1 4-5 40-40 とあるSAGAの……
「そういえば、クレーコートの隣って工事を始めているけど、グラスコートにするんでしょ?」
「お爺ちゃんが張り切っていてね、私たちが全仏から帰国するまでには間に合わせるとか言ってたよ」
もう既に、お爺ちゃんがミニユンボを使って、地面を掘り返しているのだ。
といいますか、お爺ちゃんってバックホーの免許持っていたのね。
造園業者に頼んで任せるのかと思っていたのに、まさかお爺ちゃんが自分で作ろうとするとは!
でも、その気持ちはなんとなく分かる気がする。私がお爺ちゃんの作業を見ていても、ユンボって動かすの楽しそうだもんね。
整地したあとで、芝生を貼るのか芝生の種を蒔くのは、さすがに業者に任せるとは思いますけど。
「それなら、ウィンブルドンの前に、芝で練習することが出来るようになるのね」
「うん、その予定だよ。それで、ウィンブルドンの芝を管理している職人さんの一人を、アドバイザーとして臨時に派遣してもらうんだってさ」
私としては、そこまで拘らなくてもいいと思うのだけれど、お爺ちゃんもママも凝り性だからなぁ。
凝り性だから、お爺ちゃんは自分でユンボを操作したとも言えるのかな?
「なるほど、そうしたらウィンブルドンの芝に近いグラスコートが出来上がるわけかぁ」
「まあ、日本とイギリスとでは気候風土が違いすぎるから、完全には真似できないと思うけどね」
「そりゃそーだ」
「でも、六月って梅雨時なんだよねー」
「雨で練習が出来なくなるのか。でも、日本で一番雨が降るのは九月とかいう話だよ」
「そういえば、そうだったかも知れない」
WTAツアーのインターナショナル大会である、ジャパンウィメンズオープンなんか毎年のように、雨に祟られているイメージがありますしね。
あと、九月は台風のシーズンでもあるから、余計に雨が多いのか。
「さすがに、グラスコートに屋根を付けるわけにはいかないしね」
芝生とは、お天道様の光を浴びないと育たないのだからね。
「可動式の屋根があるじゃん」
「お金が掛かり過ぎるから、それはママに却下された」
あと、グラスコートに屋根は美しくないとか言ってましたね。
ママの拘りの中には、美意識の問題もあったみたいでした。
まあ、言われてみると、それは正論の気がしますしね。
ウィンブルドンが屋内コートだったら、私でも興醒めしますし。
「芝はメインじゃないのだから、それは仕方ないか」
「サーキットでも六月と七月だけだもんね」
「ジュニアでは七月のウィンブルドンと、その前哨戦のG1大会だけしかないよ」
「そうだったかも」
芝はメインのサーフェイスじゃないから、日本では芝のコートが極端に少ないんですよね。
有名なグラスコートは、佐賀にあるテニスクラブくらいしか、パッとは頭に思い浮かばないぐらいですしね。
あと、芝は管理が面倒で大変というのも、グラスコートが普及しない理由の一つだと思います。
コストも余分に掛かりますしね。
ん? 佐賀か……
ゴールデンウイークにでも、佐賀に練習をさせてもらいに行こうかな?
思い立ったら吉日、ウチのグラスコートが完成するまで待ってはいられないよ!
ちょうど私の海外遠征も、五月半ばまで延期になったことだしね。
※※※※※※
そんなことがありまして、今回の佐賀行きが決定したということでありました。
羽田を飛び立ってからおよそ二時間、佐賀空港に到着しました。空港でコンパクトなレンタカーを借りて、ほぼ道なりに車を北へ走らせること三十分あまり。
市街地を抜けて田園風景の右斜め前方に、テニスコートらしきフェンスが見えてきました。
やってきました、グラスコート佐賀!
捻りもない、そのまんまの名前ですけど、佐賀にあるグラスコートなのだから、逆にシンプルで分かりやすくていいと思います。
グラスコートがないにもかかわらず、○○ローンテニス俱楽部とかの名前を付けてる所が多すぎますしね。
まあ、昔の名残りなのでしょうけど。
今日から二泊三日で、グラスコートに慣れるために練習をみっちりとする予定を組んでいるのです。
ゴールデンウイークという、テニスクラブにとっては書き入れ時にもかかわらず、コートを一面押さえれたのは、僥倖でしたね。
それも、会員制なのにタダで。
でもなんで、『歓迎! 庭野環希選手!』などという、即席の看板まで出ているんですかね?
なんだか、嫌な予感がするのですけど……
※※※※※※
「今日はよろしくお願いします!」
「こちらこそ、トップレベルのジュニア選手の相手が出来るのだから、今日は楽しみだよ」
私の練習相手としてサーブを打ち込んでくれているのは、地元の元日本ランカーで、このテニスクラブでコーチをしているおじさんです。
若い頃には、全日本選手権にも出場したことがあるとか聞きました。
そう言われてみると、前世の記憶の片隅に引っ掛かるような気もしないでもありません。
もう既に、遠い昔の出来事ですので、前世の記憶もかなり曖昧になっている部分もあるのですがね。
「初めは130キロぐらいでお願いします」
「了解した」
パシッ
「てぃ」
うーん、130km/hぐらいだと、バウンドしてから跳ねる球足の速さは、あまり感じられません。130km/hの打球だと、ハードコートとあまり変わらない気がしますね。
五球ばかり打ってもらって、それをレシーブしてリターンを返してみました。
「次は、140キロぐらいでお願いします」
「了解した」
パシュ
「やぁ」
140km/hのサーブだと、バウンドしてから跳ねる球足の速さが、多少は速く感じられるようになりました。
摩擦係数とか言うのでしょうか? サーブでもリターンでも打ち込まれたボールが地面に接地した瞬間に、ほんの僅かに勢いが殺されて減速するのですよね。
これは、クレーや砂入り人工芝では特に顕著で、球足が伸びないサーフェイスということになります。
逆にハードやグラスコートの場合は、ボールが滑るのかバウンドしてから、ほとんど減速しないままボールが跳ねるのです。
つまり、球足が伸びるサーフェイスということになります。
それで、グラスコートは一番球足が速いサーフェイスと言われているのです。
もっとも、屋内カーペットの種類によっては、カーペットの方が速いと感じる選手もいるのですがね。
球足が速いサーフェイスは、それだけエースやウィナーを取りやすいとも言えるのである。
うーん…… やはり、140km/hのサーブでは、物足りないですね。
「今度は、150キロでお願いします」
「了解!」
パシュ
「やぁ!」
150km/hの打球になると、球足もだいぶ伸びて速く感じられるようになりました。
そうそう、こういうのを待っていたんだよ。これなら楽しめそうですね!