信頼
電車とバスを乗り継いで(最後には一時間も歩いて)やっと目的地にたどり着いたはずの文久は、呆然と辺りを見渡した。
(僕・・・なんでこんなところにいるんだろ?)
はじめてそんな疑問が頭をよぎる。
ーまったく知らない土地。寝ぼけたのだろうか?
(でも一度も乗り換えの駅なんか間違わなかったよな)
知らないはずのこの場所に一度も迷わずにたどり着いた。寝ぼけたわけじゃないと思うのだが・・・。ポリポリと頭をかきながら文久はとりあえず歩くことにした。
考えてもわからないのなら行動するしかない。文久にはアウトドアや登山の趣味はないし運動は苦手だけどここでぼーっと立っていたってしょうがないのだ。
(それにしても静かな村だなあ)
右足の踵を軸にしてぐるりと一回転してみても変わらない山間の風景。どちらかと言えば都会育ちに入る文久にはとても新鮮だ。農業が主流なのだろう。
いまどき珍しい砂利道に分けられるようにして広がる水田。こんな次期にまだ水をはったままということは二期作だろうか?それとも稲ではなく何か別のものを作ってるのかもしれない。地理は苦手だ。
ーゾーリザーリ。
その水田からくぐもった音が聞こえてくる。
ーゾーリザーリ。
いままでに聞いたことのないような音。
ーゾーリザーリ。
虫の声だろうか?
ーゾーリザーリ。
どこか悲哀に満ちている。
「柏木さん」
正体を確かめようと水田の方に足を進めたところで文久は呼び止められた。振り返るとなんだかひょろりとした少年がたっている。日焼けという言葉を知らないかのような白い頬は走って来たのだろうピンクに染まっていた。
整った顔立ちは誰かに似ている。戸惑っていると少年が無邪気な笑みを浮かべた。
「柏木さんでしょう?兄に言われて迎えに来ました。僕、有川隆生っていいます」
礼儀正しい言葉を聞いているうちになんだか頭の中が霧がかかったようにぼんやりする。そうだ。確かに約束したのだ。自分は佳隆の家に遊びに行くと。
「迷わないで来れましたか?」
「有川に地図書いてもらってたから」
そう。だから迷わないでたどり着けた。有川はとても親切に教えてくれてー。でも・・・。
(僕、そんなに有川と親しかったかな?)
「兄も楽しみに待ってます」
隆生のボーイズソプラノがだんだん遠くなっていく。薄れゆく意識の中、なぜか詩織の泣き顔が思い浮かんだ。
「待てよ静穂。ひとりじゃ危ないって」
佳隆は役場をでて百メートほどで静穂の腕をつかんだ。なにしろ相手は年端もゆかぬ少女で佳隆は百メートル十秒台の足を持つ。すぐに捕まえられた。
「はなして!佳隆くん」
身をよじる静穂の腕をつかんだまま佳隆は言った。
「落ち着けって!詩織さんの言葉を信じるのか?」
「信じてるのは佳隆くんじゃない!そうよね。詩織さんはすごく素敵だもの。私なんか子供だし全然かなわない」
「へっ?」
思わずまぬけな返答をしてしまう。なんか話の露点がずれている気がした。
「放してよっ」
静穂はますます激しく身をよじる。自分が口走ったことを理解してないのかもしれない。こんなに感情的になった静穂を見るのははじめてで、詩織にだまされたことがそれほどショックだったのだろう。つかんだ腕に力をこめて佳隆は言った。
「あの、さ。たぶん詩織さんて柏木しかみてないと思うよ」
このこたえもなんだか妙だなと思いつつ佳隆は言葉を重ねる。静穂の動きがとまった。
「だから、俺は信用しようと思うんだ。俺は柏木を知ってるから。クラスメートとしてのつきあいしかない奴だけど、ほんとまだ短い期間だけどあいつの不器用なのに真面目で一生懸命なとこ知ってるから。それにー」
「それに?」
涙で目を赤くしながら静穂は佳隆を見上げる。少年は照れくさそうに笑った。
「俺には静穂の方が似合ってる」
言いたいことは、たぶんきっとこんなこと。確かに静穂はみっつも年下だし詩織に比べたら子供っぽい。でもそれは比べる相手が悪いのだ。佳隆なんかかなわないくらいしっかりしてる。気の強さもプラス思考も行動力もなにもかもが佳隆には新鮮で・・・。こんな女の子もいたのかとも思う。だからー。こんなことくらいで自分を見失わないで。
「もし、もしもさ。今度の事件が詩織さんたちの仕組んだことだったとしても俺は静穂に会えてよかったと思ってる。静穂は?」
「私は・・・」
そう思ったのはついさっき。でもあの時は詩織を信じていた。きゆっと唇を噛み締める。そう自分は信じていたのだ詩織をー『アサギ』を。なのに全部が仕組まれたことだったなんて。『宇奈月』の仕業だったなんてー。
(『宇奈月』?)
なにかを見落としている。静穂ははっと顔をあげた。そうだ、確かにあの時詩織は『宇奈月』と言った。『宇奈月』は『アサギ』にとって言ってみれば敵で・・・。
「まさか・・・」
(まさか?)
違う。これほどぴったりつじつまがあうことなんかない。『アサギ』ではなく『宇奈月』の仕業なのだ。本当に詩織たちが仕組んだことならあの時に否定したはず。確かに詩織は認めたわけじゃない。勝手に勘違いしたのは自分だけどー。
「どうして詩織さん・・・」
つぶやいた時ー。
ーゾーリザーリ。
低く唸るような声。
ーゾーリザーリ。
いつのまにか、囲まれていた。
「あっ・・・」
そうだ。いくら真夏でも今日みたいな曇りの日はあまり乾燥しない。しかも泥餓鬼たちは飢えている。
「静穂。こっちに」
佳隆は静穂をかばうように前にでる。意識を集中して光の剣をつくりだした。
(でもこれからさきは知らないんだよ。このまま振り回すったってどうすればいいんだ?)とりあえず意識を集中する。
ーゾーリザーリ。
泥餓鬼たちは様子を伺う。
(少なくても泥餓鬼たちの牽制にはなってるんだ)
だからといってこのままずっと睨み合いを続けるわけにはいかない。恐怖心は不思議となかった。これが慣れというやつかもしれない。それとも『アサギ』という存在を知ったからだろうか?どうにかなるはずた。
「佳隆くん」
不安そうに静穂が佳隆の剣を持ってない腕にすがる。
「大丈夫。とりあえずこの剣を怖がってるみたいだから」
「でも・・・キヤッ」
一匹の泥餓鬼が静穂の足をつかんだ。とっさに佳隆は剣をふるう。ざっくりとした手ごたえとともに泥餓鬼は散り散りになる。生々しい手ごたえに佳隆は気分が悪くなった。
ーゾーリザーリ。
仲間がやられたのを見て。
ーゾーリザーリ。
ゆっくりと、
ーゾーリザーリ。
泥餓鬼たちは水田に戻る。
すべての泥餓鬼が見えなくなって佳隆はあまりの気持ち悪さに身体を二つに曲げ嘔吐した。にぶい感触。泥なのに確かな手ごたえ。自分はいま人を殺したのだ。形は違う。だけどー。
間違いなくあれは人なのだ。
「大丈夫?佳隆くん」
静穂が背中をさすってくれる。それでも、なかなか嘔吐は収まらない。胃がよじれてしまいそうだ。痛い。とても痛い。胃も、心も。このまま死んでしまいたいくらいに。
ー自分は人殺しだ。
「情けないなあ。兄さん」
ふいに聞こえた舌足らずな、それでいて大人のような低い声に佳隆は顔をあげる。隆生が立っていた。いつのまにー。
「隆生おまえー」
胃が痙攣していてうまく言葉にならない。隆生は無邪気な笑顔をみせる。
「『鏡塚』から伝言聞いてくれた?」
「伝言?なんだそれ」
「ふうん。知らないんだ。なんだ、『アサギ』の弱点だなんて言ってたのに。つまんないな。殺しちゃおうか」
「殺す?おい、誰をだっ」
胃の痛みを押し殺して佳隆は立ち上がった。あの隆生がこんなことを口にするなんてー。「んーなんて言ったかな?兄さんのクラスメートだよ」
クラスメート?まさか・・・。
「柏木?柏木文久か?」
「そう。確かそんな名前だったかな?兄さんとお姫様との引き換えに返してあげるって言ったのに」
「なんで柏木をー」
「だって親戚だって人が教えてくれたんだ。きっと『アサギ』が僕を倒しにくるからその時は柏木ってやつを利用すればいいって。『宇奈月』にとって柏木は邪魔なんだって」「人の命をなんだと思ってるんだ!」
胃の痛みを忘れた。隆生は鼻で笑う。
「そんなことえらそうに兄さんが言えるの?いま僕の可愛いペットを殺したくせに」
「僕はおまえと違う!殺したんじゃない。あんな姿のままで幸せがあるもんか!」
いまならわかる。恭が言った意味が。あのままの姿で幸せがあるはずない。あれはただ死ぬことも許されない哀しい生き物の姿。あんなもの生きてるとは言わない!光の剣が輝きをます。
ーこいつは隆生なんかじゃない!
「よせ、佳隆」
突然聞こえた恭の声に佳隆は我に返る。タンクローリから飛び降りた恭がいた。
「恭」
「恭さん」
恭は佳隆の肩をたたいて剣をしまわせる。
「いまそいつを殺せば文久の命が危ない。そうなったら詩織が狂う。おい『影』。決着は十二時のはずじゃなかったのか」
隆生は肩をすくめた。
「べつに。ケンカしてる『アサギ』なんか目じゃないと思ったからさ。あせったのは兄さんの方だ」
「ケンカ?」
恭は眉をひそめた。
「まっ、僕には関係ないことだけどね。じゃあ今夜十二時に。時間厳守だからね」
「しつこいぞ、おまえ」
恭は口の中で罵ると佳隆と静穂に目を移した静穂がうつむき、佳隆は拳を握り締める。
「・・・ケンカしたって?」
「私が悪いの。詩織さんのこと信じなくて・・・ひどいこと言っちゃった」
あまりの自己嫌悪に涙さえでない。
(なるほど、ね)
恭は柔らかな前髪をかきあげる。ふたりの様子からどんなやりとりがあったのかくらい想像できた。見かけによらず不器用な彼のお姫様はまたやったらしい。
「詩織は、すぐに自己完結するからな。どうせ今頃になってふたりを『アサギ』にいれるかどうか迷ってるんだ。すべてが『宇奈月』に仕組まれたってのに『アサギ』と誤解させるようなこと言ったんだろ?」
軽くため息をつく。
「あいつはここぞって時に弱気になる。もっとずる賢く、楽に人生生きればいいのに。だって『宇奈月』にいれば手に入れるのは日本を支配する『権力』だぜ。詩織なら世界だって手にはいるぜ、きっと。なのに何が楽しくて『アサギ』なんかを作ったのかわかんねえよな」
「柏木のためじゃないのか?」
思わず佳隆は聞く。確か恭はそう言ったはずた。恭は肩をすくめた。
「文久にそこまでの価値があるのかも、実は俺にはわからない。たぶん詩織自身だってわかってないと思うぜ。確かにあのときの詩織を救ったのは文久だけど、もしかしたら『宇奈月』以外の人間なら誰でもよかったのかもしれねー。であいは運命だって詩織は言うけど俺に言わせれば偶然だ。実際、昔に比べて詩織は弱くなった。強くなった分、弱くもなったんだ」
「・・・矛盾してないか?それって」
「昔の詩織には『宇奈月』がすべてだった。何も考えずに苦労せずに欲しいものはすべて手に入る『宇奈月』の『麻城』だったんだ。でもいまはどうだ?『宇奈月』に敵対してなにか詩織にメリットはあると思うか?文久の存在だけが得るものだとすればその代償はあまりにも大きい。俺たちは詩織の『鏡塚』だ。だから俺たちは詩織につく。でもおまえらは違う。詩織はおまえらの純粋さを大切にしたいと言ったけれど、たぶん考えたんだ」
そこで恭は言葉を句切ると静穂を見つめた。
「『アサギ』として生きるよりも『宇奈月』として生きる方がおまえらには幸せかもしれないってな」
「そんな・・・」
「詩織は甘すぎんだよ。っていうか、文久と知り合ってから甘くなっちまった。『麻城』は冷徹でなくちゃつとまらねー。『宇奈月』を束ねる者に甘さは必要ねーんだ。意志に関係なくおまえらが欲しいのならこんな誤解くらいすぐに解けるはずだし、そうしなかったのは詩織の甘さのせいなんだ。詩織は『宇奈月』にいた方がおまえらのためになると思ったのさ」
きっと自信がなくなったのだろう。苦しむ佳隆の姿に昔の自分を見たのかもしれない。彼女は地獄のような苦しみを経て、いまここに存在する。
自らの意志で『宇奈月』と敵対することを選んだ。でも佳隆と静穂は違う。選ぶというスタート地点にすら立っていない。『宇奈月』と『アサギ』は言い換えれば天国と地獄だ。『宇奈月』にいれば苦労などは知らずに『権力』を手に入れることができる。
楽な人生を送れるなら純粋な心なんてキザなものは必要ないのかもしれない。
『アサギ』には『苦労』という二文字しかない。いばらなんて生易しいものじゃなくさきにあるものはピカピカに磨かれた刃物の道だ。
「あいつは甘すぎるんだ」
もう一度、恭はつぶやいた。
それがいいことなのか悪いことなのかなんてわからないけれどトップであるために甘さは必要ない。ーでも、
「そこが詩織のいいところなんだよ」
自分に言い聞かせるようなセリフに、佳隆は少年を見つめた。いまごろになって初めて気がついた。
「恭。おまえ、もしかしてー」
にっ、と少年は口の端を吊り上げてみせる。
「ー俺は、詩織の『守護』だ」




