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いつもと変わらないロケのはずだった。訪れたのは、東京から飛行機と車を乗り継いで五時間かかった片田舎。別れた両親の田舎を娘が訪ねるシーン。よくあるファミリードラマの設定。変わったことといえば人気がまったくないこと。こんな田舎でロケなんてすれば、逆に村民総出で見物にきてもおかしくないのに。
「おかしいな。このあいだ来たときはもっと活気があったのに」
プロデューサーが首をかしげている。それくらい村は静かだった。
「ふだんうるさくてしかたない所に住んでるから、こういうのもいいわね」
同じ事務所の先輩が言った。まだ小学生だった自分がデビューした時から、とてもかわいがってくれてる。本当は決まっていたオフを変更してまでの今度のドラマ出演は嫌だったけれど、先輩と一緒だからがまんできた。だからその先輩のひとことでなんとなく不安だった静穂の心も晴れた。
「うーん。空気がおいしい」
先輩が深呼吸する。まねして、静穂も大きく息を吸い込んでみた。
「ーぐっ」
「だ、大丈夫?静穂ちゃん」
咳き込んだ。なんだか空気が生臭かった。これが新鮮な空気?
「静穂は都会育ちだからな」
マネージャーの矢野さんが笑ってる。そんなんじゃない。本当に変な空気だ。北海道にすむ祖父母のもとに、幼いときから盆と正月に遊びに行っていた。そこの空気はこんな味じゃない。
「こんなに新鮮な空気なのに」
そういう矢野さんが信じられない。でもほかのスタッフもみんな平気で深呼吸している。自分がおかしいのかもしれない。
「こんど俺がアウトドアを徹底的に教えてやるからな」
くしゃりと静穂の頭を大きな手でなでながら矢野さんが笑う。小学生のころから静穂を見守ってくれてる。優しいお兄さんのような存在は無敵のアウトドアマニアだ。うん、と彼女はうなづいた。
これと言った観光名所のない村だから、民宿も旅館もラブホテルすらなくて、撮影中は村外れの一軒家をかりた。かなり古いけれど田舎の一軒家とだけあってとても広い。一応、ガスも電気もあるけれど、お風呂なんて五右衛門風呂だ。きっとこのお風呂なら百人分のおみそ汁が作れるだろうなと静穂はとぼけた感想をもらし周囲を笑わせた。それくらい、珍しかった。
「おかしいな。今日から撮影に入るから、食料頼んでいたのに」
スタッフが困ってる。
「隣も出掛けてるようだし、ここから街まで二時間はかかる。手分けして村の人に分けてもらうしかないな」
そういってスタッフの半分が出て行った。もうすぐ日が暮れるということでみんな男の人達だ。でも一時間たっても誰も帰って来なかった。
「遅いわね」
と先輩が言った。さすがに心配になってくる。「私たちも行って来ようか?静穂ちゃんは誰か戻って来たときのために残っててくれる?」そう言われたものの、ひとりで知らない家に残ることが静穂には不安だった。
「大丈夫よ。すぐにもどってくるから」
先輩が安心させるように抱きしめてくれた。そのぬくもりと優しい笑顔が静穂の緊張をといた。
「じゃあね」
と手を振りながら静穂を除いた全員が出て行った。あまりに山奥過ぎて携帯電話がつながらない。通信手段がないというのは、とてもやっかいだ。それでもおとなしく静穂は待っていた。でも二時間たっても誰も戻って来ない。仕方なく怖いけれど静穂も外に出てみた。もしかしたら気長なドッキリかも知れない。この間はお化けに化けていたし。静穂はターゲットにされやすかった。外は真っ暗だった。ネオンなんてなくて、懐中電灯の明かりだけが頼りだ。あんまり役にたちそうにないけれど。
ーゾーリザーリ。
なんだかくぐもった音がする。
ーゾーリザーリ。
たんぼのほうからだ。蛙ってこんな鳴き方をしてたかな。何げなく懐中電灯をそっちにむけてみた。でも暗くてよくわからない。
「近づいちゃだめだよ」
突然の声に飛び上がってしまった。振り返ると自分とそんなにかわらない少年がウサギを抱いて立ってる。とても色の白い女の子のように華奢な少年だった。
「そいつは凶暴だからね。近づくものは全部食っちゃうよ」
「なにがいるの?」
ーゾーリザーリ。
音はだんだん近づいてきてる。少年は彼女にむかってにっこりと笑った。楽しくて仕方ないって感じの笑顔。
「僕のペット」
「ペット?そのウサギじゃなくて?」
「こいつは餌さ」
「えっ?」
びっくりしてる彼女の目の前で、少年はウサギをたんぼに放りげた。
ーゾーリザーリ。
音が大きくなったかとおもうと必死に泳ぐウサギを泥の中から出て来た手がつかんだ。
「ギーッ!」
断末魔とともにウサギは泥に引きずり込まれる。
ーゾーリザーリ。
ぐちゃぐちゃと肉をむさぼる音。
「どうだい?可愛いだろう」
得意げにわらう少年の前で、静穂は体の震えをどうすることもできなかった。
「もう村の生き物はあらかた食い尽くして困ってたんだ。下手すれば共食いするしかないからね。こんな貴重なモノ、もったいないよ。そう思ってたら、東京から餌がきた」
「まさか・・・・」
少年の言わんとしていることが分かって静穂は息をのむ。にっこりと少年はまた無邪気な笑顔になった。
「僕の忠告を無視するからだ。君だって僕が兄さんを迎えに来てなければ、あいつらの餌だよ。感謝してね」
「・・・・あれは、なに?」
歯が音を立てて言葉にならない。でも少年は理解したみたいだ。
「僕が呼び出した。僕のペットだ。みんな死ねばいい。僕のことを厄介者あつかいした奴らなんか知るもんか。でも、僕はきみのファンだから、助けてあげる。僕と一緒においでよ」
差し伸べられた手を振り払って、静穂は駆け出した。
「そして、有川さんに助けられたの」
静穂はぐったりと疲れ切った様子で言った。思えば長旅の疲れを癒す間もなく、この騒動に巻き込まれたのだ。疲れない方がおかしい。「・・・兄さん、って言ったの?」
佳隆はうめくように聞く。とても嫌な予感がした。この村にいま残ってる子供は一人だけ。そして、あいつはー。
「ええ。って、もしかして・・・」
「たぶん俺の弟だ」
佳隆はうなだれた。否定するにはつじつまが合いすぎる。オカルトマニアで村人に打ち解けなかった弟。唯一の遊び相手だった佳隆が村をでて、なんだか変な本に熱中してると母が心配していた。
「弟って・・・・」
「弟は虚弱体質で、空気のいいこの村に母親と住んでいるんだ。俺も小学校まではここで育った。中学からはF市にいる父と暮らしてて、ここに中学はないから。弟は、中学にもいけずに孤独だったとおもう」
言いながら、佳隆は随分と控えめな言い方だなと思った。過疎化が進み過ぎた村。かたくななまでに自分たちの価値観を守って、街からやって来た佳隆たちを、口にこそしないものの疎んじていた。人間恐怖症の気がある隆生はとても敏感で・・・・。それでも佳隆たちが、佳隆と母の小夜子が慣れたのは、小夜子が父隆行との結婚で引退していた医師をやり始めたからにほかならない。もともとそれまでも家事の合間に隆行の助手をやっていたので、現役の医師となんら変わりがなかった。ただ、それも隆生には気に食わなかったに違いない。いままでひとりじめしていた母を村人に取られたような形になったのだから。しかも追い打ちをかけるように佳隆が村を出て・・・・・。
「隆生の仕業なら、家には帰れないな」
佳隆は小さく息をはいた。そして、静穂を真っすぐに見つめた。
「正直に言うと、俺にとって村民があいつらに皆殺しにされた事実も、君の知り合いが殺されたことも、あの化け物を見たいまでもピンと来ないし、こう言っちゃなんだけどど・てもいいんだ」
少女が息を呑むのがわかった。それでも、目をそらすことなく佳隆を見ている。ある意味で社会人だからだろうか?十二歳にしては肝がすわっている。三年前の自分とはえらい違いだと思いながら、佳隆は言葉を続けた。
「俺にとって重要なのは、隆生と母さんだ。もし仮に、俺があいつらに殺されたとしても、隆生が望んだことなら仕方がないと思う。俺ひとりならだ」
佳隆は本当にそう思っていた。だから、静穂に言った。
「ただ、やっぱり目の前で人が殺されるのは嫌だし、信じられないけどもしほんとに隆生の仕業なら隆生にこれ以上、罪を重ねてほしくないって気持ちもある。だから、俺はできるかぎり、君を、桜木さんを守るよ。俺と一緒に行動してほしいんだ」
ー究極の選択だ。
と、静穂は思った。有川佳隆と名乗った三歳年上の少年は、一生に一度の晴れ舞台でするような台詞を彼女にぶつけてきた。十二歳とはいえ静穂だって『オンナ』だから、これが普通の出会いなら、こういう台詞にはくらっときてしまっただろう。でも、その台詞の少年は、矢野さんと先輩。それに優しかったスタッフの皆を殺した『タカオ』とかいう少年の兄で、言ってみれば『敵』なのだ。しかも面と向かって弟は悪くないと言っている。まるでどっかの狂祖をかばってる信者のように。でも、だからこそ、信じてもいいような気がした。佳隆は信者とは違って弟のしたことを素直に認めている。それでも悪くないなんてどっか矛盾しているような気がするけれど、なんとなく共感できるような気がした。十二歳の静穂にとってそんな『矛盾』の追求なんてどうでもいいことだ。彼女はいままでその勘だけを頼りに、トップアイドルへのし上がってきたのだ。自分にとって敵か味方か。ただそれだけしかないのに、その歩合は圧倒的に後者が高い。楽天主義は彼女のアイデンティティでもある。だから、静穂はそれを信じてみることにした。あんなに真剣に言ってくれたのだから、こっちも誠意をもって対応しよう。彼女は、昼間の熱がまだほのかに残るアスファルトに正座して、三指をつくと言った。「謹んでお受け致します」
ーむかいで何かがこける音がした




