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休息

  


ーゾーリザーリ。

くすんだ奇音。

ーゾーリザーリ。

いつのまにか降り出した小雨に共鳴しているかのようだ。

ーゾーリザーリ。

けっして人語は話さない。

ーゾーリザーリ。

たぶん、

ーゾーリザーリ。

二カ月前までは人だったものたち。

ークスクスクス。

自宅と診療所がいっしょになった家の二階。この村で唯一、明かりの灯る部屋で少年は笑った。他人にとっては怪音でも、彼にとっては子守歌だ。耳障りになきつづけるウシガエルや虫の声なんかよりずっとましだった。それは、いままで彼を疎んじていたものたちの変わり果てた姿。

「みんなアイツになっちまった。これが僕のーキミののぞんだことなんだ」

クスクスクス。誰もいないはずの部屋。少年は誰かに話しかけている。

「兄さんも食われちゃったかな?それともあの女の子と一緒かもね。昔から、兄さんは女の子に人気があったし、あの娘、おいしそうだったな」

ーペロリ。

血管が透けて見えそうなほど白い頬とは対照的な、赤い血のような唇をなめた、その舌は、外の暗闇と同じくらい黒かった。

「キミが教えてくれたんだよ。アイツらも、ヒトの肉のうまさもね」

クックックッ。喉をひきつらせて少年が見た窓には、白い頬に赤い唇の彼とまったく変わらない、彼自身の姿があった。部屋のあかりが窓に反射して窓ガラスが鏡になっていた。ー鏡に映る少年。

それはまぎれもなく彼自身なのに、

ーわらっていなかった。

 

 『非常事態』と銘うって、役場の窓ガラスを一枚拝借した。もっとも不法侵入したところで非難する村人が生きているとは思えないが、ついいいわけを考えてしまう小心者の佳隆だ。災害対策用に保管されていた村民分の非常食とミネラルウォーターをもって、唯一カギがかかる村長室に陣取ることにした。ありがたいことに高齢の村長を思いやってか、村長室にはトイレまであった。

「とりあえず腹ごしらえしようか」

こんな状況下なのに佳隆は空腹をもてあましていた。健康かつ健全な十五歳には一日の要である夕食をぬくなんて考えられない。これまた勝手に拝借したカセットコンロに火をつけてお湯をわかすとレトルトご飯をあたためた。

「非常食があって助かったね」

「やっぱり長期戦になるのかな」

別のカセットコンロでお茶を沸かしながら静穂は言った。そんなことは聞かなくてもわかっているのだが、聞かずにはいられなかった。できることなら明日にでも村をでたい。

「たぶん、隆生をどうにかしないかぎり村からでれないと思う」

「どうにかって?」

「それはいまから考える」

生真面目に佳隆は言った。考えればなんとかなる。それが彼のモットーだ。むこうみずに行動するだけの勇気がないとも言える。

ー行動力。

そんなものとは無縁なのが佳隆なのである。「考えればどうにかなるのかな?」

静穂はレトルトご飯をパックから出しながら言った。そもそも静穂は考えることがあまり得意ではない。清楚で可憐な『二十世紀最後の美少女』と、まるで電気温水器かなにかのように称えられた少女は、実は容姿とはかけはなれた行動力の持ち主でもあった。考えるよりも行動するほうがいつも先だ。おかげでいつもマネージャーの矢野を困らせている。そんな彼に悪いなと思いつつもなかなか性格というものはかえられない。

(でも無鉄砲に外に出ても危険なだけなのよね)

チラリと隣でおいしそうに非常食をむさぼっている少年に目を移した。静穂はとてもじゃないけれど食欲なんか失せてしまっている。こういう状況下で食欲がある佳隆が不思議だった。佳隆は容姿だけとればわりと整った顔立ちをしている。でもクシをあまり通してないのだろう。髪はぼさぼさで、着ているのもジーンズにディスカウントストアで売っている五百円のプリントTシャツ。そのせいでいままで整った顔立ちに気がつかなかった。お洒落とかに全然興味がないようだ。

「少しでも胃になにかいれてたほうがいいよ」ひとくちも食べてない静穂に言う。

「食欲がなくて・・・ごめんなさい」

「謝ることはないけど・・・・女の子って食べなくても平気なの?この間もつきあいでいった合コンの時、何人か食べてなかったし、あっ、そうかダイエット?」

「はあ、まあ・・・・・」

「女の人ってたいへんなんだね」

感心したようにうなづきながらも少年は食べることをやめない。

「あの、よかったら、これもどうぞ」

パックから出したものの手をつけられずにいるご飯とサバ缶をさしだすと、少年は照れたように笑った。

「ありがとう。夕方まで部活してそのあとすぐ来たもんだから・・・。いつもこんなレトルトばっかでさ、ひさびさの手料理ってんで間食もしてなかったんだ」

「いつも?」

「うち両親ふたりとも医者をしてて・・・・親父は県内でもけっこう名の知られた外科医でさ、弟のためにこっちにくるなんてできなかったんだ。遠く県外からも親父を頼ってきてくれる人たちもいるから。俺も小学校まではここで育ったんだけど、さすがに中学からは市内にもどってさ、こっちだと勉強が遅れて不利になるだけだから」

「やっぱり将来はお医者さんになるの?」

「さあ?立派なことだとは思うけど・・・・その大変さも知っているから。とりあえず医大を狙えるだけの成績はキープしたいけどね」

なるかどうかなんてわからない。父の隆行を見て育っている分、生半可な気持ちではできないことを知ってるからいまいち踏ん切りがつかないのだ。なんにしろあと二年。三年になったら嫌でも決めなくてはならない。将来を考えるとため息がでる。

「きみはなりたかったの?」

「私は・・・・スカウトされて。ちょうど母が再婚したから。家を出れるならどうでもよかった」

このことは世話になっているプロダクションの社長と矢野さんしか知らないトップシークレットだ。なのになぜか佳隆には話していた。こんな状況下だからかもしれない。佳隆は特別なんの反応も見せないけれど、ここで話を終わるのもなんだか中途半端な気がして、静穂は胸元まである漆黒の髪を指先でつまみながら続けた。

「義父はとてもいい人で母にはよかったと思うけど、高校生の義兄から中二の義姉まで四人いて・・・・。私、見ためこんなだからうまくいかなくて・・・・」

義兄には恋われ、義姉には嫉妬されて。やっと幸せを手にした母に相談なんてできなくて。スカウトに応じたのはただ、居場所が欲しかったから。幸い子供がいない社長夫婦はとてもかわいがってくれるし、わきやくで出演したデビュードラマが大ヒットして人気もでた。いまの生活になんの不満もないけれど、やりたくてやっているわけじゃない。

「そっか、美少女もたいへんなんだ」

どこまで理解したのかしないのかやっと空腹を脱したらしく、黒地に鮮やかな地球がプリントされているTシャツごしにおなかをさすりながら、佳隆はしきりにうなづいていた。「でも同じ兄妹になるならやっぱり可愛い娘のほうが嬉しいよね」

「性格が悪くても?」

「そんなのつきあってくうちに見方もかわっていくよ。自分と価値観が合わないからって相手の性格が悪いなんて言えないだろ。もちろん、こんな考え自体、俺の価値観なんだけど」

「・・・・有川さんって変わってる」

「うん。なんかしらないけどよく言われる」素直に少年はうなづいた。本当によく言われるのだからしょうがない。基本的に佳隆には嫌いな人間が存在しないのだ。なにか悪口を言われても言われた内容を繰り返し口の中で転がしているうちになぜか納得してしまうのだ。自分という人間が他人にどう思われてるのかなんて気にならないから、他人の見方はとてもおもしろくて。

「あっ、そうだチョコレート食べる?近所の女子高生がさし入れしてくれたんだ」

ポケットから板チョコを取り出した。バスの中で食べようと思って忘れていたのだ。板チョコなら静穂も食べるだろう。一つまるごと少女に渡す。少しためらった後、静穂は板チョコの銀紙を破いた。アーモンド入りのホワイトチョコレート。甘い匂いがなんだか安心させてくれる。一口かじるとなんだか泣きたくなってきた。

「泣きたいなら泣けばいい。そうしたら明日はきっとなんとかなるよ」

大きな手がやさしい言葉とともに頭の上にふってきた時、少女の目からとめどなく涙があふれだした。

「・・・っく・・・・ひっく」

声をかみ殺し少女の細い肩が小刻みに揺れる。その頭を撫でてやりながら佳隆は明日のことに思いを馳せた。なんとかしなければならない。

(こんなに細い肩してるんだ女の子って)

ー守るべき者。

いまの佳隆にはこの少女だ。なにも知らずに巻き込まれたのは佳隆も同じだが、隆生は弟だ。見ず知らずの静穂とは恐怖が違う。それに佳隆は怪奇現象には不思議と縁がある。その分、静穂よりは落ち着いていた。いままでもなんとか乗り越えてきたのだから、今度もなんとかなるはずだ。考える。わからなくても考える。そうすれば、なんとかなるはずだ。たぶん。

(ほんとこーゆー時って学校の授業が無意味に思えるんだよな)

「さて、どうしたもんかな」

泣きつかれていつのまにか眠ってしまった少女をソファーに横たえながら佳隆はひとりつぶやいた。


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