友情
おもたい眠りから目が覚めた時、きつい薬品の臭いに文久は顔をしかめた。
「・・・ここは・・・?」
学校の保健室をもう少しだけ広くしたような部屋。診療所といった雰囲気に文久は納得した。
「そういえば有川の家って医者だったな」
誰かがそう話していたのをおもいだす。となるとやっぱりここは佳隆の家なのだろう。
(なにしに来たんだ?僕)
よーく考えてもわからない。お互いの家を行き来するほど佳隆と仲がよかっただろうか?「うーん。痛っ」
起き上がろうとして頭に手をやる。なんだか頭が痛い。ズキズキというよりはガンガンする。
「痛っー。なんだこの頭痛」
夏風邪でもひいたのだろうか?こんな痛みは初めてだ。
ーゾーリザーリ。
(ー?)
くぐもった低い音。
ーゾーリザーリ。
さっきもこんな音を聞いたような。
ーゾーリザーリ。
今度はとても近い。
ーゾーリザーリ。
無理やり頭痛をこらえて顔をおこすと、
「なんだ、これ」
人の形をした泥のような生き物が二匹。
ーゾーリザーリ。
ゆっくりと手を差し出してくる。文久は反射的に握り返した。
文字通り「泥っとした」感触。
ーなんだかたよりない。
文久はじっと目の前のものをみた。新種の生き物だろうか?昆虫?動物?ーわからない。どちらかといえば動物のようだし、いや動物というよりもー。
「ーヒトだよね?」
なぜそう思ったのかはわからない。でも本能で感じた。頭痛のせいで思考がマヒしている。だから恐怖も感じなかった。
ーゾーリザーリ。
恐怖ではない言葉。
ーゾーリザーリ。
泥は戸惑う。
「こんにちわ。僕、柏木文久といいます。ーきみは?」
まっすぐに自分を見つめる瞳。
ーゾーリザーリ。
自分はなんだろう。
ーゾーリザーリ。
遠い過去。
ーゾーリザーリ。
それはきのうだったかもしれないのに、
ーゾーリザーリ。
思いだせない。
「名前、ないの?」
ーゾーリザーリ。
かすかに首が下に動く。
「僕がつけてもいい?」
ーゾーリザーリ。
この少年はあたたかい。
「んーと、性別とかあるんだよね」
ちょっと顔をあかくして文久は片方の泥餓鬼から目をそむける。泥と肌の違いはあるものの形は人間と同じでー。くっきりと凹凸にとんだ形をあらわす一体の泥餓鬼。
見るのははじめてではないけれどー。
ー刺激が強すぎる。
知らず知らずに顔が熱をもつ。目の前の泥餓鬼は彼が唯一知っていてる少女よりもとても魅惑的で・・・。
(うっ・・・詩織ちゃん華奢だもんな)
本人を目の前しては絶対に言えないことを考える。もちろん詩織の年齢を考えたらしょうがないことだし、少女らしい柔らかい肢体はとても可愛らしいものなのだけど、やはり大人の女の人と比べるには至らない。
でも、そう考える事自体なんだか詩織に対してひどいことをしているようで、罪悪感が少年の心をみたす。それくらい詩織は少年にとって神聖な存在だった。
それはともかくー。
「えっと・・・名前ないなら僕が決めてもいい?」
ーゾーリザーリ。
「んーと、どうしょう」
どうせなら素敵な名前をつけてあげたい。だって名前というのはとても大切なものなのだから。
「じゃあ、僕の大好きな女の子からとってきみはシオ」
女形の泥餓鬼に言う。
ーゾーリザーリ。
泥餓鬼ーシオは気に入ったらしい。ほんとはシオリとつけたいけれどそれは飼ってるイグアナの名前。妹のリサが文久の誕生日プレゼントにくれたグリーンイグアナにそう名付けたとき詩織はなんだか複雑な顔をしたけど怒りはしなかった。
彼女の従兄弟たちは声をあげて笑っていたけれど・・・。
「そうだ!」
名案が浮かんで、文久はもう一体の泥餓鬼に言った。
「きみの名前はキョーにしよう」
村長室のドアを開けたとたん、恭は盛大なくしゃみがでた。そのくしゃみに室内にいた少女が振り返る。さらさらの漆黒の髪を右手でかきあげるとあきれた顔で詩織は言った。
「たまには静かに登場できないの?恭」
いつも騒がしい彼女の守護を軽くにらむ。
「正義の味方は派手な登場するって決まってるんだよ」
「正義の味方?誰が?」
「だーっ、わざとらしく葵をみるなっ、バカヤロウ。そこでうなずくなよっ葵も」
「葵は正直なのよ。ねっ・」
「ねっ・じゃないだろっ!」
どっちがシリアスにかけるんだか。ゼーハーゼーハー肩で息を整えると恭は前髪をかきあげた。いかんいかん。このままではいつものペースにはいってしまう。
さっきまでの渋い?自分を取りも出さなくては・・・などと意味不明の言葉をつぶやきながら、ドアの外にいる人物に手招きした。
「はいってこいよ。静穂、佳隆」
少年の言葉に背を押されてさっき飛び出した少女が顔をみせた。ためらいがちに詩織を見ると、まるで女神のような少女は柔らかな眼差しで彼女を見つめ返した。
ーすべてを知っているかのように。
いや、きっと詩織にはわかっていたのだろう。たぶん、きっと、この少女はそういう生き方をするヒトなのだ。
静穂が一生かかってもできないようなことを呼吸をするかのように自然なしぐさでいとも簡単にやってのける。その柔らかな眼差しが痛くて、涙があふれてくる。たったみっつの年の差をこれほどまでに感じるなんてー。
あまりにも目の前の少女と自分は違いすぎる。握ったら折れてしまいそうな華奢な指が静穂のほおに触れた。冷たい感触は、でも確かに彼女がここに存在する人間なのだと思わせるもの。
透明な雫が女神の指を濡らす。詩織はその指を唇にもっていくとくわえた。
「・・・しょっぱい」
小さくつぶやくと優しく笑った。
「泣かないで静穂。あなたのせいなんかじゃないんだから」
「でも、私ー詩織さんを『アサギ』を信用しようとしなくてー」
信頼関係が成立しない仲間なんてありえないのにー。自分は最低のことをしたのにー。詩織はかぶりをふった。
「いいのよ静穂。むしろ疑って当然だもの。『宇奈月』はほしいものを手に入れるためなら平気で人の命を弄ぶわ。私たちは神様なんかじゃないのにね」
人間は神になんかなれない。大きすぎる権力はいつか破滅への道を歩むことになるだろう。
『宇奈月』はそれを恐れている。
『麻城』として生まれた自分がその宿命に背いた時からなにかが狂いはじめた。すべてはほかならぬ詩織自身がまいた種。
あのままおとなしく一族の望みどうりの姫を演じることはとてもたやすいことだったけれどー。彼女は知ってしまった。人を愛する喜びも、それを失う辛さも。
ーヒトとして生きるための感情を。
だから、選んでしまった。文久とのであいを偶然にしないために。
ー巻き込みたくはない。
でも巻き込んでしまう。それが運命だとしても手放したくはないわがままな感情。なぜこんなにあの少年にひかれたのかもいまはもうわからない。ただ、愛しさだけが日に日に強くなる。
ーであいは運命だった。
その言葉を現実のものにするために。
「私は文久くんと一緒の時代を生きていきたいの。ただ、それだけの理由で私に忠実な『鏡塚』を利用して『アサギ』を作ったわ。ほかの一族が言うように私のわがままからできた組織だから、どちらを選ぶかはふたりの自由。だって一族に敵対している私たちにはなのんメリットもないけれど『宇奈月』として生きれば手に入れるのは、日本を支配する『権力』だから」
ー選ぶのはふたり。
『アサギ』は詩織の自己満足の組織でしかない。一族の中傷は的を射ている。ただ文久と同じ時代を歩んでいきたい。ただそれだけが彼女の願い。
そのための組織『アサギ』。勝手な思い込みから佳隆と静穂にとって『アサギ』にいた方がいいと思った。でもそれはきっと自分のエゴなのだ。
誰が好き好んで苦労をしたいだろうか。余計な手出しをしなければ文久もいまごろ無事だっただろうに。いつも自分の想いは空回りしている。
自己中心的なのはしかたがない。幼いころから彼女は『麻城』として、『宇奈月』の『麻城』としてわがまま放題に育てられてきた。
決して彼女を裏切らないふたりの『守護』に守られきた性格はそんな簡単に直るはずもないけれど。でもー。
「『宇奈月』にいればあなたたちのその純粋さは、人を思いやる優しさは失われてしまうわ。私はそれが哀しいの」
ひとりよがりの言葉だとはわかっている。それでもいま伝えなくてはならない。
「私に力をかして。私と一緒にたたかって」彼女は決して『宇奈月』を憎めない。どんなに嫌って飛び出しても心に温かいものをくれるのが古里の風景であるのと同じように、彼女は決して『宇奈月』を憎めない。血のつながりというのは不思議なものだ。両親を殺されても、文久の命を狙われても彼女は『宇奈月』を心の底から嫌いになれない。それもまた、彼女が『宇奈月』である証しなのかもしれない。だからこそ、いま戦わなければならないのだ。ひとりではどうしょうもない。たとえ『鏡塚』と自分の『力』があったところで強攻策にはでれなくて。『力』で手に入れる絆など危ういものなのだから。見捨てるのは簡単なのだけどー。
ーそれでも『宇奈月』を愛している。
「俺は『アサギ』につく」
まっすぐに、意志をたたえた瞳で佳隆が言った。考えるまでもない。母が飛び出した『宇奈月』だし、自分は『普通』の父の血をひいている。
彼のまわりには感情豊かな人間ばかりで、自分も間違いなくその一員なのだ。結果として母と弟を失うことになるとしても自分は『アサギ』につく。
「私も、『アサギ』にはいる。抜けるなんて言ってごめんなさい」
静穂も言った。もう迷うことはない。あんなあやまちは二度と繰り返さない。これほどまでに自分を想ってくれる詩織だからー。
ー彼女についていく。
「ありがとう」
かみしめるように詩織はつぶやく。これでほんとうに『アサギ』はひとつになる。『権力』ではなく『信頼』の名のもとに。ー彼女が望んだとうりに。
「まず柏木を助けなくちゃいけないな」
佳隆が言った。文久が隆生に誘拐されたのは間違いないだろう。そういえば、詩織は知っているのだろうか。
「詩織さん。柏木が隆生に誘拐されたんだけど」
「ー知ってるわ」
「知ってる?まさか、隆生のやつここまでー」詩織は静かにかぶりをふった。
「私にはー、一族の女にはわかるの」
「ー?私にはわからなかったけど?」
自分だってとりあえずは認めたくないけれど、『宇奈月』の女のはずなのに。
「静穂だってそのうちわかるようになるわ。ただし相手は文久くんじゃない誰かだけど」ますます意味不明な言葉に静穂と佳隆は顔をみあわせる。やれやれと恭が助け舟をだしてやった。
「おまえら俺たちの話を聞いてなかったのか?」
「話って一族の女は一族以外のやつに抱かれると『力』を失うってことだろ」
「だからつまり?」
「つまりー?まるで国語の先生みたいだな恭。言っとくけど俺は理数系だぞ。古典は赤点ぎりぎりなんだから」
「いばれることかよ。ったく」
大きくため息をつくと恭はつまり、と説明する。
「一族の女は抱かれた相手に『力』を分け与えることができるんだ。抱かれることで女たちは相手と強く結び付く。その相手が誰かなんて関係ない。抱かれた時点で女はそいつのものとなる。だから、一族の女にとって処女を失うということは重大なことなんだ」
詩織は文久に抱かれた。だから文久の危機がわかる。それは当然のことでー。
「静穂もそのうちにわかるようになるわ」
複雑な想いで静穂は詩織の言葉をうけとめる。まだ十二歳の彼女にはぴんとこない。処女や抱くなんて言葉にも抵抗があった。そんな言葉をすんなりと口にできる詩織や佳隆たちにどうしようもない年の隔たりを感じる。
マスコミが騒ぎ立てるほど少女たちはすれていない。過剰すぎるマスコミの報道を鵜呑みにする大人がいるからこそ、一部の少女たちがエスカレートしてしまうのだ。
詩織は敏感にそんな静穂の想いを悟った。
「静穂はまだ十二歳だものね。ごめんなさい気を悪くしたかしら」
「・・・・」
「ごめんなさい」
もう一度、真顔で詩織は言った。よほど自分は複雑な顔をしたらしい。たったみっつしかはなれてないはずなのにー。
「詩織さんてほんとうに完璧だよね」
ため息まじりの声がでた。美しく、聡明でかっこうよくて、優しくてー。
一生かかってもこんな女性にはなれないような気がするのに、まるで呼吸をするかのように彼女は艶やかに存在する。
こんな女性も存在するのだ世の中には。
「完璧な人間なんかこの世には存在しないわ」
「だってー」
「私が完璧な人間なら両親はいまも生きていたはずだし、文久くんもこんな目にあわなくてもすんだわ」
自分自身に言いかけるように詩織は言った。唇を軽くかむ。
両親のことを思うといつも悔しさがこみあげてきた。『宇奈月』として生きることにん何の疑問ももたなかったあの頃。『権力』の名のもとに与えられた平和。
彼女はそれを信じていたのにー。
大事なものはいつも失ってから気づくのだ。いまはもう戻らない父と母の優しい温もり。
「私は完璧なんかじゃない」
繰り返される言葉。
「詩織さんー」
静穂は言葉を失う。一体いくつの哀しみを彼女は背負って生きているのだろう。自分の運命として正面からたちむかってこんなにも苦しむ。
(やっぱり詩織さんについてよかった)
つくづくそう思った。どんなに苦労してもいい。この少女についていきたい。
「ところで柏木はどこまで『宇奈月』のことを知ってるの?」
佳隆は聞いた。今回のことは詩織ではなく自分のせいで文久を巻き込んでしまったようなものだ。クラスメートなだけに気にかかる。
「彼はなにも知らないわ」
詩織は静かに首をふった。恭が言う。
「文久は何も知らない。もっと言えば俺たち『鏡塚』の存在を知ったのもつい最近だ。本当は俺や葵の存在を気づかれることなく守るのがベストなんだけどな・・・」
「『カク』ー私の異母兄妹がつくってる『宇奈月』の若者たちの組織のことなんだけど、私たち『アサギ』を目の敵にしてるから・・・文久くんに『鏡塚』の存在を知られずにガードすることがむずかしくなったの。もちろん私の従兄弟だってことになってるけど」
それだけ文久の危険はましてきている。つきあいが長くなればなるほど、『宇奈月』は詩織が本気であることに焦り、そして文久を亡き者にしようと企てる。
いままではどうにかごまかしてこれたけれど今度ばかりはそうもいかないだろう。
泥餓鬼ーかつて人間だった者たちを焼き殺す自分をみても文久の態度はかわらないだろうか?あの心優しい少年は許してくれるのか。
それともー。
「嫌われるわね、きっと」
「ーえっ?」
小さくつぶやかれた言葉を聞き取れずに佳隆は詩織を見る。詩織は微笑んだ。
「計画は予定通りよ。私と佳隆が『影』のところに行ったら静穂と『鏡塚』は火をつけて非難して」
「でも詩織さんたちはー」
「大丈夫。私がふたりを守るから」
「ちよっとまってよ。いくらなんでも僕が詩織さんを守るってば」
女の子に守られるなんて、いくらなんでもプライドが許さない。
(そりゃあ、詩織さんの方が『力』は強いけどさ)
ふてくされた思いで佳隆は言った。詩織は笑う。
「もちろん、頼りにしてるわ」
全然そうは見えない。
(ほんとかな?)
佳隆は口にはださずにそう思う。詩織が言った。
「ほんとうよ」
「げっ、なんでー」
「佳隆の考えてることくらいすぐわかるわ。あなたってすぐ顔にでるんだもの」
クスクスと詩織は笑う。本当に同じ歳なのか疑いたくなる。
「そうなのよね。ほんと佳隆くんて顔にでるタイプ」
隣で静穂までが言っている。
「おまえ高校生でオリンピック候補にもなったくせして、よくそんなんでPK戦に勝てるな」
「えっ?佳隆くんてオリンピック候補だったの?恭さん」
「なんだ知らなかったのか静穂。けっこうマスコミでも騒がれてるぜ。なんてたって顔がいいとかで女子高生に大人気とかさ」
「あっ、そういえばきのうのチョコレート女子高生にもらったって言ってた」
「だろー?こういうタイプは裏でちやっかり幅広く手をだしてるんだよ」
「勝手なことばかっり言ってんじゃない。それにいいだろ男子校なんだから少しくらい色気のあることがあっても」
正直言って無意味に騒ぎ立てる女子高生たちやマスコミは苦手だ。けれど中にはさりげなくチョコレートやスポーツドリンクなんかを渡してくれる娘もいるのだ。
実際、部員の中にはその女子高生とつきあってる奴もいて佳隆の人気は歓迎されてもいる。佳隆だって健全な十五歳の少年だから女の子には興味あるし可愛い娘を見ると胸が騒ぐ。
ただし、だからと言って女の子が苦手なことにはかわりないのだけど。
「だいいち、俺は口べただから女の子と話すことなんかほとんどないよ。いっつもありがとうしか言ってない気もするし」
肩をすくめた。これは本当だ。
「なんなら柏木に聞いてもいいよ」
「ばーか。なにむきになってんだ。おまえがどういう奴かなんてこの半日でだいたいわかってるよ」
「ー半日?」
静穂と佳隆は同時に言って顔を見合わせた。そうだ、ふたりでさえまだ知り合ってから二日目でー。
「そっか、まだ半日なんだ。詩織さんたちとあってから」
なんだか一年以上たっている気がする。いろんなことがありすぎていた。こんなにも人は短時間でわかりあえるものなのだなとつくづく感心してしまう。よく恋愛に時間は関係ないとか言われるけれど、それはこういうことなのだろうなと静穂は思った。
「なんか人生で一番長い一日のような気がするよ」
噛み締めるように佳隆もつぶやく。
「ほんと人生ってなにがあるかわかんないもんだな」
「なんだよ佳隆。おまえそんなに人生語るほど長生きしてるのか?」
にやにやと恭が笑う。こいつはこういうやつだ。佳隆はため息をついた。
「おまえとのであいだけは歓迎したくないよ」「俺はおもしろい玩具がみつかってうれしいぜ」
「・・・・・」
大きくため息をついた佳隆の背中を詩織が軽くたたくと言った。
「ー決戦は十二時。いいわね」




