244話 誰でしたっけ?
「──万年ドサ廻りをしているような選手が相手なら、まず間違いなく勝てるよ」
「ほう? 飛ぶ鳥を落とす勢いの環希ちゃんであったとしても、男子プロとしてそれは聞き捨てならないセリフだな」
試合の途中から記者さんの隣りで観戦していた、二十半ばぐらいの青年が、私の言葉尻を捉えて口を挟んできました。
「えーと…… 誰でしたっけ?」
「えっ!? 俺のこと知らないの?」
こんな(´・ω・`)顔文字が付くぐらいには、知らんがな。
15k25kのフューチャーズをドサ廻りしているような男子選手なんて、日本人だけで何十人もいるのだから、いちいち一人一人の名前まで覚えていられないんだよね。
私に名前を覚えてもらいたいのであれば、せめてランキング200位台になってから出直してきたまえ。
「すみません、どこかで顔は見たことあるんですけど、顔と名前が一致しないんですよね。ま、松…… なんだっけ?」
松田だと、松田修平になっちゃうし、現役の日本人男子世界ランカーで松田さんはいなかったはずでしたよね?
松井、松川、松沢…… なんか違うんだよなぁ。
「松山、大きく翔ぶと書いて、松山ハルト!」
「よかった、松は合っていたんだ」
「去年の全日本選手権で準優勝しているんだから、ちゃんと覚えておいて欲しいなぁ」
だから、ちゃんと顔だけは覚えていたじゃん!
「松山選手は、ちょうど600位ぐらいをウロウロとしている選手ですね。それで、チャレンジャーレベルだと、どうです?」
「うーん…… チャレンジャーは大会のレベルによりけりかな?」
「環希ちゃん、無視しないでよぉ」
コイツは躾けのなってない駄犬だな。
「ごめん、今は記者の山田さんと話しをしているのだから、松山さんの相手は後でしてあげるから、そこで待ってて」
人が話しているのに割り込むのは、大抵の場合は嫌われる行為だよ。
犬のようにちゃんとお座りして、そこでお行儀よく待ってなさい。
それよりも、チャレンジャーは大会によって、出場する選手のレベル差が激しすぎるんだよね。
これは、女子ITFサーキットの60k100kとかの大会に関しても、同様のことが言えるのですが。
「チャレンジャーは一概には比較できませんか」
「そういうことだね」
「それじゃあ、たとえば庭野選手がATP250に出場したとして勝てますか?」
「ATPツアーは私でも無理、正攻法だと絶対に勝てないね」
現役を引退して二年のサナダさんのレベルが、ランキング200位か300位台ぐらいの実力に落ちていると仮定しても、ストローク戦では私が押し負けちゃいますからね。
つまり、それぐらい男女の間には、身体能力に差があるということになります。
しかし、技術はまた別の問題になるんだよね。
「その言い方だと正攻法じゃなければ、ATPツアーでも勝てると聞こえるのですが?」
「ストローク戦を捨てれば、ね。やりようはあるんだよ」
「ラリーを捨てたやりようですか?」
ちょうど試合も萌香ちゃんの勝利で終わったことだし、私の言葉に対して聞き捨てならいないと言ってきた、松山選手がいるのも好都合ですね。
それに、論より証拠を見せたほうが、山田記者と松山選手も納得しやすいでしょう。
まったく、固定観念や男のプライドというヤツは面倒くさいんだから。
ということで、ここは一つエキシビションでもお見せしますか!
「松山さん、エキシビションマッチやりませんか?」
「エキシビション? 俺と環希ちゃんとで?」
「私の言葉が気に入らなかったから、口を挟んできたんでしょ?」
「まあ、それはそうなんだけどさ」
「だったら、論より証拠ってことで、私が男子のランキング600位の松山選手に通用するのかどうか、試してみるのも一興かと思いませんか?」
「おおっ! それは面白そうな試みですね!」
「そこまで言うなら、受けて立とうではないか!」
そうこなくっちゃね!
だけど、男子プロテニス選手としての、プライドがズタズタになったとしても、私は知りませんし責任は持てませんよ?
「そうと決まれば善は急げということで、今大会のトーナメントディレクターは誰だっけ?」
「田中真理恵さんですね」
「田中さん田中さんっと…… いたいた、発見。おーい、田中さーん!」
私は田中さんを呼びながら、コート中央に駆け寄って行くことにしました。
ちょうど萌香ちゃんと、表彰式の話をしていたみたいでしたね。
というか、勝手にコートに入ってもいいのかって? いいんです!
私を誰だと思っているのですか?
日本人女子ナンバーワンのたまきちゃんだぞ。
まあ、本当は私も一応、関係者ってことになっているからが正解なんだけどね。
「たまきちゃん、ちゃんと試合見てくれてた?」
「萌香ちゃん優勝おめ! 優梨愛ちゃんはおつー!」
「たまきちゃんが塩対応を覚えた…だと!?」
「環希は田中さんに用があるみたいですよ」
「うん、ごめん。ちょっと田中さんに用事があるから、またあとでね!」
「そういえば、田中さんって呼んでたね」
ちなみに、田中さんとはハム子様と同年代の元女子テニス選手で、ダブルスで何回かツアー優勝もしているダブルスのスペシャリストになります。
若い頃のママともペアを組んで、インターナショナルで優勝したこともあったと記憶しています。
その縁で、田中さんは年に何度かウチにも顔を出すので、私とも顔見知りということになるのですよ。
「田中さん、田中さん」
「なんです? これから表彰式があるんだけど?」
「表彰式の後で、私と男子選手とのエキシビションやらしてくれない?」
「環希ちゃんが男子とのエキシビションマッチですか? 面白そうな話だけど、またどうして突然?」
予定は未定という言葉もあるぐらいだし、人生とはハプニングの連続で予定通りに進むとは限らないのですよ。
それと、文句なら松山選手に言ってくださいな。
「いやー、月刊ダウンザラインの記者さんと話をしていたら、横で聞いていた松山選手がプライドを傷付けられちゃったみたいでして」
「なるほど、なるほど……」
「どうせ、フューチャーズのドサ廻りをしているランキング下位の男子選手には楽勝で勝てるとか、そんな感じで環希が余計な口を滑らしたんでしょ」
試合が終わったから、お偉いさん達の相手から解放されたママも参戦してきちゃいましたか。
「それでほぼ正解かな? さすがはママだね! よく分かっているじゃん」
「あなたの母親を何年やっていると思っているのよ」
「まどかもちゃんと母親をやっているようで、安心したわ」
「真理恵さん失礼ですよ。これでもちゃんと母親やってますから」
まあ、ママはかなり放任主義の母親だとは思うけどね。
でも、あれダメこれダメ、ちゃんとやりなさいとか、口を酸っぱくして子供の行動に干渉するような、うるさ型の母親よりはマシかな?
教育ママの子供って自立心が成長しないイメージがあるんですよね。
「それで、大会のトーナメントディレクターとして、エキシビションは許可してくれる?」
「大会はこの後、男子の部の決勝もあるのよね。その後でも良かったら、私は別に構わないわよ」
「やったね!」
「環希が男子選手を相手に、どういったプレーを見せてくれるのか楽しみだわ」
男子の決勝戦の間にアップをして、身体をほぐしておくことにしますか!




