180話 クリスの記者会見と、まどかと萌香
メルボルン・タラマリン空港
「コーチ、搭乗する予定だったスクートの便は、もう出発しちゃいましたよ?」
たまきちゃんの試合が終わってから、慌てて急ぎ空港に駆け付けたのですけど、想像以上に試合が長引いてしまったので、搭乗予定の飛行機には間に合いませんでした。
試合後に改めて思ったのは、たまきちゃんというこんなにも凄い選手と7年以上の長きにわたって、わたしは一緒に練習をさせてもらえているのは幸運なことなんだなぁと、しみじみと思いましたね。
わたしが小学五年生の頃に、まどかコーチから娘の練習相手をして欲しい。そう声を掛けてもらった時に、練習の相手が小さな小学一年生だからといって断らずに良かったと、その当時のわたしを褒めてあげたいです。
今日の試合だって、たまきちゃんが勝っていたとしても別におかしくはない、目まぐるしくマッチポイントが入れ替わるシーソーゲームだったのですから。
最後に二人の勝敗を分けたのは、スタミナと運でしょうか?
でも、あのクリスをあそこまで追い詰めたのですから、たまきちゃんがグランドスラムの頂点に立つ日も、そう遠くない将来であるに違いありません。
たまきちゃんに負けずに、わたしもいつかはダブルスの頂点に立ってみせる!
「だあぁぁ! 環希の試合が5時間も掛かるだなんて、とんだ誤算だったわ!」
「男子のフルセットと同じくらいの時間が掛かりましたよねー」
「おかげで、3千ドル分のチケットが紙屑になってしまったわ……」
たまきちゃんの試合を3千ドルで観戦できたのだと思うことにしましょう。
それに、絶対に3千ドル以上の価値がある凄い試合だったと思いますしね。
コーチ、自分の娘の思い出はプライスレスですよ?
「不可抗力だから仕方ありませんよ。でも、どうするのです?」
「こうなったら、SQの深夜便しかないわね」
「チェックインカウンターでチケットって買えるのでしょうか?」
「空席があれば買えるわよ」
チェックインカウンターでフライト当日の国際線のチケット買う人なんて、絶対に酔狂な人だと思われちゃいそうですよね。
「でも、余分な出費が増えちゃいましたね」
「ふっふっふ、マイルが貯まっているから問題ないわ!」
「それなら安心しました」
「陸マイルって案外馬鹿にならないのよねぇ」
それって、まどかコーチがお金持ちで、それに見合った高額な商品の買い物するから、陸マイルが貯まるのではないでしょうか?
グラスコートを造成した時にも、家族全員がファーストクラスで世界一周できる。それぐらいのマイルが貯まったとか言ってましたよね?
でも、これは言わぬが花なんだろうなぁ。
わたしのクレジットカードなんて、限度額が月30万ぽっちだから陸マイルも、あまり貯まらなさそうだもんね。
まあ、まだ一応は学生の身分だから仕方ないのかも知れないけれども。
でも、わたしの昨年の年収は日本円で800万を超えているんだぞ。
そう考えると、全日本選手権での優勝は大きかったですね。
それと、海外遠征では何が起こるか分からないから、用心のためにカードは四枚持っています。
その内の一枚は家族カードで、心配性のお父さんが持たせてくれたともいいますけど。
カード一枚では、限度額が全然足らないんじゃぁぁ!
早くお金を稼いで信用も稼いで枠を拡げなくっちゃ。
あ、あと一枚、デビットカードも持っていますけど、こっちは本当に非常用になると思います。
まどかコーチのカードなんて、限度額が無制限とか噂されているブラックチタンのカードだもんなぁ。
さすがは数十億以上、もしかしたら百億以上の資産を保有しているだけのことはありますよね。
くっ、ブルジョアめ!
これが格差社会というヤツなんですね? ええ、骨身に沁みてわかりますとも。
まあ、その割には、たまきちゃん曰く、まどかコーチはケチみたいですけど。
だけど、わたしも、まどかコーチと同じように、いつかはブラックチタンを持てるような、セレブな身分を目指して頑張ろう!
そのほうが、モチベーションにもなるしね。
※※※※※※
クリスの記者会見
『まずは初戦突破おめでとうございます。今日の試合を振り返ってみての感想をお願いします』
『正直に言って、今日は記者会見をさっさと切り上げて、ホテルで寝たい気分ですよ』
『ニワノ選手も似たようなことを言ってましたね』
『彼女も? ふふっ、それぐらい今日の試合は疲れました』
『ニワノ選手と戦ってみた印象はどうでしたか?』
『プレーの途中で何度も今日は負けたと思いましたね。それほどまでに彼女は強かったです』
『数字を見ても、どちらが勝っていてもおかしくない試合でしたね』
『完全にクレイジーなスコアだったわね』
『タイブレークでの42-40というポイントはギネス記録ですよ』
『そう、世界記録に相応しい試合だったわ』
『最後の最後でクリスに勝利の女神が微笑んでくれた、その理由はなんだったと思いますか?』
『さっき負けたと思ったと言いましたけど、それでも完全に諦めていたわけではありませんから、なんとかして突破口を見い出そうと足掻いたことが、最終的に良い結果に繋がったのかも知れません』
『諦めずに足掻いて見つけた突破口は、なんだったのでしょうか?』
『タマキのスタミナ切れを待つ。悔しいけど、これしか勝機を見い出せなかったわ』
『最後はニワノ選手のスタミナが尽きたから、それでクリスが勝てたということでしたか』
『そうね。最後のタイブレークに突入してから、徐々にタマキの動きに精彩がなくなっていったでしょ?』
『普段はサーブのコントロールが良いニワノ選手なのに、フォルトの数も増えてましたね。最後はアンダーサーブを入れるしかサーブを打てないぐらいでしたし』
『つまり、私の粘り勝ちということだわ。まあ、私も最後はヘトヘトでギリギリでの勝利だったのだけど』
『対戦したニワノ選手について一言お願いします』
『今日は運良く私がタマキに勝利できたけど、それは彼女がまだ未完成の成長途上だから勝てた部分が大きかったわね』
『未完成ですか?』
『まだタマキは14歳の子供よ?』
『彼女が強いから忘れそうになるけど、そうでしたね』
『逆に14歳なのに、私をここまで追い詰める実力があるのだから、これから一体どれだけ強くなるのか想像もつかないわよ』
『グランドスラムを制することは、おそらく可能でしょうね』
『おそらくじゃなくて、絶対にだわ。それも、彼女はこれから数々の記録を塗り替えていくでしょうね』
『なるほど、クリスのニワノ選手への評価はかなり高そうですね』
『タマキと実際に対戦してみて経験したら、誰でも同じ結論に至るはずだわ』
『ゲーム終了後にクリスは大笑いしていましたけど、ニワノ選手とは何を話していたのでしょうか?』
『先に記者会見していた、タマキはなんて言ってたの?』
『クリスに聞いてくれと、はぐらかされましたね』
『そう、彼女はそう言ったのね。そうね…… 私は復帰してからイマイチ勝ち切れなくて試合でもイライラしちゃって、テニスを楽しめてなかったのよ』
『テニスを楽しめてなかった?』
『ええ、以前の感覚と違ったから戸惑いもあったわね。だけど、今日の試合ではタマキとストロークをしている最中に、以前の私が持っていて今の私に欠けていたピースを一つずつ取り戻していく、そんな感覚を覚えたわ』
『失っていたピースを取り戻した…… ニワノ選手がクリスは完全復活したと言ってましたが、実際のところどうなんでしょうか?』
『うーん、今大会で優勝できれば完全復活なんでしょうけど、こればかりは蓋を開けてみないことには、なんとも言いようがないわね』
『優勝の行方は、まあそうでしょうね』
『でも、テニスをプレーする楽しさと喜びを思い出させてもらえたから、タマキには感謝しているわ』
『あと、クリスが優勝すれば、話の内容を教えてくれるだろうとも、ニワノ選手は言ってましたよ』
『あっはっはっは!』
『? なにか、おかしかったでしょうか?』
『それが答えだからよ』
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