1 4-5 40a-40 タダより高いモノはなかった
前半名も無きおじさん視点、後半環希視点。
この中学生が、あの庭野まどかの娘なのか? なるほど、どことなく母親に似ているな。
どれ、噂の天才テニス少女の腕前がどれ程のものなのか、お手並みを一つ拝見するとしよう。
「次、160キロぐらいでお願いします」
「了解した」
バシッ
「てぃ」
160km/hの球速にも一本目から、ちゃんと対応してくるのかよ。
さすがは、日本国内のジュニアで無敵なだけはあるか。
「次は、センターでもワイドでもどこでも構いませんので、試合のサーブみたいにランダムでお願いします」
「了解!」
ここからが本番という事だな。どれ、いっちょ揉んでやろう。
バシッ
「とぅ」
バシッ
「やぁ」
バシッ
「おりゃ」
バシッ
「どりゃ」
……全球リターンを返されるだなんて、マジかよ。打っているサーブは、フラットだけじゃないんだぞ?
しかも、そのリターンは全部インに入っているのだから凄いの一言だ。なんという対応力だ。
伊達にITFジュニアで、デビューから五連勝はしてないということか。
「次、170キロをセンターにお願いします」
「……了解した」
ジュニアの女子で、170km/hのサーブかよ……
バシュ!
「とぅ! ……あれ?」
さすがに、170km/hのサーブはネットに引っ掛けたか。
しかし、初見で、中学二年の13歳の女の子が、俺の170km/hで打ち込まれたサーブのグラスコートの球足に反応して、レシーブしてくるだけでも凄いことなのだと思わずにはいられない。
「もう一本お願いします」
「行くぞ!」
バシュ!
「でりゃ! もう一本!」
マジかよ。たった一本ミスしただけで、直ぐにアジャストして二本目からは、ちゃんとリターンを返してくるのかよ。これは、並大抵の選手ではないぞ。
これが、天才少女の天才たる所以という事なのかも知れんな。
バシュ!
「どりゃ! 次、ランダムで!」
バシュ!
「おりゃ!」
バシュ!
「でぇぃ!」
試合形式のサーブでも、リターンを返されるのかよ。これはもう笑うしかないぞ。
「次、180キロでお願いします!」
ちょっと待て! まだサーブの球速を上げろというのか? ジュニアの女子で、180km/hのサーブを打てる選手なんて、ほとんどいないだろうが!
「……すまん、これが今現在の俺が出せる全力なんだ。だから、180キロオーバーは無理だ」
「えっと、そうでしたか。失礼しました。練習が楽しかったので、つい現役選手と勘違いして仕舞いました」
今でも無理をしたら、180km/hのサーブを打てないこともないはずなんだけど、また肘を痛めそうで怖いんだよな。
だから、身体の防御機能としてのリミッターが、どこかで勝手に働いているのだろう。
それに、もう俺もいい歳なんだし、少しは自重しないとな。
「それは気にしなくてもいいよ。しかし、俺も久しぶりに楽しかったよ」
「私もテニスをするのは楽しいです!」
まあ、それだけテニスが上手くて強ければ楽しいだろうよ。
でも、そういう意味ではないんだ。違うんだよ。
「では、サーブはこれまでとして、次はストロークでお願いします」
「わかった。試合形式でやるか?」
「それでお願いします!」
「了解した」
でも、俺は膝にも爆弾を抱えているんだよな。
世界トップレベルのジュニア選手を相手に、ギリギリで全日本選手権に出場できたレベルの俺が、どこまで持つのか不安になってきたぞ。
※※※※※※
「あの~、それで一つお願いがあるのですけど、よろしいでしょうか?」
今日の練習が終わって一息入れている時に、このテニスクラブのオーナーのおじさんが声を掛けてきたので、少し話をしていたら、何かお願いをされてしまいました。
ちなみに、私の練習の相手をしてもらった此処のコーチは、ラリーの途中でギブアップをしてしまったので、そこからは、麻生さんに練習相手をチェンジしてストロークを続けました。
サーブのスピードでは、コーチのおじさんの方が上でしたけど、ストロークでは麻生さんの方が上で、実戦形式の良い練習が出来たと思います。
「私に出来ることでしたら」
「ええ、それはもちろん、テニスに関してのことですから大丈夫です!」
「それはつまり、エキシビションか会員さん相手のヒッティングでしょうか?」
「話が早くて助かります。是非ともウチの会員さんと練習して頂けないでしょうか?」
でも私って、ママが庭野まどかではあっても、まだ私自身は、ジュニアグランドスラムにも出場すらしたことのない、一介のジュニア選手なんだけどなぁ。
そんな私が、有名プロがやるようなことをしても大丈夫なのでしょうかね?
少し心配になりますけど、先方さんが是非にと頼んでくるのだから、邪険にするのも悪いですし断れないよね。
「一時間ぐらいであれば、私は構いませんけど」
「ええ、ええ。それで十分です」
※※※※※※
無料で練習させてもらえた代償に、テニスクラブの会員さんの相手をさせられてしまったよ。
なるほどね。会員制のテニスクラブなのに、どおりで簡単に話が通ったわけだよ。どおりでママが佐賀行きの許可を、すんなりと出してくれたわけだよ。
タダより高いモノはなかった!
最後に、みんなで私を囲んで集合写真なんかも撮ったりもしました。気分はもう既に、有名プロテニス選手になったような感じがして、少し照れくさかったです。
なんか、サインまで強請られてしまったけど、私はちゃんとしたサインなんて、まだ決めてないぞ?
それに、表の看板もそうでしたけど、どうやら私が此処に来ることを、ほとんどの会員さんが知っていたみたいなので、おかしいと思ってテニスクラブのサイトを覗いてみると……
『グランドスラムのダブルスを七度制覇した、あの庭野まどか選手のご息女であり、国内ジュニア公式戦無敗、ITFジュニアサーキットでもデビューから五大会連続で優勝という鮮烈なデビューを飾った、
あの期待の超大物ジュニアである庭野環希選手が、ゴールデンウイーク期間中に当テニスクラブに来場予定!』
とかなんとか、テニスクラブのサイトトップにおいて、私の訪問が堂々と告知されているでやんの。
これは、ママとテニスクラブがグルになって、私を嵌めたということでしょうか? 麻生さんも一枚噛んでいそうな気がしますね。
しかし、これから数年後にはプロとしてやって行くのだから、これぐらいのサービスは笑顔で対応しなければなりません。
プロとは、その競技のファンがいて、応援をしに試合会場に足を運んでもらうか、テレビで試合を視聴してもらって、初めてプロとして成り立っているのですから。
ファンあってこその、プロということになります。
でも、ギブアンドテイクなのだから、お客様は神様とまでは思わないけどね。