猜疑
とっくに宇奈月のもってきた一升瓶は空になり、春に開院五十周年にもらった樽酒をあけてその三分の二を飲んだところで隆行は寝息を立てはじめた。
「・・・・たいしたタマだよ。おまえは」
宇奈月はその身体に毛布を掛けながら呟いた。隆行は大声で叫ぶことも暴れることも泣くことすらしなかった。
ただ酒を飲む姿がその哀しみを物語り、父親としての無力さを噛み締めているようだった。
(宇奈月の女なんか妻にとらなければ平凡な幸せをつかめただろうに)
そのことは小夜子にも言える言葉だ。何度、やめろと言っただろう。一族として、兄として、そして何よりも彼女を愛するひとりの男として・・・・・。
東直系に生まれながら『格』としての力を持たずに『東塚』を名乗れなかった宇奈月にとって、小夜子は宝だった。父をも凌ぐ力を持ちながらも他の一族のように彼を蔑むこともなく兄として愛してくれた。このまま順調にいく筈だった。
そうー隆行が現れるまでは・・・。出会った瞬間、小夜子は隆行にひかれた。その心の衝撃はたいした力をもたない宇奈月にまではっきりわかった。
だから、隆行を憎んだ。わざと小夜子から遠ざけようとした。けれどー。
「『権力』でひとの想いは縛れないか」
ひとことで言ってのけた隆行。『権力』がすべての『宇奈月』の人間にはない生き方。あの瞬間、自分は負けたのだ。
自分にとって『宇奈月』は最も忌みするものとともに最高のものでもあった。それが見事にくつがえされたのだ。自分は隆行にかなわない。そして、小夜子にも。
ー小夜子。
『宇奈月』には珍しく優しげな雰囲気をもつ女だった。事実、優しい心の持ち主だった。だがその優しさが仇になった。宇奈月はぎゆっと拳を握りしめた。
(もっと俺に『力』があったなら)
たったひとりの愛した女を守ってやれない。助けられない。声にこたえられない。
ーた・・す・・け・・・て・・・。
いまにも消えそうな思念体が『本家』にあらわれた時、それが誰だかわかっていながら宇奈月にはどうすることもできなかった。なぜならすべてが彼ら『宇奈月』によって仕組まれたことだったのだから。
それはまったくの偶然だった。昔、封印した『見えざるモノ』の調査で偶然、『宇奈月』は小夜子の『力』に気がついた。裏切り者には制裁を。
それが『宇奈月』のルールだ。東塚和真の直訴と『力』の消滅によって特例で小夜子は隆行との婚姻を許された。二度と『宇奈月』には戻らないという条件で。
だが、『力』があったというなら話は別だ。しかもその息子、佳隆が『力』をうけついでいる。次代の『東』を継ぐべき大きな『力』だ。
ー手に入れる。
それが『宇奈月』のだした決断だった。そして、
ー裏切り者には制裁を。
『力』を持たない隆生は単に利用されたにすぎない。いわば捨て駒だ。隆行が言うように『宇奈月』は利用価値=『力』がなければ簡単に、たとえそれが元帥のひとり息子でも殺してしまう。
それが当たり前の一族にとって今回の出来事は当然の結果だった。
隆生を利用し小夜子に制裁を。そして佳隆と、同じく『力』を持つ異端子ー静穂を手に入れる。それだけのために失時村の村人やドラマスタッフは犠牲になった。
ーた・・・す・・・け・・・て・・・。
救いを求める『想い』は彼らの自尊心を満足させるにすぎなかった。ーただひとりの存在をのぞいて。
(彼女なら助けてくれる)
握りしめる手の力がゆるむ。彼女ならきっとたすけてくれる。彼にとって遠くからしか眺めることのできない存在。『宇奈月』にとって絶対的な権力者。
けれどその権限を真っ向から拒否し続ける人物。戦う『意志』をもつ者。彼女ならきっとー。
「頼む。救ってくれ」
人に頭を下げることが大嫌いな彼が心からそう願った。そして、
「無事でいろよ。佳隆」
いまごろ『アサギ』と出会ってるだろう甥のことを思った。
とりあえずハイエースに積んだ分のガソリンを役場の周辺に撒き散らして村長室に戻ると詩織がふたりを出迎えた。すっかり元気になった様子に静穂はほっとして胸をなでおろす。
「よかった。詩織さんよくなったのね」
「ごめんなさい心配かけて。あら?恭はどうしたの?」
一人足りない。
「あいつはタンクローリーでガソリン振り撒きに行ったよ」
「まったくもう。いつも単独行動ばっかりしてしょうがないんだから」
詩織はため息をつく。むろん本気でそう思っているわけじゃない。彼女は自分の守護の少年に絶大な信頼を抱いているのだから。]
第一、泥餓鬼くらいなら『鏡塚』だけでも十分に手が足りる。わざわざ足を運んだのは佳隆と静穂を手に入れ、その実力を見極めるためであって『狩り』の内容的にはそう難しくもないものなのだ。ただし、隆生に『見えざるモノ』がのりうつっているという点が気になるが・・・
「詩織さん。やっぱりこの村を焼き払うの?」
佳隆は聞く。さすがに詩織は気まずそうに頷いた。
「佳隆が育った大切な村ということはわかってるわ。でもこうするのが一番いいのよ。泥餓鬼は熱に弱いし、決して人間には戻れないから」
もう二度と大好きな先輩も矢野さんも戻ってはこない。静穂は詩織の言葉に唇を噛んだ。もっとはやくに自分が詩織たちと巡り会っていればこんなことにはならなかったかもしれない。
もっとはやくー。
(モットハヤク?)
静穂は自分の考えに息をのんだ。なにかが頭の片隅でひっかかった。
ほんとうにすべてが偶然だろうか?このロケも佳隆に助けられたことも、詩織たちが静穂に会いにきたこともー。すべてがー。
(まさか。そんな・・・)
「詩織さん?」
声が震えた。不可能を可能にしてしまそうな美しい輝きをもつ少女の顔を見つめる。
その女神のような美しさがいまの静穂には恐怖すら感じさせるものになっていた。詩織は微笑みを消すと静穂を見つめ返す。彼女の考えを見抜いたのだろう。
「すべて、『宇奈月』が仕組んだことよ」
ー静かに告げられる真実。
足元がすくわれるような気がした。先輩や矢野さんやスタッフのみんながこんな目にあったのも全てが『宇奈月』の、詩織たちのせいなのだ。
偶然は全て必然でー。タイミングを見計らったかのように現れた詩織たちもみんな・・・。
「人間の命をなんだと思ってるの?」
怒りで目の前が赤く染まっていく。こんなにひとを憎いと思ったことはいままでなかった。
「静穂?」
わけがわからずに佳隆はふたりの美少女を見比べる。いま、詩織は何と言っただろう。確かすべて『宇奈月』が仕組んだことだとー。(すべて?)
隆生が母を殺したことも?佳隆が静穂を助けたことも?詩織たちが佳隆たちを仲間に加えたことも?すべてが仕組まれたことだったのか?だとすれば静穂の怒りは最もだけれどー。
「私、抜ける。詩織さんたちのことなんか信じられない」
固い声で静穂は言った。佳隆は考えを中断して少女を見る。
詩織を睨むその瞳が驚くほど美しく見えた。憎しみはある種最高の美学をもたらすと誰かが言ったことがあるがまさにいまの静穂はそれだ。
そのまま踵を返した静穂のあとを慌てて佳隆は追いかけた。
「・・・あれでよかったのか?」
ただ静かに出ていくふたりを見送る詩織に葵は目をむけた。確か自分たちはあのふたりを『アサギ』に入れるためだけにやって来たのにー。
「あんな誤解ならすぐに解けるはずだ」
ひとこと彼女が違うと言えばすんだことなのに。
「・・・選ぶのはふたりの自由だわ。『アサギ』として生きるよりも『宇奈月』として生きる方がもしかしたらふたりにはいいのかもしれない」
詩織は哀しげに目をふせると唇を噛んだ。葵は眉をよせる。こんな表情を詩織がするときは必ずといいっていいほどひとりの少年の影があってー。
「・・・文久くんが『影』にさらわれたわ」
静かにつぶやいた。
ーゾーリザーリ。
どんよりと曇った空。
ーゾーリザーリ。
泥たちはじっと水の中にいる。
ーゾーリザーリ。
ひきしまった少年の肉。
ーゾーリザーリ。
それでも炎の剣を恐れて、
ーゾーリザーリ。
ただ、頭上を油が覆う。
ーゾーリザーリ。
自由に動ける夜をまつ。
ーゾーリザーリ。
かつてヒトだったもの。
「こんなもんかな」
村中にガソリンをふりまいて、恭はつぶやいた。辺り一面にガソリンの匂いが漂っている。まともに吸い込んだら頭が痛くなりそうな匂い。火気厳禁の看板が欲しくなる。
「たてたところで誰も読む奴なんかいないけどな」
数時間後には焦土と化すのだこの村は。決して立ち直れないくらいに焼き払う。ひとつの遺体も残らぬように。『見えざるモノ』の痕跡を残さぬように・・・。抵抗すらできずに泥餓鬼たちは消されてしまうのだ。外ならぬ自分の手で。少年は皮肉に笑った。
(ふっ。俺もまだまだ甘いよな。佳隆のこと言えねー)
ふっきったはずなのに、心が痛い。決して慣れることはないのだ。歳月を重ねる度に血に染まる手。殺人ではないと頭ではわかっているのにー。
ーゾーリザーリ。
泥餓鬼たちがふいに騒がしくなった。視界の片隅に人影を捕らえて、恭は緊張する。『アサギ』ではない。細身のシルエットはまだまだ幼さを残す少年でー。
「・・・隆生か」
剣の炎が一段と大きくなる。恭は隆生を見つめ、目をほそめた。
「ふうん。『影』か。泥餓鬼を操るくらいだからどんなヤツかと思ったけどたいしたことねーな」
「僕のことを知ってるの?光栄だな」
無邪気な口調とは裏腹に低い男の声。
「隆生と同化したのか。おいしかっただろう。俺たちはおまえらにとって御馳走だから」
「僕は食べられてなんかないよ。僕が母さんを食べたんだから」
隆生の言葉に恭はふんと鼻をならした。隆生の意識はまだ残っている。
「汚い手を使うよな。いまここで佳隆の手を患わせずに俺が『狩って』もいいんだけど、『影』の分際で俺に姿を見せるってことは、なんかたくらんでるんだろ」
用心深く隆生と泥餓鬼の動きを目で追いながら恭は言う。この程度の『影』ならば恭ひとりで十分だ。『影』は『見えざるモノ』の中でも弱い部類に入るが、それだけにずる賢くもある。
隆生の意識を残してるのだって佳隆の心理的動揺を狙ってのことだろう。
でもそれなら佳隆がいる時に姿を現すはずなのだ。なにかたくらんでいる。『アサギ』に『影』が勝てる手段。それはー。
「まさかー」
ある考えにいたって恭は顔色を変えた。『アサギ』の弱点はただひとつ。『アサギ』発足の鍵となった『ふつう』の少年。今回は遠く離れた村だったから安全だと判断してたのにー。
ー『影』は人の心を操る。
隆生は口元に勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「交換だよ。兄さんときみたちのお姫様を今夜十二時までに連れてきて。それまではあの子を食べずにいてあげる」
「いま俺がおまえを倒せばすむ」
「無駄だよ。文久は眠らせてあるけど僕が死ねば監視している泥餓鬼に食われちゃうよ」
そうでなければのこのこやってこない。
「ークッ」
恭は舌打ちをすると剣の炎を弱めた。これがヤツらのやり方なのだ。
「今夜十二時だな」
文久だけは絶対に守らなくてはならない。
「遅れないでね。一秒でも遅れたら食っちゃうよ」
恭はぐっと拳をにぎりしめるとただ、頷いた。隆生は満足げにそんな恭を見てもう一度、言った。
「時間厳守だよ」




