131話 も、もうダメ……
フロリダのテニスアカデミーでの二週間にわたる合宿トレーニングも終わって、次の目的地であるメリーランドへと旅立ちました。
僅か二週間とはいえ、テニスアカデミーでの合宿は濃密なトレーニング内容でしたので、以前と比べて技術的にも体力的にも、確実に向上しているとの実感を感じることが出来た二週間でしたね。
自称、私の父親である真田さんも、さすがはトップ100入りしたことがある実力者だと思い知らされましたよ。
ATPの250優勝とグランドスラムの三回戦まで進出した実力は、伊達ではなかったみたいでした。
その真田さんを相手にしての練習を思い出したら涙が……
ぐすん。だって、女の子だもん。
※※※※※※
「ハァハァハァ…… も、もうダメ……」
足も痙攣寸前の気がするし、コートに大の字になってちょっと休憩しよう。
男子の元世界トップ100との無制限のグランドストローク勝負は、若さ溢れるピチピチのたまきちゃんであっても、さすがにキツイですわー。
「タマキー! Chase!Chase!Chase! 追わんかー! Do not sleep! 寝るな! しばくぞワレ!」
あーあー、聞こえません。私は疲れたから寝るんだ。
それにしても、真田さんの口は悪いですね。一体、誰が日本語を教えたんだ?
「マイケル五月蝿い! Shut up!」
「シバかれるのはお前の方じゃボゲェ! ジュニア一位を潰す気か!」
ママと麻生さんがなんか言ってるけど、疲れたから寝る。Zzzz...
「百合子も落ち着きなさい」
「まどかさん、ですが……」
「は? なんで俺がアソーさんにシバかれるのよ?」
「貴方は環希ちゃんのヒッティングパートナーであって、コーチではありません。環希ちゃんのコーチはまどかさんと私です」
「アソーさんだがよぉ。タマキは諦めるレンジを自分で決めてしまって、追わないじゃん」
「練習初日でクビになりたいのですか?」
「それは困る」
「環希ちゃんは追える範囲はちゃんと追ってますよ」
「まあ、あの娘は横着だから、たまに手を抜いてる時もあるけどね」
「手抜きはクセになるぞ」
「今の所は、環希ちゃんのスタイルはあれで構わないのですよ」
「マドカさん、そうなのか?」
「マイケルの言うレンジは男子プロのレンジであって、女子では無理ね」
「ふーん、そうなの?」
「まどかさんが言うとおり、女子選手では誰も届きませんよ」
「だけど、男子のレンジとスピードにアジャスト出来るようになれば、女子の中では最強じゃね?」
「マイケルは脳筋ですか? その前に環希ちゃんが壊れます」
「そこまでヤワじゃないだろ?」
「環希ちゃんの歳を考えなさい。まだサーティーンなんですよ?」
「そういえばそうだったな」
「身体が出来上がってもないのにプレッシャーを掛け過ぎると」
「壊れるということか……」
「ようやく解りましたか」
「つまり、やりすぎるなってことだな?」
「マイケルは環希の指定したレンジでストロークすればいいのよ」
「マドカさん、それでは練習にならんだろ?」
「理解してなかったのか、脳筋め」
「環希にはそれでも十分練習になるのよ」
「ふーん、そんなもんなんかねぇ」
「男子と女子では違うと理解しなさい」
「それは失念してた」
「やっぱりマイケルは脳筋だわ」
「環希、いつまでコートで寝ているの? 起きなさい!」
「ママ、もう少し休ませてー」
「休みたいなら、ちゃんと木陰のベンチで休みなさい」
それもそうでしたか。熱中症にでもなったら大変だもんね。
「へーい」
それにしても、疲れたよ……
※※※※※※
「あーあ、さすがの環希でも、くたばってしまったか……」
「たまきちゃんが伸びてるのって初めて見たよ」
「引退したとはいえ、数年前までは世界で戦っていただけの事はありますよね」
「たまきちゃんであったとしても、さすがに男子プロの元世界トップ100が相手では厳しかったかぁ」
「スタミナ勝負だけなら、あたしでも環希に負けない気がする」
「でも、その前に試合に負けちゃうから、スタミナ勝負に持ち込めないよー」
「萌香さん、それは言わないで下さい……」
※※※※※※
こんな出来事があって、私は一皮むけて進化したのであります! たぶん。
夏休みの優雅なバカンスを取り消してまで、頑張った甲斐があったというもんだよ。
それにしても、真田さんってテニスコートに立つと人格が変わる人だったのね。
でも、ちょっと、いや? かなり脳筋寄りの思考が玉に瑕の気もしますけど、取り敢えずは私に帯同させてサーキットを廻っても大丈夫でしょう。
まあ、あまりアレげなようでしたら、お役御免にしちゃえばいいのだからね!
たとえ遺伝子上は私の父親であったとしても、容赦はしません。
私のヒッティングパートナーとして、使えるのか? 使えないのか?
使えないのであれば、私のチームには必要ありません。
アスリートのチームスタッフの選別というのは、もしかしたら普通のビジネスの世界よりも厳しいのかも知れません。
一つの勝利で賞金の数十万ドル、スポンサーとの契約料の場合だったら数百万ドル。この大金が一戦で貰えるか貰えないかが掛かっているスポーツビジネスって、スタッフにとっては甘えが許されない環境なんですよね。たぶんだけど。
チームスタッフが苦労しているから、選手はその分テニスに集中できるのです。いろいろな面で選手はスタッフに甘えられて、楽をさせてもらえているのですよ。
でもこれは、チームを組めるほど恵まれた環境にいる選手だけの話でしたね。
ランキング中位よりも下の選手は、手続きとかも全部自分でやっていたりもするから、面倒で大変なんですよね。
前世の私もそうでしたし。
だから、今の私のテニスをする環境に文句を言ったら、ドサ廻りをしている連中から「ふざけるな!」とか怒られてしまって、ラケットで殴られかねないほどの恵まれた環境なんですよ。
しかし、一言だけ言わせて下さい。
深夜の変な時間帯での乗継便は勘弁して下さい!
まあ、最近ではビジネスクラス以上ばかりに乗っているから、これも嫉妬されそうで怖いですけど……
でも、経済格差なんてテニス選手じゃなくてもあるのだから、ビジネスクラスはノーカンでお願いします。
それで、テニスアカデミーの最寄りにあるサラソタ・ブレイデントン国際空港から、リージョナルジェットに搭乗して飛び立つこと二時間半あまりで、ワシントンD.C.に到着しました。
いやー、一日に一便とはいえ、ワシントンまでの直行便があって助かりました。出発する時間帯もお昼前とちょうど良かったですしね。
ワシントンの空港も郊外にあるダレスではなくて、街の中心部に近いレーガンに着陸する便なのが助かりました。
今回の場合だと、車で移動する時間が倍以上は違ってきますしね。空港とテニスの試合会場との距離って、とても重要なファクターなんですよね。
そして、ロナルド・レーガン国際空港に降り立ってから、ポトマック川を渡って、ワシントン記念塔とドーム型の独特な形状をしている合衆国議事堂を横目に見ながら、車を走らせること三十分あまり。
ジュニアサーキットのG1大会が開催される、メリーランド州のカレッジ・パークへとやってきました。
カレッジ・パークの名前のとおり、近所にはメリーランド大学なんかがあったりもします。
まあ、メリーランド州とはいっても、ほとんどワシントンD.C.なんですけどね!
ちなみにホワイトハウスは、ワシントン記念塔が邪魔してなのか、ホワイトハウスの建物自体が低いからなのか、残念ながらも高速道路からはチラッとしか見えませんでした。
それはそうと、優梨愛ちゃんと萌香ちゃんの二人はママと一緒に、メキシコのユカタン半島にあるリゾート地のカンクンへと、合宿後のご褒美として夏休みのバカンスに行ってしまったのですよ。
二週間後には、全米オープンジュニアが控えているのに、実にけしからんと思います。