宇奈月
その夜おそくに帰宅した有川隆行はマンションの自室前にたたずむ人影に眉をひそめた。一緒に暮らしている長男の佳隆は今日から母親のところに行って留守のはずだし、たとえカギを忘れたにしろ管理人に言えばなんの問題もない。
佳隆がいらないというのでハウスキーパーも雇っていないし、急患ならさっき手術してきた。足音に気づいてふらりと人影が立ち上がった。
ひょろりとした影のように長身の男には見覚えがある。妻の兄だ。
「宇奈月じゃないか。どうしたんだ?」
「佳隆はいるか?」
「佳隆は今日から小夜子のところに帰っているが・・・・まさか」
「ああ、またやったらしい」
宇奈月の言葉に隆行は大きくため息をついた。
「とにかく立ち話もなんだから入ってくれ。男ばかりだから散らかっているがな」
二人で暮らすには、4LDKの間取りは広すぎる。妻の小夜子と次男の隆生がこの家を訪れることは、ほとんどないので、リビングと洋室はまるで物置のようになっていた。
キッチンでコーヒーをいれる。
佳隆がコーヒーを飲めないので香りのあまりしない安物のインスタントだ。もともと忙しくて家でコーヒーを飲む時間なんかないのだからこっちの方が経済的だった。
こんなふうに客がきたとき以外は。
「客用のコーヒーくらい用意しとけよ」
自分よりひとまわりも年下の癖に宇奈月はいつも偉そうだ。まあ確かに小夜子の兄ということは、隆行にとって義兄にあたるわけなのだが、そうなる以前より宇奈月はこんな態度だった。
年功序列ということにあまり興味がない隆行にはどうだっていいのだが。
「これだから年寄りは・・・」
「ひとをかってに年寄り扱いするな。俺はまだ五十代だ」
「俺も小夜子も三十代だぜ。ったく十五も年若い女つかまえやがってスケベ中年め」
そう愚痴る宇奈月はとても三十代にはみえない。その整いすぎた顔立ちと、いつも黒い服をきているせいか、落ち着いて見える大学生といった雰囲気だ。小夜子も同じなので隆行と歩くと、へたをすれば親子に間違われてしまう。
「言い寄ってきたのは小夜子からだ。まあそんなことはどうでもいい。それで佳隆に何があったんだ?」
「正確に言うと今回は佳隆じゃなくて隆生の方だ」
「隆生?隆生はどちらかといえば俺の血が濃いはずだが?」
「ああ佳隆よりはな。だが俺たち『宇奈月』の血が混じっていることにかわりがない。小夜子がいるからとたかをくくっていたのがまずかった。もう手遅れだ」
表情ひとつ変えずに宇奈月は言った。彼にとって、肉親や親族が魔物に食らわれることは、日常茶飯事だ。『宇奈月』の人間は、胸糞悪くなるほど、こういう時、冷徹になる。
隆行は、大学病院での研究医時代に偶然、『宇奈月』の存在を知った。国のトップシークレットの一族。小夜子や宇奈月はその東直系で、ほかに北と西、そして南がある。
一般的な表の活躍は西と南がそれぞれに受け持ちこれらは称して『表宇奈月』と呼ばれる。多くは日本の政財界のトップ、あるいはその配偶者だ。
そして、『表宇奈月』と対をなすのが、『裏宇奈月』だ。東直系が『見えざるモノ』の退治を主とすれば、こちらは『見えすぎるモノ』の暗殺を主とするが、時として、東直系に力をかすという『宇奈月』を統括する一族。それが北直系ー『裏宇奈月』またの名を『麻城』だという。
よそ者の隆行が知っているのはそこまでだが、『宇奈月』の人間は皆『見えざるモノ』に狙われるのだという。それは、古代より続くかれらの特別な『血』のせいだと小夜子は言っていたが・・・・。そのせいか佳隆は昔からよくいわゆる怪奇現象に悩まされ、そのたびに叔父の宇奈月に助けられてきたのだ。
隆行との結婚は、直系の『血』をひく小夜子にどれだけタブーだったのか、いまだに小夜子は教えてくれなかった。
ただ、彼女がこの兄を除いた、すべての『宇奈月』から追放されたのを肌で感じるだけだ。隆行自身、小夜子と義兄以外の『宇奈月』を知らない。口を挟める立場ではとうていなかった。
「確かな情報なのか?」
うめくように声が出た。時刻はもうすぐ午前三時に差しかかろうとしている。緊急オペのせいで二日寝ていない。なのに眠気はどこかにふきとんでいた。
「ああ『北』からの情報だ。三カ月程まえから小夜子たちの住む村に異変が起こっているらしい。探りに行かせた『北』の諜報部も戻って来なかったそうだが『見えざるモノ』の気配が断末魔とともに送られてきたそうだ」
「だが・・・隆生とは何度か電話で話をしたが?つい昨日も佳隆が話をしたと病院に電話してきた」
「だから、やばいんだよ」
「隆生にとり憑いていると?」
「ほぼ間違いない。やつらの狙いは佳隆とたぶん桜木静穂とかいう少女だ」
「佳隆はわかるが?」
「桜木静穂の父親は北直系の分家筋だ。それも限りなく『麻城』に近い。最も彼女が生まれると同時に他界した。北直系の男は元帥以外は短命だからな。なにも知らない母親は一年前に再婚し、それと同時に彼女はアイドルデビューしている。目立ち過ぎた。やつらは彼女の存在に気づいたんだ」
「いつも冷徹な『宇奈月』らしくないな」
隆生や小夜子はいとも簡単に見捨てるのに。隆行は皮肉に笑った。
「俺たち『裏宇奈月』は生殖機能に乏しい。それは直系になればなるほど現れてくる。『宇奈月』の力をもつ者となればことさら数は少ない。東直系では俺と小夜子それに佳隆だけだ。そして小夜子はおまえと契った時点で東直系としての力を失った。一族の女達は『宇奈月』の中でだけ直系としての力を得る。いまの小夜子にあるのはただの『宇奈月』としての力だ。本来、小夜子は俺と契るはずだったからな」
隆行は何も言えずに拳を握り締めた。
そのことは遠い昔に小夜子から聞いていた。『宇奈月』が必要以上に『血』を重んじる一族だと考えれば納得もいく。ただ隆行は信じたくなかっただけだ。
いまさらながらに妻について無知な自分を思い知らされるのは、身を切り刻まれるような痛みがある。
「幸か不幸か佳隆は力をもっている。時代の東直系の長だと予見されている力だ。佳隆が生まれた時に俺は彼の守護を命じられた。俺には東直系としての力はあっても『宇奈月』を束ねる格はないからな。そして東直系の長となる者は生まれた時にその伴侶が決まっているという。もし俺達の判断が正しければ」「その少女が佳隆の?馬鹿な・・・・」
「まっ、だからこそ身内の死について無関心な上の連中も様子をみるつもりでいる」
「助けるわけじゃないのか?」
「俺達の考える通りのふたりならそんな必要はない。そろそろ佳隆も東直系としての力に目覚めてもおかしくないころだ」
「どうして俺に話した?」
「・・・・・小夜子はもう生きていない」
「なっ・・・・」
「亡骸は我々『宇奈月』で然るべき処分をする。役所に死亡手続きをしなくてはならない。この用紙に印を押せ。もっともおまえが同意しなくても手続きは滞りなく行われる」
あまりのことに隆生は声すら失った。理由もなく一方的に言い渡された妻の死。否定することも問いただすことさえできない力。
「これは『宇奈月』の女を妻にもった『ふつう』の男の最後の義務だ。小夜子を愛していたなら、この用紙はお前が役所に出すんだな」コーヒーを飲み干した宇奈月が立ち去っても隆行は朝日が眩しさをます明けがたまで、身動きひとつできなかった。




