216話 シュレジンガーの猫
シボレーの大きなバンに乗って、マイアミの市街地へと向かっている途中です。
大統領が車で移動する時に、後ろをゾロゾロと付き従っている随行員なのかSPなのかが、乗っているようなゴツいヤツですね。
「そういえば麻生さん、オフィシャルホテルってエピックガーデン?」
「女子はキー・ビスケーンにあるカールトンですよ」
あれ? 私の記憶が正しければ、マイアミオープンのオフィシャルホテルって、エピックガーデンじゃなかったっけ?
「エピックガーデンは予選から出場する女子と男子のホテルですね」
「あ、なるほどね」
どうやら、疑問が顔に出ていたみたいで、麻生さんが補足してくれました。
さすが、出来る秘書は痒い所に手が届くといったところでしょうか?
本戦に出場する選手と予選に出場する選手とで、オフィシャルホテルが違ったのか。
いわゆる格差社会、待遇の差というヤツなんだろうね。
「男女同時開催なので、一つのホテルだけでは入りきれませんから」
「それもあったか。選手の関係者を含めると1000人近くが集まる計算になるのかな?」
「本戦出場の女子がエピックを使っていたのは、大会がハードロックスタジアムで開催されていた時ですね」
「そうだったんだ」
今大会は、ハードロックスタジアムから、元々マイアミオープンが開催されていた、クランドン・パーク・テニスセンターへと開催場所が戻ったから、カールトンということですな。
なんで一時期、ハードロックスタジアムに開催場所が変更されたんでしょうね?
老朽化した施設の改修工事と被ったとかかな?
もしかしたら、ハリケーンの被害かも知れないけど……
だけど、それだったら、何年も変更されたままというのもおかしな話だよなぁ。
つまり、大人の事情ってヤツが絡んでいるのでしょう。
私も色々と勉強や経験をして、少しは大人の事情ってヤツにも詳しくなったんだよ。
というのは半分冗談で、オフィシャルホテルの件は、キー・ビスケーンからだとハードロックスタジアムは遠すぎるという、距離の問題もあったんだろうなぁ。
それに対して、今回大会が開催される場所は、ホテルと同じキー・ビスケーン島にあるから、近場で便利ということになります。
「それで、サナダさんは一旦家に帰るの? 家って近くなんでしょ?」
サナダさんの在所はマイアミとか言ってましたもんね。
「家に帰るのなら、空港で別れているぞ」
「それもそうだったか」
「家があるのはコーラル・ゲーブルズだから、クランドン・パークまで通えないこともないけど、マイアミオープンの期間中は俺もホテルに泊まるぞ」
「コーラル・ゲーブルズ?」
それってドコやねん。
横浜を知っていても、横浜の中の小机と言われて知っている外国人はほとんどいないのと同じ理屈ですな。たぶん。
そして、クランドン・パークというのは、マイアミオープンが開催される場所のことです。
マイアミの沖合およそ5kmの大西洋に浮かぶ、キー・ビスケーン島にある自然公園の中に、テニスコートがあるのです。
「コーラル・ゲーブルズといえば、高級住宅街でござるな」
「高級住宅街? サナダさんってもしかして、お金持ちだったの?」
「お金持ちというか、なんと説明すればいいのか……」
なぜ、目を逸らすのでしょうか?
「ただ単に、マイケルは実家に帰りたくないだけでしょ」
「あーうー、まあ、一応それもある……」
「サナダさんって、実家との折り合いが悪いの?」
「家族との仲は悪くないけど、家に帰るとその都度、早く結婚しろとか家の仕事を手伝えって言われるのが嫌なんだよ」
なるほどねー。つまり、サナダさんは放蕩息子みたいなモノだったのか。
というか、実家から見た場合は、放蕩息子そのまんまだったわ。
「もしかして、私のヒッティングパートナーに就いたのって、サナダさんにとっても渡りに船だったとか?」
「まあ、正直に言って、タマキのヒッティングパートナーの仕事を貰えて、助かったのは事実だな」
「コーラル・ゲーブルズに日本食レストランを発見したでござる」
純ちゃんはスマホで地図を確認していたのか。
ぐーぐる先生は便利ですよね。
「どれどれ……」
「う、宇佐美さん近いでござるよ」
うさみんに密着されスマホを覗き込まれて、純ちゃんタジタジでござるの巻。
「わー、ちゃんとした感じの日本食ですねー」
「ちゃんとした? それって経営者が日本人ってこと?」
「オマツリだったら、ちゃんとした日本人が経営している店だぞ」
「海外の和食レストランは中華系や韓国系の経営者が多いですから、日本人が経営している店は貴重ですね」
つまり、海外の日本食レストランは、現地の人向けにアレンジした、なんちゃって日本食レストランが多いんだよね。
インディアンウェルズにあった和食の店も高いだけの、ワショク、スーシーの店だったからね。
日本人からしたら、さすがにアレを和食とは認められないぞ。
ということで……
「ホテルへ行く前に、そのオマツリって店に夕食を食べに行こうよ!」
ちょっと早いけど、もうすぐ晩御飯の時間ですしね。
というか、時差の関係で私たちにとっては、お昼ご飯になるのかな?
まあ、機内で軽めのランチは食べたんだけどさ。
「さんせー! いい加減ちゃんとした日本食が恋しくなってきましたよぉ」
「私も和食が食べたいから賛成です」
「以下同文でござる」
日本を離れてから半月以上経つから、私を含めてみんな日本食が食べたいという渇望、禁断症状が出てきているみたいでしたね。
「ということで、日本食を食べに行くで、いいですね?」
「おっけー」
『運転手さん、行き先を変更して、コーラル・ゲーブルズにあるオマツリという日本食レストランに向かって下さい』
『オマツリなら、何度か食べに行ったことあるから知ってるよ。スシとサシミが美味しかったよ!』
へー、地元の人にも有名なお店だったんだ。
ということは、時間帯的に混んでいるのかな?
「オマツリに行くんだったら、電話しておくわ」
「電話って、知り合いなの?」
「知り合いだし、近所だから常連?」
「ところで、サナダさんの実家って、なにやってんの?」
お金持ちということは、事業をやっていることは間違いないだろうしね。
もしかしたら、投資関係かも知れないけど。
「シュレジンガーリゾートって知っているだろ?」
「シュレジンガーの猫?」
「それは、シュレディンガー」
サナダさんのクセして生意気にも博識ですね。
あー、でも、シュレジンガーリゾートは、私でも聞いたことがある有名なリゾートホテルの名前だったわ。
世界中の有名なリゾート地に、ホテルやゴルフ場とかを何百軒も持っているグループですしね。
日本にもホテルが十ヶ所以上あったんじゃないかな?
あと、日本各地の温泉地で潰れたり経営が傾いた温泉ホテルを買収して出来た、小江戸温泉リゾートもシュレジンガー系列だった気がしましたね。
ちなみに、毎年チームマドカの忘年会で利用している熱海のホテルは、小江戸温泉リゾートではありません。
小江戸温泉リゾートの食事は、バイキング形式でコストを抑えているんや。
だから、お座敷で宴会をするような、忘年会には不向きな仕様になっているんだよね。
というか、会社の慰安旅行等で宴会をする団体客というのを、初めから客層として相手にしていないということなのでしょう。
温泉リゾートだから、個人の旅行客と団体でもパック旅行の団体さんと、外国人観光客がメインターゲットなのだと思われます。
まあ、バイキング形式の食事も、それはそれで私は大好きなんですけどね!
好きな食べ物を取り放題とか、魅力的だと思いませんか?
「シュレディンガーはウムラウトも入りますし、綴りが違いますね」
「な、なるほど……」
うむ、分からん。
ドイツ語は勉強してないから、ウムラウトは理解不能です。
まあ、ドイツ語を喋るだけなら、ほんの少しだけカタコトで喋れるけど。
「マイケルの本名は、マイケル・サナダ・シュレジンガーよ」
「ぷぷっ、日本人みたいな顔をしてシュレジンガーとか言われても、違和感が半端ないわー」
「正直、似合わないでござるな」
Q あなたの名前はなんですか?
A シュレジンガーです。
うん、ないわ。
「だから、シュレジンガーを名乗るのは嫌なんだよ」
「つまり、マイケルの実家はビリオネアということです」
「ビリオネア!?」
お金持ちを通り越して、超お金持ちじゃないですかー。
どうりでサナダさんから、強者の余裕といった感じの雰囲気が漂っていたわけだよ。
お金持ちは生活にゆとりがあるから、あくせくとした態度とか見せる人が少ないんだよね。
そら、サナダさんが飛行機のチケット代にも無頓着になるわけだわ。
きっと、サナダさんにとっては、1000ドルも10ドル程度の感覚なんだろうなぁ。
下手をすれば、1ドルか? さすがに、1セントとは思いたくない……
「私これから、サナダさんをパパって呼ぶことに決めたわ!」
手のひらクルーだって?
お、お金に貴賤はないんだよ! 文句あるか?
それに、世の中ではパパ活が流行っていることだし、私の場合は本当の意味でのパパ活なんだから、もーまんたいなんだよ。
現実世界でマイアミオープンがクランドン・パークに戻ってくる未来はあるのかな?




