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 ー何かがおかしい。

三カ月ぶりに故郷の村に帰って来た佳隆はそう思った。人口五百人たらずの小さな過疎の村。

ー失時村。

その名のとおり時を経るのを忘れてしまったかのようなのどかな田園風景が広がっている。教科書で見るような藁葺き屋根の家や合掌造りの家もこの村では珍しくない。むしろ鉄筋コンクリートでできた村役場の方が異風を漂わせていた。まっすぐな一本道はいまどき珍しい砂利道で、その両脇をかこむように水田が広がっている。この村は農林業の村だ。豊富な森林と肥沃な土壌。恵まれた土地にあってただ失われたのは進化論。この村の風景を見る旅に佳隆の父親はそう言っていた。都会育ちの率直な意見なのか、医師をしている父の独言なのかはわからない。国立病院の院長をしている父は人の死にあまりにも多く体面してきたせいか考え方がとてもドライだ。

(けどな、親父。俺はこの村けっこう好きだよ)

そういつも少年は言い返した。不便さをうとましく思う反面でこののどかさを慈しむ自分がいたのは否めない。時をとめてしまった村。それでも佳隆は失時村が好きだった。その見渡せば山と田ばかりの見慣れた村道を歩きながら、佳隆は違和感に立ち止まった。有川佳隆、十六歳。全国的にも有名な高校にこの春入学したばかりの彼は、ふだんは、車で二時間半はなれた市内に、父とともに生活している。長期休みに入るとこうして母と弟に会いにこの村に帰っているのだ。これといった名物のない村がたった三カ月で変わるとも思えないが、それでもなにかがおかしかった。

「・・・虫の声がしない?」

いまは八月で・・・いつもならうるさいくらいの虫の声も、牛のように野太い蛙の声すらないのだ。しかもよく暗闇に目を凝らせば、どの水田も水を張っただけで田植えすらされていない。とてもじゃないがこれでは秋の収穫に間にあうはずがなかった。農業中心のこの村でこれはおかしい。ひとつなら納得もいくが全部といってもいいほどなのである。

(米以外の農作物にきりかえたのかな?)

ほかの原因はなにも思い当たらずに佳隆は水田のひとつに足を踏み入れようとしたその時、「キャーッ!」

深い闇を切り裂くような悲鳴が聞こえた。とっさにかけだした背後で、いま彼が踏み入れようとした水田から、まるで人間のような泥の手がのびていた。獲物を失った腕がゆっくりと沈んで、ふたたびあたりには静寂がもどった。

ー異常なまでに。


 舗装のされていない砂利道に、足を捕らわれながらも、佳隆は走った。そして、その異様な光景をはじめて目の当たりにした。

「・・・なんだ?あれ・・・・」

立ち止まった少年の十メートル先、金縛りにあったかのようにたたずむ少女にむかって、まるで泥の塊のようなものが、ゆっくりと進んでいるのだ。まるで少女の恐怖心を楽しむかのように、ゆっくりとゆっくりと。

ーゾーリザーリ。

泥の鳴き声?だろうか。くすんだ音がかすかに聞こえてくる。

「はやくこっちに!」

恐怖にたちすくむ少女にむかって佳隆は叫んだ。その声に金縛りがとけた少女がかけだしたが、

「キャーッ」

泥から伸びた手が少女の足首をつかんだ。「このやろっ!」

サッカーで鍛えた蹴りを泥にむかって見舞う。ゴツッとしたにぶい感触。そしてボキッという耳障りな独特の音と同時に、泥の手が少女の足からはなれる。その音や泥がなんなのかなんて考えている余裕はなかった。

「はやく!」

佳隆は少女の手をとりかけだした。あとに残った泥の手がどろどろと溶けだし、異臭をはなつ。

ーゾーリザーリ

手を失った泥はふたたびゆっくりと水田の中に戻って行った。

ーゾーリザーリ。

くすんだ鳴き声だけが静かな山間の村にこだまする。

   

 唯一の街灯がある村役場の駐車場まで走って、佳隆はとまった。

「ハア、ハア・・・だ、大丈夫?」

自分のペースにまかせて走って来た。少女はアスファルトに座り込んでいる。肩で息をしながらも小さくうなづいた。長い黒髪が汗で顔にからみついてる。

(あれ?この娘・・・・)

荒い息をはきながら、からみついた髪をかきあげると、小作りながらも整った顔があらわれた。それは、自他ともに認めるアイドル音痴の佳隆でも知っている顔で・・・・。

(なんていったっけ?)

時々、父と一緒に見るナイター中継のCMで『見たことある』程度で、名前まではわからない。学校生活に忙しくてそれどころじゃなかったのだ。進学校で部活までやると家に帰れば寝るしかない。真面目な高校生にとって毎日は時間との格闘なのだ。くしゃみがでそうででないのと同じもどかしさを感じながら、佳隆は聞いた。

「えっと・・・・きみは?」

「ハア・・・ハア・・・。桜木、静穂です」

乱れた息のあいまになんとか言葉をすべりこませると少女、桜木静穂は言った。そういえばそんな名前だったような気がする。

「俺は有川佳隆」

あまりに苦しそうなので背をさすってやりながら、佳隆は名乗る。白いTシャツは汗で湿って背中にはりついていた。当然のことながら下着の線が見えて佳隆は、さする手のやり場にこまる。

(男子校だから・・・って、なにいいわけしてんだろ俺)

ひとり恥ずかしさに赤くなる。少女に触れた手からほのかな温もりが伝わってきて、

「もう大丈夫です」

「わっ!」

静穂の声にあわてて手をはなす。

「あっ、い、いや・・・・あの」

「私、ふつうの中学一年生ですよ」

佳隆の様子がおかしいは、自分がアイドルだからだと思ったらしい。静穂はあどけなく笑った。

「えっ?あっ、俺は高一って、関係ないか。中一ってことは去年まで小学生?」

「はい」

うなづく少女に佳隆はショックをうけた。

「俺って、ロリコンの素質あるかも・・・」

「えっ?」

「いや、こっちの話。で、あいつはなにって、いや思い出したくないならいいんだけど」

ひきつってしまった静穂に佳隆はあわててつけ加える。足の速さとボールさばきには自信があるが、女の子の扱いはてんでわからない。なにしろ男子校だし、男兄弟だし、こんな間近に、しかもアイドルの顔がある。

「弟がオカルト好きで、わりと慣れてるから、その・・・」

しなくてもいい言い訳までしてしまう佳隆に、

「・・・・私、ドラマのロケで来たんです」

アスファルトに座ったまま静穂はぽつりぽつりと話始めた。

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