因果
いつのまに宇奈月が帰ったのかもわからないまま、その日はじめて隆行は有給休暇をとった。抵抗する術もなく言い渡された妻の死。本来なら医者の自分が患者の家族に言っていたはずの言葉。
はじめてその家族の気持ちがわかった。それでもいま隆行のそばに小夜子の遺体は亡く、そしてこれからも決して戻りはしないのだ。
何度もボトルに手を伸ばしてはひっこめる。今頃、窮地に立たされているだろう息子たちのことを考えると飲みたくても飲めない。自分でもつくづく真面目だと思う。
代わりに小夜子と結婚してから、決していままで手をつけたこともなかった煙草に火をつけた。昨夜からもう一箱。こんなに煙たいと火災報知機が作動するかもしれない。
そんなことを思いながら火をつけようとした手を誰かがとめた。
「もうやめとけニコチン中毒になるぞ」
宇奈月だ。隆行が気になって戻って来たらしい。
「ふん、いまさらどうなったってかまわんさ。小夜子や息子たちがいなければ生きる価値なんかない」
「まだ佳隆が死んだわけじゃないだろう」
「おまえら宇奈月にはわからんよ。少なくとも隆生はだめなんだろう?」
「ああ、そうだ」
「力がなければ見捨てるか・・・・勝手だな」
皮肉に笑う隆行の前に一升瓶がおかれた。
「こいつならつきあってやる。それに俺たち宇奈月にだって親族の情はあるんだ。権力の前にかき消される運命だとしてもな」
なみなみとコップに酒がつがれる。隆行は手を振って断った。
「佳隆のところに行くならやめとけ」
「私は父親だぞ。息子の窮地を放っておくわけにはいかん」
「『アサギ』が動いた」
「なんだそれは?」
「『宇奈月』元帥麻城宗一の孫娘がつくった『宇奈月』の唯一にして最大の攻撃力をもつ組織だ。と言っても、俺たち『宇奈月』のやつらも詳しいことは知らない。噂によれば孫娘とその守護の少年ふたりで構成されているお姫さんの退屈しのぎの組織らしいけれどな。腕は確かだ。俺のカンだがたぶん佳隆を『アサギ』にするつもりだろう」
「佳隆は私の息子だ」
「でもおまえのものじゃない。『アサギ』の連中にまかせれば大丈夫さ。今日はとことんつきあってやるよ」
隆行はうなり声をあげ、やがてあきらめてコップの酒を飲み干した。
ーゾーリザーリ。
太陽と燃えさかる炎の熱を避け、
ーゾーリザーリ。
泥は田圃で眠りにつく。
「ちぇーっ、助っ人か。もっと美味しい人間を食べられると思ったのにな」
寝所に帰る泥たちを見ながら隆生はつまらなそうにつぶやいた。せっかく兄の肉をむさぼれると思ったのに。母親と同じ血をもつ兄の肉。隆生を裏切り自分だけ村を出ていった兄の肉。きっと母の肉と同じようにおいしいに違いない。
「母さんが悪いんだ」
隆生は鏡に映るモノに向かって言う。
「愛しているのは僕だけだって言ったのに」偶然聞いてしまった患者の老婆との会話。まぎれもなく母は父を愛していると言った。
「僕が悪いんじゃない」
気がついたときには母も老婆も血まみれでー彼の右手には出刃包丁が握られていて、
ーハハノニクヲタベル。
頭の中に響く声に誘われるようにして食べた肉はとろけるほど美味しかった。
ーオマエノハハオヤハニクムベキイチゾクノオンナ。ソノニクハチカラノミナモト。
『影』が語りかけてくる。
「そのおかげで封印されていたキミとも逢うことができた」
ーイチゾクヲコロセ。
「わかってるよ。まずは兄さんからだ」
ペロリとウサギの血で汚れた唇をなめると隆生は『影』に笑って見せた。
「ふーん文久と同じ学校ってことは頭いいんだな佳隆。おっ、このサバ缶なかなかいけるぜ詩織」
「恭、あなた・・・くる途中もお弁当食べてなかった?」
「運転は体力つかうんだよっ」
「神経の間違いでしょう。どーしたの静穂?」
自分たちの朝ごはんを奪うような勢いの恭の食欲に静穂はびっくりして箸をとめていた。
「えっ?あっ、ごめんなさい。びっりしちゃって・・・・。男の子ってすごいのね。昨日の有川さんの食欲もすごかったけど恭さんてそれ以上・・・・」
「これから『仲間』になるんだからさん付けはやめてよ。恭君と呼んで。ついでに佳隆も佳隆君」
「おまえがいうな」
呆れて佳隆は恭を見る。ほとんど喋らない葵と違ってマシンガンのように言葉は次々とでてくる。そのせいかシリアスな状況のはずなのに、どこかのんびりとした雰囲気が漂っていた。
葵は食べ続ける恭を冷ややかに見ているだけでさっきから一言も話さないし、詩織は詩織でそんな恭とまるで夫婦漫才のようにボケと突っ込みを繰り返している。
詩織は文久とつきあっていると言っていたけど、
「恭と詩織さんて仲がいいんだね」
恭との方がぴったりくる。佳隆の言葉に恭は笑った。
「そりゃあそうさ。生まれる前からの付き合いだからな」
「えっ?恭さんたちと詩織さんて兄弟なの?」静穂が驚くと恭はひらひらと手をふった。
「違う違う。またさっきの話にもどるんだけど、『麻城』には代々『鏡塚』という守護が生まれた時に一人つくんだ。不思議なことに『麻城』が生まれる時に寸分違わず俺たち『鏡塚』は生まれる。守護はふつうひとりなんだけど、俺たちが双子だったから詩織の守護はふたりってわけ」
葵と自分を人差し指で示す。詩織が続けた。
「呼び名は違うけれど『宇奈月』の直系の血を引く者たちには守護なんていて当たり前なの。佳隆にもいるわ」
「俺に?あっ、もしかして叔父さんのこと?でもどうして?俺はいままで普通に生活してきたのに」
「あなたの母親は東直系東塚和真の娘で本当なら兄と結婚するはずだったわ」
「だってそれじゃあー」
「近親相姦・・・・」
佳隆と静穂は顔を見合わせた。何も知らないこの状況ではお互いだけが頼りのような気がする。
「一族の間では珍しくないの。ふつう『宇奈月』の女たちは力をもたない人間と接触をもつと力を失うから」
「でも私、いろんなひとに触れたけど?」
首を傾げる静穂に恭が吹き出した。にやにや笑いながら詩織がどう説明するかを見ている。詩織は恭を睨みつけると葵に救いを求めた。
「接触というのはただ触れるということじゃない。佳隆にはわかってるよ静穂」
静かな葵の言葉に佳隆を見る。少年は困ったように彼女を見ていた。
顔があかくなっている。それでも静穂には理解できなくて、もう一度詩織に目をうつした。詩織がため息をつく。
「三カ月前まで小学生だったんだからしょうがないか。つまりね、ふつうの男に抱かれると力を失うの。・・・・・わかったみたいね。そんな顔しないでよ。私まで恥ずかしくなるわ」
「ごめんなさい。でもふつう、てことは詩織さんは違うの?」
「試したけど力を失うことはなかったわ」
その言葉に静穂はますます赤くなる。試したということは、つまりそういうことなのだろう。
「いまのところそのことを知っているのは恭と葵。それに佳隆と静穂だけよ。こんなこと一族に知られたら婚約だけじゃすまないもの。あっ、言い忘れていたけれど私、一族と婚約してるの」
まるで今日は雨なのと言うような口調。
「文久が現れてから一族の奴ら慌ててさ。なんだかんだ言ったって詩織が文久を選べばそれは絶対なんだ。たかだか十四歳で相手を決めろなんて文久には無茶だから形だけ婚約したんだよ」
「そうよ恭か葵がよかったのにふたりとも嫌だなんて馬鹿にしてるわ。そんなに私が嫌いなの?」
すねるように葵を見つめると初めて葵が口元に笑みを浮かべた。
「すぐに嘘だとわかってしまうよ。それに俺たちは生まれたときから詩織のものだ」
「まて葵。たちってのはなんだよたちってのは!俺は嫌だぜこんな我がまま姫に一生つきあうのは」
「心配しなくても一生こき使ってやるわ」
「ぜーったい嫌だ!佳隆、惚けてないでなんとか言えよ!」
「いや・・・・委員長のどこがいいのかなって」
佳隆の言葉に恭の動きがとまる。詩織も佳隆を見た。
(う・・・まずかったかな)
でもどうしても信じられない。佳隆の知っている限り柏木文久はとてもおとなしくてクラス委員長も無理やり押し付けられたようなものだ。背も詩織とそんなに変わらないし、成績だってふつうだ。
運動神経もどちらかといえばないし、ニックネームはお坊ちゃまというくらいどこか頼りない。そんな文久と詩織がつきあっているなんて簡単に信じられるものではなかった。
恭がぽりぽりと頭をかく。
「まあ、たしかに詩織と釣り合いはとれねーよな。外見は」
「恭と違っておとなしいからな文久は」
葵も言った。詩織が口をひらく。
「一緒にいてほっとするの。あったかいのよ彼。であいは運命だと素直に言えるわ」
「私も逢ってみたいなその人に」
「そのためにはこの『狩り』を早く終わらせないといけないわ。本題に入りましょう」
それまでどこか悪戯に輝いていた瞳が厳しいものに変わる。柔らかく天使のような愛らしさから神々しいまでの超越美に、ゾクリと佳隆の背中を悪寒がはしる。
同様にふたりの『鏡塚』の少年からも遊びが消えていた。恭が言った。
「泥餓鬼は昔、東塚和真によって娘の中に封印された筈だ。たぶん隆生が小夜子を殺したんだと思う。小夜子が死なない限り封印が解かれることはないからな」
「ちょっと待てよ恭。隆生が母さんを殺しただって?」
「このことは東直系によって調査済みだ。ショックだろうが事実は事実としてうけとめなくてはならない」
葵が佳隆に言った。佳隆は口を開きかけ、あきらめて拳を握り締める。
(そんなこと言ったって、ここには母さんも隆生もいないじゃないか。それにどうして東直系は母さんを助けなかったんだよ。そんなに冷静に身内の死を言ってのけるな!)
言いたいことは山ほどあった。だけど・・・・。
「・・・それが『宇奈月』なの?」
静穂が佳隆のにぎりしめた拳を一本一本やさしくほどきながら詩織に聞いた。あまりに強くにぎりしめたために、少年の手のひらには傷ができている。
静穂だって佳隆と同じ立場なら同じことをしただろう。だから佳隆が聞きたくても聞けないことを聞いたのだ。
「そう・・・私たち『宇奈月』には親族の情なんて・・・・親子の絆なんて、きっとないわね。でも佳隆や静穂はいままで通りでいいのよ。あなたたちは『アサギ』なんだもの。『宇奈月』にとらわれる必要なんかないわ」
詩織はやわらかな眼差しでふたりに言う。そこにはどこかあきらめに似た雰囲気があった。
(詩織さん・・・『宇奈月』を嫌いなの?)
その質問を静穂は飲み込んだ。なんとなくいまはこれ以上『宇奈月』のことを知らない方がいいような気がしたのだ。かわりに佳隆が言った。
「隆生はその泥餓鬼とかいうやつに操られているのかな恭?」
「そうだ。もっとも隆生は操っているつもりだろうけどな。でも俺だったら野郎なんか操ってもおもしろくもなんともないから、美人にのりうつらせてー」
恭の表情に静穂が顔をしかめた。
「やだ。恭さんオヤジみたい」
佳隆も言った。
「隆生とおまえを一緒にすんな!」
「何だよ男ならあたりまえのことだろう。佳隆、おまえもしかして・・・・そっか。やっぱりな。がり勉ばっかの男子校ってのはそーゆー痛っ!殴ることないだろ!」
「俺はノーマルだ!」
「むきになるってことはおまえ、言われたことあるだろう」
「うっ・・・・」
「ギャハハハ」
「ープッ」
言葉につまった佳隆を見て恭が腹を抱える。いけないと思いながらも静穂もふきだした。佳隆が真っ赤になって言い返す。
「おまえだってそんな顔じゃないか!」
「俺ってオールOKだから」
「んげっ」
「嘘に決まってんだろぼけ」
「・・・っ!」
「その辺でやめとけよ。佳隆にはやることがあるだろう」
「やること?」
佳隆は葵を振り返る。いつのまにか少年の手には風が剣となって集まっていた。佳隆は目を丸くした。まるでSF映画だ。
「すごいや風の剣だ」
「おまえも覚えるんだよ佳隆」
そういう恭の手にも淡く炎をあげる剣がある。「俺が?」
「そうだ。俺は炎を葵は風を操る力がある。それが形をなしたのがこの剣だ。東直系は光を操る。もちろん直系の中でも格となる者だけが剣をもつ。いまのところは東塚和真だけだがおまえにもできるはずだ」
「そんなこと言ったってー」
佳隆は自分の手を見てみた。どうやったらあんなものがだせるというのだろう。詩織が言った。
「コツさえつかめば簡単よ。いい?佳隆がだすのは光の剣・・・・ほらきれいでしょう」
いとも簡単に青く輝く剣が詩織の手のひらにおさまる。そしてそこには光だけでなく炎と風の剣も現れていた。
「詩織さん?」
「私は『麻城』だから。すべての直系の力をもっているの。『鏡塚』だって例外じゃないわ。ただ体力がないから長くは持続できないの。だから私には守護が必要なのよ」
恭が肩をすぼめた。
「詩織の力が爆発したら下手すれば日本は滅ぶぜ」
「真顔で恐ろしいこと言わないでよ恭さん」「ノーノー恭君」
「だってなんか『教訓』と間違えそうなんだもん」
「それはだめよ静穂。教訓だなんて恭とは縁遠い言葉なんだから」
「ちえっ、好き勝手なこと言ってらー。で、わかったか佳隆」
「・・・いまの説明でどうわかれって?」
「あらご機嫌ななめ。短気な男は嫌われるぞ」「恭に言われたくないよ」
「静穂ちゃーん佳隆がいじめる~~」
「私は佳隆君の見方だもん」
「えっ?」
予想外の言葉に佳隆は静穂を見た。とたんに静穂の顔が上気する。
「えっ?あっ、いえ、そういう意味じゃなくて・・・・その、あの、その」
「あっ、う、うん。ごめん」
初々しいカップルに詩織が吹き出した。
「可愛いわね。ふたりとも」
「詩織。その言い方まるでおばんだぞ」
「失礼ね恭」
「でも俺もそう思う。それより佳隆、やってみろよ」
脱線しかけた話を冷静に葵がもとにもどす。こんなことを繰り返していたらいつまでたっても先に進まない。
「そんなこと言ったって・・・どうやったらいいのか」
「詩織がしてみせただろう。あの剣を思い浮かべればいい」
葵の言葉に佳隆は目を閉じてみる。べつにあけていてもいいのだけどそこはそれ雰囲気というものだ。佳隆は必死になって剣をおもいだした。




