朝
人気のない山道を一台のパジェロが疾走していた。まるでラリーのように砂煙をあげながら狭く曲がりくねった悪路を走っていた。その車窓から通りすぎていく木々を見つめていた少女の目に『ようこそ失時村へ』という看板が目にとまる。
しばらくすると山林が開けて田園が現れた。時を忘れてしまったかのような昔の農村風景。静かに、優しく、そして頑なに進化を拒んだ村ー『失時村』。
明治になって改名したこの村人たちは何を求めてこの名前したのか・・・。
ー助けて。
少女の胸の奥から『想い』が訴える。彼らは決して悪くはないのだと。
人間はみなひとつ科学を進めるたびになにかしらの恐怖を感じるものなのだ。ただここの人達はそれが度を越しただけ。それだけなのだと。
ー助けて。
すべてを浄化し、のみこみ、癒してくれ。彼女の心が訴える。甘えた『想い』。決して相いれることのないふたつの魂。
ー少女はただ窓の外を見ていた。
存在することを忘れていた鳥の声で静穂は目が覚めた。一瞬、どこにいるのか理解できずに、アーモンド型の瞳を何度も瞬く。隣で規則正しい寝息をたててる少年をみて思い出した。
考え事をしながらいつのまにか眠ってしまったのだろう。応接用のテーブルにノートとペンをひろげ、へたくそなまるでムンクの『叫び』のような泥の絵を上から消している。
そのままテーブルにうつぶせ、眠っていた。起きたときにきっと体中痛いだろう。
ーグーッ。
おなかがなった。今度は静穂のものだ。よく考えると昨日は板チョコをひとつ食べただけで・・・・。
(でも不思議とよく眠れたみたい)
あのチョコレートの甘味のせいか、それともあの少年の言葉?少なくともここ数年あんなに泣いたことはなかった。規則正しい寝息をBGMに静穂はカセットコンロに火をおこす。
どんなふうに今日をすごすにしろ、いまやることはひとつだけだ。静穂はレトルトご飯をあたためることにした。
「んー?」
しゆんしゆんとお湯が沸く音に少年が目を覚ましたようだ。
「おはようございます」
「んーおはよう。あれ?髪・・・・・」
「こっちの方が動きやすいと思って」
昨日は結わずにそのまま垂らしていた髪をポニーテールにしていた。清純なイメージで売っている彼女は撮影などでも滅多にすることはないが、美少女は結局のところどんな髪型でも似合うものなのだ。
「なにかわかりましたか?」
広げているノートに目をやる。
「ぜんぜんー痛っ」
無理な姿勢で寝ていたために体中が痛い。佳隆は顔をしかめた。
「痛そうですね」
「うんーあっ、いいよそんなこと」
静穂がこわばっている首の付け根に両手をおいた。
(ーえっ?)
触れた手のひらから温かいものが伝わってくる。体温ではなくて優しい光のような・・・・。少女が手をはなしたときにはすっかり痛みは消えていた。
ー治癒能力。
「すごいや・・・・」
素直に感嘆の声がでる。
「気味悪くない?」
上目使いで静穂がたずねると少年は、少女のそんな不安を一掃させるかのような笑顔で言った。
「僕も似たような力もっているからね。言っただろう?昔からこんな事件に慣れているって。一種の霊能力じゃないのかな?」
「よかった・・・」
ほっとして静穂は微笑む。いままでも何度か人を助けたことはあったけれど、みんな薄気味悪そうに静穂から去っていった。母親からもこの力は禁止されているから本当は不安だったのだ。
「ひとつだけ思いついたことがあるんだ」
昨日と同じメニューを順調にたいらげながら、佳隆は言った。
「泥って乾くと粉々になっちゃうだろ?だから真夏の太陽は命取りだと思うんだ。実際、昨日の昼君たちが着いたときには異常がなかったんだから。だから、とりあえずなるべく田圃をさけて昼間に行動しよう」
「じゃあついでに着替えをとりに行ってもいいですか?」
夏に同じ下着を二日以上着るなんてたえられない。おふろは無理でも体を拭くことはできるはずた。
「うん。じゃあとりあえずご飯を食べよう。食欲のあるうちね」
そうだ。またあの泥の化け物にあったら食欲がなくなってしまう。普段は朝食なんて食べない静穂だが、今日はいつもの倍食べることにした。
ーゾーリザーリ。
真夏の太陽を避けて、
ーゾーリザーリ。
泥たちは餌を探す。
ーゾーリザーリ。
あるモノは干からびた蛙を手に、
ーゾーリザーリ。
あるモノは首をおった烏を手に、
ーゾーリザーリ。
それでも泥は飢えていた。
ーフィーン。
久しく途切れていた音に泥の動きがとまる。ーゾーリザーリ。
土煙をあげて一台のパジェロが道の中央でとまった。
ーゾーリザーリ。
餌だ。ガチャッとドアが飽き助手席からサングラスをした男が降りた。男というにはシルエットが細すぎる。柔らかそうな少年の肉。
「すごい匂いだな」
サングラスの少年はつぶやく。
「ああ。死臭がぷんぷんしてら」
運転席から真っ赤なアロハシャツに黒の短パンをはいた少年が出てきて言った。身長もシルエットもサングラスの少年と酷似している。違うのは服の趣味だけかもしれない。
ーゾーリザーリ。
パジェロを取り囲むように泥が集まる。
「ちっ、泥餓鬼か。やっかいだぜ葵」
アロハシャツの少年はサングラスの少年ー葵に言う。葵はうなづいた。その手にはいつの間にか一メートル程の剣が握られている。いや剣と呼べるかどうか・・・・それは風が集まり剣の形をとったものだった。
ーゾーリザーリ。
少年たちとは違う匂いに誘われて、
ーゾーリザーリ。
泥はパジェロに手を伸ばす。
「させるか!」
アロハシャツの少年の右手が一閃し、泥はこなごなにくずれる。いつの間にか少年の右手には淡く炎をあけげる剣があらわれていた。ーゾーリザーリ。
それでも泥はあきらめない。
ーゾーリザーリ。
最高の肉の匂いにつられて、
ーゾーリザーリ。
泥はまた手をのばす。
「畜生こいつらでもわかるのかよ。おい、絶対に外に出るなよ!」
アロハシャツの少年が車内にどなる。
「でも車に乗っているのもあきちゃったわ恭」
中から鈴の音のような少女の声がした。
「だーっ!馬鹿野郎!でてくるなって!」
「なによそれでも『鏡塚』なの?これくらいの泥餓鬼からなら守れるでしょ」
「むちゃ言うな!だーっ、窓も開けるな!」
「・・・・詩織、遊んでる場合じゃないよ」
風の剣を一閃し、葵が少女に言う。
「はいはい」
黒塗りの窓ガラスに映っていた影が肩をすくめ見えない距離にさがる。恭が舌打ちをした。「ったく、俺を馬鹿にしてるだろ詩織は」
「されたくなかったら、さっさと片付けてよ。本当にあきちゃったわ」
「おまえが行くって言い出したんだろうーがよっと。よくもまあ次から次に」
「村人の数だけ存在するし、雨が降ったら元通りだからてきとーなところで逃げましょう」「よし、葵。おまえが残って道を切り開け。一瞬でいい」
葵は無言でうなづく。恭が運転席に回り込んだ。クラッチを踏み、ギアをローにいれて思いっきりアクセルを踏み込むと、葵が切り裂いた泥の道を目がけてクラッチをつなぐ。
見かけはパジェロでもエンジンはF1に匹敵するものだ。
本来なら公道を走れる訳がないし、運転する少年はまだ十五歳だ。違反というレッテルをボディー中にくっつけて、パジェロは時速二百キロのスピードで砂利道を駆け抜けて行った。
「なんだ、あれ・・・・」
騒々しいエンジン音に佳隆は窓から外を見て、目を疑った。土煙をあげながら一台の車がもうスピードで役場めがけて突っ込んでくるかと思うと、
ーグワシャーン!
鼓膜が破れそうな音ともに役場の隣にあった村で唯一の消防車に激突した。
ーバァーン!
派手な爆発音とともに二台の車が燃え上がる。「たっ、大変だ!」
珍しく考えるよりも先に体が動いた。
「あっ、待って!」
駆け出した佳隆の後を追ってついでに目についた消化器を手にとり静穂も駆けだした。
外は煙とガソリンの匂いが充満し、目も当てられない状況だった。中にいた人間は即死だろう。それでも、このまま放っておくわけにはいかない。このままでは役場にまで火が移ってしまう。
「有川さんこれ」
こんな小さな消化器で消せるかどうかわからないが佳隆は消化器を受け取り、ピンをぬくと構える。と、そのとき、
「バカッ!消すなっ!」
予想外の声に危うく消化器を取り落としかける。振り返ると、派手なアロハシャツを着た少年とジーンズにTシャツ姿の少女がたっていた。
佳隆は少女の美しさに思わず息を呑んだ。長い腰までの烏の濡れ羽のような黒髪に夜露のように輝き澄んだ瞳。陶磁器のように白い肌にすっきりと通った鼻。
まるで男を誘かのような濡れた唇。なのに少女には清純な雰囲気が漂っていた。
艶やかさと愛らしさをもちあわせる神々しいまでの美少女。
そしてあまりにも隣の少年は似合っていた。やわらかそうな漆黒の髪に夜を思わせる深い瞳。
適度に日焼けして遊んでいるようだが、軽さの中にどこか芯の強さを感じさせる整った顔立ち。背も百七五センチの佳隆とあまり変わらない。
ーゾーリザーリ。
くぐもった怪音に我に返る。脅えて静穂が佳隆のTシャツの裾を握った。いつの間にか泥が見えるところまで来ていた。しかし、炎を恐れて近寄ってはこない。
「あいつらは炎に弱いし、そろそろ太陽も強くなる心配ないさ」
アロハシャツの少年が笑った。気さくな笑顔だ。
「あなたたちは?」
佳隆の背中から顔を出して静穂はきく。
「初めましてーというべきかしらね。私は麻城詩織。『宇奈月』の元帥麻城宗一の孫娘にして『アサギ』の格たる者ーと言ってもあなたたちにはまだ理解できないわね」
「俺は詩織を守護する『鏡塚』で鏡塚恭。あとひとり双子の弟で葵ってのがいる」
「ひらたく言えば、あなたたちの親戚よ。佳隆くんには母方の、静穂ちゃんには父方のね。ふたりとも『宇奈月』という言葉くらい耳にしてるでしょう?」
そりゃあ、と佳隆はつぶやく。
「母の旧姓だけど・・・」
「うちも亡くなった父がそうでした」
静穂も言う。そして愛らしく小首を傾げた。
「もしかして私のあの力と何か関係があるんですか?」
「とりあえず、中に入りましょう。葵を待つ意味もふまえて、何が起こっているのか教えてほしいから」
「でも火が・・・・」
佳隆は勢いを止めない炎に目をむける。恭が笑った。
「ノープロブレム。炎は絶対に詩織を傷つけない」
「えっ?」
「そのうちわかるって。あっ、でも詩織には惚れるなよ。あとあとやっかいだから」
静穂を伴いさきに中に入って行く後ろ姿を見やりながら恭が言う。
「鏡塚さんの彼女だから?」
「ブーはずれ。俺は詩織の守護だけど恋人じゃない。それにさん、はやめろよ同い年だぜ俺ら」
「えっ?じゃあもしかしてー」
「無免許に決まってるだろ」
平然と言ってのける恭に佳隆は脱力した。最初の緊張感なんかとっくにどこかに吹き飛んでしまっている。
「捕まったらどうすんだよ」
「警察は俺らを捕まえることはできないさ。詩織がいる限りね。おまえだってそうさ。俺たちが『宇奈月』にかかわっている限り誰も手出しはできない」
「そんなこと・・・・」
「いやでも信じるようになる。おまえたちはこれから『アサギ』として生きるんだから。それにさっきの話だけど詩織には恋人いるぜ。おまえのクラスメートだ」
「へっ?」
いきなり飛んだ話に佳隆は間抜けな返事をしてしまい、そのあと覚えたてのクラスメートの顔を思い出すが、誰ひとりとして詩織と釣り合いがとれる者は思い当たらない。恭が笑い出して、やっとからかわれたことに気が付いた。佳隆は顔をしかめる。
「おまえって性格悪いな鏡塚」
「恭だ。あとで葵も合流するからまぎらわしいぜ」
「葵もおまえと同じ性格なのか?」
「俺の方がいい男だ」
むきになって恭がいいはった。
「葵はこんなにおしゃべりじゃないわよ。期待していいわ」
村長室に落ち着くと詩織が笑う。そして佳隆に言った。
「あなたのことは柏木文久君から聞いてよく知っているわ。プロになれそうだって感心していたから」
突然だされたクラス委員長の名前に佳隆はびっくりした。となりで恭がにやにや笑っている。「詩織さんの恋人ってクラス委員長?」
「あら委員長なの?それは知らなかったわ」
「文久らしい肩書だな」
「ー本当に?」
あのおとなしく真面目で目立たない少年が詩織の恋人だなんて信じられない。そういえば、
「あいつケガが絶えないけどそれも?」
「それは・・・」
詩織は軽く唇を噛んだ。恭がしまったという顔をする。
「話しておいた方がいいよ詩織。『アサギ』のメンバーになるなら」
いつの間にか戸口に恭とそっくりだが黒髪の少年が立っていた。少年は佳隆と静穂にむかって、
「俺は鏡塚葵。恭と同じく詩織を守護する者だ」
そっけない喋り方はこの少年の癖らしい。詩織の代わりに恭が言った。
「俺たち『宇奈月』は大きく西南の『表宇奈月』と北東の『裏宇奈月』に別れる。
『表宇奈月』のなかでも『西』は経済を『南』は政治を当し、『裏宇奈月』の『北』は『見えすぎるモノ』の『狩り』を『東』は『見えざるモノ』の『狩り』を担当している。そのすべてを統括するのが、北直系であり、『麻城』である元帥麻城宗一だ。そして詩織はそのたったひとり、『麻城』としてのの『力』を受け継ぐ孫娘なんだ。『麻城』には日本の運命を左右する『力』がある。詩織を手に入れるということは、事実上の日本を手に入れることだ」
「ちょっとまって・・・・」
あまりに大きすぎる話に佳隆は混乱する頭を抱えた。その隣で同じように静穂も困った顔で恭と詩織、それに葵を見比べている。詩織が言った。
「つまりね、私がなにも力をもたない『ふつう』の文久君を好きになったから一族は慌てて、文久君の暗殺を企ててるわけ。そして『見えざるモノ』も『アサギ』唯一の弱点として文久君をねらっているわ」
悲しげな微笑みに佳隆は言葉を失った。いつも席を並べているクラスメイトがそんな目に遭っているなんて・・・・。
「それでもつきあってるの?」
静穂が責めるように詩織を見た。静穂ならつらくても別れを選ぶ。
「別れを選ぶことは文久の死だ」
静かに葵が言った。詩織の心が文久にある以上別れを選択した所でなんの役にも立たない。ただ文久が死ぬのを傍観するだけになる。それなら一緒にいて守るしかないのだ。
「ご、ごめんなさい詩織さん」
静穂は自分の短絡的思考を恥じた。詩織がゆっくりと首をふる。
「いいのよ。自分でも持てあましてるから。それより本題にもどしましょう」
詩織は表情をあらためた。いままでの少女特有の柔らかい雰囲気は消えて、そこには『アサギ』の格たる姫の顔があった。
「私は『アサギ』の格として東直系、東塚和真の孫であり次代東直系の名を継ぐ有川佳隆ならびに我が北直系の流れをくむ桜木静穂に『アサギ』の一員になることを要請します」断ることはできなかった。正直言ってふたりとも詩織の話を理解したわけじゃない。でも逆らえない何かがそこにはあった。
「なんだかわからないけど・・・・・僕で力になれるならわかりました」
「私も、役に立つかどうかわからないけど詩織さんについていきます」
こうして『宇奈月』唯一にして最大の攻撃力をもつ組織は三人の少年とふたりの少女の五人になった。




