174話 全豪オープンR128タイブレークその2
メルボルン 全豪オープン 一回戦
「36オール」
よしっ! 追いついた! クリスがミスをしてくれて助かりました。
お返しに、今度は私がマッチポイントを取ってやる!
というか、今度で一体何回目のマッチポイントになるんだ?
クリスよりも、私の方がマッチポイントを握った回数が少ないのは、体感で感じてはいるけど、それでもタイブレークに突入してから、マッチポイントの回数は二桁を超えているよね?
それと、この試合が始まってから、もう既に5時間近くが経過しているし、普段の私の試合と比べたら、もう3試合分以上はプレーした感じがしますね。
これって、もしかしなくても、3セットマッチの最長試合時間になるんじゃね?
『ニワノさん、エンドチェンジですよ?』
『え?』
ああ、そうか。36オールだから72ポイントになって、6の倍数ということになるから、コートチェンジでしたね。
疲れすぎて、もう脳ミソにエネルギーが回ってないや。
というか、タイブレークでもこれだけ長く続いた場合は、休憩を認めて欲しいよ。
いい加減、ポンポンも減ったことだし、味噌バターコーンラーメンを大盛りでズュルジュルハフハフとさせながら食べたい。
トッピングで、もやしとネギ、チャーシューも忘れずに!
もちろん、餃子とチャーハン付きで。
そんな益体もない想像をしてたら、ますます腹が減ってきたよ。
ん? なにやら、大会ディレクターと主審が協議していますね。
『タイブレークで72ポイントになりましたので、選手の疲労を考慮して、特例として120秒の休憩を認めます』
え? 特例で休憩とかマジですか?
た、助かったよ……
まあ、さっきから私がコートチェンジで主審の前を横切る度に、
「休憩させろ、休憩させろ。休憩させてくれなきゃ、児童虐待で訴えるぞ」
そう呪詛のように呟いていたのも、効果があったのだと思います。たぶん。
6ポイントで1ゲームと計算した場合、72ポイントだと12ゲームだから、1セットを消化したのと同等と見做されるということなのかな?
こんなにも長いタイブレークなんて過去にも例がないのだから、特例ということなんだろうね。
なにはともあれ、休憩できるのは助かったよ。
既に足はプルプルガクガクと震えているけど、それ以外にも肩と肘も熱を帯びてきた感じがするし、ちょっと限界を超えてヤバくなってきたのかも知れない。
こりゃ明日は、全身筋肉痛が確定だな。
それでも、いまはインターバルの間に、少しでも体力を回復させないと。
スペシャルエナジードリンクを飲んで、10秒チャージをチューチューと吸って、バナナを一口いただきます。
でも、休憩をすることによって、集中力が切れそうな気もしますね。
「お口すすぎたい……」
口の中が気持ち悪いから、うがいしたいです。
野球やサッカーでは、選手が唾をぺっぺぺっぺと吐いているのに、これがテニスだと唾を吐くのは、マナーが悪い行為と受け取られるんですよね。
これは、テニスが紳士のスポーツ、元々は上流階級のスポーツだったのが影響しているのだと思われます。
ほら、上流階級では唾を吐く行為というのは、下品な行為とみなされて、眉を顰められますもんね?
でも、口の中を綺麗にリフレッシュさせないと、選手のパフォーマンスが落ちるんだぞ!
私の場合は、クレーコートやグラスコートだったら、偶にこっそりと唾を吐いてたりもするのですがね。
だけど、この場所はハードコートだから、唾が吐けん…… がっでむ!
まあ、毒は吐いているんだけどさ。
どうにも、思考が散漫になっているような気がします。
これは、拙い兆候ですね。
仕方ない、くちゅくちゅぺっが出来ないのであれば、くちゅくちゅごっくんをするしかあるまい。
ミネラルウォーターで口をすすぎましょう。
「タイム」
そして、私の嫌な予感は的中してしまいました……
「あ、あかん……」
体力が回復するどころか、逆に身体全体が鉛のように重くなってしまったよ。
ベンチから立ち上がるのさえ、億劫になるほど疲れていただなんて。
これは、非常に不味いですね……
「37-36」
とりあえずは、なんとかマッチポイントを取ることはできたけど、次はクリスのサーブだからなぁ。
もう足がまともに動かないから、ミニブレイクするのが難しいんだよね。
相手のミスに期待する他力本願など、まったくもって不本意な行為だよ。
「37オール」
「38-37」
くそっ! 足が動かないから見送ることしかできなかったよ。
これが休憩する前だったら、なんとか一本だけはリターンを返せれたと思うけど、たらればでしたね。
連続でエースを決められてしまい、逆に私がマッチポイントを防ぐ立場に追いやられてしまいました。
まあ、今度は私のサーブなんだから、少しは気が楽ではあるのだけど。
「フォールト!」
はい、全然気楽ではありませんでした。クソったれめっ!
ダメだ。完全にボールのコントロールが効かなくなってるよ。
これで、完全に追い込まれてしまいましたね。
つまり、次はダブルフォルトでも、ジ・エンド、試合終了ってヤツだ。
もう、サーブを打つのに腕を上げることすら厳しいよ。
普段はなんてこともなく軽々と振っている、たった300グラム少々のラケットがこんなにも重く感じるだなんて、こりゃ重症ですわ。
でも、負けるにしても、ダブルフォルトで負けるのは嫌だなぁ。
かといって、ここまできてリタイアするのも、私のプライドが許さないのだ。
こうなったら、もうアレをするしか方法は残されていないような気がしますね。
たまきちゃんは諦めの悪い女なんですよ。
だから、最後まで足掻いてみせますとも。
でも、アレを黙ってやるのは、これからの私のテニス人生において、マイナスの影響が大きいよなぁ。
正直に話せば大丈夫かな?
「クリスー!」
『なに? 早くサーブしなさいよ!』
クリスも疲労困憊といった感じだから、少しイライラしているみたいですね。
『ニワノさん、私語は慎んでください』
私語は私語でも、これはスポーツマンシップに則るためにも必要な私語なんだから、審判も大目に見てよね。
『次、アンダーサーブで入れるから、よろしく!』
『『は?』』
クリスはともかくとして、主審が驚いてどーするのよ?
※※※※※※
「あんバカ娘っ!」
「バカ娘? まどかコーチ、いきなりどうしたんです?」
「あの娘は、さっきのインターバルでプツリと緊張の糸が切れてしまったのよ」
「確かに休憩後から、たまきちゃんの動きが極端に悪くなりましたね」
「もう環希は限界よ。それなのに意地を張っちゃって、まったくもう!」
「余程負けたくないのでしょうね。こんなたまきちゃんは初めて見ました」
「環希ちゃんは、今まで大して苦戦らしい苦戦もしてきませんでしたからねぇ」
「なんだかんだと言って、タマキも根性あるじゃん」
「今まで根性なんて見せる必要もなく、舐めたプレーでも試合に勝っていたから、あの娘にこんなにも根性があるだなんて、母親である私でも知らなかったわ」
「初めて本気でプレーしているのでしょうね」
「でも母親としては、試合を無理矢理にでもストップさせたい気持ちで一杯だわ」
「それは、怪我が心配ということですか?」
「もうあの娘の肩は上がらなくて、まともなサーブが打てないのよ……」
「あー、だからアンダーサーブということでしたか」
「環希ちゃんは、ダブルフォルトやリタイアで負けたくないのでしょうね」
「そういうことよ。まったく強情なんだから、一体誰に似たのやら……」
「「「じー……」」」
「な、なによ、みんなして揃って私を見つめて」
「過去に主催者と審判から無理しなくても構わないと言われていたのに、強情にも一日で四試合をこなして、その全部に勝って単複同時優勝を成し遂げた人がいましたよね?」
「あ、その話なら、わたしも聞いたことあります」
「う゛っ、そういえば、あの時のダブルスの相方って百合子だったわね……」
「タマキの強情さは、マドカさんに似たに決まってんだろ」
「マイケルは軽薄で試合を諦めるのも早かったから、強情ではありませんしね」
「アソーさんそれってヒドくね?」
「マイケルが淡白だったのは事実じゃないのよ」
「マドカさんもヒドい!」
「私のことを強情とか言ったお返しよ」
調べたら3セットマッチでも過去に6時間31分という記録がありましたw
マジかよ…