未来
眩しい朝の光が新学期の到来をつげる。かすかに階下で義兄弟たちの声が聞こえていた。
(今日から学校なんだ)
ぼんやりとそう思いながらも、静穂はベットを抜け出す気分にはなれなかった。どのみち彼女が通う私立中学は実家からは通えない。あの事件以来ずっと実家に帰っていた。
精神的なショックのための休養。
表向きはそうなっている。結局、あの山火事で生き残ったのは静穂とあとひとり、一緒に救助された少年のふたりだけだ。
炎の勢いがすごくて遺体は骨の餞別すらできないほどボロボロだったらしい。あの事件の犠牲者はみな、いまはただ、慰霊碑の下で永久の眠りについていた。
優しかった人々。特に矢野さんや先輩の死はいまだに信じられない。そして不思議なことに静穂には事件前後の記憶がまったくなかった。
医者は事件のショックによる記憶喪失なのだという。けれど、それほどの惨劇を自分は見て来たはずなのに、不思議と炎は怖くなかった。炎に対するトラウマなどまったくといっていいほどないのだ。
「静穂ー。そろそろおきなさい」
階下から母の呼ぶ声がする。どうやら義兄弟たちと一緒に朝食をとれということらしい。こんな状況にあって、母は娘がそばにいることを喜んでいた。
小学校六年になった日から静穂は家を出ている。すぐに爆発的な人気がでたから確かにこんなふうにゆっくり家族で過ごすのは久しぶりだった。
迷ったあげく、パジャマからTシャツとミニスカートに着替えて下におりた。
「おはよう静穂」
あまり静穂とは似ていない母が言った。どうやら自分は父親似らしい。母はあまり美人ではなかったし、いつのまにか白髪が目立ちはじめた髪の色も茶系だった。
「おはよう」
高校生の兄と姉はすでに出かけたようだ。食卓には中三の姉と中二の兄、そしてニュースを見てる義父の姿があった。
「ー村の火事から一カ月。有川君は見事に新人戦を勝利しました」
ー有川?
その言葉に静穂はテレビを見る。いま自分が平和な毎日を過ごせるのはマスコミを一手に引き受けてくれた少年がいたから。
そしてその名前は有川で・・・。
「将来のことはまだわかません。サッカーは好きだけど、プロとしてやっていく気はあまりないです」
生真面目にこたえる少年はけっこう整った顔立ちをしていた。短く刈り込んだ髪がさわやかな印象をあたえる。
「最後にあの事件で助かったアイドルの静穂ちゃんが今度大河ドラマの主演決定したことについて一言ー」
「・・・がんばってください」
「どうもありがとうございました」
画面が試合のハイライトに切り替わる。
「・・・大河ドラマ?静穂決まったの?」
母が聞いてくる。
「知らない。ただ、候補にはあがってたと思うけど・・・。このひとが有川さん?」
画面はハイライトといっても集中して佳隆を映していた。サッカーにあまり詳しくない静穂でも少年が群をぬいてうまいことが一目でわかる。
「そうよ。今度あなたもお礼を言いにいかなくちゃね。お母さん、あなたが救助された次の日にお礼を言いにいったんだけど、とても礼儀正しい男の子だったわよ」
洗い物をしながら母はなぜか上機嫌だった。よほど印象がいい少年だったのだろう。
ーでも。
「私・・・覚えてない。それってすごく失礼だよね」
噛みしめるように静穂はつぶやく。たったひとつだけ記憶にある風景を思い出していた。炎に消える村を一望できる丘で気を失っていた静穂を揺り起こした佳隆。なんだか泣きそうな顔をしていた少年に彼女は見覚えがなかった。
ーあなた、誰?
そう言った時のあの顔はいまも忘れられない。それにあと三人、とても美しい少年少女もいたのに、
ー救助されたのは二人だけ。
どさくさにまぎれてはぐらかされた三人の正体を佳隆は知っているのかもしれない。いや、たぶん知っているのだろう。でも。
(どうして私だけ助かったのかしら)
あんな見知らぬ村でスタッフとはなれて行動したとは思えない。火事のことを思い出そうとすると頭が痛くなる。
「ー痛っ・・・」
「静穂?頭が痛いの?」
心配そうな母の声にあわてて首をふった。
「あっ、違う。心配しないで」
「ほんとうに?」
「ほんとうよ」
「それならいいけれど・・・無理してあの事件のことを思い出さなくてもいいんだからね」「ん。わかってる」
こっくりとうなずきながら静穂はもう一度、、テレビを見た。どうやら佳隆は有名なサッカー選手らしい。
「有川さんて有名なひとだったんだ」
そうつぶやくと義兄があきれたように静穂を見た。
「なんだよ静穂知らないのか?有川佳隆っていったら超有名なんだぜ。高校生でオリンピック代表の候補にもあがったし、ジュニア・ユース代表だけど、本人の通ってる高校はガチガチの進学校でたったひとりで予選を勝ち抜いてきたんだから」
サッカー部に所属しているだけあってさすがに詳しい。
「へぇー」
「あーもうっ。今度もし有川佳隆にあいに行くなら俺も連れてってよ。大ファンなんだから」
「うん。でも私、たぶん明日には東京にもどると思う」
大河ドラマが決まったのならそろそろ復帰しろということだろう。デビューしてからこんなふうにゆっくり休みがとれたのはほんとうに久しぶりだったけれど、家はやっぱり気を使った。はなれてる分なんだか自分の家じゃないような気がするのだ。
「もう?」
母が不満げに言う。
「うん。たぶん今日くらい新しいマネージャーさんが迎えに来ると思うの」
「あなたの予感は外れないものね」
あきらめたようにため息をつくと母は言った。「へんにカンが鋭いところもお父さんにそっくりなんだから」
静穂の父親がとてもカンの鋭いひとだったということは、母の口癖から知っていた。それに静穂には治癒能力という不思議な『力』もある。幼いころ母に禁じられてから一度も使ったことはないけれど・・・。
ーズキン。
頭が痛んだ。
ー使ったことはない?
頭痛がひどくなる。
ーズキン。
なにか大切なことを忘れてるような気がした。ーなにを?
ますますひどくなる頭痛をとめるかのように、ーピーンポーン。
ドアベルが新しいマネージャーの到来を告げた。
新学期がはじまり、一時、日本中をわかせたあの火災のことも遠いものに感じられるようになって、世間ではしばらく休養していた静穂の大河ドラマ主演の話でもちきりだった。
あの事件のことに関して静穂の記憶が喪失されていることはマスコミで大きくとりあげられたものの、十三歳という年齢が人々の同情を誘い、事件についてのコメントを静穂に求めることはなかった。
たぶん裏からなんらかの干渉があったのか、あんなに騒がしかった佳隆の周辺も少しずつ落ち着こうとしている。
母と弟の四十九日を終えた夜、なにげなく見ていた歌番組に静穂が出てきて佳隆は心底驚いた。そして演技だけでなく歌もそこそこ売れていることをはじめて知る。
とは言え、こんなふうにテレビの中にいる静穂は別人のようでやはり寂しかった。あれからずっと静穂の記憶は失われたままだ。だから当然、あの日を最後にあっていない。
たった二日間しか一緒にいなかったのに、こんなにも深く自分の心に居座ってしまった手の届かない存在。
『アサギ』と連絡がとれないいま、あの事件は夢だったんじゃないかと思ってしまう。ただ、母と弟の遺影だけが事実を語るのだ。
あの日以来、『アサギ』からはなんの連絡もなかった。唯一、佳隆が知っている宇奈月も詩織たちの連絡先は知らないようだ。
ほんとうに『アサギ』は『宇奈月』にとてタブーな組織らしく、その存在は『宇奈月』の中でもトップシークレットなのだという。
ーピンポーン。
チャイムがなった。急患で病院に行った隆行が帰ってきたのかもしれない。佳隆はためらいもなくドアをあけて、驚いた。
「・・・恭、葵」
『鏡塚』のふたり。一カ月前となにもかわらない少年たちがそこにはいた。
「よっ、ひさしぶり」
気さくに恭が手をあげ、
「夜遅く悪いな」
葵が言った。
「・・・元気になったみたいだな」
テレビに目をむけ、恭が笑う。ちょうど、本来ならドラマの主題歌となるはずだった曲を静穂が歌っていた。そして佳隆を見る。
「詩織は静穂をしばらくそっとしておくことに決めたぜ。おまえはどうする?」
「どうって?」
「いまでも俺たちとともに戦う気はあるのか?いまならまだ引き返せる」
「・・・それは詩織さんが言ったのか?」
無言は肯定。
(まいったな。やっぱり詩織さんは甘いや)佳隆は内心苦笑いをした。ここまできて彼女は『アサギ』に入ることを強要しない。恭がいつか言ったようにこれではトップとしてやっていけないだろう。欲しいものを手に入れるためには少々強引な方がいい。
でも、だからこそー。
「俺は詩織さんについていく。詩織さんのためじゃなく、柏木のためでもない。俺自身の運命にたちむかうためにね」
ー戦いなさい自分の運命と。
母の言葉。いまなら理解できる。
「いいのか?」
葵も佳隆を見つめた。
(ひとのこと言えないぜおまえら)
くちにはださずに佳隆はそう思った。なんだかんだ言っても詩織の影響なのか『鏡塚』だってかなり甘い。
でもそれは、これから先、非情な『宇奈月』と戦っていくには大切なのかもしれない。そして、いつか甘さを克服できるような男になれればいいのだと思う。
佳隆はテレビの中の静穂を見た。あの事件より少しやつれて、それでも健気に笑顔を見せる少女。いまは演技だとしてもいつか本当の笑顔を見るために。
「しばらくってことはいつかは静穂も巻き込まれるんだろ?」
まっすぐに双子を見つめる。
「・・・たぶん、また近いうちにな」
言いにくそうに、けれどしっかりした口調で恭は言った。
「それなら最初からこたえは決まってるさ」考えるまでもない。ふたたびであった時、詩織にも『鏡塚』にも頼らずにこの手で少女を守りたい。もっと強く、もっと優しく、『鏡塚』や詩織にも負けない人間になるために、「俺は戦う」
ーサーッ。
突然、雨がふりだした。時期にそぐわない大粒の雨が窓をたたく。『鏡塚』が同時に顔をあげた。葵がつぶやいた。
「詩織が泣いている」
「・・・そうありがとう。もうお帰り。人間に気をつけて」
ーバサバサバサ。
静かな住宅街にコウモリの羽音が響く。その羽音に、眠っていた少年が目をさました。
「・・・鳥?」
ゆうべ遅くまで体育祭の書類をまとめていた。そのせいでせっかく一カ月ぶりに少女とあってるのにうとうとしてしまったようだ。フローリングの床にベットと机、だけがある文久の部屋。机に置いてるラジオはつけっ放しでFMがかかっていた
。文久は勉強する時にラジオを聞いている。文久が消し忘れたのか少女が聞いていたのかは定かじゃない。 出窓に腰掛けていた少女が振り返った。
薄闇の中、驚くほどきれいに見える漆黒の瞳。いまは何時なのだろう。
「暗くないの?電気つければよかったのに」身をおこすと電気に手をのばす。その手を押しとどめて、少女が抱きついてきた。
「詩織ちゃん?」
かすかに震える身体。
「ー泣いてるの?」
声もなくただ詩織は肩を震わせる。文久は驚かなかった。時々、詩織はこんなふうに意味もなく泣くことがあった。
(僕には話せないんだろうけれど、意味はあるんだろうな。たぶん)
そっと背中に手をまわす。話してくれないのは少し寂しいけれど文久の願いはただひとつ。少女が必要とする時にそばにいてやることだけだ。理由なんて関係ない。この腕の中、このまま消えてしまいそうなくらい華奢な身体。どうして泣くのかわからないけれど、
「大好きだよ詩織ちゃん」
そっと耳に囁く。たぶん、それだけが文久の真実なのだから。
くり返されるたったひとつで無限の意味をもつ言葉。優しいそのぬくもりを失いたくはなくて、ただそれだけの組織のはずだった『アサギ』の未来は遠く、またひとり、なにも罪をもたない少年が戦いに巻き込まれた。
明日をも知れぬはてしない戦い。いつかこの戦いは終わる日がくるのだろうか。少年の胸に頬をよせ考える。時をかさねる度に『罪』で汚れていく手をいつまでこの少年は握ってくれるだろう。少なくても、あの日、あの時、彼女とであわなければ、平和な日々を送れたはずなのだから。
彼女の真実を知った時、それでも少年は同じ言葉をくれるだろうか?彼女という存在。それは大切な相手をまきこまずにはいられなくて。
もしかしたら彼女の選択は間違っていたのだろうか?もし、そうだとしてももう後戻りはできない。
ーであいは運命だった。
その言葉だけをただ信じてここまでやってきたけれど。
不安に押しつぶされそうな夜。
はりさけそうな胸。
誰かに教えて欲しい。
ーこの戦いに未来はあるのかと。
つけっぱなしのラジオから静穂の歌声が静かに流れはじめた。
THE‐END。




