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巣立って出会って懐かしんで

『ーー続いて、卒業生の入場です。拍手でお迎え下さい』とアナウンスが入って、扉が開かれた。先頭の人から順に入場していく。前の人に遅れないように、歩調を合わせて步く。

体育館に入場した途端、ぶわっと四方から拍手が迫ってきた。敷かれた赤いカーペットの両脇に居並んだ人たちが振り返っては自分の子供を見つけて手を振っている。今日おばさんはもう一人の卒業式に行ってるから、私には関係ない。真っ直ぐ前を向いて進む。

席に座るとすぐに卒業証書の授与が始まる。私の番は結構早い。始まって五分もしないうちに名前が呼ばれる。返事をして、登壇する。

「おめでとう」

差し出された卒業証書を、左手、右手の順で受け取って、礼。他の人には手を握ったり目配せしていた校長先生も、私に対しては特になにもしなかった。別に悲しいとは思わない。三年生もあと半年という中途半端なところで転入してきた私には、校長先生も、その隣の担任の先生もコメントしずらいだろう。少なくとも私には、なんの感想もない。スタスタと降壇して席に戻る。

残る百数十人分の卒業証書授与と、そのあとに続いた色んな人たちの挨拶は、ほとんど私の耳には入ってこなかった。校歌も覚えてなくて歌えなかった。周りの同級生の女の子には何人か泣きだす人もいたけど、残念ながら私には懐かしむ思い出はない。特に表情を変える場面もないまま式は終わった。

『卒業生の退場です。拍手でお送り下さい』のアナウンスを合図に立ち上がって、今度は列の後ろの方になって退場する。

保護者席が、今度はよく見えた。笑顔の人、泣く人、手を振る人。色んな人がいて、みんな自分の子供だけを見ていた。……いいな。少しだけ、憧れる。

そんな人たちを流し見ながらカーペットの上を進む。綺麗な着物のお母さん、カジュアルなジャンパーのおじいさん、キチッとしたスーツのおじさ……えっ。

「?!」

思わず後ろを振り向いてしまう。すぐ後ろを歩いていた人と目があって、慌てて前に向き直った。でも、意識は後ろに持っていかれたまま。

さっきのスーツの人が胸に差していたチーフに、見覚えがある。

半年前に、おじさんと行った海辺のテーマパーク。その帰り際に寄った店にあったそれに目を惹かれて、私はそれを買った。

あれが、もし私の覚えているのと同じものなら、あれはハンカチで、それをあげた相手はおじさんだ。お土産を買ったとき、こっそりおじさんの財布に挟んでおいたハンカチ。ということは。

来てくれた?見に来てくれた?あれから一度も来てくれてないけど、今日来てくれた?

ドアをくぐるときもう一度振り返ると、スーツの人は前を向いていて、顔は見えなかった。

『本日は、卒業式に参列して頂き、ありがとうございます。改めて、お祝い申し上げます。保護者の皆様におかれましては、これにて解散とさせて頂きます。お帰りになる方はーー』そんなアナウンスが聞こえる。ああ、駄目だ、急がないと。

帰りの会が終わると、鞄を掴んで一番に教室を出た。時々話す仲の子はいたし、先生の周りには人だかりができていたけど、挨拶してる暇はない。今日会えなかったら、次いつ会えるか分からないから。

この学校に来て初めて廊下を走って、人にぶつかりながら階段を踏み外しながら、昇降口で靴を履き替えて外に出る。校門のそばには、子供を待つ大人の人だかりができていた。あの中にいてくれますように。

人だかりの中に割って入ってスーツを着た人を片っ端から見ていく。目印は胸のハンカチ。何人か似たようなチーフを刺している人がいて、その度に顔を確認してがっかりした。

談笑する人たちの間をすり抜けて、写真を撮ろうとする人たちの目の前を突っ切って。何度も頭を下げながら目を皿にして目的の人を探す。

違う。違う。この人も違う。あの人も違う。違う。違う。違、

「こらこら、危ないって、そんなに急いだら」

後ろから腕を掴まれた。振り向くと胸にハンカチを刺した人。顔を見る。

おじさんだ。

「……おじさん?」

「久しぶり。ごめんね、しばらく顔出せなくて」

おじさんと向き合う。おじさんだ。夏に会った時そのままのおじさんだ。少し顔が近くなったような気がする。おかげで、

「おじさんだっ!」

「おっ、わっ!?」

おかげで、おじさんの首に腕を回して抱きつける。少し足が浮くけど問題ない。

「いや、ちょ、問題はある、問題はあるからっ」

そう言いながらもおじさんは私を抱き止めてくれる。優しい。

おじさんは私が周りの人の目に気づいて離れるまでちゃんと受け止めていてくれた。

「卒業おめでとう。上手くやってたみたいで安心したよ。ところで、おばさんはどうしたの?来てないみたいだけど……」

「あ、えっと、今日はもう一人の小学校の卒業式と被ってて、私がおばさんにそっちの方に行くように頼んだの」

「……それで良かったの?君だって見に来て欲しかったでしょ?」

気遣うような目。そんな顔のおじさんを見ると、自然と笑みが溢れてしまう。

「大丈夫。だって、おじさんが来てくれたし」

「ああ……そうだね」

おじさんは照れ臭そうに頭を掻く。あちらこちらを泳いだおじさんの目が、校門に立て掛けられた看板に止まった。

「そうだ、せっかくだし写真撮る?」

スマホを取り出して看板を指差す。

「いいの?」

「撮りたいなら遠慮しなくてもいいよ。……お、今がチャンスかな」

周りから人がいなくなった隙におじさんは私を看板の横に立たせてスマホを構えた。

「はい、撮るよー。さん、にー、いち」

カシャッ。

「もう一枚いくよー」

顔の横でピースサインを作ってみる。

カシャッ。

「オッケー。よく撮れたんじゃない?」

おじさんが見せてくれたスマホの画面には、ピースをした私が写っていた。……ちょっと顔がぎこちないかな。

「おじさん」

「ん?」

「一緒に写ろうよ」

「僕はいいけど……いいの?」

頷くと、おじさんは近くの男の人にお願いしてスマホを預けた。

「はい、じゃあ撮ります。……あ、もう少し寄ってもらって」

おじさんが一歩寄ってくる。腕が当たるくらい近い。私からも一歩距離を詰めた。

「……はい、大丈夫です。では撮りますね」

カシャッ。

「これで大丈夫ですか?」

「はい、ありがとうございます」

返してもらったスマホには、私とおじさんがくっついて写っている。うん、今度はちゃんと笑えてる。むしろ、おじさんの方が少し緊張してるように見えた。

「じゃあ、あとでこれ現像して渡すよ。で、このあとなんだけど……」

おじさんが辺りを見回す。気がつけば人はだいぶ減っていて、残っているのは私たちの他は十人もいない。

「どうしよっか?」

「おじさん、もう帰っちゃうの?」

「いや、今日一日は時間あるよ。だから、どこか行きたいところとかあったら、そこに行こうかと思って」

「うーん……」

行きたいところ、行きたいところ……難しい。なんとなく時計を見ると、もう一時になろうとしていた。

「あ、じゃあまずお昼ご飯食べたい」

「オッケー、お昼ね。なら近くに車停めてるから、乗ってからどこで食べるか考えようか」

学校の裏口に回ると、赤い軽自動車が停めてあった。私が助手席、おじさんは運転席に乗り込む。

「発車するよー」

相変わらず鍵を使わないでエンジンをかけてアクセルを踏む。車は軽やかに走りだして、大きな道路に出た。学校のこっち側には、家が反対にあるせいで来たことがない。

「お昼はなに食べたい?」

「えっと……」

どうしよう、なにも考えてなかった。帰る話にならないように取り敢えず提案したけど、別に食べたい物はない。

「……なんでもいい、かな……」

「なんでもいいかー。うーん、どうしよう。取り敢えず色々ありそうなところに行くか」

しばらく大きな道路を走って、車はファミレスの駐車場に入った。和食も洋食も沢山あることで有名なファミレス。名前は聞いたことがあったけど入ったことはなかった。

「いらっしゃいませ。何名様でいらっしゃいますか?」

「二人です。禁煙席でお願いします」

お昼時だったけどお店は空いていて、窓際の四人席に案内される。私を先に座らせて、おじさんは反対側の席に座った。

「何にする?好きなの頼んでいいよ」

「いいの?」

一応だけどお小遣いは貰ってるし、今も持ってる。ずっと奢って貰いっぱなのも悪い気がする。そう思って聞き返すと、おじさんはガクーッと肩を落として見せた。

「いやいや……あのね、」

キッと決意したように目を上げて、ズイッと顔を寄せてくる。わ、近い。

「僕は、中学校を卒業したての女の子にお金を出させるほど甲斐性なしなわけじゃないから。収入はあるし、君が心配することはないよ。ここで僕が払うのはしばらく来れなかったお詫びも兼ねてるんだし、遠慮しないで」

「そ、そういうことなら……」

初めて見たおじさんの気迫に気圧されて財布をしまう。確かに、おじさんはあの夏から一回も来てくれなかった。どころか、連絡もくれなかった。ここは、思いっきり甘えるのもいいかも知れない。

そう思い直してメニューを開いた。

「……そう言えば、このあとどうするかとかは決まってるの?」

それぞれの注文を済ませて、運ばれてくるのを待ってると、おじさんが思い出したように聞いてきた。

「うん、近くの高校に行くことになった」

私が行くことになったのは、同級生も何人か行くことになってる地元の公立高校。取り立てて言うこともない普通の高校だけど、半年もない受験勉強期間じゃそこに行くのが限界だった。

「そっかそっか、取り敢えずの進路は決まってるんだね。ならよかった」

安心したようにおじさんは笑う。……もし私がこのあとどうするか決めてなかったら、また引き取ってくれてたりしたのかな。だとしたら、惜しいことをした気がしなくもない。

「おじさんは?最近どうしてたの?」

「僕?僕はまぁ、なんとかやってるよ。特に変わりなし。こうやって生きてるだけマシな方かな。そんなことよりさ、」

おじさんは自分の話を適当に切り上げて身を乗り出してきた。自分の話よりしたい話があるらしい。

「中学はどうだった?期間的に半年もなかったろうけど、どんな感じだった?」

「……なんでそんなにワクワクしてるの?」

正直な話、そんなに目を輝かすほどのことじゃないと思う。

「いやー、だって中学時代なんてもう十何年も前だしさ、今時の中学生は何してるのかなんてさっぱり分からないし。僕だって色々懐かしみたいお年頃なんだよ」

「そういうもの?」

「そういうもの」

「うーん、でも特に言うほどのことはなかったし……」

私が転入したのは九月で、その月のうちに文化祭があって、あとは一月に修学旅行があった。それしかなかった。

「あー、文化祭あったんだ。どんな感じだった?」

「どんな感じ……って言っても、私ほとんどなにもしてない……」

話せる人もいなくて、ずっと学校中をぶらぶらしていた。クラスで何をやってたのかも覚えてない。

「もしかして、ぼっちだった?」

「……うん、まあ……」

「やっぱりかー。いや、実は僕もそうでさー」

「おじさんも?」

「うん。僕の学校は文化祭はなかったんだけどね。でも行事の時はほとんど空気だったなー。いやー、懐かしい」

「………………」

それは懐かしむことなんだろうか。

「で?修学旅行は?」

「修学旅行も……似たような感じだった、かな」

少し仲良くなった子がいて、その子と同じ班になったけど、班こ他の子とは『友達の友達』の関係でしかなかったから、結局班の中じゃほとんど話さなかった。恋バナも振られなかったし。……まあ、振られたとしても大した話はできなかっただろうけど。

「僕は確かグループには入れたんだよね。クラスで唯一話せる人と一緒になって。でもその人が僕と仲良くない友達とずっと喋ってて、気まずかったなぁ」

「……それ、私」

「え、君もそうだったの?……ちなみに、感想は?」

「……気まずかった」

「だよね。分かる」

料理が運ばれてきた。私が頼んだのはグラタンで、おじさんはパスタ。湯気がもくもくと立っていて、見てるだけで涎が出てくる。

「美味しそうだね」

おじさんも同じことを思ってたみたいで、すぐにフォークを手に取った。

「いただきます」

私もスプーンを取って食べ始める。はふっ、熱い。

向かい側では、おじさんも熱いパスタに苦労していた。そんなおじさんを見てると、去年の夏休みに戻った気がして……あ、いいこと思いついた。

「ねえおじさん。私、あそこ行きたい。ショッピングモール」

「ショッピングモールか、いいね。あそこなら色々あるし、困らなそうだし。じゃあ、そこに行こうか」

ご飯を食べ終えるとまた車に乗って二十分。着いたのは初めておじさんと行ったのと同じくらいの規模のショッピングモールだった。偶然か、名前も同じ。

「来たけど、なにするの?」

「うーんと、ね……」

敢えてどこに行くとは言わないでおじさんを引っ張る。三階の端へ。

「お、映画かー。久し振りだなあ」

「……あっ、おじさん、あれ見よ」

ぐるっと見回して、沢山並んだポスターの内、ピエロが笑っているポスターを指差す。おじさんは名前を確認するとすぐに券売機に向かった。中身は気にしないらしい。

計画通り。寧ろ、上手く運び過ぎてるくらいだ。

そこそこ人気のある映画みたいだけど、おじさんは真ん中の席を二つ取ってくれた。丁度上映時間が迫っていたから、すぐシアターに入る。

長いCMが終わると、待ち望んだ本編が始まる。

私が選んだのは、アメリカを舞台にした映画だ。とある街にピエロが現れ、次々と子供たちを襲っていくっていう、バリバリのホラー映画。

「……ねぇ、もしかしてこれ、ホラーだったりする?怖かったりする?」

始まって十分もしない頃、勘付いたらしいおじさんが小声で尋ねてきた。まずい、笑っちゃいそう。

「うん、そうだけど。……もしかしておじさん、こういうの苦手だった?」

「あ、やー……」

おじさんの目が泳いで、チラッとスクリーンを見る。丁度その時ピエロが暗闇から現れて、おじさんの肩が跳ねた。

「……いや、大丈夫、大丈…夫…なはず」

「ならよかった」

もう駄目だ。おじさんに気づかれないように声を押し殺して思い切り笑った。

ひとしきり笑って、スクリーンに目を戻す。ちらっと話の流れを確認して、十秒ごとに跳ね上がるおじさんの肩と引き攣った顔をまた見る。見て、笑う。

懐かしい。初めておじさんと映画を観たときはこういうのが怖いんだって驚いたものだったけど、けどそのおかげで少しおじさんが近く感じられた。あー、涙出てきた。

映画が終わる頃にはおじさんはすっかり草臥れていた。ずっと顔を引き攣らせていた名残でちょっと頬がヒクついていて、それがまた可笑しい。

「……あー、あー、怖かった。君はああいうの平気なの?」

「うん、まあまあかな」

というか、おじさんを観るのに忙しくて映画はそんなに観ていない。一人で観たら、また違う感想になるのかも。

「休憩する?」

「いや、大丈夫……」

「じゃあ、次はあそこ行っていい?」

映画を観る前から決めてあったお店に入る。ワンピースだったりスカートだったり帽子だったりネックレスだったりがずらっと並んだ、私がおじさんにワンピースを買ってくれたのと同じ名前のお店。直ぐに近寄ってきた店員さんを断って、お店の中を見て回る。後ろでおじさんが居心地悪そうにしてるけど気にしない。

「あの、僕外で待ってるから、」

「駄目。おじさん、この前も私を置いてったじゃん。今日はちゃんといてよ」

「あれ、まだ怒ってるの……?」

当たり前だ。確かあのときはアイスで懐柔されて許すって言っちゃった気がするけど、それは言わないでおく。

「そう言えばさ、おじさん、あのとき店員さんになんて言ってたの?」

「え?なんて言ってたって?」

「いやさ、私を店員さんに預けるとき、なにかコソコソ店員さんに言ってたじゃん。あのとき、なに言ってたの?」

「あー……ああ、あれか。あれは確か、君のパジャマとか、その辺の着替えも用意してもらうように頼んでたんだよ。女の子の服のことなんてわかんなかったし」

「ふーん……。あ、これでいいかな」

一通りお店中を回って良さそうな服を選んで、試着室に入って早速着替えてみる。姿見でチェックして、カーテンを開けた。

「どうかな?」

外で待っていたおじさんは、私を見るとしばらくの間キョトンとしていた。

「……似合ってるよ」

そう言って柔らかく笑う。

「本当?」

「まあ、僕ファッションセンスとかないし、アテにならないと思うけど」

「おじさん的にはどう?」

「僕的には……うん、やっぱり可愛いよ」

やった。褒められた。心の中でガッツポーズ。

「あ、でもあくまで僕個人の意見だしさ、あんまり信用しない方が、」

「おじさんから見て可愛いならそれでいいよ」

「……あ、ああ、そう?」

「うん」

迷わず言いきった。おじさんは気圧されたように黙って、目を逸らす……あれ、今私、なに言った?

……うわ、やばいこと言っちゃった。気づいた途端恥ずかしくなってカーテンを閉める。テンションが上がって思わず口が滑ってしまった……恥ずかしい。

もとの服に着替えて試着室を出ると、財布を渡された。何度もいつのまにか私のポケットに入っていた黒財布。

「あんなに似合ってたんだし、買ってきなよ」

「いいの?」

「いいのいいの。おじさん、最近割と懐があったかいから」

背中を押されてレジに向かう。値段を気にしないで選んでたせいで結構高かったけど、財布の中には確かにその倍くらいのお金が入っていた。

お会計を済ませて袋を提げておじさんの所に戻ると、おじさんはスマホで電話していた。話を聞くと悪いから電話が終わるまで離れた所で待って、電話が終わった頃に近づく。

「電話?」

「そ。お仕事の電話」

「おじさん、仕事始めたの?」

確かアルバイトのようなことをしていると言っていたけど、定職に就いたのだろうか。

「まあ、そんな感じかな」

「ふぅん」

おじさんのスマホがチラッと見えた。『16:32』の文字。

「……あ!門限!」

おばさんとの約束で、五時には家に戻らないといけない。私はまだ破ったことはないけど、破ったときは結構怒られるらしい。やば……。

「あ、それなら大丈夫だよ。僕が連絡しといたから。『ゆっくり楽しんで来なさい』って、おばさんから伝言」

「そうなの?ならよかった……」

なら一安心だ。取り敢えず歩き出す。

「いい人だよね、本当。あの人とは、上手くやってる?」

「うん。時々厳しいけど、いつもは優しいし、色んなことしてくれるし。私は好きだよ」

「そっか、ならよかったよ。あそこに君を預けたのは僕だからね、困ってたらどうしようかと思ってた」

そんなことを話していると、辺りが急に賑やかになった。電子音だとか人の声がいくつも混ざり合って聞こえてくる。

「お、ゲーセンだ」

どこからこんな音が出てるんだろうと思っていると、おじさんが答えを教えてくれた。指差した先には、ライトで眩しく照らされた箱が、中に色んな人形やぬいぐるみを敷き詰めて並んでいるお店があった。

「ゲーセン?」

「そう。色んなゲームがあるんだよ。入ってみる?」

「うん」

おじさんの先導で入ったゲーセンには、色んなゲーム機があった。カーチェイスができる物だとか、お菓子が取れる物だとか、あとは話によく聞くプリクラなんて物もあった。どれもこれもが賑やかな音を発していて、眩しく照らしていて、いるだけでクラクラしそうだ。

と、おじさんが止まった。視線の先には、見覚えのあるぬいぐるみが所狭しと並んでいる。

「これ、覚えてる?」

「うん」

おじさんと遊んだ最後の日、私がおじさんの財布に忍ばせたハンカチにあしらわれていたのが、このキャラクターだった。おじさんも覚えてくれていたらしい。

お互いしばらく無言でぬいぐるみを眺めていたけど、おじさんは財布を取り出すとお金をゲーム機に入れた。テロンと音がして光が強くなる。

「なにするの?」

「まあ見ててよ」

おじさんの目がすうっと細く、鋭くなって、一際大きなぬいぐるみを見据える。ゆっくりとボタンを押し込むとクレーンが動いて、ぬいぐるみの真上に来た。そのまま降りてぬいぐるみを掴んで、持ち上げる。

「あ、落ちた」

ぬいぐるみは少し浮きかけたけど、すぐに落ちてしまった。クレーンが静かにもとの位置に戻る。

「……うん、やっぱり重いな。作戦変更」

そう呟くと、今度は五百円玉を投入。クレーンが動いて、降りる……今度は掴みすらしないで、ぬいぐるみを倒すだけだった。次も、その次も、ひたすらおじさんはぬいぐるみを突いたり押したりして動かすだけ。

「ねえ、さっきからなにして……あ」

待ちきれなくなって声をかけた瞬間、クレーンがぬいぐるみの足を持ち上げる。中途半端に宙に浮いたぬいぐるみは、バランスを崩してゴロンと鈍い音をたてて穴に落ちた。

「よしっ、取れたっ!」

おじさんが小さくガッツポーズする。ゲーム機の下の穴を見ると、確かにぬいぐるみがある。

「取れた……」

「いやー、久し振りにやったけどできるものだね。僕、こういうの結構得意だったんだよ。それ、あげる」

「え?」

ぬいぐるみが差し出される。

「いや、これ僕が持ってても仕方ないし、お土産ってことで」

おじさんはウインクして、ぬいぐるみを押し付ける。私の頭より大きなぬいぐるみが、腕の中にすっぽり収まった。

「……ありがと」

「いえいえ。あ、じゃあついでに他の人のお土産も買っておこうか」

おじさんの提案でゲームセンターを出る。色んなお店を見て回ってお土産を買う頃には、もう六時になろうとしていた。流石にもうそろそろ帰らないといけない。

楽しい時間はあっという間だ。

車に戻って、きた道を引き返す。すぐに学校が見えてきて、もうあと十分もしないうちに家に着くはずだ。

「……ねぇ、おじさん」

もう外はすっかり日が落ちて暗い。車のハンドルを握っているおじさんは集中してるはずだけど、声をかけると目をこちらに向けてくれた。

「次は、いつ来てくれるの?」

「そうだねー、仕事が不規則だからなんとも言えないけど、八月中に一回は行けるんじゃないかな。その時は事前に連絡するよ」

「そう……」

今は四月。次に会えるのは四ヶ月後だ。

「どうかした?」

「いや、なんでもない」

顔を背けて外を見る。車の中も暗いし、私の目が潤み始めていることなんて分からないはずだ。

「……次来るときは、朝に来てね」

「了解」

それからはお互い無言だった。私は窓の外を見ているふりをするのに必死だったし、おじさんはずっと前を向いていた。時々話を振ってくれたりもしたけど、それも長続きしないで尻切れトンボに終わる。そんなことを繰り返しているうちに家に着いた。私が車を降りても、おじさんはハンドルから手を離そうとしなかった。

「おじさんは降りないの?」

「うん、今日はいいや。このあとちょっと仕事の用があって」

「夕ご飯、食べていけばいいのに」

「……また今度ね」

粘ってみても、おじさんは車を降りようとしない。仕事というなら仕方ないのだろう。

「……そっか。じゃあね、おじさん。また今度」

「うん。じゃあね。楽しみにしてるよ」

せめて今くらいはと、思いっきり笑う。おじさんもニコッと笑い返してくれた。

おじさんの車が見えなくなるまで見送る。車が角を曲がって完全に見えなくなってしまってから、ぬいぐるみに顔を埋めた。

大きくてふわふわなぬいぐるみは、いいタオルになってくれた。

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