プロローグ
「我思う、故に我あり」
うん、この言葉は五歳児の言うセリフではないな。
何故、いきなりこんなセリフが飛び出てきたのかといえば、それは私には前世の記憶があるからだ。
そう、私は所謂、転生者というヤツですね。
なんでこんな事になったのかというと……
「ゲームマッチ、キタジマ。6-0、6-1」
また負けた…… これで5戦連続で初戦敗退かよ。
それも、ITFフューチャーズの15K大会で、このザマだ。
しかも相手は高校生なんだぜ?
もう俺のなけなしのプライドはズタズタのボロボロだよ。
まあ、ダブルベーグルを喰らわなかっただけ、まだマシだったと自分を慰めておこうか。
第2セットの6ゲーム目を必死になって、1ゲームキープしただけとも言うがな。
言ってて虚しくなってきたぜ……
ここ数年の俺は怪我の後遺症もあってランキングを大幅に落として、フューチャーズとチャレンジャーのドサ廻りと来たもんだ。
全盛期の力を取り戻せないまま、負のスパイラルに陥っているのが現状なのだ。
特にここ最近の成績は酷いの一言に尽きる。
老け込むにはまだ早いと思ってはいるのだけれど、身体が言う事を聞いてくれないのだから仕方ない。
だから今現在、この成績しか残せてないのは仕方がないと頭では理解してはいるのだ。
しかし、感情の面で納得しているかと言えば、それは微妙な気がする。
強気な俺の心はこう語り掛けてくる。
『俺の本当の実力は、こんなモノじゃない!』
『俺はまだまだやれる!』
とか強気に思ってみたりしている反面、俺の中の弱気な虫はこうも囁いてくるのだ。
『もうロートルなんだから、さっさと引退しろよ』
『初戦敗退ばっかで恥ずかしくないの? プークスクス』
こんな感じだ。
最近では、弱気の虫の方が優勢になりつつあるような気がする。
まあ、15K如きの大会で、5回も連続で初戦で負ければ弱気にもなると察して欲しい。
ちなみに、今回の賞金は156ドル也。
スポンサーからの支援も二年前に打ち切られているので、はっきりいって賞金だけでは大赤字である。遠征費分も稼げてないありさまだ。
まあ、用具の無償提供だけは、お義理で続けてもらっているだけでも有難い話ではあるのだが。
この点に関しては、日本人選手は外国のランキング下位の選手と比べて、多少は恵まれているのかも知れない。
それでも、こんな成績が続けば来年以降の無償提供がどうなるか微妙な気がする。
それにしても、今回の大会は遠征費はタダだったので助かったのだが、それでも勝てなければ意味がない。
交通費と宿泊費が主催者持ちの大会。つまりホスピタリティの付く大会は、俺みたいな選手にとっては有難い大会という訳だ。
ただそれだけに貧乏な選手には人気があるという事だから、ランキング下位の選手の中でも実力者が揃うので、勝ち上がるのも厳しくなるという寸法だ。
しかし、ここに来て27ポイントのロストは痛い。ランキングも4百位代後半から一気に百位近く落ちるのが確定しているのだから。
つまり、俺がこの大会の昨年度の優勝者ではあったんだよね。まあ、優勝賞金も2千ドルぐらいしか貰えないサーキット最下位の大会ではあるのだが。
それでも、優勝は優勝だったんだよ!
もっとも、優勝は昨年の話であって、今年は初戦敗退だった訳だが。
俺も来年で30になるし、若い時に多少稼いで貯めた貯金も大分目減りしてしまった。要するに、それだけ自腹を切ってあちこちに遠征をするというのは、お金が掛かるとういう事なのだ。
もうそろそろ潮時なのかも知れないな……
こんなうだつの上がらない俺でも、若い時分には全日本選手権で優勝した事があるのが自慢ではあるのだ。
しかし、所詮は国内での大会であって、世界を相手に戦う一流の日本人テニスプレイヤーは、滅多な事では全日本選手権には出場しないのだ。ATPのポイントも付かないしね。
口さがない人間に言わせれば、空き巣狙いとも揶揄されているとか?
まあ、日本人でもランキング上位はATPツアーに出て全日本には出場しないのだから、空き巣と言えば空き巣なのかも知れないな。
それにこれでも一応は、過去にグランドスラムにも出場した事もあるのだ。
初戦敗退だったけどな!
つまり、ツアーで世界の一流どころと対戦したら手も足も出なかったという訳だ。
まあ、俺はその程度の選手だったという事なのだろう。
もう自分に上がり目がないことぐらいは、自分自身が一番よく解ってはいるつもりではある。
「はぁ~、引退するかね?」
これでも、一応は全日本チャンピオンの肩書きはあるのだから、どこかのテニススクールが雇ってはくれるだろう。
やっぱり世の中、持つべきものは、コネと肩書きだよなぁ。
それで教えるとしたら、やっぱ可愛いお姉ちゃんがいいよな。
『コーチ、そんなに密着されたら恥ずかしいです』
『君はウィンブルドンには行きたくないのか?』
『いきたいです!』
『俺は出場した経験があるのだから、俺に任せたまえ』
『コーチ素敵です!』
『では、俺を信じてくれるな?』
『はい!』
『コーチ、なんでコーチと同室なんでしょうか?』
『君には俺の現役時代みたいに、お金で苦労して欲しくはないからな』
『お金の節約の為でしたか……』
『ああ、ホテル代も馬鹿には出来ないからな』
『それは確かにそうでしたね』
『なに、君のことを思えば当然の事をしたまでだよ』
『コーチがそこまで私のことを思っているだなんて、感激しました!』
そして愛が芽生える。
ぐふふふふ。
可愛いお姉ちゃんには、元全日本チャンプが手取り足取りコーチングしてあげますよ!
いや、この妄想はほぼありえんのか。
世知辛いのぉ……
そんな邪な事を考えていたのがいけなかったのだろうか?
試合会場からホテルへ戻る途中で道路を渡ろうとした時に、道の真ん中で蹲る一匹の子猫を見つけた。
直ぐ目の前に車が迫っているのが見て取れる。
こんな時に限って、俺の反射神経が無意識に身体をスムーズに動かす。
しかも、ここ最近の試合では見たこともないような機敏さである。
「危ない!」
俺は車に轢かれそうになった子猫を助けようとして、子猫の代わりに俺が車に轢かれてしまった。
猫って自殺するみたいに車に突っ込んで行くって本当だったんだな。
「おいネコちゃんよ。飛び出したら危ないだろ?」
「にゃ~」
「でも、ケガしなくて良かったな」
「にゃ~」
子猫は大丈夫そうだけど、俺は身体中が痛い。これはちょっとヤバいのかも知れん。
なんか子供時代からの出来事が映像で流れている気がするのだけど?
ああ、これは全日本ジュニアで優勝した時の映像か? 俺はあんなにも無邪気に笑えていたのか。
ああ、懐かしいなぁ……
テニスの試合が終わった後で笑えたのは、いつが最後だったっけ?
昨年の大会で優勝した時が最後だったかな?
そうか、俺は一年も笑ってなかったのか。
次の映像はなんだ?
ああ、これはジュニアデビスカップで六位になった時の様子か。
俺が負けてチームの足を引っ張ってしまったんだよなぁ。
負けたらしこりが残る気がするから、なんとなく団体戦は嫌いなんだよな。
そうか、これが走馬灯ってヤツなのか。
そうか、俺はもうすぐ死ぬんだな……
「にゃ~」
この子猫を助けた動きが試合でも出せたのならば、グランドスラムでも三回戦か四回戦ぐらいまでなら行けてたかも知れないな。
「グランドスラムで勝ちたかったなぁ……」
「にゃ~」
優勝とか贅沢なことは言わないけど、せめて本戦で一勝を上げたかったな。
「にゃ~」
でも、よくよく考えたら俺が助けなくても、子猫って小さ過ぎるのだからタイヤに轢かれない限りは、車が通過しても道路と車体の隙間の空間で助かっていたような……?
「まあ…… なんに… せよ…… ぶじ、で… よ、かった……」
もう道路には飛び出すなよ。
「にゃ~」
そこで俺の意識は途絶えた。
「にゃ~」