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絡まれて立ち上がってずぶ濡れて

グシャリ、と音を立ててノートがひしゃげた。

目を上げると、ノートをぐしゃぐしゃにした手の主と目があう。制服を着崩した女子が三人。私が気づいたと分かるやこれ見よがしに笑う。

「あ、ごっめーん。いるの気づかなかったー」

「あはは、なに言ってんのー?机あるじゃん」

「でも人がいるなんて分からなくない?前に花瓶置いてあったしー」

「あれ、あんたが置いたんじゃん」

キャハハハ。笑い声がこだます。

まただ。

「……別にいいよ」

軽く紙を広げて、ノートをしまう。三人は

「え、ホント?ありがとー」

と言ってどこかに行った。私の鞄を蹴飛ばしながら。

「はぁ……」

三人の声が聞こえなくなってから、席を立って廊下に放り出された鞄を回収。席に戻る途中、クラスの何人かと目が合った。

こっそりと忍び笑う人。

なにも見てない振りをする人。

私のロッカーに手を掛ける人……あとでロッカーの中身、確認しなきゃ。

チャイムが鳴って先生が入って来ても、状況は変わらない。教科書を開けば消しかすが投げ込まれ、机に雑巾が押し込まれる。

高校に進学して一ヶ月も経たないうちに、このクラスでは虐める人と虐められる人、不干渉を決め込む人の三種類に分かれた。そのあとさらに不干渉を決め込んだ人の中からまた虐める人と虐められる人に分かれて、今は虐めるか虐められるかの二択だ。

私は最初不干渉派だったけど、中学校が同じだった誰かが私に親がいないことを広めて、それから虐められる側になってしまった。ここ最近のブームは私で、少なくとも二週間は私がクラスで一番標的にされていた自信がある。

けどここの人たちは、先生に言い訳の出来ないようなことはしてこない。だからノートがぐしゃぐしゃにされることはあっても隠されはしないし、冷笑を浴びせられることはあっても冷水は浴びせられない。

正直、物がなくなるとかの実害がないから大して困らない。先生の目の前で公然と足蹴にするような所よりよっぽどマシだ。

だから私は今日も特に反撃することもなくなすがままにしている。

次の日、例によって虐められていると、そんな私を思い詰めた目で見ている女子と目が合った。私の斜め前の席の彼女は、入学してすぐ私と仲良くなった子だ。虐めの標的が彼女から私に移ってからは話すこともなくなったけど。……なにか用なのかな?

この人たちがいなくなったら話しかけてみようか、どうしようか悩んでいる間に私の周りから人はいなくなって、代わりに先生が教室に入ってきた。結局話しかけられなかった。

HRが終わるとすぐに、一人の生徒が先生の元に向かっていった。今朝私を見ていた子だ。先生と二言三言話して、連れ立って教室を出て行く ……なんだろう?

クラスの誰も気にしなかったけど、どうにも気になる。なんの用だろう?少なくとも授業の質問とかじゃなさそうだ。

普通の用なら、先生に話しかけるのにあんな強張った顔にはならない。

その答えは昼休みに分かった。校内放送がかかって、私を率先して虐めている三人を呼び出したからだ。

「……………っ!?」

辺りを見回す。今朝先生に談判していたあの子はいない。まさか。まさか。まさか。

しばらくすると、ドアがこっそり開いて、私が待ち望んでいた人が入ってきた。私と目が合うと、にっこりと達成感に満ちた笑みを浮かべる。

「ねえ聞いてよ、私さっき先生にね、」

「なにしたの!?」

思わず大きな声が出てしまう。彼女の表情が固まった。ついでに、周りで談笑する人たちも。変な人を見る目で我に帰った。

「……ちょっと来て」

廊下の端の、人気のない所に連れ出す。ここならもう大丈夫だろう。

「ね、ねぇ、ちょっと、」

「さっきはごめん。驚かせちゃって。で、なにしてたの?」

「だから、先生にあの人たちがイジメをしてるって言ったの。入学してからずっと、いっつも誰かがイジメられてきたし、もう限界だよ」

「……本当に、なにしてるの……」

自信満々な表情を見て、よろめきそうになった。そんなことをしたら。そんなことをしたら、一体どうなってしまうのか、分かったものじゃないのに。

「そんなことしたら、あの人たちは絶対やり返すよ!今度は、前とは比べ物にならないくらい、」

「大丈夫だよ。ちゃんと先生に言ったもん。そもそも明日から学校に来ないんじゃないかな」

「……別に、私は気にしてなかったのに……」

「ダメだよ、イジメなんかに負けちゃ。イジメは悪いことなんだから、ちゃんと悪いことだって言わないと」

そう言って彼女は足取りも軽く教室に戻って行く。追いかける気も起きない。

私だって、ただ徒らに虐めを甘受してきたわけじゃない。ただ、あの人たちは頭がいい。最悪先生にバレても、言い訳が利くような虐めしかしてこなかった。だからきっと明日も明後日も学校にくる。あの子も、それは分かっていると思ってた。同じく虐められていた身として。

案の定、呼び出された人たちは昼休みのうちに何食わぬ顔で戻ってきた。

でも次の日から、今まで毎日のように私を取り囲んでいた人たちは私の所にこなくなった。もちろん時々思い出したようにゴミを投げられることはあったけど、規模は目に見えて小さくなった。喜ぶべきかも知れないけど、私には嵐の前の静けさだとしか思えない。

私に平穏が訪れて一週間くらい経ったある日、HRが終わって一時間目の用意をしていると、先生がそれとなく近づいてきてトントン、と机を叩いた。見ると、付箋が貼ってある。『放課後、職員室に来てくれ』。目が合うと、先生は小さく頷いて教室を出て行った。

まあ、なんで呼ばれたのか、大体見当はつく。

放課後、言われた通り職員室に行くと、待ち構えていた先生に生徒指導室に連れていかれた。

「先生、なにか用ですか?」

「ああ、ちょっとな……最近その、なんだ、学校生活は大丈夫か?」

「……もしかして、イジメがあるかも知れないって話ですか」

問ひ返すと、先生は少し目を見開いた。私が察していると知って話しやすくなったのか、歯切れがよくなる。

「知ってたのか。そう、前にクラスにイジメがあるって教えてくれた人がいてな。……大丈夫なのか?」

「大丈夫って……でも、その主犯だって言われてた人は普通にクラスに戻って来てますよね」

本当に虐めを警戒するなら、停学にするなり退学にするなりするはず。指摘すると、先生は目を逸らして頭を掻いた。

「……一応、本人たちには話を聞いた。けど、言われたことは全部故意にしたことじゃなくて、偶然そうなってしまっただけだって言っててな」

やっぱりだ。そう言われては、誰もそれ以上追及出来ない。

「そうですか……。でも大丈夫です。今はみんな落ち着いてます」

答えると、先生の表情が少し緩んだ。「そうか。分かった、ありがとう。もう帰っていいぞ」

「失礼します」

生徒指導室を出る。時計を見ると、もう四時半になろうとしていた。早く帰らないと。

ここから教室に行くには、ルートが二つあって、私はそのうちの薄暗くて不気味だけど近い、非常階段を使う道を通ることにした。人があまり近づきたがらない暗い階段を登って、教室のある三階を目指す。

階段に足をかけたとき、近くのトイレから誰かの笑い声が聞こえた。聞き覚えのある声に、反射で隠れる。程なくして、女子が三人連れ立って出てきた。ついさっき先生と話していた、主犯格の三人。

なんで?

ここのトイレは、人が来ないせいで掃除もよくされなくて汚い。だからあの三人が来ることなんてないはず。用があるとすれば……嫌な予感がする。

三人が遠ざかったのを見計らってトイレに入る。暗い。電気をつける。

人がいた。

薄汚れた床に座り込んで、惚けた目で床の一点を見つめている。ほどかれた髪からは水が勢いよく滴って、シャツは透けていた。

ついこの前まで浮かべていた自信満々な笑顔は、影も形もない。

「……どうしたの……?」

「……………」

返事はない。まるで死体だ。

ハンカチでずぶ濡れの髪を拭く。生臭い酷い臭いがして、むせそうになる。ハンカチがびしょびしょになるまで拭いても、髪のべたつきはとれなかった。

「ちょっと待ってて」

このまま拭っても汚れは取れない。これは一旦ハンカチを洗わないと駄目だ。トイレの水は使わない方がいいような気がして、廊下に出て水道でハンカチを洗う。よく水で濡らして、水が床に滴らないように気をつけながらトイレに戻った。

誰もいない。

「………え?」

どこに行った?個室のドアは全部開いてるし、もしかしてトイレから出た?

廊下に引き返すと、さっきは気づかなかった水滴が点々と床に落ちていた。微かに嫌な臭いがする。これを辿っていけば、どこに行ったか分かる……

「あ」

水滴は、踊り場で途切れていた。用務員さんが床にクリーナーをかけていて、水滴が残らず拭き取られてしまっていた。

「あ、あのっ!女の子を見ませんでしたか?ずぶ濡れの、髪の長い……」

「え?いや、そんな人は見てないけど……」

「そうですか……」

そのあと、至る所を探してみても、彼女の姿はどこにもなかった。忽然と消えてしまった。トイレに大きな水溜りを遺して。

次の日から、彼女は学校に来なくなった。今日で一週間学校に来ていないことになる。理由は親にも話していないようで、先生は原因不明の不登校に慌てていた。でも、心当たりはあるはずだ。

そして私の周りには人が戻ってきた。あの三人組は一日に五回はこっちにくるし、持ち物はぐしゃぐしゃにされる。

トイレで水を使ったのは、あくまでチクった人への制裁措置のようで、私に対しては相変わらず小さなことしかしてこない。だから先生にまた訴えることはないまま、終業式を迎えた。

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