118話 マイ・フェイバリット
5%の読者が好きな空港ラウンジの話…
「ほい、着いたぞい」
「ありがとー! お爺ちゃんも気を付けて家まで帰ってね!」
「ウィンブルドンが始まる前にはお爺ちゃんも応援に行くから、環希も頑張るんじゃぞ」
「前哨戦だからといって、手は抜かないで優勝するつもりだから任せてよ!」
小机の私の自宅に優梨愛ちゃんと萌香ちゃんも集合してから、お爺ちゃんが運転するエルグランドにみんなで乗って、東京湾アクアラインを通って高速を飛ばすこと一時間半ちょっと。
やって来ました、新東京国際空港!
所謂、成田空港ですね。
今日は羽田ではなくて、成田からロンドンへ向けての出発となります。
つまり、直行便ではなくて、乗継便ということなんや……
どうしてこうなったのかといいますと、ある日のことである。
チームマドカの事務所代わりにしている自宅のリビングで、ママと麻生さんのこんな会話が聞こえてきたのだ。
※※※※※※
「あら? このチケット成田発だけど、ファーストクラスにしてはえらく安いわね」
「ロンドン行きのチケットですか?」
「そう、マレーシア航空のチケットなんだけど、ビジネスクラスの料金と比べても一万円ぐらいしか値段が違わないのよ。このファーストクラスのチケット」
「まどかさん、それビジネス・スイートとかいうヤツだと思いますよ」
「ビジネス・スイート?」
「ファーストクラスを廃止したけど、座席はそのままにしてサービスはビジネスクラス+αでチケットを売っているんですよ」
「なるほどね。でも、座席はファーストクラスのままの座席で、かなりお得な感じがするし、成田を夜に出発するのも都合が良いから、この便にしましょう」
「羽田からの直行便という手もありますよ?」
「直行便はアホみたいに高いからパス。日系だったらビジネスクラスでも、このチケットの四倍の値段がするのよ? 信じらんない」
「そう考えると、正規の値段でチケットを買う人っているのでしょうかね?」
「需要があるから運賃も高止まりしているんだろうけど、急に用事が入った人とか以外では、金持ちや大企業しか買わなさそうな気がするわね」
「まどかさんはお金持ちですけど、買いませんよね」
「私も偶には買って直行便にも乗るわよ。それに里田と坂巻も一緒だから、あまり贅沢は覚えさせたくないのよ」
「プロになってから苦労するのは、その二人ですからね」
「そういうことよ。それに金持ちと言ったら、百合子の方が金持ちじゃないのよ」
「私は実家から半分勘当されているようなものですから、ノーカウントです」
こんな感じのやり取りがあったのですよ。
だから、今回のロンドンまでのフライトには、成田から出発のマレーシア航空に搭乗して行くことになりました。
しかし、ロンドンに行くのに一度、赤道の近くのクアラルンプールまで南下するなんて、時間の無駄とか思わなくもありません。
ママは相変わらず搭乗する飛行機を選ぶのが下手クソなのだと、改めて思い知らされた一件でしたね。
ママはケチだから、きっと値段しか見てないんだろうなぁ。
自分が現役の時には、こんな時間が掛かる乗り継ぎ便なんて選択しなかったはずなのにね?
テニスで世界中を飛び回っている選手にとっては、時間こそが試合に勝つことの次に大事なモノだと思いますしね。
つまり、テニス選手にとっては、タイムイズマネーということであります。
それと、乗り継ぎ便とはいえ、元ファーストクラスの座席は十二分に贅沢だと思いますよ?
優梨愛ちゃんと萌香ちゃんの二人が、プロになってからドサ廻りをすることになった時に、「ジュニア時代の移動の方が良かった」とか愚痴を溢す破目になりそうな気がしないでもありません。
それと、やはりといいますか、麻生さんはママよりもお金持ちであると判明しました。
麻生さんの仕草から育ちの良さとかが滲み出ている感じがしてましたもんね。
でも、実家から勘当同然だなんて、麻生さんは何をやらかしたんでしょうか?
麻生さんの逆鱗っぽいから、恐ろしくて聞けそうにないのが残念です。
それにしても、成田を新東京や浦安を東京とか、大人って嘘つきやね。
でも、もう新東京国際空港とは呼ばないんだっけ?
まあ、どうでもいいや。
※※※※※※
出国手続きを済ませて、制限エリアへとやってきました。
時刻は夕食にちょうどいい時間帯であります。
つまり、お腹が減っているのだ。
「環希ちゃん、乞」
「さあ、乞食するぞー!」
「……ちっ」
麻生さんの舌打ちが聞こえてきたような気がしたのですけど、私の気のせいですよね?
あのお上品な麻生さんに限って舌打ちをするなど考えられませんし。
それで今回は、第二ターミナルにある鶴のマークのファーストクラスラウンジにお邪魔しました。
マレーシア航空も鶴さんと同じアライアンスですので、ビジネス・スイートの乗客のみ、鶴さんのファーストクラスラウンジが利用できるのです。
「アンタ、まだ乞食する病が治ってなかったの?」
「たまきちゃん乞食好きだもんねー」
空港のラウンジでの乞食こそが、マイ・フェイバリットなんだよ。
プレシャス・フェイバリットと言っても、けして過言ではありません。
「環希、恥ずかしいからソレを言うのは止めなさい」
「へーい。でも、タダ飯ってなんとなくウキウキしちゃわない?」
「ウキウキしても普通は言葉には出さないのよ。それにラウンジを利用する代金は、ちゃんと飛行機の運賃に上乗せされているはずよ」
そう言われてみると、ママの言葉が正しい気がしますね。
このラウンジを維持するのにも、かなりの金額が掛かっているでしょうしね。
「具体的には?」
「詳しくは知らないけど、だいたい五千円ぐらいは上乗せされているんじゃないかしら?」
……そう聞かされると、途端にしょっぱく感じられるのは、なぜでしょうかね?
「これが五千円? 千五百円じゃなくて?」
「五千円の価値はありませんね」
これに五千円を払ったのかと思うと、美味しそうに思える料理の数々も、なんだか色褪せて見えてきてしまったよ。
この食べ放題の料理は、私に言わせれば千五百円のバイキングになるのです。
板前さんが直接握ってくれる寿司も、たったの二種類しかありませんしね。
「やっぱ麻生さんもそう思うでしょ?」
「そうですね。お酒を除いたら頑張っても精々が二千円程度の価値だと思います」
つまり、五千円のうち残りの三千円はお酒の飲み放題の料金ということだったのか!
ぐぬぬ…… またしても酒飲みの為の酒代を、無辜な一般庶民が肩代わりして払わされていたのか。
不平等な状態の是正を要求する!
まあ、冗談なんですけどね。でも、なんだかなぁとか思わなくもない。
でも、こうなったら、このラウンジにある料理を全種類食べ尽くしてやる気概で臨みましょう!
そう、お腹一杯に食べて少しでも元を取ったと自己満足できるようにね。
「おじさん、マグロとエビ四つづつ下さい!」
「へい! タマキちゃん玉子は?」
およ? この板前のおじさんは、どうやら私のことを知っていたみたいでしたね。
私もかなり有名になってきたもんだ。
「たまごも二つお願いします」
このたまごは、お寿司の玉子巻きではありません。だし巻き玉子とでも言うのかな?
アテみたいな感じのヤツですね。
「環希、アンタ頼みすぎ……」
「優梨愛ちゃん、お寿司の食べ納めだよ」
「寿司ならロンドンでも食べれるじゃない」
「優梨愛ちゃんは、なんとかロールとかって名前のお寿司を食べたいの?」
日本人の私から言わせれば海外のお寿司の大半は、なんちゃってお寿司でしかありません。
でも、海外で外国人にも食べやすくしたお寿司、それ自体を否定したりはしませんけど。
あまり私が海外の寿司を食べたいとは思わないだけで、誰が何を食べようとそれは個人の自由ですしね。
まあ、日本のお米を軟水で炊いて、日本人か日本で修業した板前さんが握ったお寿司ならば、海外でも美味しくいただけるのでしょうけれども。
ラーメンにしろカレーにしろ、パンやステーキもそうですけど、それらは日本で食べるのに本場の味と違って、日本人の舌に合うようにアレンジされていますもんね。
あ、ラーメンって考えたら、ラーメンも食べたくなってきちゃったぞ。
それに、日本人以外は海苔を分解する酵素を体内に持たないか持っていたとしても分解酵素が少ないから、海苔を食べ過ぎると下痢をするとかなんとか聞きましたので、あまり海苔を使わない寿司が海外では発展したのかも知れません。
日本人も乳糖分解酵素が少ないから、牛乳を飲むと下痢しやすい人が多いですし、それと似たような感じなのでしょう。
「あ、あまり食べたくはないかも?」
「そうでしょ? だから、日本で食べる最後のお寿司ということ、それに価値があるからこそ一杯食べたいんだよ」
「タマキちゃんは嬉しいこと言ってくれるね~。へい、お待ち!」
「板さんありがとう!」
お寿司を握ってもらったから、お次はサラダバーで山盛のサラダも確保しなければなりませんし、特製のビーフカレーも大盛りでガッツリといただきましょう。
鶴さんのラウンジに来たのならば、特製のビーフカレーは外せない一品であります。
これを食べずに飛行機に乗るだなんて、とんでもない!
そう言えるほどの価値が、特製ビーフカレーにはあると思います。
それから、小洒落た蓮華みたいなのに載せられている、オードブルなのかアペタイザーみたいなのも全種類制覇してみせますとも!
そういえば、バイキングの方にも、イクラにサーモンや助六みたいな巻き寿司がありましたね。あと、生春巻きもお薦めです。
うはー、夢が広がりんぐ!
「わたしも、たまきちゃんを隠れ蓑にして乞食に勤しみますよっと」
「萌香さんも大概、図太い神経してますよね……」
環希はケチなのではない!
庶民的な金銭感覚を持っているのだ! たぶんw