったら、胸が跳ねる静かさで眠っていた。


 蒲団を掛け直して、痩けた頬に手をあてる。


 ずっと前に言っていたわね。



 ――……


 畳の上で死ぬのだけは厭だ。先生を守って、僕より強い剣士と精一杯戦ってから死にたい、なんて思ったこともありましたけど……。


 僕は武士になりたいわけじゃないから。


 死に方に拘ること、ないんですよね。


 それよりも、生きているときを……なんて、みんなに笑われちゃうかな


 ――……



 薄闇に、昼間とは違う表情を見せる桜が浮かぶ。


 わたしが夫と共に庄内藩へ向かう、少し前の日の景色。


「ちゃんと毎日お薬を服むのよ」


 またわたしは、自分の家族の為に弟を捨てるんだ。


「無理しないで、しっかり眠りなさいね」


 こうして口うるさくしていなければ、涙が溢れて止められなくなる。


「汗をかいたら、こまめに着替えなさいよ」


 いつだって、わたしのほうが泣き虫ね。


「平五郎さんのお母様がよくしてくださるから、言うことを聞いてね」


 他人に看病を任せなければならないなんて。今できることが、手を動かすだけの虚ろな作業だけなんて。


 掃除や洗濯物の整理、薬が足りているかの確認……とうに片付いた部屋をウロウロ動き回る。


 そんなわたしを、弟はすべてわかっているように黙って、たまに


「うん」


と、静かに返事しながら眺めていた。


 そのうちにすることもなくなり、出発の刻限が近づく。


「じゃあ、もう行くからね」


 抱きしめたい。


 けれど別れを惜しむ行為など一つもしたくなかった。


 これで最後なんかじゃない。


 また会える。


 この国が落ち着く頃にはきっと病も治って、また会える。


 そう信じるしかなかった。


 心から信じられなければとても、置いていくことはできなかった。


 障子を開けると、意外なくらい陽が照っていた。こんなに眩しいのに、気付かなかった。


「姉さん」


 今日向き合うことが苦しかった弟の顔は、微笑んでいた。


「ありがとう」


 ああ、今でさえ宗次郎は、眸を潤ませながらも懸命に我慢をする。


「な、なに言ってるの! 姉弟でしょっ」


 また、先に泣いてしまうのはわたしだ。


「……ううん。今日まで、ありがとう。僕、姉さんの弟でよかった」


 どうかわたしの代わりに、最期の時には誰か、抱きしめてほしい。







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